15年目。ということでこのドラマが企画されたのだろう。当時の映像、それから
当時の編集長やカメラマン映像やコメントを交えながら私たちの知らない大震災の
一面を見せてくれた。主演の櫻井 翔は初めて見たのだけれど一生懸命カメラマンの
使命について悩む姿を見せてくれた。
新人カメラマンを演じた吹石 一恵はいつも体の奥から演じていて好きな女優の一人
である。
あのフジテレビがこういうドラマを作ったのにも敬意を表する。
魁皇 最多勝808!
魁皇の若いころ、顔もいいし強さもあって勝手に応援していた。
しかしその後コロッと負けたり、休場が多かったりでいつごろからか
もう応援する気も失せていた。同じころどなたでしたか忘れたが
名の通った方が新聞か何かに〝魁皇には期待を裏切られ続けた″と
書いておられて〝同感!″と思ったものである。
その魁皇がまた負け越しか、また休場かと思っているうちにコツコツ
勝ち星を重ねて今日を迎えた。相手が落ち目もいいところの千代大海とはいえ
勝って新記録となった。これからも精進、名を残してほしい。
帚木蓬生著 水神 上・下 新潮社
単行本は原則買わないことにしているのだが新聞で本書が紹介されて心に響くものがあってつい購入した(読むのが遅いので図書館、というわけにはいかない)
筑後川が目の前を流れているというのに土手のこちら側には一滴の水も流れない、したがって農作物の出来も悪い貧しい村の五庄屋が堰を築くべく立ち上がりやがて藩も動かし、反対する村々も協力し堰を築く江戸期の物語である。春の農作業が始るまでに、と1月から3月にかけての突貫工事である。詳しくはお読みいただくほかはない。
2005年5月に九寨溝を訪れた後、2300年前に築かれた都江堰に回った。こちらは
度重なる洪水に李氷が分水する堰の建設に着手し、完成を見ずして亡くなった後は息子が跡を継ぎ完成させた。
当時は8年の歳月をかけたようだがたびたび改修し現在は世界遺産、大勢の観光客で賑っている。四川大地震では相当被害があったよう心を痛めたが修復されているらしい。
水神に、竹で籠を編み石を詰めて沈めた、とあるが都江堰にはやはり籠に石を詰めたものが使われた、と展示されていた。
南 田 洋 子さん
認知症、ということでの話題になっていたがとうとう亡くなられた。私より年上だけど
同じ時代を生きた方、という思いが強い。でも映画もドラマも見ていない。記憶にある
のはNHKで放送された“紀ノ川”だけである。和歌山弁の末尾に付ける”のし”が面
白くて今でも南田洋子の「…のし」が残っている。他の方たちのセリフにもあったのだ
ろうが彼女の独特の声の印象が強い。
私は彼女よりもその娘(多分)を演じた谷口 香という人に興味を持ってしばらく他の
ドラマに出ていると”やってる、やってる”と嬉しかった。最近はあまりドラマを見ない
ので活躍ぶりを知らないがお元気なのだろうか。
三河屋製 備後銘菓 むろの木
広島地方にはなぜか棹物菓子が多い。これもその一つであるが、姿、味、共に
ぴか一であると思う。
私がこの菓子を知ったのは、もう40年余も前、夫の転勤で福山市に移り住んだ折り
であり、東京に戻ってからも夫の福山出張には頼んでいた。しかし、そんな機会もな
くなってさみしく思っていたら、福山在住の知人が、上京するので我が家へ寄る、とい
う。そこで甘えた。何年ぶりかの むろの木。 原材料をみると小豆、砂糖、小麦粉
など菓子の定番材料のほか、アーモンド、オレンジ、レーズン、ラム、ワインなども入
っている。 私が出会ったころには原材料名が書かれていたとは思えないので当時
ワインまで入っていたのかは不明であるけれど懐かしさいっぱいで賞味した。
むろの木 は大伴旅人の歌、
わぎもこが見し鞆の浦のむろの木は常世にあれど見し人も無き
に由来する。
TVドラマ 戦場のメロディ
もう1週間も前のドラマ、普段のドラマ鑑賞(鑑賞なんていうのも憚られるけれど)はほとんどサスペンス系である。しかし久しぶりにこれを見ようと思ったのはファンというものではないが薬師丸ひろ子の声がわりと好きなので渡辺はま子の歌をどう歌うのかな、と軽く思ったのと日ごろは全く脳裏にない渡辺はま子の当時の思いを知りたかったからである。 薬師丸は淡々と渡辺はま子を演じていて好感が持てた。歌も本人の真似ではおかしいわけで随分練習したのだろうな、と。
小日向文生の教誨師も暗くなく持ち味が出ていた。2~3年前まで知らなかったけれど存在感のある俳優だ。 ドキュメンタリー部分も、当時はもう戦争を忘れて能天気に遊んでいた中学生だった私には「そう、こういうこともあったのだ」と深く感じた。帰国された方々もご高齢で証人として言葉を残されていることに胸をうたれた。
それにしても渡辺はま子には自らの収容所生活があったとはいえ、あたまがさがる。行動することは大変なことなのだ。
坂本 九さん
無聊を託ってつけたテレビから坂本 九さんの歌声が聞こえてきた。
また御巣鷹の季節が来た、と思いながら2005年の冬に93歳で逝った母を
思い出した。母は芸能番組などは余程でないと見なかったがたまに九さんが出て
いる番組を見ると「九ちゃんはいいわね、あの笑顔」 などと言っていた。
九さんは1941年生まれ、母はそれを知っていたのか確かめたことはなかった
けれど、 母は終戦の年、1941年生まれの男児を亡くしている。僅か4年しか
生きなかったわが子を九さんに重ねて見ていたのだろうか。
夫のジグソーパズル 3
2を完成させてすぐまた買ってきた。よく見たら出来上がりサイズは同じだが
1500ピースである。ということは1ピースは前に完成させたものの3分の2と
いうこと。エーッ、ダーッである。
仕方ない、手を出し口を出し完成を目指す。約40日かけて夕べ11時過ぎに最後の
1ピースを夫自ら入れて(夫のために20枚くらい残しておいた)出来た、出来たの
声がする。カメラを持っていく。1枚撮ったら天井のライドが写ってしまった。
撮り直そうと動かすと乱暴だったらしく上部4分の1くらいがバラバラと崩れてしま
た。もう入れ直す気力はなくこの1枚でいいことにした。
夫に言わせると「7割は母ちゃんだな」 私は8割だな、と思っている。
この2カ月余、食卓の半分を占拠されていた。これでゆっくり広々と食事ができる。