信じる・信じないの問題ではない~。
あるんだから仕方ない~。 ← 故・丹波哲郎さん風に。
「死語の世界」、その2! ここでは決して「死後」ではない~(笑)。
バブルの時代、モテる女性には、何種類もの「とりまき男」がおり、それらの男性を、モテる女性は使い道ごとに便利に使い分けていた・・・・とされた。
それらの男性は、中々本命にしてもらえないまま、いつか「本命」に格上げされることを夢にみては、いつかなうともさだかではなく、必ずしもバラ色の立場が保証されるわけでもないまま、「役割」をこなしていた・・・・と言われた。
ただ、それらの男性の中には、ひたすら尽くすのが嬉しいというタイプもいたようではあった。
時には、それらの「とりまき男」は、「便利君」という呼び方で「ひとくくり」にされているのを私は雑誌などで見た覚えもあった。
では、その「使い道」をその女性に対する仕事だとするなら、どんな「職業」があったかというと、
- アッシー
- メッシー
- ミツグくん
- キープくん
- 民生委員
などがあった・・・とされた。どれも「便利くん」たちであった。
まず、「アッシー」。
これは、「アッシー」という言葉からも分かるように、言葉の由来は「足」からきていた。
つまり、その女性の「足」がわりの役割の男性であった。
例えば、遊んでて終電がなくなった女性が、アッシー役の男性を呼び出し、アッシーの運転する車で家まで送らせる。いわば、お抱え運転手みたいなものだ。しかし、だからといって給料は払ってたわけではない。もっぱら、アッシーがその女性に気があることを利用し、ただで(?)お抱え運転手をさせていたことになる。
とはいえ、アッシーという立場だと、一時的ではあっても、その女性と密室(車の中)で2人きりになれるので、アッシーには多少なりともメリットはあったのかもしれない。
もっとも、その女性がそのアッシーに何か応えてあげることがあったかどうかはわからないが・・。
次に「メッシー」。
この言葉は「飯(めし)」から来ていた。
つまり、食事をおごる役割の男性であった。私は「便利君」を持っている女性にはなったことはないので(笑)、どういうシチュエーションでメッシー君が呼び出されていたのかはわからない。お腹がすいたり、ちょっと高い食事をしたい時に呼び出されていたのだろうか。
メッシーがいる女性は、極端な話、食費はかからなかったのだろうか。
メッシーにとっては、うまくいけばその女性とレストランなどで2人きりにもなれるが、その女性が友人と同席していようものなら、数人分の勘定を支払わされることになったのだろうか・・・。
「ミツグ君」。
この言葉は「貢ぐ」からきていた。その女性にあれこれ貢いでくれる人。
ミツグ君とは、高価なプレゼントを貢いでくれる男性。この場合、ミツグくんという役割をこなしていた男性は、きっと裕福だったのであろう。
これらの存在が話題になったのは、バブルの時代。だから、男性も裕福だったのだろう。プレゼントとしては、ブランドものだったようだ。自分の金は自分のもの、男の金も自分のもの・・そんな感覚(笑)だとしたら、ある意味「おねだり上手なジャイアン」?←おい、、!
そんなことを考えると、アッシーやメッシーよりも下の立場のような気もする。
ミツグ君から本命になれた人はいたのだろうか?また、恋人になれたとしたら、いくらかかったのだろうか。
「キープ君」。
本命の彼氏が都合悪い時や、本命と別れてしまった時の、本命の代役。補欠というか、保険というか、第2志望というか。
言わば、彼氏の2軍みたいなものか。でも、アッシーやメッシーやミツグ君よりも立場としては上のような気はする。
一応、彼氏候補の中には入っていたわけだから。補欠ではあっても。
そして「民生委員」。この言葉は、一部で使われていた。妙に印象に残ったから、ここにあげてみた。
女性に何の見返りも求めず、下心もなく、都合のいい時だけ呼び出される。言わば、究極の「便利君」。まさにその名に偽りなし。
例えば、引っ越しの手伝い、カセットテープのダビング、オーディオなどのセッティング、今ならパソコンのヘルプもそうかもしれない。グチの聞き役などもあったかもしれない。
もちろん、本命はおろか、キープ君などにもなることはほとんどない。本人もそれを主張しない。「いい人」の権化であり、「お人よしの聖人」。
と、あれこれ書いてきたが、たとえ男性本人に「アッシー」とか「民生委員」などの自覚がなくても、気づけばいつしかそういう存在になっていた状態の時もあった・・・そんな人もいたのではないか。
バブルの時代によく使われた「アッシー」「メッシー」「ミツグ」「キープ」「民生委員」などの言葉は、今や死語扱い。
とはいうものの、そういう立場の人は今も潜在的にはいそうな気はする。
単に「アッシー」などの呼び方をしないだけで。
当時、上記の職業(?)を務めた男性だちは、当時どんな思いでそういう役割(?)をこなしていたのだろう。
その人に合った恋人を見つければ、そんな役割はしなくても幸せになれたのもしれないし、そういうことにお金や時間を使って、何か報われたのだろうか。
それとも、報われることを考えず、打算はなしで、単にバブル女性にそうやって仕えることで幸せを感じていたのだろうか。
そういう役割をしていた便利君たちは、その後その女性とどうなったのだろう。
その女性たちは、そういう便利君に対してどう思っていたのだろう。何か応えてはあげたのだろうか。
いや、そういう人たちは・・特に民生委員などは、そんな見返りは考えていなかったのかもしれない。
そういう立場でいることで、その女性と繋がっていられることが、報酬(?)だったのかもしれない。
ちなみに・・・そのバブル女性が結婚する時、それらの「便利君」をどうしたのだろう。
皆、クビ??
それとも、結婚しても、隠し持っていたのだろうか。
中には・・・民生委員の立場から、一気に下剋上で、あまたの段階や身分(?)を乗り越えて、一気に「彼氏」にまで上り詰めた人は、いたのだろうか。
きっと・・稀にはいたのかもしれない・・・せめて、そう思っておくことにしたい・・。
でもまあ・・それらの「便利君」たちが、それで幸せだったり、楽しかったりしたのなら、それはそれでその時代を謳歌していたことにはなるのかもしれない。
なんてったって、バブルの時代だったし。
あくまでも、本人がどう感じていたかだから。
見方によっては、そういった「便利君」を従えていたバブル女性は、「便利君」たちに「繋がり」という楽しみを与えていたことにはなる・・・のかな(笑)。
ともあれ、その後の・・今に続く人生に、それらの人たちが幸せをつかんでいることを願って。
というのも、「便利君」のまま、何かの事故や病気などによって人生を終えていった人がいたら・・と思うと・・・。
ともあれ、バブルの時代は、今となっては考えられない時代だったのだろう。
今でも、何かのきっかけでバブルの時代のことが話題になったり、時にはパロディみたいにバブルの時代の様子を再現したり、あるいはひとつのスタイルとしてバブル再現がなされたりすることもある。
バブルの時代を謳歌し、人生を楽しんでいた人は、バブルの時代の自分が忘れられなかったりもする人もいるのだろう。何かのきっかけで「夢よ、もう一度」みたいな気持ちもあるかしれない。
反面、バブルの時代を体験できなかった若い世代の人は、バブル時代を謳歌した人たちを羨ましく思ったりすることもあるかもしれない。
便利君たちを持っていた人たちがバブルの時代を楽しんでいたのだとしたら、案外便利君たちもバブルの時代を「それなりに」楽しんでいたのだろう。
たとえ仕える(?)女性からの「見返り」がなかったとしても、「繋がっていられた」という意味で。
・・・違うだろうか。
バブル時代。そしてその後の「バブル崩壊」、そして「不況」。
それは、しっぺ返しみたいなものだったと私には思えてならない。
バブルがバブルだったぶんだけ。
平家物語の「奢れる者は久しからず」というものは、いつの時代にも当てはまるのだろう。
バブルの時代、あなたには「便利君」はいただろうか。
バブルの時代、あなたは「便利君」を勤めたことはあっただろうか。
そのため、リアルタイムを生きながら、実感が全くありませんでした。
実際その時代を体験された歳上のお姉さんと友人になり、尋ねてみたら、「日本で、女性が最も華やかだった時代」と話していらっしゃいました。
派手な原色レディーススーツを着て、都会を闊歩して、「メッシー君を呼び出し、待たせていたアッシー君(が運転する車)で帰宅した」らしいです。
その歳上の女友達、今でも充分に美人なので、当時はさらにブイブイ(これもバブリー用語?)言わせていたでしょうね。
「派手な原色レディーススーツを着て、都会を闊歩して」までは、私も同じなので、嬉しい親近感があります(笑)
しかし、バブリーギャルの配下に置かれていた男性陣は、今から言えば「草食系男子の元祖」とも言えますね。
私は、男性は(理性的な)肉食系であってほしいので、「配下に置く男性陣」は不要です。
そうそう、しばらく前ですが、上下赤いレディーススーツ(白いブラウスに、白いヒール)を着ている私を見て、男子高校生が「バブリー芸人!平野ノラだ!」と、びっくりさせた事件が発生しました(笑)
その時、私が「アッシー君にしてやろうか?」などと生意気なことを言っていたら、どうなっていたのでしょうね…。
男子高校生だから、配下にさえ置けない現実は無視しても…。
当時のような「日本全体が活気に満ちていて、元気全開の時代」は、理性的に再び復活されるべきだと私は祈っています♪
ファッション、車、飲食、旅行など、かなり贅沢をしてた時代でした。
便利君を何人もストックしてた、、ということも、贅沢の一環だったのかもしれません。
私はそういう女性にはあまり近づかないようにしてました。苦手だったんです。
話のタネには面白かったですけどね(笑)。
なので私自身はあまりバブルに踊らされてはなかったと思います。
バブル時代にブイブイ言わせてた人は、バブル崩壊後にはブーブー言ってたのかもしれませんね(笑)。
平野ノラさんの芸風は、バブルの時代の女性をパロディにしてますから面白いです。
ああいう芸風が出てきて人気が出たのは、やはり、、、バブルの時代に対しての「夢よ、もう一度」という思いがあるのかもしれないですね。
時間の外にようこそ。
可愛いアイコンですね。
トレンディなんて言葉、巷では使われてましたが、私は・・なんというか気恥かしくて使ったことはなかったです。
大昔は「同じ昭和世代」でも、「昭和1桁」世代は区別されてたりしましたが、今後は、同じ平成でも「平成1桁」世代という区別もされていくのかもしれないですね。
ということは、いずれ令和時代も「令和1桁」世代なんて呼ばれたりするのかも・・。
時代は繰り返され、どん引きも繰り返されていくのかも・・。