明智光秀の悲運
2020年の大河ドラマは、ご存知のように明智光秀が主人公だ。
光秀は以前は反逆者のイメージが強く、あまり良いイメージでは描かれなかったことが多かったと思う。
だが近年、光秀はだいぶイメージが変わってきてると思う。
個人的には、シミュレーションゲームは大きかった。
戦国シミュレーションゲームを遊んでると、光秀は極めて優秀な能力値で出てくるし、顔グラフィックもけっこうイケメンだったりした。
近年では光秀が統治していた地域に住む人たちの光秀の評判もテレビでよく紹介される。
地元では昔も今変わらぬ「名君」のイメージで語り継がれており、今でも親しまれているという。それは光秀が統治していた時に善政を敷いていたことが大きいようだ。
光秀が歴史的に長らくあまり良いイメージでなかったのは、勝者である秀吉によって、すっかり悪役にされて流布されてきたからだろう。
歴史上の評価というのは、勝者によって作られるものだったりするからだ。
勝者である自身の正当化のために。
また、天下の反逆人とされたため、ある意味タブーともされたのかもしれず、その生涯についてはあえて資料として残されず、末梢された状態で、世が流れたせいもあっただろうし、不明な点は多い。
光秀が三日天下で終わったのは、秀吉の戦略のうまさもあったのだろうし、光秀自身の「見通しの悪さ」もあったのかもしれないが、運がなかった部分もあったと思う。
今では光秀が信長に反旗を翻したのには、様々な理由が推測され、中には有力な説もいくつか指摘されている。
私個人的には、光秀がクーデターをおこしたのは、たったひとつの理由によるものだったとは思えないし、いくつもの要因が重なっていたはず・・・と思っている。
なので、世間で言われている光秀反逆のいくつもの説が重なっていたのではないかと思っている。
何も理由がなく、あそこまで自身を出世させてくれた信長に光秀がクーデターを起こすはずはないだろうし、信長にもそうされても仕方ない要素はあったのだろう。
なので、一概に光秀を一方的に悪人にする気にはなれないし、昨今の光秀への世間の評価もそうだと思う。
そこには、ある意味「同情票」みたいなものもあると思う。
光秀を討った秀吉の戦略は見事だったのだろうが、同時に私は前述の通り、光秀の運のなさも考慮したい。
そう、私の中での光秀像は「悲運の武将」だ。
これまでも光秀を主人公に描いたドラマや映画などはあったが、大河のような1年続く大枠で主人公として描かれたことはなかった。
大河で主役に選ばれることで、昨今再評価著しかった光秀のイメージは、さらに人々に親しまれる存在になるに違いない。
よかったね、光秀さん、やっと大河で主役として細かく描かれることになりましたよ、これでますますあなたのイメージは改善されていくかもしれませんよ・・・などと思っていた私。
これで日本史の中でも一気に人気人物ランクの順位をあげるチャンス!と思っていたのに。
それが・・・
コロナのせいで、せっかく大河で主役として描かれる「麒麟がくる」が、当初の制作側の思惑とははずれて、縮小されたり、中途半端な長さで描かれるようにことになってしまうと・・・光秀は運が悪いなあ・・・と思わずにはいられない。
時期が悪かったよねえ。こんなコロナの時期と重なってしまって。
もしかして、明智光秀は、死して数百年たった今でも、悲運の武将で居続けるのであろうか。
やはり・・光秀には、運がないのだろうか・・・。
そんな気にもなってきてしまう。
ああ、明智光秀。
ともあれ、今の時点では今後のコロナ状況がどうなっていくのかはわからない。
光秀の大河ドラマが、本来の放送回数を守って放送が越年になるのか、逆に大幅に話数を減らして、当初の予定通りに年内放送で終わらすために短い大河ドラマになるか・・・。
もしも、放送回数を減らした「短い大河」になってしまったら、やはり今も明智光秀は悲運・・と思わずにいられないし、個人的には越年してでも、本来の放送回数を保ってほしい気はしている。
「短い大河」でも、せいぜい2~3本少なくなるだけなら仕方がないと思ってもいいが、大幅に短縮した放送回数になってしまったら、大河でありながら大河ではない・・・そんな印象になってしまいそうで、残念すぎる。
ちなみに私は、秀吉は途中までは好きなのだが、晩年の秀吉はあまり好きではないので、どちらかというと光秀の方に感情移入してしまっている部分がある。
三国志の龐統といい、戦国時代の明智光秀といい、悲運の人物に感情移入してしまう傾向が私にはあるようだ。そういう意味では義経もそうかもしれない。
もっとも、龐統にしろ、光秀にしろ、義経にしろ、彼らが大成功していたら、私が感情移入したかどうかは定かではないが・・。
個人的には、若い頃は完全なる実力主義だった主 信長が時を経るに従って身内を重用し始め、かつての世界に向けていた目が足元大事となってしまった事への失望・・・そんな説が最近のお気に入りです。
秀吉との共謀説なんてのもありますね。光秀=天海説なんてのはこの辺から派生したみたいだし。
光秀自体が謎が多い人物で、若い頃の事は殆どわかっていないようですね。医者だったという説もありますね。
まあこう言った史実にない部分を想像するのも歴史ものの愉しみのひとつだと思います。
「麒麟が〜」の信長さん、風貌的には家康さんなんですが、あの何を考えているか判らない所やエキセントリックな感じは面白いですね。
しかし、せっかく主役のドラマなのに・・・ついてませんなぁ光秀さん。
光秀=天海説は、日光に明智平という地名があることも根拠の1つとされてますよね。
説としては面白いですが、近年、光秀と天海の筆跡を比べて研究したところ、筆跡が異なり、やはり光秀と天海は別人であるという見方になってるとか。
でも、光秀と天海が同一人物説があるということは、もしかしたら、庶民の中には、光秀には生き延びててほしかった気持ちもあったのかも。
「あけっつぁま」とか呼ばれてるそうです。
なんでも他国の侵略から庇護された領民たちが光秀の死後、その威徳を偲んでの事だそうですが、
さすがにおおっぴらにその姿を拝む事は出来ず、坐像を墨で黒く塗ったとか・・・
旅好きのだんぞうさんなら行った事があるのでは?
来年の大河の主人公は渋沢栄一、その次が北条義時。渋沢さんは何となくわかります。
日本の産業経済の父であり、新札の肖像ですからね。
でも北条義時って私の浅い歴史知識の中では源頼朝の家来位しか思い浮かびません。
あ、そうだ。渋沢さんも大きな功績ある方ですが、
あの動乱の時代に幾多のビッグネームある中で関わりがあったのは徳川慶喜位ですよね。
活躍は明治に入ってから・・・。まあ、脚本があの出たがりさんなので色々と仕掛けてくるんでしょうが(笑)
北条義時は、私もあまり馴染みがないです。
なので、私の乏しい知識から考えると、光秀ドラマを短縮するくらいなら、光秀ドラマを正式な長さで制作してほしい、、、、なんて言ったら、義時ファンから怒られるんだろうなあ、、。
なんか今までの大河に比べると随分とあっさりしてましたね。
今までのドラマでは桶狭間の戦いって豪雨の中で泥濘に足を取られながらの激闘ってイメージだったんですが・・・今回は雨降ってんだかふってないんだか、よくわかんなかったです。
ただ今川義元がちゃんと鎧を着けた武将の姿だったのはよかったですね。
今までの義元像は京都かぶれで白塗りのお公家さん風に描かれる事が多かったでしょ。でも、海道一の弓取と謳われた武将ですよ今川義元。やっぱりああでなくっちゃ。
今日改めて思いました。
やっぱり主役にしちゃ影が薄いぞ、十兵衛光秀。
信長に仕える前の光秀はあまり資料が残っていないようで、かなりの部分がフィクションなのでしょう。
光秀が信長に仕えて歴史の表舞台に登場してくるのは、これから。
なのにここで中断だなんて、せっかくの大河の主役なのに、光秀さんはやはりツイてないなあと思わずにはいられません。
私は昔、仕事で今川家のことを調べたことがあり、今川義元が優れた武将であったことをそれなりに知ってます。
だから、今回はイケメンの役者に演じてもらえてよかったと思ってます。
今川義元は、過小評価されすぎだと思ってます。
光秀の存在感が輝きだすのは、やはり信長に仕えてから。
なのでまだ影が薄いのは仕方ないかと。