高校時代と今とで自分に変化があるとすれば、多くの人が持つ価値観を理解できるようになったことだ。
努力すれば誰でも変われるよ、成長できるよ
という言葉は全ての人に当てはまることではないと思うようになった。
高校、大学共に私立に通わせてもらった私と、公立しか選択肢がない人とでは戦うフィールドが違う。
私が成長できたのは、恵まれた環境があったからだと言われればそれまでである。
だからこそ、
「自分に目を向けなさい」
という言葉は深い。
他人がどうであれ、自分と向き合い続ける。
私が恵まれていようが、そうでなかろうと、他人の評価を気にすることに時間を使いすぎてはいけない。
自分が苦しくて、周りとの差を感じても、時間が止まることはなく、気がつけば負の感情ばかりがたまるだろう。
誰も待ってくれないからこそ、自分が変わる必要がある。
指導者がしっかり教えてくれないから、練習時間が短いから俺は上手くならなかった…
たくさん練習して、強い選手の集まる私立には勝てない。
逆も然りで、良い選手がいないから俺の指導力が輝かない。
なんてことを並べても、自分が下手な事実に変わりはなく、指導力がないことも変わらない。
自分で上手くなる努力、隙間時間を見つけて練習すること、良い選手に自分が変えていくことができないなら、どの環境に行こうと成長はないはずだ。
それが本当に難しいことだとしても、時間が止まることはなく、ただ流れていく…
前述した通り、私は恵まれているため、「努力すれば変われる」などと言える立場ではない。
もし今歩けなくなり、寝たきりになった時、「努力すれば変われる」という言葉を見て良い気持ちにならない可能性がある。
それでも時間は過ぎていく
運が悪かったとしても、自分に実力がなかったとしても、
他人が変わることを期待するのではなく、自分が変わる。
評価されるためでもなく、好かれるためでもなく。
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