ROCKSTARS

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『サンライズ』(エリック・カルメン)

2024-05-13 11:26:33 | albums

サンライズ Eric Carmen


【歌・演奏】

  エリック・カルメン/Eric Carmen

【リリース】
  1975年11月

【録音】
  1975年8月~9月(O.D.Oサウンド・スタジオ アメリカ合衆国ニューヨーク市)

【プロデューサー】
  ジミー・アイナー/Jimmy Ienner

【エンジニア】
  ジャック・シャーデル/Jack Sherdel

【レーベル】
  アリスタ・レコード/Arista Records

【録音メンバー】
   エリック・カルメン/Eric Carmen(lead-vocals, piano, guitar)
   ダン・ハードリッカ/Dan Hrdlicka(lead-guitar, backing-vocals)
   ヒュー・マックラッケン/Hugh McCracken(slide-guitar④)
   スティーヴ・ニル/Steve Knill(bass, backing-vocals)

   リチャード・レイシング/Richard Reising(synthesizer, organ, backing-vocals)
   ドワイト・クリューガー/Dwight Krueger(drums, percussions, backing-vocals)
   マイケル・マクブライド/Michael McBride(drums, percussions, backing-vocals)
   ジャッキー・ケルソ/Jackie Kelso(flute③)



【収録曲】(☆シングル=①③④)
 side:A
 ☆① サンライズ 5:21
    Sunrise(Eric Carmen)
    *1976年週間チャート ビルボード34位、カナダ36位

  ② すてきなロックン・ロール 3:10
    That's Rock and Roll(Eric Carmen)
 ☆③ 恋にノータッチ 3:45
    Never Gonna Fall in Love Again(Eric Carmen, Sergei Rachmaninoff)
    *1976年週間チャート ビルボード11位、カナダ1位

 ☆④ オール・バイ・マイ・セルフ 7:13
    All by Myself(Eric Carmen, Sergei Rachmaninoff)
    *1975年週間チャート ビルボード2位、カナダ1位、UK12位

  ⑤ 悲しきラスト・ナイト 2:57
    Last Night(Eric Carmen)
 side:B
  ⑥ 愛しのマイ・ガール 3:02
    My Girl(Eric Carmen)
  ⑦ 野望 3:03

    Great Expectations(Eric Carmen)
  ⑧ エヴリシング 2:01
    Everything(Eric Carmen)
  ⑨ ノー・ハード・フィーリング 5:40
    No Hard Feelings(Eric Carmen)
  ⑩ オン・ブロードウェイ 3:26
    On Broadway(Barry Mann, Cynthia Weil, Jerry Leiber, Mike Stoller)


【チャート】
 1975年週間アルバム・チャート アメリカ(ビルボード) 21位、イギリス58位、オーストラリア15位、スウェーデン41位
 1976年年間アルバム・チャート アメリカ(ビルボード) 20位



【メ  モ】
 1970年代前半に活躍したパワー・ポップ・バンド「ラズベリーズ」のリード・ヴォーカルだったエリック・カルメンの、ファースト・ソロ・アルバム。
 1975年のアルバム・チャートではビルボード最高21位を記録、RIAAゴールド・アルバムに認定されている。
 このアルバムからは④『オール・バイ・マイセルフ』、③『恋にノータッチ』、①『サンライズ』の3曲がシングルとしてリリースされており、全て1976年にシングル・チャートのトップ40入りしている。そのほか②『すてきなロックン・ロール』は1977年にショーン・キャシディがカヴァーしてチャート3位のヒットとなっている。

 
 ④はセルゲイ・ラフマニノフの『ピアノ協奏曲第2番』を、③は同じくラフマニノフの『交響曲第2番』のメロディを一部使っているほか、⑩『オン・ブロードウェイ』はドリフターズのカヴァーである。そのほかはカルメンが作詞・作曲している。


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エリック・カルメン

2024-05-13 03:06:22 | vocal

エリック・カルメン Eric Howard Carmen

 【パート】
   ヴォーカル、ピアノ、キーボード、ギター、ベース

 【生没年月日】
   1949年8月11日~2024年3月9日(74歳没)

 【出生地】
   アメリカ合衆国オハイオ州クリーヴランド

 【経歴】
   サイラス・エリー/Cyrus Erie(1967~1969)
   クィック/Quick(1969)
   ラズベリーズ/The Raspberries(1970~1975)
   リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド/Ringo Starr and His All-Starr Band(2000)

   ラズベリーズ/The Raspberries(2004~2009)


 エリック・カルメンは、アメリカのシンガー・ソングライター。

 1970年代前半にラズベリーズのリード・ヴォーカリスト、ソングライターとして活躍した。その後ソロとなって『オール・バイ・マイ・セルフ』や『恋にノー・タッチ』などの大ヒット曲を生み出した。


 カルメンは、ロシア系ユダヤ人移民の子としてオハイオ州クリーヴランドで生まれ、オハイオ州リンドハーストで育った。
 幼いころから音楽に親しんでいたカルメンは、3歳のときにはすでにクリーブランド音楽大学のダルクローズ・リトミック・プログラムに参加していた。

 6歳になると、クリーブランド・シンフォニー・オーケストラのバイオリニストだった叔母のミュリエル・カルメンからヴァイオリンのレッスンを受けるようになる。11歳の時にはクラシック・ピアノを習い始め、あわせて自作曲を書くようにもなった。そしてのちにはクリーヴランド音楽院でロシアの作曲家セルゲイ・ラフマニノフについて学んだ時期もあった。
 ロックが世界中を席捲した1960年代前半に出会ったビートルズやローリング・ストーンズから大きな影響を受け、チャールズ・F・ブラッシュ高校に入るとロック・バンドでピアノとヴォーカルを担当するようになる。
 カルメンは、15歳のときにギターのレッスンも受け始めていたが、間もなくギターの先生のスタイルが自分に合わないと感じるようになったため、その後は独学でギターを習得したということである。


 高校を卒業したカルメンはジョン・キャロル大学に進んだ。
 彼は、このころから将来ミュージシャンになることを真剣に考えるようになった。
 1967年、カルメンはウォーリー・ブライソン(guitar)とともに、当時のクリーヴランドで注目を集めるバンドのひとつ「サイラス・エリー」に加入。このバンドは、カルメンとブライソンの共作によるシングル・レコード『Get the Message』を1969年にエピック・レコードからにリリースしている。
 ブライソンは彼の友人であるジム・ボンファンティ(drums)、デイヴ・スモーリー(guitar)とともに、やはりクリーヴランドの人気バンドだった「クワイア」でも活動していた。1969年の終わりごろにサイラス・エリーとクワイアが解散すると、カルメンは「クイック」を結成するが、間もなくソロ活動を開始する。ソロ・デビューとしてシングル用に『I'll Hold Out My Hand』を1970年に録音しているが、これは発売されることはなかった。
 その後カルメンは元クワイアのブライソン、ボンファンティと合流する。3人はベーシストにジョン・アレクシスを迎え、1970年に「ラズベリーズ」を結成。
 アレクシスが1971年に脱退すると、カルメンがベースにスイッチし、ベトナム戦争から帰還したばかりのデイヴ・スモーリー(元クワイア)がリズム・ギターとして加入する。これにより、ラズベリーズのラインナップはエリック・カルメン(vocal, bass, piano, guitar)、ウォーリー・ブライソン(guitar)、デイヴ・スモーリー(guitar, bass)、ジム・ボンファンティ(drums)となった。
 ラズベリーズはデモ音源を制作したが、その完成度は関係者のあいだで評判となるほど高く、彼らとの契約を欲したメジャー・レーベル間で入札が行われたほどだった。
 入札の結果、ラズベリーズはキャピトル・レコードと契約する。
 キャピトルはプロデューサーにジミー・アイナー(スリー・ドッグ・ナイトやベイ・シティ・ローラーズなどを担当)を起用し、レコーディングはニューヨークのレコード・プラントとロンドンのアビイ・ロード・スタジオで行われた。


 ラズベリーズは1972年2月にデビュー・シングル『さよならは言わないで』を、同年4月にはデビュー・アルバム『ラズベリーズ』をリリースする。同年7月、このアルバムから『ゴー・オール・ザ・ウェイ』 がシングル・カットされると、たちまちビルボード・シングル・チャートで5位まで上昇、ミリオン・セラーを記録する大ヒットとなった。これが契機となり、ラズベリーズはパワー・ポップの草分けとして人気バンドの仲間入りを果たしたのである。
 以後も『明日を生きよう』『レッツ・プリテンド』『オーヴァーナイト・センセーション』などのヒット曲を出したが、メンバー間の人間関係を原因として1975年解散する。





 ラズベリーズ解散した後のカルメンは、1975年7月にアリスタ・レコードと契約を交わす。
 同年11月、ソロ・デビュー・アルバム『サンライズ』をリリース。このアルバムからは『オール・バイ・マイセルフ』『恋にノータッチ』『サンライズ』の3曲がシングル・カットされ、全てビルボード・シングル・チャートのトップ40入りを記録した。
 なかでも『オール・バイ・マイセルフ』は100万枚以上を売り上げ、シングル・チャートで1976年3月15日から3週連続全米2位(ビルボード)を記録して、R.I.A.A.からゴールド・ディスクに認定されるほどのメガ・ヒットとなった。この曲は、セルゲイ・ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」をモチーフにした、7分を超える壮大なバラードで、現在ではカルメンの代表曲として世界的に認知されている。1996年にはセリーヌ・ディオンがカヴァーしており、彼女のヴァージョンも大ヒット(全米4位、全英6位)した。
 また『恋にノータッチ』もラフマニノフの作品である「交響曲第2番第3楽章」のメイン・テーマをモチーフにしており、ビルボードで最高11位、カナダではチャート1位を記録した。
 これらのヒット曲を輩出したアルバム『サンライズ』はビルボード・アルバム・チャートで21位となり、1977年には50万枚以上を売り上げたことでゴールド・アルバムに認定された。


 1977年8月、カルメンのセカンド・アルバム『雄々しき翼』がリリースされ、ビルボード・アルバム・チャートに13週間ランクインし、最高45位を記録した。タイトル曲はビルボードで88位にとどまったが、後にオリビア・ニュートン・ジョンが1978年のアルバム『さよならは一度だけ』で取り上げている

 そのほか、ショーン・キャシディが1976年に『すてきなロックン・ロール』をカヴァーしてビルボード3位に、1977年には『ヘイ・ディーニー』をカヴァーしてビルボード7位に送り込んでおり、1977年秋の数週間は、この2曲にカルメン自身のシングル『愛をくれたあの娘』を加えたカルメン作の3曲が同時にビルボード・ホット100 にチャート・インした。
 その後カルメンは『チェンジ・オブ・ハート』(1978年)、『トゥナイト・ユア・マイン』(1980年)の2枚のアルバムをリリースした。アルバム・チャートでは低迷したが、シングル『チェンジ・オブ・ハート』はビルボードで最高19位のスマッシュ・ヒットとなった。この曲はサマンサ・サングがアルバム『ときめきへの誘い』でカヴァーしている。
 また1978年には世界歌謡祭のゲストとして来日。1980年には東京、大阪、京都、北海道、愛知、神奈川の6都市7ヵ所で来日公演を行った。





 ソロ転向後のカルメンはソフト・ロックやパワー・バラードを多く取り上げて世界的な人気を得たが、1980年代に入るとレコード会社や出版社との訴訟の対応などで活動に支障をきたし、低迷するようになった。
 しかし1984年にゲフィン・レコードへ移籍して心機一転を図る。
 この年カルメンは、映画『フットルース』の挿入歌『パラダイス~愛のテーマ』をディーン・ピッチフォードと共作した。
アン・ウィルソン&マイク・レノがシングルとしてリリースしたこの曲は、ビルボードで最高7位まで上昇した。このヒットによってカルメンの名が久々にメディアに取り上げられるようになったのである。
 


 1985年1月には4年ぶりにアルバム『エリック・カルメン』をリリースしてロック・シーンに再び姿を現した。このアルバムからは『噂の女』(ビルボード35位)のスマッシュ・ヒットが生まれているが、そのほかルイーズ・マンドレルがカヴァーした『メイビー・マイ・ベイビー』のシングルが、1986年にビルボードのカントリー・ソング・チャートで8位を記録している


 1987年、カルメンがリリースした『ハングリー・アイズ』は、ビルボード4位、ビルボードUSアダルト・コンテンポラリー2位の大ヒットを記録した。この曲は映画『ダーティ・ダンシング』のためにフランク・プリヴァイトとジョン・デニコラが書き下ろしたもので、このヒットによって、カルメンはシンガーとしてのカムバックも果たしたのである。
 1988年、この年開催されたソウル夏季オリンピックのためのコンピレーション・アルバム『ワン・モーメント・イン・タイム』にカルメンの『リーズン・トゥ・トライ』(ビルボード87位)が収録された。またこの年のシングル『メイク・ミー・ルーズ・コントロール』がビルボード3位の大ヒットを記録し、カルメンは再びスターの座に返り咲いた。
 しかし1990年代のカルメンはほとんど活動しておらず、1998年にアルバム『夢の面影』(Winter Dreams)を日本限定でリリース(アメリカでは2000年に『I Was Born to Love You』のタイトルで
リリース)したのみである。カルメンはこのアルバムの録音にバンドを起用せず、ほとんどの楽器を自分で演奏し、ドラムのパートは自分でプログラミングしている。


 2000年、「リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド」に加わり、ツアーに同行した。
 2004年11月、31年ぶりのラズベリーズ再結成に参加。カルメン、ボンファンティ、ブライソン、スモーリーからなるオリジナル・メンバーでの再結成だった。ラズベリーズの復活は話題となり、全米ツアーのチケットは完売するほどだった。ツアーも好評を博し、なかでもウエスト・ハリウッドのハウス・オブ・ブルースで収録されたライヴ・アルバムは非常に高く評価された。このライヴは、ニューヨーク・デイリー・ニュースで、年間のベスト・コンサートに選ばれている。



 2013年12月24日、カルメンの15年ぶりの新曲「ブランド・ニュー・イヤー」を「特別なクリスマス・ギフト」として無料ダウンロード配信でリリース。この曲は翌14年にリリースされたベスト・アルバム『エッセンシャル・エリック・カルメン』にも収録されている。


 カルメンは3度結婚している。
 1978年から79年にかけてはマーシー・ヒルと結婚生活を送った。1993年に結婚したスーザン・ブラウンとの間には2人の子供をもうけたが、2009年に離婚している。そして2016年から2024年に亡くなるまでは、元ニュース・キャスターのエイミー・マーフィーと過ごした。
 なおカルメンはロサンゼルスで暮らしていたが、1990年代に故郷オハイオ州に戻り、州北東部のゲイツ・ミルズで暮らしていた。


 2024年3月、エリック・カルメンは74歳で死去。
 3月11日に妻のエイミー・カルメンによって、訃報がエリックのホームページに掲載された。それによるとカルメンはその前の週末、就寝中に亡くなったということである。死因は明らかにされていない。





【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)

 *アルバム*

 <ラズベリーズ>
  1972年 ラズベリーズ/Raspberries US51位
  1972年 明日を生きよう/Fresh US36位
  1973年 サイド 3/Side 3 US128位
  1974年 素晴らしき再出発/Starting Over US143位
 ★1976年 Raspberries' Best Featuring Eric Carmen US138位
 ☆2007年 Live on Sunset Strip
 ☆2017年 Pop Art Live

 <ソロ・アルバム>
  1975年 サンライズ/Eric Carmen US21位, UK58位
  1977年 雄々しき翼/Boats Against the Current US45位
  1978年 チェンジ・オブ・ハート/ US137位
 ★1979年 ベスト・オブ・エリック・カルメン ※日本のみ発売
  1980年 トゥナイト・ユア・マイン/Tonight You're Mine US160位
  1984年 エリック・カルメン/Eric Carmen US128位
 ★1988年 The Best of Eric Carmen US59位
 ★1997年 The Definitive Collection
  1998年 夢の面影/I Was Born to Love You ※日本のみ。アメリカでは2000年にリリース。
 ★1999年 All by Myself ー The Best of Eric Carmen

 ★2014年 The Essential Eric Carmen


 *シングル*

 <サイラス・エリー>
  1969年 Get the Message

 <クィック>
  1969年 Ain't Nothing Gonna Stop Me

 <ラズベリーズ>
  1972年 さよならは言わないで/Don't Want to Say Goodbye US86位
  1972年 ゴー・オール・ザ・ウェイ/Go All the Way US5位
  1972年 明日を生きよう/I Wanna Be With You US16位
  1972年 ドライヴィン・アラウンド/Drivin' Around
  1973年 レッツ・プリテンド/Let's Pretend US35位
  1973年 トゥナイト/Tonight US69位
  1973年 アイム・ア・ロッカー/I'm a Rocker US94位
  1974年 君に首ったけ/Ecstacy 
  1974年 オーヴァーナイト・センセーション/Overnight Sensation 18位
  1974年 クルージング・ミュージック/Cruisin Music
  
 <ソロ>
  1975年 オール・バイ・マイセルフ/All by Myself US2位, UK12位
  1976年 恋にノータッチ/Never Gonna Fall in Love Again US11位
  1976年 サンライズ/Sunrise US34位
  1976年 すてきなロックンロール/That's Rock'n'Roll デンマーク7位
  1977年 愛をくれたあの娘/She Did It US23位
  1977年 雄々しき翼/Boats Against the Current US88位
  1978年 マラソン・マン/Marathon Man
  1978年 チェンジ・オブ・ハート/Change of Heart US19位
  1978年 二人のラブウェイ/Haven't We Come a Long Way
  1978年 愛を求めて/Baby I Need Your Loving US62位
  1980年 悲しみTOO MUCH/It Hurts Too Much US75位
  1980年 All for Love
  1980年 フーリン・マイセルフ/Foolin' Myself
  1985年 噂の女/I Wanna Hear It from Your Lips US35位
  1985年 I'm Through with Love US87位
  1986年 The Rock Stops Here
  1987年 ハングリー・アイズ/Hungry Eyes US4位, UK82位
  1988年 As Long as We Got Each Other ※with Louise Mandrell
  1988年 メイク・ミー・ルーズ・コントロール/Make Me Lose Control US3位, UK93位
  1988年 Reason to Try US87位
  2013年 Brand New Year




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『イントゥ・ザ・ワイルド』(ユーライア・ヒープ)

2024-05-13 00:38:44 | albums

イントゥ・ザ・ワイルド Into the Wild


【歌・演奏】
  ユーライア・ヒープ/Uriah Heep


【リリース】
  2011年4月12日(日本)
  2011年4月15日(ヨーロッパ)

  2011年5月3日(アメリカ)


【録音】
  2010年12月~2011年2月
  リスクーム・パーク・スタジオ/Liscomb Park Studio(イングランド バッキンガムシャー)



【プロデューサー】
  マイク・パクスマン/Mike Paxman



【エンジニア】
  スティーヴ・リスピン/Steve Rispin



【レーベル】
  フロンティアーズ/Frontiers



【収録曲】(☆シングル=①)
 ☆① ネイル・オン・ザ・ヘッド 4:15
    Nail on the Head(Mick Box, Phil Lanzon)
    *2011年リリース

  ② アイ・キャン・シー・ユー 4:13
    I Can See You(Mick Box, Phil Lanzon)
  ③ イントゥ・ザ・ワイルド 4:20
    Into the Wild(Mick Box, Phil Lanzon)
  ④ マネー・トーク 4:44
    Money Talk(Phil Lanzon)
  ⑤ アイム・レディ 4:14
    I'm Ready(Mick Box, Phil Lanzon)
  ⑥ トレイル・オブ・ダイアモンズ 6:28
    Trail of Diamonds(Mick Box, Phil Lanzon)
  ⑦ サザン・スター 4:26
    Southern Star(Phil Lanzon)
  ⑧ ビリーヴ 5:09
    Believe(Mick Box, Phil Lanzon)
  ⑨ ロスト 4:51
    Lost(Trevor Bolder)
  ⑩ Tバード・エンジェル 4:01
    T-Bird Angel(Mick Box, Phil Lanzon)
  ⑪ キス・オブ・フリーダム 6:13
    Kiss of Freedom(Phil Lanzon)
  ⑫ ハード・ウェイ・トゥ・ラーン 5:25
    Hard Way to Learn(Trevor Bolder)※日本盤ボーナス・トラック





【録音メンバー】
 ☆ユーライア・ヒープ
   バーニー・ショウ/Bernie Shaw(lead-vocals)
   ミック・ボックス/Mick Box (guitars, backing-vocals)
   フィル・ランゾン/Phil Lanzon(keyboards, backing-vocals)
   トレヴァー・ボルダー/Trevor Bolder(bass, lead-vocals⑨, backing-vocals)
   ラッセル・ギルブルック/Russell Gilbrook(drums, backing-vocals)
 

【チャート】
 2011年週間アルバム・チャート  スウェーデン29位 フィンランド31位 ドイツ32位 オーストリア40位 スイス42位 UKロック&メタル11位


【メ  モ】
 ユーライア・ヒープ22作目のスタジオ・アルバム。
 このアルバムはドイツのチャートで32位まで上昇したが、これは1980年以降のドイツにおけるチャート・エントリー最高位である。
 またこれはトレヴァー・ボルダーが参加した最後のアルバムである。ボルダーは2013年にガンのため62歳で死去した。


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