私の通った小学校では、今考えるとけっこう多くの種類の遊具があった。
ブランコや滑り台はもちろん、砂場、鉄棒、はんとう棒、ジャングルジム、オブジェ、などなど。
それらの遊具の中には、回旋塔なる遊具もあった。
回旋塔といっても、ピンとこない子供たちは今は多いはず。
それもそのはず、今では危険と判断されて、まず見かけなくなったからだ。
回旋塔というのは、、まず真ん中に一本の鉄柱があり、その鉄柱が、円状に組み立てられた鉄棒みたいなものを鎖でぶら下げていた。で、その円状の鉄棒は鉄柱を取り囲むような状態になっていた。
見た目は・・骨組みだけの大きな傘、もしくは骨組だけで作ったキノコ・・・そんな外観だった。で、それがメリーゴーランドのようにグルグル回る。
まあ、言葉で説明するのが難しいので、写真や絵を見てもらったほうが早い。
子供たちは、その中のどこかにつかまり、自分たちで動きを与えると、それがグルグル回るのである。
これが回旋塔という名前の遊具だったということを私が知ったのは、実は最近だ。当時私は・・・というか、私たちは「メリーゴーランド」と呼んでいた。
この遊具が校庭の片隅に設置されており、生徒たちは自由に遊ぶことができた。
私もたまにこの遊具で遊んでいた。
一本の鉄柱からぶら下げられていた円状の鉄棒をつかみ、グルグル回ったり、つかまりながらジャンプすれば高さを変えることもできたので、中々スリリングな遊具であった。
でも、これがやがて危険と判断されて、今では見かけなくなったのだが、その危険性は当時の私にもある程度理解できた。
というのは、目の前でちょっとした事件があったからであった。
その時私は確か、回旋塔の隣にあったブランコで遊んでいたのだが、同じクラスの女の子Aちゃんがひとりでこの回旋塔で遊ぶのが、横目でチラリと見えた。
私は普通にブランコでマイペースで遊び、Aちゃんにはあまり視線を向けなかった。
ところが、そのうち、ドタッ!!という大きな音がした。
Aちゃんの遊んでた回旋塔の方からの音だった。
「なんだろう?」と思って、思わず回旋塔の方を見たら・・・あらら??
小柄なAちゃんが、地面にうつ伏せの状態で寝ているではないか。
いや・・それは・・・決して寝ているなんて生易しい状態ではなかった。
どうやら・・一人で回旋塔で遊んでたAちゃんが、遊んではずみがついてる状態で、回旋塔の鉄棒をつかんでいた手が外れて、回旋塔から落ちて、地面にうつぶせの状態で叩きつけられた音・・・それがさっきの「ドタッ」という音だったのだ。
地面に叩きつけられたAちゃんは、可哀そうにスカートがめくれていた。下着、まるだしであった。
なので、あまり凝視しちゃ悪いような気はしたので、Aちゃんがスカートを直すまで私は見てなかったふりをした。
幸いなことに、その後Aちゃんは起き上がり、スカートを元に戻した。
かなりの痛みだっただろうと思うのだが、Aちゃんは泣きもせず茫然としていた。
立ち上がれたぐらいだから、大きなけがには繋がらなかった・・・のだとは思うが、外見は大丈夫でも、体の内部に何かあった可能性はある。
ただ、それは小学生の私にはわからなかった。
もしもAちゃんが地面に叩きつけられた状態のまま起き上がってこなかったら、たとえスカートがまくりあがっていたとしても、近付いて「おい、大丈夫かい?」と声をかけたとは思う。場合によっては救急車の出番もあったかもしれない。
そうなったら、校内で大事件になっていたかもしれない。
とりあえず、静かに起き上がったので、「大丈夫そう・・・みたいだな」と私は思ったのだが、その遊具の危険性だけはよくわかった。
それ以来、私は回旋塔ではあまり遊ばなくなったと思う。たとえ少し「つきあい」で遊んだとしても、無茶はしなくなったと思う。
そう、場合によっては、Aちゃんのような事故もありえるのがわかっていたからだ。
その後、Aちゃんはどうなったのだろう。
以後も普通に学校には来ていたので、大事に至らなかったのは、今思えば「不幸中の幸い」だったと思う。
その後、月日が流れるうちに、気づけば回旋塔はどこでも見かけなくなっていった。
小学校時代は校庭に「あって当たり前」の遊具ではあったので、見かけなくなったことに少しの寂しさは感じながらも、撤去されていったのは仕方ないとも思う。
回旋塔は今考えると、けっこう危険な遊具ではあったのは確かだと思う。
落下して地面に叩きつけられたり。
あるいは円状の鉄棒が、降りたばかりの子供の頭を直撃したり。
遊んでる最中の子供の体や足などが、回転するうちに、降りたばかりの子供にぶつかったり。
私が見た回旋塔の事故は、幸い大きな事件にはならなかったが、よその場所では、回旋塔による大きな事故もあったかもしれない。
いや、きっとあったのだろう。
子供は、そういう遊具があって、しかもそれがスリリングな要素がある場合、つい調子に乗って無理な遊び方をしてしまったり、エスカレートした遊びかたをしてしまったりもする。
あるいは、あまりにも不用心に遊んでしまう場合もある。
スリリングな遊具であればあるほど、慎重に遊ばないと、危険なのだ。
じゃないと、それによって大けがなどにつながった場合、その遊具自体が撤去されてしまうことになるのだから。
それは回旋塔だけに限らない。
回旋塔を覚えている方で、それで遊んでた子供が大けがにつながってしまった現場を目撃した方は・・いるだろうか。だとすれば、それはどんな事故だったのだろうか。
今考えると確かに子供が遊ぶ小学校の遊具としては、けっこう危険な代物ですね。
でも、だんぞうさんのおっしゃる通り、当時は休み時間や放課後は取り合うように遊んだ時期がありました。
かくゆう私もあの遠心力に抗えずに放り出された一人です(笑)
幸い大きなケガはありませんでした(笑)
もっとも当時は、擦り傷や打ち身で青タンこしらえるなんて日常茶飯事でしたからね。
それにそこで泣きベソでもかこうものなら後々何を言われるやら・・・
当時は校庭の遊具の名前なんてちゃんと考えた事ありませんでした。
ジャングルジム、登攀棒、雲梯、シーソー・・・み〜んな後から知った名前。
シーソーなんて「ギッタンバッコン」なんて呼んでましたもんね(笑)
とにかく児童が校庭でケガでもしようもんなら大問題になる昨今。
そのうち小学校には校庭すら無くなってしまう時代が来るのかもしれませんね・・・やれやれ
この記事を書くにあたって、調べてみたらわかりました。
私たちはもっぱらメリーゴーランドと呼んでました。
捨丸さんはあの遠心力で振り落とされたことがあったんですか。
勢いがつくと、あれはけっこう危険ですよね。
だから撤去されざるを得なくなったのは、まあわかります。
あれでかなりのケガをした子供もいたのでしょう。
ただ、遊具がどんどんなくなっていってしまう風潮は、それはそれで寂しいものがあります。
メリーゴーランドなんてお洒落な名前、地方のハナタレ小僧の発想にはありませんでした(笑)
私が吹っ飛ばされたのは、お調子者の友人のせいでした。
なにもあんなにムキになって回さなくても(笑)
先日、数十年ぶりに母校の小学校に行ってみたのですが、色々と驚かされました。
少子化により近隣の3校が統合、私たちが学んだ2階建木造校舎はちょいとお洒落なカラーリングが施された今風な屋上付き4階建に変わってました。
校庭は私達の頃より随分と狭くなっており、
遊具らしきものはほぼ見当たりませんでした。
隅っこの方に低い鉄棒がありましたが、これは遊具というよりも
低学年の子が授業で使うんでしょうね。
その校庭も今は防犯というか児童の安全のため、
放課後や休日は近隣の住民でも立ち入る事ができないとか。
驚いたのはプールが屋内になっていた事、しかも温水らしい。
窓は天井近くの位置にあり、外からプールが見えないようになってました。
まあ、おかしな嗜好の人間がいる事は確かなんですが・・・
照り付ける太陽の下、カルキ臭いプールでの夏の体育。
授業というよりもほぼほぼ遊びの延長って感じでしたね。
今のプールだと、多分体育の授業そのものなんだろうな・・・考えすぎでしょうか。
私が小学校を訪れたのは、よく晴れて風も涼しい平日の午後4時前。
校庭にいたのは校区のサッカー少年団と思しき二十数名の子供達とコーチらしき数名の大人。
他に遊んでる子供の姿はありませんでした。
遊具もなく、放課後は速やかに下校しなくてはいけないとなれば当たり前ですね。
でも、やっぱり少し寂しくなってしまいました。
しかし校庭で、校内で転んでは、よく怪我していましたね。
運動全般苦手な私にとっては、運動会では、毎年、必ず怪我していましたよ(涙)
遊具は、言ってみれば全部危険です。
安全な遊具など、あり得ません。
その為、特定遊具だけを廃絶することは、愚行に他なりませんね。
それほど「学校は生徒たちの安全第一」ならば、全ての遊具と運動会を廃絶すべきです。
でも、その小学校のある町には今もたまーに行くことがあり、商店街の道ぞいにその小学校があるから、外観の一部や校門はいまでも見ることかあります。
街の変化と共に小学校の外観はだいぶかわりました。
校庭内に入ったら、もっと変化を感じることでしょう。
昔は校庭解放なるものがあり、土曜日の午後などは、校庭でよく遊んだもんですが、今ではそういうことはないのかもですね。
いや、学校の渡り廊下で変な遊び方をして、骨折してしまった級友もいました。
入院することになり、それなりに騒ぎにはなりましたが、今ほど学校が責められることはなかった気がします。
今なら、大変なことになる気がします。
騒がな過ぎはダメですが、騒ぎすぎもどうかと思います。
今では誰もが発信できるネットがあるから、余計大変な騒ぎになり、世に知られるのでしょうね。