ミニバス記録

バスケノート

自分との向き合い

2024-10-20 23:04:00 | 日記
強い相手に対してはスリーが入らない、そもそも打てない…
ただ、同じレベルか格下の相手であれば一段と入る。
また、日によって確率に大きく差が生じる。

最近はこれらがよく分かる試合内容が多い。

やはりミート、キャッチ、パスなどの基礎は本当にまだまだの一言につきるが、スリーポイントをここまで自分たちの武器として育て上げたことは、誇りである。

何度も言うが、身長、身体能力などの先天的要因ではなく、後天的な武器を小学生から得られたことは必ず自信になる。

素直さと、堅実さ、直向きに積み重ねられる人間性さえあれば、何者にだってなれるんだよ

これがコートで彼らが伝えるメッセージだと思う。


そして、今日書きたい本題は、格上だとか格下とか関係なく、「スリーが入った」という事実の素晴らしさ。

高校の頃、先生はこう言った。

「Aチームには入れなくても、B戦で大活躍できるだけの実力をつけるまで成長できたなら、それもまた素晴らしいこと。
結局どれだけ成長したかだよ。」

多分、このメンタリティはスポーツには向いていないと思う。

大成功をおさめたいなら、人より上に立ちたいならこの考え方は当てはまらない。
「負け犬根性」なんて言葉が似合うだろう。

ただ、みんなが大成できる訳でもなく、大成功することが人生の価値だと、私は思わない。

私にとって、バスケットボールが楽しい時間は、自分と向き合い、試合を通して成長を感じる日々だった。

そこに相手のレベルは、あまり鑑みない。

スリーが届かなかった自分を知っていて、ドリブルがつけなかった自分があって…
そして、今ここまで成長しているのだと、それさえ感じられれば他に何もいらない。

それが、私が今もバスケをプレーする理由になっているのだ。

同じように、部員のみんなにもシュートが届かなかったという過去がある。

今日のように決して強くない相手だとしても、ゲームという土俵で決められることはすごいことだと、感じられればいいな。

私はバスケットボールから生き方を教わった。
何年かかったとしても、やはり積み重ねることに意味はあった。
それと同時に、積み重ねても上には上がある残酷さも知ることができた。

この2つの魅力を、彼らには伝えていきたい。

人生は誰かとの戦いなのか、自分との戦いなのか…


OB

2024-10-20 01:34:00 | 日記
私の同期のOBを4人、ミニバスに呼んだ。

ディフェンス、特にバンプにフォーカスした練習をするため、そしてもう一つ理由がある。

チームの歩みに関わる人を増やす狙いがあった。

保護者、コーチだけが協力した世界…
だけじゃなく、特に深い関係ではない者が協力してくれ、相手となって戦う反面、選手のためにアドバイスもくれる。

多くの人に救われ、愛され、今の自分があるのだと実感することが狙いだ。

関わった人が多い分、物語には魅力が生まれ、より濃くなると私は考えている。

下から支えるのは、親やコーチ、そして多くのOBたち。

たくさんの想いを乗せて、コートの上で戦う…
その自覚を持つことへの願いも込めて、これからもOBには協力してもらおう。

これもまた、必要不可欠な出会い。

一意見

2024-10-17 23:02:00 | 日記
「今のままじゃ勝てない」
という意見をくれた子がいた。

1.2ピリを強化する必要があると…

言いたいことはよく分かるし、1つの意見として受け止めなければいけない。
チームのことを考えてこうした意見が出ることも、良い作用だ。

現状を疑うとは、まさにこのこと。

何も考えずに指導者に従い続けてうまくいくほどこの世界は甘くない。

このチームにおける1.2ピリの弱さは、今年度や昨年度だけでなく、ある意味で特徴なのだ。

女子は特にチームの人数も少なく、4年生も試合に絡む。
また、高い志を持ってチームに所属する訳でもない。

熱量が高い子も稀に現れるが、大抵は低めである。

昨年度の卒業生なんかは、4.5年生の時点で熱量なんてものは全くなかった。

私の考えとしては、同じ視座の者同士が練習をしなければ、練習の質が下がることだ。

今の6年生が4年生と高度な練習をしたとして、それはどちらのためにもならないだろう。

まだ小学生、それも熱量が高い訳でもない低学年に対して、6年生と同じ取り組みはさせられない。

平日も男女別でやるという選択肢も確かにある、その上で、私は高学年、低学年で分けることを選んだ。

チームより個人で分ける、だからチームに目を向けるべきだという意見が現れる。
スリーに力を入れていることなど、正に個人に目を向けると言っていい。

だから、意見として納得できる。

でも、求めるということもレベルがある。
その子に応じたものを与えるのが、私の役目なら、今の低学年に高学年と同じ視座を持たせることはできない。

そして低学年、できない子の分まで踏ん張る強さがなければ、勝つこともなくば個人の成長もないだろう。

ここまでが、私の意見。

この考えが最後まで変わることはない。

だが、最後には「自分たちなら勝てる」
そう自信を持ってコートに立てるよう、1.2ピリについても時間をさく。



スイング

2024-10-16 20:15:00 | 日記
オフボールの動き、「スイング」について追求する練習をした。

メニューはハーフコートよりもオールコートにこだわり、動きの中で速いパス回しを求めた。

動きについて教えるのは、ドリブルやシュートのスキルを教えるよりも難しい。

足を止めず、常に動かせと言う指導者もいるが、ステイが正解の場面もある。

ただ、足を動かせという言葉が出るのは理解できる。

事実として、ガチャガチャしていてもオフボールに動きがあれば、それっぽいバスケになる。

私が目指すのは、自分の動き1つに理由づけができる選手。

意図があってステイするし、カッティングやスイングがある。

理由づけができる選手になるには、必要なものは知識の量。

今のチームとしてはパスからカッティングする、45度からきれることは頭にあるが、コーナーの動きについての知識はなかった。

1発目でスイングをするだけでも、オフボールでズレは生まれる。

コーナーという概念自体がなかった頃から、コーナーステイという選択肢が生まれた。
だから次はコーナーにおける動きの理解。

コーナーステイにおいてはキックアウトからスリーがある、だからコーナーにステイすることに意味はあって…
でもそれじゃ限界がある。

トップや45度だけでやりとりをして、ズレの少ない1on1に限界があることが練習試合で知ることができた。

ただスイングを教えるだけでなく、そこに道のりがあって、ステップを踏んだ上でこの練習に意味が与えられる。

11月まで残り僅かだというのに、今更オフボールを教えるのは遅い。
1年前の私ならそう思っていただろうが、今はそんなこと全く思わない。

これもスリーによってもたらされた歩みだ。

不可能だと思われることも、可能にするために必要な手段。

当日想定される懸念すべてを払拭するための取り組み。

あと24日、残す全体練習は9回


2024-10-15 17:50:00 | 日記
指導への情熱が加速する。
没頭という言葉はまさにこのためにある。

アシスタント時代も熱量自体はあったが、今を鑑みれば比べものにならない。

行動の量が圧倒的に違う。

昨年度と、今年度はやれること全てを尽くしていると断言できる。

そして特に今年度は、昨年度よりもより洗練されたエネルギーを発している。

昨年度を一言で表すなら、
「どんな手段を使っても上手くする、勝たせてあげる」

だからコーチ同士での連携、選手との関わり方にも未熟さが出た。

周りを信じきれていなかったがために、1人で抱え込み、自爆しかけた。

いや、1人で抱え込む性質は今も変わらない。

ただ、少しばかり成長したのが今なのかもしれない。


私は今日に至るまで、自分に向いていることがよく分かっていない。

バスケはもちろん向いていないし、指導も別に向いていると思ったことはあまりない。

向き不向きは、何をもって定義するのかがわからないのである。

全てを不向き寄りに判断しており、その理由は常に自分より上の存在があるからだ。

したがって私の行動の起点は向き不向きではない。

信念だけが、私の持つエネルギーの全て

「上手くなりたい」から始まった高校時代と、「上手くしてあげたい」を過ごした大学時代。

バスケセンスがなかろうが上手くなるという信念のもと、未熟な指導者だとしても上手くするという信念のもと、生き続けた。

将来バスケの指導者や教師にならないのに、大学生という自由な4年間をこの行為に費やすことに果たして意味があるのかと言えば、そこまで大きな役割は果たさないと思う。

それでも、もう一度大学1年生からやり直すとしても、私は同じ道を辿る。

あと5ヶ月あまり…
信念はブレず、より良い指導を