強い相手に対してはスリーが入らない、そもそも打てない…
ただ、同じレベルか格下の相手であれば一段と入る。
また、日によって確率に大きく差が生じる。
最近はこれらがよく分かる試合内容が多い。
やはりミート、キャッチ、パスなどの基礎は本当にまだまだの一言につきるが、スリーポイントをここまで自分たちの武器として育て上げたことは、誇りである。
何度も言うが、身長、身体能力などの先天的要因ではなく、後天的な武器を小学生から得られたことは必ず自信になる。
素直さと、堅実さ、直向きに積み重ねられる人間性さえあれば、何者にだってなれるんだよ
これがコートで彼らが伝えるメッセージだと思う。
そして、今日書きたい本題は、格上だとか格下とか関係なく、「スリーが入った」という事実の素晴らしさ。
高校の頃、先生はこう言った。
「Aチームには入れなくても、B戦で大活躍できるだけの実力をつけるまで成長できたなら、それもまた素晴らしいこと。
結局どれだけ成長したかだよ。」
多分、このメンタリティはスポーツには向いていないと思う。
大成功をおさめたいなら、人より上に立ちたいならこの考え方は当てはまらない。
「負け犬根性」なんて言葉が似合うだろう。
ただ、みんなが大成できる訳でもなく、大成功することが人生の価値だと、私は思わない。
私にとって、バスケットボールが楽しい時間は、自分と向き合い、試合を通して成長を感じる日々だった。
そこに相手のレベルは、あまり鑑みない。
スリーが届かなかった自分を知っていて、ドリブルがつけなかった自分があって…
そして、今ここまで成長しているのだと、それさえ感じられれば他に何もいらない。
それが、私が今もバスケをプレーする理由になっているのだ。
同じように、部員のみんなにもシュートが届かなかったという過去がある。
今日のように決して強くない相手だとしても、ゲームという土俵で決められることはすごいことだと、感じられればいいな。
私はバスケットボールから生き方を教わった。
何年かかったとしても、やはり積み重ねることに意味はあった。
それと同時に、積み重ねても上には上がある残酷さも知ることができた。
この2つの魅力を、彼らには伝えていきたい。
人生は誰かとの戦いなのか、自分との戦いなのか…