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気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

ドラマ「ぼくの夏休み」が終わって

2012年09月05日 | レビュー(テレビ、ゲーム、本、映画、その他)

「ぼくの夏休み」・・・ドラマのタイトルとして、こういうタイトルを名乗った以上、途中でめげても最後まで観よう、そして感想は、全話の放送が終わってからにしようと思っていた。

この間・・・特に第2部の最中で、このドラマについて書こうと、どれだけ思ったことか。

でも、我慢した。

最後まで見てから感想を改めて書くのは、「ぼくの夏休み」というタイトルに免じて・・・だった。

以前にも書いたが、このドラマは私が大好きなゲームソフトと響きが同じタイトルなので、「ぼくの夏休み」という響きに免じて・・・という意味だ。

 

思えば・・このドラマが始まった時・・・第1部で、このブログを取り上げた時は、このドラマには期待していたから書いたのだった。

第1部の展開は、昼ドラマらしからぬタイムスリップもので、どういう展開をして、どういう結末にするかが気になってたし,先が楽しみだった。

このままいったら、「JIN」のような傑作ドラマになるのではないか・・とさえ思えた。

その時は、このドラマは多くの人に見てもらいたい・・とまで書いた。今では、そういうことを書いたことを少し後悔している感が自分の中にある。

まさか、その後・・・第2部に入って、ああいう展開になろうとは、思ってもいなかったから。・・・トホホ。

第1部と第2部で、自分の中でこんなに印象や評価が変わったドラマは珍しい。

まるで別物ドラマを見ている感じだった。

このドラマは、第1部だけで決着をつけるべきだったと思えてならない。

第2部を作らず、第1部だけで最後まで展開させれば、終わらせ方によっては「ぼくの夏休み」というタイトルがふさわしい作品にできたであろうに。

 

今だから書くが、第1部でも、気持ちが入り込めないシーンはあった。

家族そろって・・というか、夏休みに子供に見せるには、人身売買、女郎部屋、母親の売春、虐待・・・などの要素は、しんどすぎる気はした。

でも、終わらせ方を期待してたので、許容しながら、ハラハラと面白く観ることができた。

特に、特攻隊に志願した省吾と、和也の別れのシーンなどは、ジーンときた。

このへんを活かせば、昼ドラマ史上に残る傑作として、ヒューマンで感動的な作品になる気がした。

なのに、なぜあんな第2部にしてしまったのか。積み上げた第1部が台無しだったような・・・。

夏休み中の放送で、しかも主役は子役が2人で、しかもタイムスリップもの・・・・せっかくこんな要素で始まったドラマなのに、もったいない。

なぜ、第2部で・・・近親相姦ものになってしまうのだ・・・。こういうドラマでそれは、やらないでほしかった。

設定的にも、たった7年しかはぐれていない兄妹が、再会して、しかもあんなに近い距離にいながら、互いの顔に気づかない・・・というのも不自然きわまりなかった。

互いに名前を、いつまでもろくすっぽ確認もしない・・というのも妙だったし、ありえないと思った。

見続けるたびに、「ぼくの夏休み」というタイトルに、私は違和感を感じていった。

どこが「ぼくの夏休み」なのだろう・・・と。

ゲームソフト「ぼくのなつやすみ」を愛していたから見始めたドラマだったが、第2部に入ってからは、そのタイトリングに、ゲームソフト「ぼくなつ」への冒涜っぽく思えたこともあった。

もちろん、ゲームソフト「ぼくなつ」とは無関係なドラマではあったが、第2部のドラマ内容は「ぼくの夏休み」というタイトルに合っていないと思えた。

ある意味、タイトル詐欺のようにも思えた。きつくて、ごめんなさい。でも、それだけ期待していたのだった・・。

また、近親相姦ドラマとなり果てたドラマのタイトルバックに、視聴者から送られた「夏休みの家族写真」を写す・・・・って、一体・・・・。

なにやら不思議・・というか、写真を投稿してくれた人に失礼な気さえした。

 

シナリオ的には、第1部から第2部へのつなぎ、そして第2部から「一瞬の第3部(?)」へのつなぎで、あまりの説明不足ぶりが目立った。

伏線らしきものも、放置されていたし。

第1部に冒頭で感じられた「タイムスリップもの」のわくわく感と設定は、第2部ではほとんど顧みられず、活かされもせず。

タイムスリップした・・・という設定は、ドラマ上、相当大きな設定だと思うのだが、第2部ではタイムスリップしたという設定が忘れ去られているように思えたこともあった。

第2部の展開は、何もタイムスリップものではなくても出来る内容だと思った。

 

このドラマの大まかな流れは、平成の世を生きる兄と妹が2人で昭和の戦時にタイムスリップして、過去の時代で共に苦労を重ね、いったんはぐれて、数年後に再会し、やがて互いが兄と妹であるということに気づかないまま、兄と妹で互いに愛し合うようになる・・・・ぶっちゃけて書くと、こんな感じ。

だが、説明不足がゆえのリアリティの無さは、最後まで気になった。

例えば、第1部のラストで兄と妹ははぐれてしまうが、その後どうやって生き続けていたのかとか。

また、最終話で、火事の中で意識が薄れてゆく兄・妹が、どうやって助かったのかとか、その後どんな生活をしてラストの宇津井さんや由紀さんに繋がるのか。

展開が飛びすぎた。

視聴者に想像の余地を残す・・というのは、ドラマなどの要素としては「あり」なのであるが、あまりに「丸投げ」過ぎる気がした。

ラスト近辺の生きるか死ぬかの火事場で、回想話をし始めるのも、どうかと思った。そんな状況下では、普通助かろうとして必死にもがくのではないだろうか。

 

また、第1部と第2部で共通して出てくる人物もいたが、その中の1人である「ちえ子」を見ても、大人になった和也が気がつかなかった・・というのも無理があった。和也にとっては、ちえ子は子供時代にお気に入りの人だったはずだし。

栄次郎と和也が、一緒に暮らすほど仲良くなっていたのも、第1部からの「つながり」がろくすっぽ描かれていない分だけ当初違和感があった。

ちえ子や栄次郎、五十嵐先生のキャラ変化に関しては、時の経過と共に、そのキャラが過ごした経緯次第でキャラが変化してしまうのは、まああることだろう・・とは思って譲るにしても・・。

 

ともあれ

第1部と第2部の違いに、違和感を感じて入り込めなくなった視聴者は・・・・きっと私だけではないのではないか・・。

第1部と第2部を、それぞれ別のドラマとして作ったほうがよかったのでは。

第1部のタイトルは、結末次第では、「ぼくの夏休み」でも大丈夫だったと思う。あくまでも決着の付け方次第ではネ。

だが第2部のタイトルは「ぼくの夏休み」とはかけ離れていたと思う。

タイトルが「ぼくの物忘れ」だったなら分かる(笑)。

 

 

とりあえず、第2部に入ってから、ずっと我慢して見続けたし、最後まで見たが・・・・

終わってみたら、残念なドラマではあった。

なまじ「ぼくの夏休み」というタイトルだっただけに、、なおさら。

 

このタイトルをつけたのは、ゲームソフト「ぼくのなつやすみ」のファンをも取り込もうという意図もあったからなのだろうか。

だとしたら、私はまんまと引っ掛かったことになる(笑)。

 

もういちど書くが、ドラマとしては第1部だけのドラマであったなら・・。

昭和の戦時の時代に平成の子供がタイムスリップしてしまう・・という、ドラマの出だしの設定自体は面白いのだ。

展開としては・・・戦時昭和の時代にタイムスリップした和也とはる菜が無事に平成に帰って、夏休みにタイムスリップして過ごした戦時の昭和日本での体験から、平成時代で人への接し方や生き方や考え方に変化ができて、 遠く昭和の時代に消えた人に思いをはせ、新たな2人として平成を生きてゆく・・・そんなドラマだったっら、「ぼくの夏休み」というタイトルでも違和感はなかったかなあ。

 結局、第1部で出てきた「将来、和也たちのお爺さんになるはずの、子供」の存在も、物語上では放置されたままだったし。あれは重要なキャラだったはず・・。どうも消化不良感が残る。

また、第1部に出てきた、「平成から来た、謎の男」も、結局そのまま。

興味深いキャラが放置されたまま・・ってのも、練り込み不足な気が・・。

 

観終わってみたら・・・平成の子供が戦時の日本にタイムスリップしてしまった・・・という興味深い設定が、第2部であんな風になってしまって・・・・もったいなくて仕方ない。

名作にもなれた素材だったのに・・。

いっそ・・・第1部だけで、作りなおしてみませんか?

 

とりあえず、役者さんたちは皆さん一生懸命に演じていたと思う。1部も2部も。

なので、役者さんたちには、お疲れさまでした・・と言いたい。

 


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