持っているだけで、なにやら高級な気持ちになれたお菓子・・・というものが、子供時代にあった。
例えばハイクラウンチョコがそうだった。
ハイソフトキャラメルもそうだった。
実際、どちらのお菓子も、通常のお菓子の相場よりも少し高かったと思う。それゆえしょっちゅうは買えなかったから、たまに買うと高級感を感じたのだろう。また、実際美味しかった覚えもある。
高級感と言えば、今回とりあげるフランスキャラメルにも感じた。
とはいえ、このフランスキャラメルが当時いくらだったかは思いだせない。
たまにしか買ってもらえなかったことを考えると、普通のキャラメルよりも少し高めの値段だったのかもしれないし、あるいは相場並みだったのかもしれない。
私がそのキャラメルに高級感を感じたのは、そのパッケージのせいだった。
ともかく印象的なパッケージだった。
フランスの国旗みたいな背景(?)をバックに、白人の女の子のアップが描かれていた。
日本の少女スターの顔ではなく、金髪の外国人少女のアップだった・・というのがなにやら斬新で、印象度抜群だった。
その少女の顔を見るたび、この子は一体誰なんだろう・・と思っていた。
外国の少女スターなのか、あるいはフィクションの「絵」なのか。
当時のお菓子で、金髪少女のアップをでかでかとパッケージに収めたデザインは、他にはなかったと思う。
だからこそ、インパクト抜群だった。
その子に興味はもったけど、当時、結局その子の正体はわからずじまいであった。
そんな状態が続いたから、きっとフィクションの「絵だけ」のキャラなのかとも思った。
最近、このキャラメルのことを思い出し、何気に「フランスキャラメルの女の子」のことをネットで調べてみた。
すると・・・!
この、フランスキャラメルのパッケージの少女には、モデルがいたことが分かった。
そのモデルとなった少女とは、シャーリー・テンプル。
キャラメルパッケージに描かれた少女がテンプル本人であるかどうかはともかく、少なくてもモデルはテンプルであった。
とはいえ、このキャラメルを発売していた不二家は、そのへんのことは公表してなかったらしい。
だから、このキャラメルを長らく食べてた私にとっては、謎の少女だったのだろう。
まあ、もっとも、仮に公表されてたとしても、私はシャーリー・テンプルのことはよく知らなかったはずなので、どちらにしても謎のままだったかもしれないが。
さて。
ではシャーリー・テンプルという少女がどんな人だったかというと。
アメリカのハリウッド女優であり、なおかつ外交官でもあった。
1928年4月23日生まれ、2014年2月10日没。享年85歳。
ということは、亡くなったのはつい最近・・ということになる。
1930年代では、子役として相当有名だったらしい。子役時代から絶賛を浴び、また後年は外交官としても輝かしい業績をあげたらしい。
ともかく、子役時代から亡くなるまで輝かしい人生を送った人だ。著名な人なので、御存知の方は多いことだろう。
不二家のHPによると、フランスキャラメルが発売されたのは、1934年だという。ということは・・まさにその頃、テンプルが少女スターとしてピークだったころだ。
フランスキャラメル・・というネーミングなのに、アメリカの少女スターであるテンプルがモデルとされた・・というのも、厳密に考えれば「?」という気がしないでもないが、当時も今も、日本人にとっては、白人の女の子がアメリカ人かフランス人かの区別など中々つかない。
なので、当時、世界的に一世を風靡していた少女スターのテンプルをイメージキャラクターとして選んでいたとしても、メーカーとしては問題なかったのかもしれない。
あくまでも、白人少女代表として。
で、その白人少女のバックにフランス国旗をあてがうことで、フランスキャラメルのイメージ演出効果をあげたのだろう。
もしも、正式にテンプル本人をイメージキャラとして起用するとなると、当然ギャラも発生するはず。相手は少女スターとして高名な存在だったわけだから、そのギャラはきっと高額だったろう。
また、テンプル側が、日本のお菓子のオファーを受けるかどうかも未知数だったはず。
そこで、テンプルをモデルとしながらも、あくまでも架空の白人少女ということだったのだろう。
だからこそ、フランスキャラメルという名前のお菓子にも使えたのだろう。
もしもテンプル本人を使ったのだとしたら、アメリカンキャラメルという名前になったかもしれないし。
ちなみに・・このキャラメルが発売されたとされている1934年は、昭和9年。
ということは、第1次世界大戦前。
この年あたりに生まれた方は、今は80代。
このフランスキャラメルは、かなり歴史のあったキャラメルだったことになる。
で、昭和32年には、不二家の数寄屋橋店に、フランスキャラメルの大看板が掲げられたそうだ。
それまでにも不二家の主力商品の一つだったのかもしれないが、この大看板により、このフランスキャラメルは文字通りの看板商品となっていったのかもしれない。
その後長らく不二家の看板商品の一つとして支持されていったようだが、いつしかその勢いが衰えたのか、あるいは不二屋から多数の商品が出るにつれ、フランスキャラメルは新商品に押されていったのかもしれない。
で、・・・
いつしかフランスキャラメルをお店で見かけなくなったな・・・と思ってたら、昭和54年には、製造販売は終了したらしい。
どうりで、店頭で見かけなくなったわけだ。
幼い頃、私はこのフランスキャラメルを食べる時、いつもこのパッケージをマジマジと見つめた気がする。
そして、この少女は一体誰なんだろう・・と思ってた覚えがある。
と同時に、このパッケージには独特の気品を感じ、そのせいかこのキャラメルに高級感を感じたものだった。
今思えば、当時感じた高級感は、この少女に負うところが大きかった気はする。
まるでどこかのお姫様みたいなイメージを持った覚えもある。もしくは、少女看護婦みたいなイメージも持ったし、映画スターみたいなセレブのイメージも持った。
ともかく、イメージを膨らませてくれる存在ではあった。
フランスキャラメルの少女に対して、当時連想したそれらのイメージは、実際「映画スター」や「セレブ」という意味では「当たっていた」ことになる。
当時、金髪の少女にはリアルで会う機会など中々なかったし、金髪の少女はもっぱら映画や外国産テレビドラマに出てくる「遠い存在」であった。
だから、憧れみたいなものもあったのかもしれない。
そして、それが、高級感を増幅させたのかもしれない。
私が生まれた頃に住んでた町は、都心ではあったが、やや起伏のある地形だった。町の中にちょっとした丘陵みたいになっている個所もあって、その丘陵は道沿いに続いていた。
道を歩きながら、その丘陵に立っていた建物を見上げ、その建物の上に広がる空の中に、このフランスキャラメルの少女を思い浮かべたこともあったように思う。
それは、少女に恋焦がれるとかそういう感覚ではなく、その丘陵に立っていた建物を、外国のお城みたいに見たて、どこかの外国の王国の住人にでもなったかのような空想をしていたような気もする。
その少女はその「架空の王国」の王女であり、自分はその国の民であるかのような。
そういう意味では、フランスキャラメルのパッケージは、そこまで空想力を私に広げさせてくれてたことになり、いかにそのデザインが幼少の私にインパクトがあったか・・という証明かもしれない。
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