時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

岩井臨海学校の遠い記憶(南総を旅する 5(終))

2015年11月23日 | 

さて、翌日。

朝早く目覚めたので、思わず窓の外を見てみた。

天気が気になったのだ。前日は一日雨だった。そのため、自分の考えてた旅行プランにけっこう狂いが出てしまい、行く予定だった滝田城跡への登山は、断念せざるをえなかった。

で、この2日目には、岩井にある富山へのハイキング的な軽登山を考えていた。

だから天候が気になった。

 

窓の外を見てみると曇りだった。

雲は幾重にも重なり、空を覆っているようにも思えた。

曇りなら、なんとか富山には行けるかなあ・・などと思った。

 

だが、仮に富山に向かうにせよ、その前にどうしても行っておきたい場所があった。

あと、自分の記憶を確かめたい風景もあった。

 

どうしても行きたかったのは、岩井の海岸である。

岩井海岸は、私が小学校の頃、臨海学校で来た場所。

なにぶん小学校の頃の記憶ゆえ、覚えていることは断片的。しかも、その記憶量はあまり多くない。

 

覚えているのは、海水浴をしてる途中で、海で右腕をクラゲにさされ、腫れあがったこと。

 

泊った宿が民宿で、一階にいくつもの部屋があったが、壁・・というか部屋を区切っていたフスマを全て取り払って、大きな1間にしていたこと。

その民宿の庭にはシャワーがあって、海から帰った時に、宿にあがる前にシャワーを浴びたこと。

 

そして・・・これはおそらく、1瞬だけ見た風景であったと思うが・・・宿から東京に帰る時に、多分車(小さなバスだったのではないか)の中から見た、宿近くの風景。

その風景とは、あまり広くない砂利道(?)があり、その道の横に、間垣のようなものがあり、さらに道のはるか向うにはあまり高くない山が見えた・・そんな風景。しかも、その道は、一瞬道幅が狭くなっていた。

 

・・とまあ、上記の記憶ぐらいしか、今では頭の中に残っていない。

 

このうち、海に関しては間違いようがないので、浜辺に行けば、「ここで泳いでいたんだな」とか、「あ、多分このへんの海でクラゲに刺されたんだなあ」と思えるだろうから、問題なし。

 

そして、宿。民宿。その民宿は、今でも残っているのだろうか。なにせもう相当昔のこと。私が小学生の頃だから、もう残っていなくてもおかしくない。仮にまだあったとしても、改装はしているだろう。となると探すのは困難。なくなっていたら、もう探しようもない。だとしたらせめて、どのへんにあったのかだけでも分かれば・・。

 

そして、記憶の3つ目。あまり広くなく、しかもさらに一瞬狭まる道、間垣のようなもの、そして遠景の山姿・・が1アングルにおさまる風景。

 

その3つ目の記憶の風景に関しては、実はその風景は・・・多分岩井の臨海学校で見た風景だとは思うのだが、もしかしたら他の場所に旅行した時に見た風景を、岩井で見たものと勘違いしたり、ごっちゃになっている可能性もあった。

その記憶が岩井で見た風景だったのか、それとも岩井ではなかったのか・・その記憶を確かめたかったが、その景色を特定できれば、その記憶は間違いなく岩井で見た風景だったことになる。

せっかく岩井に来たのだから、確かめてみたい。

 もしもその景色が見当たらなければ、その記憶はこれまで同様に幻の風景になってしまうしかない。

 

この日の旅行で泊った宿は海の近くだった。なので、宿を出て少し歩くとすぐに海辺に出た。

 

岩井は内房なので、本来波は穏やか。だが、この日はけっこう荒れていた。白波もたっていた。

浜辺に立って海を見つめる。その浜辺は左右に岬みたいなものがあり、まるで岩井海岸は左右の岬に守られているようにも思えた。

 

 ↑ 浜辺に立ち、向かって左側の岬。 

 

 ↑ 今でも、夏は賑うのだろう。岩井は今でも臨海学校の定番地だから。

 

 ↑ 浜辺に立ち、向かって右側の岬。

 

向かって右側の岬は、低い連山のようなものがあったのだが、連山の途中に、ポコッと小さな独立峰のような山があった。その山だけ、ひときわ高い。しかも、三角おむすびのような形。

 

 

この山・・・なんとなく記憶にある。それはきっと小学校時代に臨海学校で見た風景がよみがえってきたのであろう。私の中に。

 

この山には名前があるのだろうか。後で地元の人に聞いてみたが、知らないようだった。

もしかしたら名前などないのだろうか。あってもおかしくないような特徴ある山なのに。

 

 

海を見つめ、数十年ぶりに臨海学校の海に・・・小学生時代の海に再びやってきた・・などと思うと、目が遠くなる思いだった。

 

 

さて、次は宿だ。臨海学校で泊った民宿だ。

海辺を後にして村(?)の中の小道を歩いていると、そのへん一帯には民宿がたくさんあることがわかった。

岩井は、民宿の密集地なのだ。

民宿の中には、どこかの学校と契約でもしているかのような宿もあった。

というのは、宿の壁に、特定の中学の名前が書いてあったりしたからだ。

 

一階が平ぺったく、たくさん部屋があり、しかも広めの庭があり、その庭にはシャワーがある・・そんな民宿。

だが、頭の中に残っている民宿らしきものは見当たらない。

無くなったか、改装されたか、あるいは敷地を少し処分して小さな宿になったか・・・もしくは、当時は私は小学生だったから、当然体は小さいし、目線の高さも違う。当時すごく広く見えた庭も、今それと同じ庭を仮に見つけたとしても、当時と同じようには広くは感じていないだけなのかもしれない。

 

ともかく、頭の中に残っている記憶に該当する民宿は・・見当たらなかった。せめて、当時泊まった宿の名前だけでも覚えていれば・・。

 

こうなると、3つ目の記憶・・広くなく、一瞬さらに狭まる道、間垣のような木々、そして道の向うに見えるあまり高くない里山、それらが1アングルでおさまる風景・・・その風景を見つけることは難しいだろうと思った。

なにせ、あまりに時間が・・年数が経過し過ぎている。私が臨海学校で来た小学生時代と、今では、年数的な経過が大きすぎる・・。

 

宿が見つけられなかったように、記憶の風景も今では特定できないだろう。そう諦めながら、民宿が密集するエリアを離れ、駅方面に歩きだした。駅方面に向かうために、あまり広くない道を。道の左側には雑木林が見えていた。

 

すると・・・!!!

 

その風景は、今朝、宿の窓から見おろしていた風景だった。

↑ 宿から見下ろした時に見た、その風景は、こんな感じに見えていた。

 

 

宿の部屋はけっこう高い階にあった。だから、見おろすアングルで見ていた雑木林を、今私は等身大の高さから見ていることになる。

上から見おろすアングルでは気がつかなかった風景が目に入った。

 

その雑木林は、能登半島で見たような間垣のようであった。

そして、私が歩いている道は、幅のあまり広くない道。しかも、その道の先は更に狭まっている。さらに、道の続く遥か向うには、あまり高くない里山が。

 

思わず私は立ち止まった。1つのアングルで、その風景を確かめた。

 

こ、これって・・・!

 

私が長年、岩井の記憶として覚えていた風景と、ほぼかぶさるではないか。一致していると言ってもいい。

 

これではないか?

この風景のような気がする!

 

いや・・・きっと、これだ。

 

見覚えが・・ある。   ある。

 

 

 ↑ この景色を見て、「ん?これは・・!」と直感を受けて・・

 

 ↑ 私の記憶は、ピンポイント的に、こういう風景。この位置、この近さ。このアングル。ほぼ、記憶とかぶっている。

 

当然時間の経過による変化はある。例えば道が舗装されている点や、家や。

だが、全体的なレイアウトは一致する。まだ残っていたか、このアングル。

よくぞ・・残っていたもんだ。

道があり、遠くに里山が見えるだけなら、よくある風景。だがそれに間垣みたいな雑木林が加わり、しかも場所は岩井・・となれば、これだ。

 

小学校の頃、民宿から車で東京に帰る時に乗っていた車から見えた風景は。

長年、岩井での記憶として覚えていた風景は、やはり岩井で見た風景だったのだ。

 

記憶のピントが合った。

 

臨海学校で見たこの風景は、宿から帰る時に車に乗った時にすぐに見えた気がする。

ということは、当時泊った民宿は、今も残っているかどうかはともかく、このあたりにあった民宿だったことになる。

 

きっと、臨海学校で泊った民宿はもうないのだろう。

だが、少なくても、このあたりにあったのだ。

 

この辺は、今でも民宿が密集している。岩井が昔から臨海学校の定番スポットであることを考えれば、私が臨海学校で泊った民宿も当時このあたりにあったに違いない。

 

間垣のような雑木林、小道、道の遥かむこうに見えるあまり高くない里山・・・それらを1アングルに収めて見ながら、しばし私は遠い目になった。

感慨深かった。

 

見つけた・・・。また来たのだ。おそらく、ここに違いない。

 

 

 

記憶は、合っていたのだと思う。

記憶が確かめられた気がした。幻だった風景が、今、目の前に実在。

 

なまじ、諦めかけていただけに・・・。

 

岩井に来た意味はあった。

 

地元の人にとっては、なんてことはないありふれた風景だろう。

だが、子供の頃に、例えば臨海学校のような特別な機会で、たった一度だけ訪れて、そこで見た一瞬のなにげない風景が、その後長くその人の頭の中に刻まれる・・そんなことがあるのだ。

そして、長い年月が過ぎてゆき、その記憶もおぼろげになっていくにつれ、その風景がその人にとって特別な風景になってゆくことがあるのだ。

いつしかその記憶は、正しかったのか、あるいは勘違いだったのかすら、曖昧になることもある。

時には、単なる妄想であったりもする。

私も、この風景に関しては、あまりに古い記憶ゆえに、幻の風景になってきていた。

 

だが、現地に来て、それが幻でも妄想でも空想でもないことが分かった時の、感慨深さ。

分かってもらえるだろうか。

そんなことを考えると、どんな風景にも、そういう可能性は秘められているのだと思う。

それが、観光名所のような有名な風景でなければ、ないほど。

 

万一、私の覚えている風景の場所がここじゃなかったら・・・もう、その時はしょうがない。

 

 

さて。

この後、富山の方にも行ってみることも考えた。

だが、現地の人が、今朝も富山には雨が降ったという。かなりぬかるんでいるはずなので、トレッキングはお勧めしない・・と言った。

場所によっては危険な場所もあるから・・とも。

私は、昨日の滝田城跡に無理して行こうとして、悲惨な目にあったばかりだ。懲りていた。

 

 

結局・・・富山は諦めた。

 

今回の旅行、滝田城跡といい、富山といい、八犬伝関連では宿題が残った。クリアできなかった。消化不良だった。

 

だが・・岩井で、小学校時代の臨海学校の記憶を確かめることができた。

 

その点では、来た意味はあった。

 

伏姫には半分フラれたが(笑)、小学校時代の臨海学校の記憶が私を慰めてくれた気がする。

 

 

そう思うことにして、この後岩井の村をレンタルサイクルでめぐった。

 

岩井駅の近くには小さな公園があり、そこには伏姫と八房の銅像があった。

 

↑ 岩井駅。奥に白い車が停まっているが、その右の道をそのまままっすぐ歩くと公園があり。

↑ その公園には、伏姫と八房の銅像が。

 

レンタサイクルで旅先を巡るのは、いつも楽しい。

途中で、今回登れなかった富山を、田園風景の中で遠景で眺めてもみた。

次に来たときには、きっと。

↑ 富山。里見八犬伝発祥の地。

 

↑ アップで山頂部分を見ると、何かが立っている。展望台などがあるはず。

 

 

↑ 道の駅で見かけた、八房とタヌキの像。岩井の守り神であるかのようだ。

 

 

道の駅で昼飯を食べた後、私は東京方面に向かう「帰り電車」に乗った。

 

八犬伝目当てでは、また出直すことにしよう・・・そう思いながら。

 

 

 

 

 

ひとまず、さよなら、南総。

里見八犬伝の舞台。悲運の里見家が統治していた場所。

そして・・・私の小学校時代の臨海学校の記憶が残る場所。

今度来たら、その時こそ、富山や滝田城跡にはリベンジしたい。

その時は、晴れてておくれ、南総よ。

 

 

          「南総を旅する」  おわり

 


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