あすは雪、という天気予報に1月14日の雪、そして低温にいつまでも残っていた雪を
思い出しながら曇ってきた外を見た。
メタセコイア(多分)の木のてっぺんにカラスが止まっていた。葉が落ちている季節には
てっぺんによくカラスが止まっている。カラスも見晴らしのきく高みがすきなのだろうか。
夜更けから降りだす、という雪。雲行きも雪、となってきた。どうぞ降り積もらないでください。
あすは雪、という天気予報に1月14日の雪、そして低温にいつまでも残っていた雪を
思い出しながら曇ってきた外を見た。
メタセコイア(多分)の木のてっぺんにカラスが止まっていた。葉が落ちている季節には
てっぺんによくカラスが止まっている。カラスも見晴らしのきく高みがすきなのだろうか。
夜更けから降りだす、という雪。雲行きも雪、となってきた。どうぞ降り積もらないでください。
この冬は寒くて散歩する気にもならずひさしぶりの植物公園。
例年なら福寿草も、早い梅も咲いているのに今日は全く。やっとロウバイと、ツバキの
菊冬至がチラホラ。
ヒヨドリでしょうか
そういえば先日、住まいの近くの木にメジロが数羽止まっているのを見ました。
メジロが群れているのを見たのは初めてなので暫し足を止めてみとれました。
でも、すぐ飛んで行ってしまったのですが。そしてスーパーに向かいながら
”メジロ押し”という言葉があるのを思い出してあ~、メジロは群れるのだと
納得した次第。
ふりましたね~。天気予報ではただ雨は雪に変わる、くらいのことしか言ってなかったのに
夜までやまずに降りました。お正月にはお墓参りが恒例になっていて姉妹で14日、と決めて
いたので出かけました。お参りの後は近くのインで昼食。私は新宿の京王百貨店の
駅弁大会で夕食用にアナゴ弁当が欲しくて寄りました。夫はシラス丼でいい、というので
お弁当二つに少し食品を買って早く帰らなくては、とほかの売り場には回らず電車に
乗りました。電車はそれでも15分くらいの遅れでした。タクシー乗り場は10人くらい待っていて
一台きたらあとは全く。バスにするか、と並ぶとこちらも30分待たされました。どうも途中の
坂道で車が立往生したらしい。デパートで大きな紙袋にまとめてもらったのに30分も
立っていたので雪を浴びて下車して歩きだすと破けてお弁当も半分顔を出し、泣きたいよう
な思いで家にたどり着きました。唯一救いだったのは去年金沢に行くとき買った底に
滑り止めがついた靴を履いていたことでした。雪国の方から見ればなんてこともない雪で
しょうが慣れない者にとっては苦行でした。
向かいの学校の昨日と今日
友人に誘われて新年早々京都を訪れました。一日目は一時前に着いて
翌日の観光を申し込んだり、帰りの新幹線チケットを買ったり、遅い昼食をとったり
して宿にチェックインしたらもう三時半を回ってしまっていまからでは拝観などは
出来ないのでおしゃべり。夕食は歩いて五分ばかりの京料理のお店で。
なかの日は予定通り、観光バスで都七福神巡り、京都は七福神めぐりでは日本最古
だそうで弁財天を祭る六波羅蜜寺からスタート、えびす様を祭るえびす神社を経て
毘沙門天を祭る東寺へ、五重塔は遠くから見ていますが拝観は初めて。地所内の
洛南会館で昼食。午後は松ヶ崎大黒天、赤山禅院、革堂を経て宇治の万福寺へ、
忙しいお参りでした。万福寺は一昨年宇治方面の観光で訪れていました。すっかり
忘れていてバスを降りて「あー、きたじゃない!」という情けなさ。木魚の元という
木製の魚がつるされているのでした。一昨年はお坊様の講話も伺ったのに、売店で
ソフトクリームを食べたことを思い出す情けなさ
観光の後は駅の名店街であれこれお菓子を求め、宿へ。夕食は新年会などで思っていたお店は
席が取れずお蕎麦屋さんへ。友人は花巻そば、全形程の海苔が熱いおそばにのせてある
珍しいもの。もう一人の友人はとろろそば、熱いおそばにとろろと半熟卵がのっているもの。
私はニシンそば、おそば、というとざる系なのだが珍しく熱いものをいただいた。寒い夜
には熱いものもいいものです。
帰る日は少し時間があったので修学旅行以来の平安神宮へ。
駅の伊勢丹で昼食、和食はもういいわ、と生スパ 添えられたトマトのジュレは大変
結構でした。
晴天の三日間でそれだけでも八十点
あけましておめでとうございます。快晴の年初め、ここからは地平線に上る日の出は
拝めませんが徐々に明るくなる空は美しいものです。
陽を受けて富士山もほんのり顔を染めています。
青空に白い月が。
7時19分から30分の空
今年もご訪問くださいましてありがとうございました
変化のない生活で綴ることもないのですが、時々はお話したいと思います。
来年もよろしくお願いいたします
大谷選手のファンでもないし、日ハムのファンでもないけれどホッとした。
若い選手が憧れをもつのはよいことだけれどこの話、成功率が極めて低いことは
野球素人の私でも思っていたことである。大リーグ行きを表明して各球団がドラフト
指名しなかったことをとやかく言われているが指名の権利はあるのだからおかしい。
昨日の発表で栗山監督が「うれしいというより重い責任を背負った」という意味のことを
述べられていたがそうだろう。雄飛を見たい。
10月に花巻温泉に一泊した。この小さな町に大リーグのスカウトまで来てさぞ湧いたこと
だろうと思ったことを思い出した。
ダイヤモンド富士の季節になったが、わが家からはなかなか見られない。
時間と角度だろうがせめて燃える富士山で我慢。
夫と東京国立博物館 平成館出開かれている中国王朝の至宝 展を見に行った。
夫は仕事でかなりの回数訪中しているし、もともと中国の歴史には興味を持っている。
何しろBC21世紀のころにあったとされる夏王朝からの文物が展示されているので
それだけでも興奮する。特に金の文物は成都の三星博物院(正式の名は自信がないが)
を訪れたときに何点か見て、それが今回展示されているのかはわからないがこのような
技術があった、ということに驚いたことを思い出した。跪射俑は始めてみるが20年ほど
前に西安の兵馬俑で見た、当時は8百体位、といわれていたと思うがその時の圧倒
された思いがよみがえる。
大きい展覧会は会期の中ごろに行く、というのが私の考えだが、込み合わず思うように
見ることができて満足した。
友人から、「お連れの都合が悪くなったからいかない?」とお誘いがあった。
すぐOKの返事。なにしろ顔見世である。お誘いがあってからワクワクして数日を過ごした。
出し物は 熊谷陣屋 仁左衛門の直実、秀太郎の藤の方
舞踊 藤十郎の汐汲
四千両小判梅葉
私は汐汲みを一度見てみたい、と思っている節があって楽しみだった。衣装が華やかで
早変わりもある、と聞いていた。それもあるが幼いころ住んでいた家ではお正月に1尺位も
ある押し絵の羽子板がお座敷の鴨居に2~3本、飾られた。あとの押し絵は覚えていないが
汐汲みの名とともに絵柄も子どもなりの記憶だが残っている。その羽子板も戦火に焼かれ
てしまった。心の片隅にそんな事が残っていたのである。
お芝居を見る、ということはデパ地下のお弁当であっても華やぎがあって家に帰っても
ちょっとハイな気持ちが残って寝付くのに時間がかかってしまった。
これからも 周りに「ひまじん」を宣伝しておこう。何かいいことが転がり込んでくる。