ミニバス記録

バスケノート

運動会

2024-10-27 03:18:00 | 日記
今日は地元の小学校が3校とも運動会。
ミニバスの子供たちが頑張る姿を観に行った。

やはり組体操、ソーラン節はかっこよさがあり、どこか懐かしさもある。

教え子がどこにいるか血眼になって探し、見つけた時にはテンションが上がった。

教え子がこうして、バスケ以外の場でも輝いているのは私としても嬉しいことだ。

全員の顔を見ることは人が多すぎてできなかったが、どこかで頑張っている、それがわかるだけでいい。

私がここにいて、見たという事実だけでいいと思う。

子ども達が来て欲しいから、求められたから行くのは私の精神とはまた違う。

指導者を続けていれば、時に嫌がられることもあるだろう。

もしかすると、今まさに私のことが嫌いな子もいるかもしれない。

となれば、私はそもそも指導者として求められていない可能性があるし、運動会に来て欲しいなんて思う子も多くないかもしれない…

だから、求められているから行くという相手依存の考えではダメなんだと思う。


「俺だけが上手くできるから、指導者としてここに来て教える」
「運動会で頑張る子供達を、ただ観たいから行く」

これでいいんだ。

心に愛があるから、体は自然に「運動会を見る」という行動へと移る。

その愛を受けることは、暖かい心を育むに相応しいと、私は信じている。

血の繋がりもない、これといった縁もない、バスケを教えてくれるだけの人間だが、その愛は誰よりも大きい。
その事実があるだけでも、生き方は良い影響をもたらす。

3校全部の運動会を観に行ったという事実
→なんでわざわざ3校も行ったの?
→愛があるから




信念

2024-10-25 04:07:00 | 日記
本戦まで、残る練習は5回となった。

私が再度認識しておく必要があるのは、ミスをしないことが完成ではないことだ。

実力、経験値を見つめた上で、それでも勝てるチームを作ることが、やるべきこと。

「ミスをしない」ではなく、
「ミスが起こった後どう取り組むか」
相手の方が1枚上手なら、ミスは必ず起こりうる。

今一度、今年度のチーム作りの信念を確認しておく。

小さなチーム、ディフェンスへの取り組みに熱さはあるが、実力はめっきりない。

ディフェンスに関しても、「熱さ」があるだけで、上手い訳ではない。

やはり速さや高さのある相手に対しては破られるし、オフェンス力の低さもあるため、強い相手に対してはターンオーバーから常に相手のブレイクの状況が続くのが現実だった。

オフェンス、ディフェンスのどちらをより強化していくか、そこで私が選択したのは前者で、もっというとスリー。

ドライブに力を入れても下がられる、カバーにブロックされる、スペーシングも悪くなるよね。

じゃあスペーシングをよくする、ドライブ以外の手段を得るためにカッティングが必要だね。
→でも、結局スペーシングが悪いとカッティングも成功しない…

辿り着いたのは、シュート力の向上。

全員がスリーを打てるチーム、それは私がはじめてここに来て描いた夢だった…

2年前から少しかじったことを、本気で、時間をかけて取り組み続けた。

2時間しかない練習なのに、50本シューティングを毎回メニューに入れている。

こんな練習を組むチームは、多分私のチームだけ。

もちろん、ただシューティングはさせていない。

毎回必ず、集中力がきれかける頃に集合をかける。

男女共に25本をデフォルト決める子が現れるようになったことは、間違いなくこの道を歩んだ成果だ。

夏の時点で10本決めるどころか、そもそもスリーの距離が届かなかったような子たちが、今では全員が毎回10〜15本、多い時は20本ほど決めるようになる。

これより他に、良い練習があっただろうか?

私は、今年度この道を選んだことに一切の後悔はない。

なんでかって、私の役目は夢を与えること。

低身長が、何もできず、がむしゃらに戦って蹂躙されることに果たして意味はあるだろうか…

だったら、1つ大きな武器を身につけて、コートで戦い、自分への可能性を感じ続けられる姿であってほしい。

この想いもまた、過去も現在も全く変わることがない。

3年前、現在中1で当時5年生だった子に私がはじめて与えたのは、ポストプレーだった。

この選択は独断で、コーチ内からの反対を押し切ってまで教えたこと。

彼女にポストプレーを教えることの大義は、彼女にとっての自信やアイデンティティを確立させることと、カリスマ的存在を作ることだ。

何者にもなれない存在が集まるチームから、
アイデンティティを確立させた者が現れることは仲間や後輩にとって大きな刺激となる。

彼女の存在は、今の後輩達にとっても壮大であると確信している。


私にとって「夢を与える」とは、
その子のためだけに与えることではない。

当人が与えられ、自分のものにして、その力を発揮した時に周囲へと与えるエネルギーには必ず魅力がある。

このチームの姿は、このチームでとどまることはない。

これが、私の信念の全て。

ここまでの道のりに無駄なことはなかった。
無駄な練習も、無駄な時間もなかった。

それはきっと、私の信念がブレずにここまで進み続けたからだと思う。


ネガティヴと、ポジティブ

2024-10-23 20:21:00 | 日記
ネガティブな内容をここにはく。
練習の解説、反省のための集合、喋り終えての返事はなし…

近頃ずっとそうだ。

返事をするかしないかは彼ら次第。
私が信頼できる指導者で、選手が素の状態をさらけ出すことができるなら、この状況は起こり得ない。

自分にあるエネルギーが極限まで低下していることを感じる。

この体育館に来るたび、薄れていく元気。

これも全て、私がもたらした結果。

昨年度作り上げた世界は、今思えば反省すべき点が多々ある。

感情的に叱る場面があったし、仲良しの環境よりも互いが成長できる環境を求めた。

推測になるが、去年の6年生はそれを受け入れることができて、それでも良い雰囲気でいることができたのだと思う。
しかし、今年度はそれができない。

厳しさの多くを受け入れるキャパシティを持ち得ない状態、だから今の彼らにとって去年私が作り上げた世界は間違いがあったのかもしれない。

みんなで仲良く、楽しく、仲間とバスケするのが楽しい。

これで良かったのかもしれない、なんて思うこともある。

今の私には、この雰囲気で、それでもバスケットボールを指導する理由がわからないのだ。

もし大学1年生に戻ったとしても、私は同じようにここでコーチになることを選ばない。
そう思う時がある程、今の私は落ちぶれている。




ネガティブな感情と、自分の弱さを全てここにはけて少しだけスッキリした。

コーチとして4年間を過ごした自分と、コーチをせず4年間過ごした自分がいるなら、俺は前者を選んだ良かったと、最後に言えるように生きる。

結局、俺が過去に戻っても「互いに成長できる環境」を選んで、同じような選択を続けるだろう。

「上手くしてあげたい」
「どんな環境でも、通用する選手を育成したい」
「たくさん勝つことを経験させたい」
「ワンハンドシュートを習得させたい」

これだけは、今も昔もずっと変わらないことなんだ。

そして今この時も、彼らのことを考えている。
だから、まだ俺の熱は消えていない。

落ち込んでいても、まだやれるはずだ。

彼らのリーダーとしてここにいる以上、その背中にエネルギーがなければ、当然選手のエネルギーも同じように落ちていく。

それに、俺のもとでなければ彼らはここまでシュート力が向上しなかった、こんな些細なことにも自信を持たなければ。

俺自身未熟で、弱さもまだまだあるが、与えたものだって多くある。

なんだか、段々とポジティブな思考になってきた。

やはり、想いを正直に綴ることは大事なのだと感じるばかりだ。

明日は、今日のようにいかない。

俺が一番ハッスルして、彼らを巻き込む存在になる。

これができなければ、これから勝つことも絶対にない。





貪欲

2024-10-23 01:01:00 | 日記
日曜日、男子のゲームの審判をして思ったことがある。

港北区大会に出場するチームは、全チーム連盟登録はなしで、1日大会に出ているようなチームも我々だけ。

だから、競技レベルもそれほど高くないし、順位はつけるが、どちらかといえば交流会みたいなもの。

戦った相手は、ボールへの執着、勝ちへの執着がとにかく強かった。

荒々しく、バスケットボールの形を成さないようなプレーだが、ボールを真っ直ぐ追いかける姿勢は清々しい。

とにかく走る、なんとしてもマイボールにする。

こちらの男子とは全く対極に位置する存在だ。

何を練習するかではなく、どういった心持ちで練習するか…
練習時間の長さよりも、どんなレベルのチームで練習するかよりも、やっぱり根本のメンタリティが大事なのだと、彼らが教えてくれた。

そこにはやく気づくことができた子ほど、成長するだろう。

ハーフラインからスリーが決められる、
フックシュートが決められる、
レッグスルーやビハインドで相手を抜ける、

確かにこれも努力の結晶で、自身で手に入れたスキルは素晴らしいことだ。

ただ、これはチームスポーツで、個人のスキル発表会とはまた別。

自分の努力を、自分で留めてはいけないだろう。

それこそ、オフェンス全振りでディフェンスへの注力が高い子は少ない。

味方からパスを求める声、味方をいかすプレー、そこにも魅力を感じて欲しい。

勝つことに対してのパッションは、スポーツをやる上で誰もが持つべきだ。

「貪欲さ」
それが、相手チームとこちらのチームで大きく異なる部分なのだと思う。


与える夢

2024-10-22 04:06:00 | 日記
スクールではジャンプトレーニングも組み込んでいるが、子供達がそのメニューにどれだけの価値を感じて練習しているかは、未だ測ることができない。

ただ、今の私にできることはその身一つで説得力を与えること。

175cmが余裕でリングにぶら下がる姿は、練習への価値を与えるに等しいだろう。

もちろん、世界には160cm代でダンクができる人もいる訳で、そんな極めた者たちと比べてしまえば、私は小さな存在。

しかしその事実があったとしても、この地域に、ここまで身体の使い方を磨いた者は私が1番だと誇りを持てる。

もし私が小、中学生だったとして、目の前でリングにぶら下がる姿を見た時、夢は広がると思うのだ。

やっぱりそれが若者のアドバンテージだ。

私は若いから、まだ成長できる。
彼らが同じように努力するなら、私も同じように戦う。

高校にいたるまでリングに触ったこともない私が、今こうして楽々とぶら下がるまでに至る。

「自分の背中で夢を与えたい」
ただそれだけがもたらした進化だった。


今から丁度一年前、掴んだリングから落ちて肘を脱臼したこともあったが…

身の程知らずで、ダサい姿を見せた一年前から、またここへ、かっこいい姿が戻ってきた。
(みんながかっこいいと思っているのかはわからないが…)

少なくとも、私は私に誇れる姿へと近づいている。

「背中で見せる」という理念が私の指導の根っこ。

あの日の脱臼も今日のためにあった。

見本をしていると、シュートをエアボールすることもある。
カッコつけてディープスリーを打って外れることもある。

でも、シュートを外してダサい自分と、決めてかっこいい自分の2つの未来があるなら、私はこれからも打つ方を選択する。

芸術家、岡本太郎はこんな言葉を述べた。
「迷ったら困難な方を選べ」

今の私にとって最も困難な挑戦…
ダンクシュートにチャレンジしようと思う。