ワイルド・ホーシズ Wild Horses
【活動期間】
1978年~1981年
【メンバー】
<Guitars, Keyboards>
ブライアン・ロバートソン/Brian Robertson(guitars, keyboards, vocals) 在籍1978~1981
ジミー・マカロック/Jimmy McCulloch(guitars) 在籍1978
ニール・カーター/Neil Carter(guitars, keyboards, vocals) 在籍1978~1980
ジョン・ロックトン/John Lockton(guitars) 在籍1980~1981
ローレンス・アーチャー/Laurence Archer(guitars) 在籍1981
<Bass>
ジミー・ベイン/Jimmy Bain(bass, guitars, keyboards, vocals) 在籍1978~1981
<Drums>
ケニー・ジョーンズ/Kenney Jones(drums) 在籍1978
ディキシー・リー/Dixie Lee(drums) 在籍1978~1979
クライヴ・エドワーズ/Clive Edwards(drums) 在籍1979~1981
フランク・ヌーン/Frank Noon(drums) 在籍1981
<vocals>
リューベン・アーチャー/Reuben Archer(vocals) 在籍1981
【バンドの歴史】
「ワイルド・ホーシズ」は、1977年2月に「レインボー」を解雇されたジミー・ベイン(bass)と、1978年に「シン・リジィ」を脱退したブライアン・ロバートソン(guitar)が中心になって、1978年に結成されたバンドである。
ベインとロバートソンのふたりに、ウイングスを経てスモール・フェイセスに在籍していたジミー・マカロック(guitar)と、元フェイセス~スモール・フェイセスのケニー・ジョーンズ(drums)が加わったこのバンドは、「スーパー・グループ」として一部では注目されたものの、数ヵ月後には早々とマカロックが、さらにはジョーンズも脱退してしまう。
マカロックとジョーンズの後任としては、元ギルバート・オサリヴァン・バンドのニール・カーター(guitar, keyboard)と、元ローン・スターのディキシー・リー(drums)が加わった。
ラインナップが固まったワイルド・ホーシズは地道なライヴ活動を行っていたが、1979年にレディング・フェスティヴァルに出演する機会を得、その後EMIと契約を結ぶことに成功した。
その後今度はリーが脱退し、後釜として元パット・トラヴァース・バンドやウルリッヒ・ロート&エレクトリック・サンのドラマーだったクライヴ・エドワーズが迎えられた。
1980年、トレヴァー・ラビンのプロデュースにより、ファースト・アルバム「ワイルド・ホーシズ」とデビュー・シングル「誘惑の罠」を発表。このアルバムは全英チャートで38位まで上昇したが、シングルはチャート・インを果たせず、思ったほどの結果は残せなかった。
ワイルド・ホーシズは、おりしも1970年代終盤に起きたNWOBHMブームによる追い風を受けたとも言え、とくに日本では「アイアン・メイデン」「デフ・レパード」「ガール」とともに「ヘヴィ・メタル四天王」として紹介された。しかしその音楽性は、ブライアン・ロバートソンのブルージーなギターを活かしたややポップなハード・ロックで、いわゆるヘヴィ・メタルとは方向が異なるものだった。
その後、バンドはテッド・ニュージェントとイギリス・ツアーを行ったが、ツアー終了後の1980年8月にニール・カーターが脱退し、「UFO」に参加する。
カーターの後任として参加したのは元レッド・アラートのジョン・ロックトン(guitar)である。この編成での初めてのライヴは、1980年秋の日本ツアーである。
1981年春にはセカンド・アルバム「スタンド・ユア・グラウンド」をリリースしたが、セールスは全く振るわず、これに失望したロバートソンとエドワーズは1981年6月のロンドン公演を最後に脱退する。ロバートソンはその後モーターヘッドに、エドワーズは「バーニー・マースデンズ S.O.S.」に加入している。
バンドの一方の柱であるロバートソンを失ったベインは、残ったロックトンのほかに、元ロートレックのローレンス・アーチャー(guitar)と彼の継父であるルーベン・アーチャー(vocal)、そしてロックトンのレッド・アラート時代のバンドメイトで、初期のデフ・レパードにも在籍したことのあるフランク・ヌーン(drums)を迎えて新たなラインナップを整えた。
このメンバーで数度のライヴを行いはしたが、数か月後にはアーチャー親子とヌーンは自分たちのバンド「スタンピード」を結成するため脱退し、ワイルド・ホーセズはついにバンドとしての終焉を迎えた。
解散後、ベインはレインボーでバンドメイトだったロニー・ジェイムズ・ディオのバンド「ディオ」に加入する。ロックトンはドイツのハードロックバンド「ヴィクトリー」に加入し、1986年まで在籍した。
2014年になって、1980年10月29日の東京中野サンプラザでのライヴを録音したアルバム「Live In Japan 1980」がKrescendoから海賊版品質で発売されている。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
<アルバム>
1980年 ザ・ファースト・アルバム/Wild Horses(UK38位)
1981年 スタンド・ユア・グラウンド/Stand Your Ground
☆2014年 Live In Japan 1980
<シングル>
1979年 誘惑の罠/Criminal Tendencies
1980年 フェイス・ダウン (モッズたちへの哀歌)/Face Down
1980年 フライ・アウェイ/Flyaway
1981年 I'll Give You Love
1981年 I'll Give You Love / The Kid(Double single pack)
1981年 Everlasting Love
【メンバー変遷】
#1 1978
ブライアン・ロバートソン(guitars,keyboards, vocals)
ジミー・マカロック(guitars)
ジミー・ベイン(bass, keyboards, vocals)
ケニー・ジョーンズ(drums)
#2 1978~1979
ブライアン・ロバートソン(guitars,keyboards, vocals)
ニール・カーター(guitars)
ジミー・ベイン(bass, keyboards, vocals)
ディキシー・リー(drums)
#3 1979~1980
ブライアン・ロバートソン(guitars,keyboards, bass, vocals)
ニール・カーター(guitars, keyboards, vocal)
ジミー・ベイン(bass, keyboards, guitar, vocals)
クライヴ・エドワーズ(drums)
#4 1980~1981
ブライアン・ロバートソン(guitars,keyboards, bass, vocals)
ジョン・ロックトン(guitars)
ジミー・ベイン(bass, keyboards, guitar, vocals)
クライヴ・エドワーズ(drums)
#5 1981
ルーベン・アーチャー(vocal)
ジョン・ロックトン(guitar)
ローレンス・アーチャー(guitar)
ジミー・ベイン(bass)
フランク・ヌーン(drums)
シャイ・リムズ Shy Limbs
【活動期間】
1968年~1969年
【メンバー】
グレッグ・レイク/Greg Lake(guitars, vocals)在籍1968
ジョン・ディッケンソン/John Dickenson(keyboards, vocals)在籍1968~1969
マルコム・ブラッシャー/Malcolm Brasher(bass, vocals)在籍1968~1969
アラン・ボウリー/Allan Bowery(bass, guitar, vocal)在籍1969
トニー・スウォード/Tony Sword(vocals, bass)在籍1969
アンディ・マカロック/Andy McCulloch(drums)在籍1968~1969
【バンドの歴史】
「シャイ・リムズ」はドーセット州ボーンマスで1968年9月に結成されたバンドである。
グレッグ・レイクがキング・クリムゾン加入直前まで参加していたバンドとして知られている。
バンド名は、直訳すると「恥ずかしがる手足」という意味になる。
オリジナル・メンバーは、グレッグ・レイク(guitar, vocal)、ジョン・ディッケンソン(keyboard)、マルコム・ブラッシャー(bass)、アンディ・マカロック(drums)の4人で、サイケデリックなポップ・ロックを演奏していた。
レイクは「ザ・シェイム」を経て「ゴッズ」に参加したのちにシャイ・リムズを結成したが、ディッケンソンとブラッシャーはザ・シェイム時代のバンド・メイトである。マカロックは当時ドーセット州で活動していたドラマーで、メンバー全員がボーンマス出身であった。
1968年10月、デビュー・シングル「Reputation」をリリース。このB面に収められている「Love」のレコーディングには、ロバート・フリップ(guitar)が参加している。
1968年11月に、キング・クリムゾン結成のためにレイクが離脱し、その後シャイ・リムズはトリオ編成で活動を続ける。
1969年にはアラン・ボウリー(bass, guitar, vocal)が新たに加わり、またベースがトニー・スウォードに交替した。この年11月にはセカンド・シングル「Lady In Black」をリリースしたが、これと前後して解散した。
解散後、アンディ・マカロックは「Jacob’s Ladder」を経て、1970年にキング・クリムゾンのメンバーとなる。アラン・ボウリー(bass, guitar, vocal)は、1971年にグラハム・フィールド(keyboard)、キング・クリムゾンを脱退したマカロックとともに「フィールズ」の結成に参加。
ジョン・ディッケンソン(keyboard, vocal)は1976年にドラムレスのロック・トリオ「キング・ハリー」を結成したが、このバンドのメンバーはフィールズ脱退後のアラン・ボウリー(bass, guitar, vocal)と、1960年代にロバート・フリップやゴードン・ハスケルらと「リーグ・オブ・ジェントルメン」を組んでいたティノ・リチニオ(guitar, bass, vocal)である。
【ディスコグラフィ】
<シングル>
1969年 5月 Reputation c/w Love
1969年11月 Lady In Black c/w Trick Or Two
【メンバー変遷】
#1 1968~1969
グレッグ・レイク/Greg Lake(vocal, guitar)←ex. Gods →King Crimson
ジョン・ディッケンソン/John Dickenson(keyboard, vocal)
マルコム・ブラッシャー/Malcolm Brasher(bass, vocal)
アンディ・マカロック/Andy McCulloc(drums)
#2 1969
ジョン・ディッケンソン/John Dickenson(keyboard, vocal)
マルコム・ブラッシャー/Malcolm Brasher(bass, vocal)
アンディ・マカロック/Andy McCulloc(drums)
#3 1969
ジョン・ディッケンソン/John Dickenson(keyboard, vocal)→The Bournemouth
アラン・ボウリー/Allan Bowery(bass, guitar, vocal)※別名Alan Barry →Fields
トニー・スウォード/Tony Sword(vocal, bass)
アンディ・マカロック/Andy McCulloc(drums)→Jacob's Ladder
左からボブ・ウエストン、ミッキー・フィン、スティーヴ・マリオット、グレッグ・リドリー、イアン・ウォーレス
スティーヴ・マリオッツ・オール・スターズ Steve Marriott's All Stars
【活動期間】
1975年~1976年
【メンバー】
<Vocal>
スティーヴ・マリオット/Steve Marriott(guitars, vocals)在籍1975~1976
<Guitar>
ミッキー・フィン/Micky Finn(guitars) 在籍1975~1976
ボブ・ウエストン/Bob Weston(guitar) 在籍1975
デイヴ・"クレム"・クレムソン(guitar)/Dave Clem Clempson(guitar)在籍1976
<Keyboard>
デモン・ブッチャー/Damon Butcher(keyboard)在籍1976
<Bass>
ニック・サウス/Nick South(bass) 在籍1975
グレッグ・リドリー/Greg Ridley(bass) 在籍1975~1976
<Drums>
イアン・ウォーレス/Ian Wallace(drums) 在籍1975~1976
<Chorus>
ザ・ブラックベリーズ/The Blackberrys(chorus) 在籍1975~1976
【バンドの歴史】
「スティーヴ・マリオッツ・オール・スターズ」は、スティーヴ・マリオットがハンブル・パイ解散後に結成したバンドである。
マリオットはハンブル・パイのフロント・マンとして活躍していたが、1975年にハンブル・パイが解散するとソロ活動を開始した。
そして、ソロ・アルバム「マリオット」の制作に取りかかりながら、1975年7月に自己のバンド「スティーヴ・マリオッツ・オール・スターズ」を結成。
このバンドはマリオットのほか、元ヘヴィ・メタル・キッズのミッキー・フィン(guitar)、元フリートウッド・マックのボブ・ウエストン(guitar)、元キング・クリムゾンのイアン・ウォーレス(drums)、元エリスのニック・サウス(bass)の5人に、ハンブル・パイのレコーディングにも参加していたザ・ブラックベリーズ(chorus)を加えたもので、マリオットのバック・バンド的性格が強かった。
結成の翌月にサウスが脱退するが、すぐにマリオットのハンブル・パイ時代のバンド・メイトであるグレッグ・リドリー(bass)が加入する。
1975年限りでウエストンが脱退したが、後任としてやはりハンブル・パイ時代のバンド・メイトである名手クレム・クレムソンが加わった。
バンドは積極的にライブを行い、1976年3月にはサウンドにより厚みを持たせるためにキーボード奏者のデモン・ブッチャーを加える。
同年5月にマリオットのソロ・アルバムがリリースされる。
この年、スモール・フェイセスの曲「イチクー・パーク」がリバイバル・ヒットしたことをきっかけに、スモール・フェイセスが再結成、マリオットもこれに参加することになったため、オール・スターズは解散した
解散後、クレムソンとブッチャーは「ラフ・ダイアモンド」の結成に参加し、リドリーとフィンは「ザ・フォールン・エンジェルス」を結成した。
マリオットの死後、未発表のセッション音源が発掘され、1995年に「Clear Through the Night」のタイトルで発表された。この未発表セッションがソロ・アルバム「マリオット」の制作につながるのである。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
<アルバム>
1995年 Clear Through the Night
【メンバー変遷】
#1 1975
スティーヴ・マリオット(vocal, guitar)
ミッキー・フィン(guitar)
ボブ・ウエストン(guitar)
ニック・サウス(bass)
イアン・ウォーレス(drums)
ザ・ブラックベリーズ(chorus)
#2 1975
スティーヴ・マリオット(vocal, guitar)
ミッキー・フィン(guitar)
ボブ・ウエストン(guitar)
グレッグ・リドリー(bass)
イアン・ウォーレス(drums)
ザ・ブラックベリーズ(chorus)
#3 1976
スティーヴ・マリオット(vocal, guitar)
ミッキー・フィン(guitar)
デイヴ・クレムソン(guitar)
グレッグ・リドリー(bass)
イアン・ウォーレス(drums)
ザ・ブラックベリーズ(chorus)
#4 1976
スティーヴ・マリオット(vocal, guitar)
ミッキー・フィン(guitar)
デイヴ・クレムソン(guitar)
デモン・ブッチャー(keyboard)
グレッグ・リドリー(bass)
イアン・ウォーレス(drums)
ザ・ブラックベリーズ(chorus)
スリー・ドッグ・ナイト Three Dog Night
【活動期間】
1967年~1976年
1981年~
【メンバー】
<Vocal>
ダニー・ハットン/Danny Hutton(vocals) 在籍1967~1975, 1981~
コリー・ウェルズ/Cory Wells(vocals, guitar) 在籍1967~1976, 1981~2015
チャック・ネグロン/Chuck Negron(vocals) 在籍1967~1976., 1981~1985
ジェイ・グルスカ/Jay Gruska(vocals) 在籍1976
デヴィッド・モーガン/David Morgan(vocals) 在籍2015~
<Guitar>
ロン・モーガン/Ron Morgan(guitars) 在籍1968
マイケル・オールサップ/Michael Allsup(guitar) 在籍1968~1974, 1981~1984, 1991~2021
ジェームス・"スミティ"・スミス/James "Smitty" Smith(guitar) 在籍1974~1975
アル・シナー/Al Ciner(guitar) 在籍1975~1976
ポール・キングリー/Paul Kingery(vocals, guitar, bass1996~2021) 在籍1982~1983(オールサップの代役として), 1985~1988, 1996~
スティーヴィ・エッツォ/Steve Ezzo(guitar) 在籍1983~1984(オールサップの代役として), 1985
T. J. パーカー/T. J. Parker(guitar) 在籍1988~1989
マイク・クネオ/Mike Cuneo(guitar) 在籍1989~1991
<Keyboard>
ジミー・グリーンスプーン/Jimmy Greenspoon(keyboards) 在籍1968~1976, 1981~2015
スキップ・コンテ/Skip Konte(keyboards) 在籍1973~1976
ロン・ストッカート/Ron Stockert(keyboards) 在籍1976
リック・セラッテ/Rick Seratte(keyboards) 在籍1985
エディー・リーゾナー/Eddie Reasoner(keyboards) 在籍2015~2017
ハワード・ララヴェア/Howard Laravea(keyboards) 在籍2017~
デヴィッド・ブルーフィールド/David Bluefield(keyboards ※ツアー・メンバー) 在籍1984
<Bass>
ジョー・シェルミー/Joe Schermie(bass) 在籍1968~1973
ジャック・ライランド/Jack Ryland(bass) 在籍1973~1975
デニス・ベルフィールド/Dennis Belfield(bass) 在籍1975~1976
マイク・セイフリット/Mike Seifrit(bass) 在籍1981~1982
リチャード・グロスマン/Richard Grossmann(bass) 在籍1982~1984
スコット・マンゾ/Scott Manzo(bass) 在籍1985~1988, 2004
ゲイリー・ムーン/Gary Moon(bass, vocals) 在籍1988~1989
リチャード・キャンベル/Richard Campbell(bass, vocal) 在籍1989~1996
ポール・キングリー/Paul Kingery(vocals, guitar, bass1996~2021) 在籍1982~1983, 1985~1988, 1996~
ティモシー・ハットン/Timothy Hutton(bass, vocals) 在籍2021~
<Drums>
フロイド・スニード/Floyd Sneed(drums) 在籍1968~1974, 1981~1984
ミッキー・マクミール/Mickey McMeel(drums) 在籍1974~1976
マイク・キーリー/Mike Keeley(drums) 在籍1985~1993
パット・バウツ/Pat Bautz(drums, vocals) 在籍1993~
【バンドの歴史】
スリー・ドッグ・ナイトは、アメリカ合衆国のロック・バンド。3人のリード・ヴォーカリストと4人のインストゥルメンタリストから成るユニークな編成で知られている。カリフォルニア州ロサンゼルスで結成され、1970年代前半のアメリカン・ロックを代表するバンドのひとつとして活躍した。
デビュー(1968年)から1975年までに23枚のシングル・レコードをリリースしているが、そのうち1位となった3曲を含む21曲をビルボードのトップ40に送り込み、RIAAからゴールド・アルバム12枚、ゴールド・シングル7枚を認定されるという輝かしい実績を残した。
<結成まで>
1967年、ボーカルのダニー・ハットンが中心となってグループの結成を計画する。
ハットンは、1965年に発表したシングル「Roses and Rainbows」がチャート73位を記録するなど、ソロ・シンガーとして活動しており、この頃ソニー&シェールのツアーで前座を務めていた。その時に出会ったのが、コリー・ウェルズである。
ウェルズはロサンゼルスで「ジ・エネミーズ」「コリー・ウェルズ・ブルース・バンド」などのリード・ヴォーカリストとして活動していたが、ウェルズの歌声を聴いたシェールに誘われてソニー&シェールのツアー・メンバーとなった。
意気投合したハットンとウェルズは、チャック・ネグロンを仲間に引き入れてセッションを開始する。ネグロンは1960年代前半に「チャック・ロンデル」の名でシングルをリリースしており、ハットンのシングル・レコードでバッキング・ヴォーカルを務めたこともあった。
この3人のヴォーカリストは1967年に新たなグループを結成し、ブライアン・ウィルソン(ビーチ・ボーイズ)によって「レッドウッド」と名付けられた。
レッドウッドはビーチ・ボーイズのレーベル「ブラザー・レコード」との契約を目指し、ビーチ・ボーイズがアルバム「ワイルド・ハニー」を制作している間にブライアン・ウィルソンのプロデュースで「タイム・トゥ・ゲット・アローン」「ダーリン」のレコーディングを行った。
しかしビーチ・ボーイズのメンバーは、ウィルソンがビーチ・ボーイズの活動に優先的に力を注ぐことを望み、他のバンドをプロデュースすることに反対していたため、この2曲はお蔵入りすることになる。この2曲はのちにビーチ・ボーイズもレコーディングし、アルバム「ワイルド・ハニー」「20/20」に収録している。
ブラザー・レコードとの契約が白紙に戻されたレッドウッドの3人は新たにバンドを編成することを考え、以前から交流のあったロン・モーガン(guitar)、フロイド・スニード(drums)、元コリー・ウェルズ・ブルース・バンドのジョー・シェルミー(bass)、ジミー・グリーンスプーン(keyboard)の4人を集め、バンド名を「スリー・ドッグ・ナイト」に変更した。
「スリー・ドッグ・ナイト」というやや風変わりなバンド名は、オーストラリアの先住民であるアボリジニが寒い夜には2匹の、凍えるような夜には3匹のディンゴ(野生の犬の在来種)と一緒に寝るという習慣にちなんだものである。ハットンのガールフレンドで女優のジューン・フェアチャイルドが、アボリジニについて書かれた雑誌の記事を読んで提案した名前だとされているが、ミュージシャンのヴァン・ダイク・パークスはこの話を否定し、名付けたのは自分だと主張している。
ファースト・アルバムを制作する前にモーガンがバンドは脱退し、その後「エレクトリック・プルーンズ」に加入する。そしてモーガンの後任ギタリストとして採用され、その後長きに渡ってバンドを支えたのがマイケル・オールサップであった。
1968年5月、スリー・ドッグ・ナイトはハリウッドの「ウィスキー・ア・ゴー・ゴー」でデビューのステージを踏む。このライヴに対する聴衆の反応は好意的だったが、その中にはダンヒル・レコードのスタッフもいた。感銘を受けたダンヒル側から声をかけられたスリー・ドッグ・ナイトは、これをきっかけにダンヒルとの契約を得たのである。
<デビュー~1976>
1968年10月、スリー・ドッグ・ナイトはダンヒル・レコードからデビュー・アルバム「ワン」を、翌11月にはデビュー・シングル「ノーバディ」をリリース。
「ノーバディ」のチャート・アクションは今ひとつであったが、アルバム「ワン」は1969年1月にチャート・インを果たす。1969年初頭にリリースしたセカンド・シングル「トライ・ア・リトル・テンダーネス」はオーティス・レディング版を彷彿とさせる熱気のこもった演奏と歌でスマッシュ・ヒットする。そして1969年4月にリリースした3枚目のシングル「ワン」がビルボード5位まで上昇するヒットを記録してバンドはついにブレイク。「ワン」は最終的にアルバム・チャート最高11位を記録してRIAAのゴールド・ディスクに認定された。
1969年8月には早くもセカンド・アルバム「融合」を発表。このアルバムには「シカゴ」のホーン・セクションがゲストで参加していることでも話題となり、発売後2週間でRIAAからゴールド・アルバムに認定された。こうしてスリー・ドッグ・ナイトは当時のロック界でもっとも注目される存在となったのである。
1970年には「ママ・トールド・ミー」(バンド初のミリオン・セラー)、1971年には「喜びの世界」がシングル・チャート1位となり、バンドは押しも押されぬ人気バンドにのし上がった。
人気絶頂にあった1972年、初の来日公演を行う。以後1973年、1975年、1993年にも来日している。
スリー・ドッグ・ナイトはアメリカン・タレント・インターナショナル(ATI)とブッキング・エージェント契約を交わしていたが、1972年10月に改めてウィリアム・モリス・エージェンシーとエージェント契約を結んだ。しかしATIは依然としてスリー・ドッグ・ナイトが自社に所属していると宣伝し続けて、さらにはブッキングの前金を受け取ったりしていたため、スリー・ドッグ・ナイトは1973年にATIに対して600万ドルの訴訟を起こした。
1973年初頭には、シェルミーが「明らかに解決不可能な問題が起きた」として脱退し、後任としてジャック・ライランドが加入した。
1973年後半、元ブルース・イメージのスキップ・コンテが2人目のキーボード奏者として加入、バンドは8人編成となる。
1974年後半になるとオールサップとスニードが脱退し、後任としてジェームズ・スミティ・スミス(guitar)とミッキー・マクミール(drums)が加入。オールサップとスニードは、ボビー・キンボール(vocal のちTOTO)と、先に脱退していたシェルミーとともに新たなバンド「SSフールズ」を結成した。
1975年、スミスはアル・シナー(元ルーファス&ザ・アメリカン・ブリード)に、ライランドはデニス・ベルフィールド(元ルーファス)に交代する。
1973年に発表した「サイアン」以降、バンドの人気は絶頂期を過ぎた感があった。
とくにそれが顕著になったのは、1975年5月に9枚目のスタジオ・アルバムとして「カミング・ダウン・ユア・ウェイ」をリリースしてからである。このアルバムのセールスは、高まるディスコ・ミュージック人気のあおりを受けて低迷。このためバンドは「Til the World Ends」をアルバムからの唯一のシングルとしてリリースして梃入れを図る。この曲はなんとかチャート最高32位を記録したが、これがバンド最後のビルボードトップ40ヒットとなった。
続くアルバム「アメリカ回顧録」もチャート最高123位と不振を極め、凋落に歯止めはかけられなかった。
この1975年以降はメンバー・チェンジもひんぱんに行われた。
まずはヴォーカルの一角、ダニー・ハットンの離脱である。
1973年後半以降、ハットンはドラッグとアルコールへの依存が深刻となり、レコーディング・セッションを欠席することも多くなっていたため、1975年後半にはバンドから解雇された。後任として加入したのはジェイ・グルスカである。
1975年7月、チャック・ネグロンがコカイン不法所持の容疑で逮捕される。すぐに1万ドルの保釈金で釈放され、その後告訴は取り下げられたものの、この件がきっかけとなってバンド内の人間関係が悪化する。
1976年前半、コンテが脱退し、後任として元ルーファスのロン・ストッカートが採用された。
1976年7月26日、バンドはロサンゼルスのグリーク劇場で公演を行い、これを最後に一旦解散した。
スリー・ドッグ・ナイトの特長といえば、やはり強力なヴォーカリスト陣であろう。
渋めでポップなロック・シンガーのハットン、ソウルフルで野性味あふれるウェルズ、艶やかなテナー・ヴォイスで黒人音楽に傾倒しているネグロン、と三者三様の持ち味を発揮した。
スリー・ドッグ・ナイトの音楽性のベースは、黒人音楽に対するリスペクトと、匂いたつようなブラック・フィーリングにある。しかしR&Bチャートにランクされたのは、意外なことに「喜びの世界」のみであり、それも最高46位にすぎない。しかしアダルト・コンテンポラリー・チャートには9曲ランク・インしている。彼らはアコースティックなサウンド、ファンキー・ミュージック、土臭いアメリカン・ロック、アダルト・コンテンポラリーなど、多彩な音楽性を内包しており、キャリアを積むにしたがってスマートに洗練されていった。そして幅広い世代に受け入れられる良質の音楽を生み出し続けたのである。
またバンドのレパートリーの多くが外部のソングライターによって書かれたものである。そしてそのソングライターのほとんどは、曲が取り上げられた時点では無名であった。
スリー・ドッグ・ナイトのレコーディング候補曲はヴォーカルの3人(ハットン、ウェルズ、ネグロン)が持ち寄り、多数決で決めていた。そして選曲した者がリード・ヴォーカルを務めるというやり方だった。これは彼らの音楽性の幅広さと、先入観にとらわれない確かな選曲眼を持っていたことの証明だと言ってよいだろう。
またスリー・ドッグ・ナイトが取り上げたことで注目されるようになり、のちにソロ・アーティストとして成功した者は、レオ・セイヤー(「ショウ・マスト・ゴー・オン)」、ハリー・ニルソン(「ワン」)、ランディ・ニューマン(「ママ・トールド・ミー」)、ローラ・ニーロ(「イーライズ・カミング」)、ポール・ウィリアムス(「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング」「アウト・イン・ザ・カントリー」「ファミリー・オブ・マン」)、ラス・バラード(「ライアー」)、ホイト・アクストン(「喜びの世界」)などがいる。またシングル・カットはされなかったが、無名時代のエルトン・ジョンの曲(「レディ・サマンサ」「ユア・ソング」)もいち早く取り上げている。
<1981~現在>
1981年、ダニー・ハットン(vovcal)、コリー・ウェルズ(vocal)、チャック・ネグロン(vocal)、マイケル・オールサップ(guitar)、ジミー・グリーンスプーン(keyboard)、マイク・セイフリット(bass)、フロイド・スニード(drums)の7人編成で再結成。ジョー・シェルミー(bass)を除く6人のオリジナル・メンバーが結集した。
1982年にセイフリットがリック・スプリングフィールドのバック・バンドに加わるため脱退し、後任としてリチャード・グロスマンが参加。このメンバーでスカ風のアルバム「It's a Jungle」を制作し、1983年にパスポート・レコードからリリースした。
1982年から84年にかけては、ポール・キングリーとスティーヴ・エッツォのふたりのギタリストが、オールサップが出演できない時の代役を務めた。エッツォは、1984年後半に家庭の事情で脱退したオールサップの後任を務めている。
1984年にはフロイド・スニードが解雇されたほか、同年後半には病気で休養するグリーンスプーンの代役としてデヴィッド・ブルーフィールドが加入する。
1985年、ブルーフィールドの代わりのキーボード奏者として、元ポコのリック・セラッテ(のちホワイトスネイクなどに参加)が加入し、バンドはヴォーカルの3人とスティーヴ・エッツォ(guitar)、リック・セラッテ(keyboard)、スコット・マンゾ(bass)、マイク・キーリー(drums)によるラインナップでツアーを行った。ツアー後セラッテは脱退し、グリーンスプーンが復帰。この年12月には、薬物依存が再発したチャック・ネグロンが解雇された。これ以降のスリー・ドッグ・ナイトはハットンとウェルズのツイン・リード・ヴォーカル編成となり、ポール・キングリー(guitar, vocal)が復帰してネグロンが担当していたハーモニー・パートをカバーした。
1988年にはギタリストがキングリーからT.J. パーカーへ、ベーシストがスコット・マンゾからゲイリー・ムーンへ代わる。1989年にはギタリストがパーカーからマイク・クネオに、ベーシストが満ぞからリチャード・キャンベルに代わる。
1991年春、クネオに代わるギタリストとして、マイケル・オールサップが復帰。
1993年、キーリーの後任ドラマーとしてパット・バウツが加入。
1996年、キャンベルが脱退すると、キングリーがベーシストとしてバンドに復帰する。この年11月13日、スリー・ドッグ・ナイト2代目ベーシストのジャック・ライランドが45歳で死去。46歳の誕生日の2日前だった。
2002年3月26日、オリジナル・メンバーで初代ベーシストのジョー・シェルミーが死去。
2002年5月、アルバム「Three Dog Night with The London Symphony Orchestra」をリリース。これはロサンゼルスとロンドンのアビーロード・スタジオで、ロンドン交響楽団とともにスリー・ドッグ・ナイトのかつてのヒット曲を再録音したもので、2つの新曲「Overground」と「Sault Ste. Marie」も含まれている。
また、2000年の交響楽団の演奏を収録したDVD「Three Dog Night Live With the Tennessee Symphony Orchestra」も2002年5月にリリースされている。
2004年夏、1985年から88年にかけて在籍したベーシスト、スコット・マンゾがポール・キングリーの代役として短期間復帰した。
2004年10月、アルバム「The 35th Anniversary Hits Collection Featuring The London Symphony Orchestra」がリリースされる。このアルバムには「イーライズ・カミング」、「ブリックヤード・ブルース」、「トライ・ア・リトル・テンダーネス」、「ファミリー・オブ・マン」のライヴ・バージョンが収録されている。
2008年8月には、1972年と1973年にドイツのフランクフルトとロンドンのエドモントンで行われたコンサートの未発表ライヴ録音を収録した「Three Dog Night Greatest Hits Live」を発表した。
2009年10月24日、「Heart of Blues」、「Prayer of the Children」、「Two Lights In The Nighttime」の3曲をリリース。
2012年夏、ギタリストのオールサップが腸の病気で入院したため、キングリーはベースからギターに戻り、ダニーの息子ティモシー・ハットンがベーシストとして加入。
2014年夏、ジミー・グリーンスプーンが病気療養にはいり、代役としてエディ・リーゾナーが参加したが、グリーンスプーンは2015年3月11日にガンのため67歳で死去した。リーゾナーがそのまま後任を務めた。
2015年10月21日、コリー・ウェルズが74歳で死去。
2015年11月、元アソシエーションのデイビッド・モーガン(vocal)が加入。
2017年4月、エディ・リーゾナーに代わるキーボード奏者として、元フランキー・ヴァリ&フォー・シーズンズのハワード・ララヴェアが加入。
2021年8月、スリー・ドッグ・ナイトは久しぶりにツアーに戻る。この時にマイケル・オールサップはツアーに参加しなかった。オールサップは現在もスリー・ドッグ・ナイトのメンバーだが、ツアーからは引退している。
ダニー・ハットンによると、スリー・ドッグ・ナイトは2021年に新作の制作に取りかかったという。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
<アルバム>
1968年 ワン/Three Dog Night ※旧邦題「トライ・ア・リトル・テンダーネス スリー・ドッグ・ナイト登場」(US11位)
1969年 融合/Suitable for Framing ※旧邦題「話題の新星 スリー・ドッグ・ナイト・セカンド」(US16位)
☆1969年 白熱のライヴ/Captured Live at the Forum(US6位)
1970年 イット・エイント・イージー/It Ain't Easy(US8位)
1970年 ナチュラリー/Naturally(US14位)
★1971年 ゴールデン・ビスケッツ〜スリー・ドッグ・ナイト・アーリー・ヒッツ/Golden Biscuits(US5位)
1971年 ハーモニー/Harmony(US8位)
1972年 セブン・セパレート・フールズ/Seven Separate Fools(US6位)
☆1973年 アラウンド・ザ・ワールド/Around the World with Three Dog Night(US18位)
1973年 サイアン/Cyan(US26位)
1974年 ハード・レイバー/Hard Labor(US20位)
★1974年 喜びの世界/Joy to the World : Their Greatest Hits(US15位)
1975年 カミング・ダウン・ユア・ウェイ/Coming Down Your Way(US70位)
1976年 アメリカ回顧録/American Pastime(US123位)
★1982年 The Best of 3 Dog Night
1983年 It's a Jungle(US210位)
☆1988年 Three Dog Night : Live
★1993年 セレブレイト〜スリー・ドッグ・ナイト・ストーリー1965-1975/Celebrate : The Three Dog Night Story, 1965-1975
★1999年 20th Century Masters - The Millennium Collection : The Best of Three Dog Night(US109位)
2002年 Three Dog Night with the London Symphony Orchestra
★2002年 ジョイ・トゥ・ザ・ワールド〜ベスト・オブ・スリー・ドッグ・ナイト/Joy to the World - The Best of Three Dog Night
★2004年 The Complete Hit Singles(US178位)
★2004年 35th Anniversary Hits Collection
☆2007年 Super Hits Live
☆2008年 Three Dog Night: Greatest Hits Live
<シングル>(★=リード・シンガー)
1968年 ノーバディ/Nobody(US116位)★ウェルズ
1969年 トライ・ア・リトル・テンダーネス/Try a Little Tenderness(US29位)★ウェルズ
1969年 ワン/One(US5位)★ネグロン
1969年 イージー・トゥ・ビー・ハード/Easy to Be Hard(US4位)★ネグロン
1969年 イーライズ・カミング/Eli's Coming(US10位)★ウェルズ
1970年 セレブレイト/Celebrate(US15位)★ハットン, ネグロン, ウェルズ
1970年 ママ・トールド・ミー/Mama Told Me Not to Come(US1位 UK3位)★ウェルズ
1970年 アウト・イン・ザ・カントリー/Out in the Country(US15位)★ハットン, ネグロン, ウェルズ
1970年 ワン・マン・バンド/One Man Band(US19位)★ハットン, ネグロン
1971年 喜びの世界/Joy to the World(US1位 UK24位)★ネグロン
1971年 ライアー/Liar(US7位)★ハットン
1971年 オールド・ファッションド・ラヴ・ソング/An Old Fashioned Love Song(US4位)★ネグロン
1971年 ネヴァー・ビーン・トゥ・スペイン/Never Been to Spain(US5位)★ウェルズ
1972年 ファミリー・オブ・マン/The Family of Man(US12位)★ハットン, ネグロン, ウェルズ
1972年 ブラック・アンド・ホワイト/Black and White(US1位)★ハットン
1972年 ピース・オブ・エイプリル/Pieces of April(US19位)★ネグロン
1973年 シャンバラ/Shambala(US3位)★ウェルズ
1973年 レット・ミー・セレナーデ・ユー/Let Me Serenade You(US17位)★ウェルズ
1974年 ショウ・マスト・ゴー・オン/The Show Must Go On(US4位)★ネグロン
1974年 シュア・アズ・アイム・シッティング・ヒア/Sure As I'm Sittin' Here(US16位)★ウェルズ
1974年 ブリックヤード・ブルース/Play Something Sweet (Brickyard Blues)(US33位)★ウェルズ
1975年 Til the World Ends(US32位)★ネグロン
1976年 Everybody Is a Masterpiece
1983年 It's a Jungle Out There
2009年 Heart of Blues
【メンバー変遷】
#1 1968
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
チャック・ネグロン(vocal)
ロン・モーガン(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
ジョー・シェルミー(bass)
フロイド・スニード(drums)
#2 1968~1973
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
チャック・ネグロン(vocal)
マイケル・オールサップ(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
ジョー・シェルミー(bass)
フロイド・スニード(drums)
#3 1973
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
チャック・ネグロン(vocal)
マイケル・オールサップ(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
ジャック・ライランド(bass)
フロイド・スニード(drums)
#4 1973~1974
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
チャック・ネグロン(vocal)
マイケル・オールサップ(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
スキップ・コンテ(keyboard)
ジャック・ライランド(bass)
フロイド・スニード(drums)
#5 1974~1975
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
チャック・ネグロン(vocal)
ジェームス・"スミティ"・スミス(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
スキップ・コンテ(keyboard)
ジャック・ライランド(bass)
ミッキー・マクミール(drums)
#6 1975
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
チャック・ネグロン(vocal)
アル・シナー(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
スキップ・コンテ(keyboard)
デニス・ベルフィールド(bass)
ミッキー・マクミール(drums)
#7 1976
コリー・ウェルズ(vocal)
チャック・ネグロン(vocal)
ジェイ・グルスカ(vocal)
アル・シナー(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
スキップ・コンテ(keyboard)
デニス・ベルフィールド(bass)
ミッキー・マクミール(drums)
#8 1976
コリー・ウェルズ(vocal)
チャック・ネグロン(vocal)
ジェイ・グルスカ(vocal)
アル・シナー(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
ロン・ストッカート(keyboard)
デニス・ベルフィールド(bass)
ミッキー・マクミール(drums)
#9 1981~1982
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
チャック・ネグロン(vocal)
マイケル・オールサップ(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
マイク・セイフリット(bass)
フロイド・スニード(drums)
#10 1982~1984
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
チャック・ネグロン(vocal)
マイケル・オールサップ(guitar)
※ポール・キングリー(guitar:オールサップの代役として 1982~83)
※スティーヴ・エッツォ(guitar:オールサップの代役として 1983~84)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
リチャード・グロスマン(bass)
フロイド・スニード(drums)
#11 1985
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
チャック・ネグロン(vocal)
スティーヴ・エッツォ(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
リック・セラッテ(keyboard)
スコット・マンゾ(bass)
マイク・キーリー(drums)
#12 1985~1988
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
ポール・キングリー(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
スコット・マンゾ(bass)
マイク・キーリー(drums)
#13 1988~1989
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
T. J. パーカー(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
ゲイリー・ムーン(bass)
マイク・キーリー(drums)
#14 1989~1991
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
マイク・クネオ(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
リチャード・キャンベル(bass, vocal)
マイク・キーリー(drums)
#15 1991~1993
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
マイケル・オールサップ(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
リチャード・キャンベル(bass, vocal)
マイク・キーリー(drums)
#16 1993~1996
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
マイケル・オールサップ(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
リチャード・キャンベル(bass, vocal)
パット・バウツ(drums, vocal)
#17 1996~2015
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
マイケル・オールサップ(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
ポール・キングリー(bass, vocal)
パット・バウツ(drums, vocal)
#18 2015~2017
ダニー・ハットン(vocal)
デヴィッド・モーガン(vocal)
マイケル・オールサップ(guitar)
エディー・リーゾナー(keyboard)
ポール・キングリー(bass, vocal)
パット・バウツ(drums, vocal)
#19 2017~2021
ダニー・ハットン(vocal)
デヴィッド・モーガン(vocal)
マイケル・オールサップ(guitar)
ハワード・ララヴェア(keyboard)
ポール・キングリー(bass, vocal)
パット・バウツ(drums, vocal)
#20 2021~
ダニー・ハットン(vocal)
デヴィッド・モーガン(vocal)
ポール・キングリー(guitar, vocal)
ハワード・ララヴェア(keyboard)
ティモシー・ハットン(bass, vocal)
パット・バウツ(drums, vocal)
エマーソン・レイク&パウエル Emerson Lake & Powell
【活動期間】
1985年~1986年
【メンバー】
キース・エマーソン/Keith Emerson(Keyboards)
グレッグ・レイク/Lake(bass, guitars, vocals)
コージー・パウエル/Powell(drums, percussions)
【バンドの歴史】
1970年代に世界的な人気バンドとして活躍したエマーソン・レイク&パーマー(EL&P)は、1979年に活動を停止し、1980年2月に解散した。
解散後、キース・エマーソンとグレッグ・レイクはソロ活動を開始。カール・パーマーは自己のバンド「PM」を結成してアルバムを1枚発表したのち、「エイジア」の結成に参加する。
1984年、エマーソンのソロ・プロジェクトに対して、セールス面を考慮したレーベル側がEL&Pの再結成を提案した。これを受けてエマーソンとレイクはEL&P再結成について話し合うようになり、レイクは再結成に同意する。しかし、当時のパーマーはエイジアでの成功を手にしており、エイジアとしての活動に集中したいという意思が固く、エイジアに対する契約上の義務もあって、EL&Pの再結成は実現しなかった。
このため同じく「P」の頭文字を持つサイモン・フィリップスに声をかけたが、フィリップスも多くのセッションを抱えていたため、加入には至らなかった。ほかにもイアン・ペイスにオファーを送ったが、ペイスはディープ・パープルの再結成に参加した直後であり、それには応えられなかった。最終的に正式に加入したのは、1970年代からエマーソンと親しく交流していたコージー・パウエルであった。
こうして1985年に「エマーソン・レイク&パウエル」の布陣が整い、同年終盤にはアルバムの制作を開始するのである。
エマーソンはこのバンドを「EL&Pの再結成」と公言していたが、パーマーはそれには同意せず、エマーソン・レイク&パーマー以外のバンドが「ELP」または「EL&P」という省略名とELPのロゴを使用することの禁止を求める訴訟を起こした。裁判はパーマーが勝訴し、新たなバンドは「エマーソン・レイク&パウエル」と名乗ることが認められた。しかし同時に、エマーソン・レイク&パウエルのことを「ELP」または「EL&P」と呼ぶことはできなくなった。ただし、エマーソン・レイク&パウエルは、ライヴではエマーソン・レイク&パーマーの作品も演奏している。
1986年7月、ファースト・アルバム「エマーソン・レイク&パウエル」がリリースされ、ビルボード最高23位のスマッシュ・ヒットを記録した。
同年8月15日から11月2日まではアメリカ・ツアーを行ったが、ツアーに対しては賛否両論が起こり、バンドはマネージメントを解雇した。ツアーを終えたのちにパウエルが脱退したため、エマーソン・レイク&パウエルは解散した。
その後パーマーがエイジアから脱退したことにより、は再び「エマーソン・レイク&パーマー」の再結成の計画が持ち上がったが、間もなくレイクが離脱したため、エマーソンとパーマーはロバート・ベリー(bass, guitar)を加えて「3(スリー)」を結成する。
パウエルは1988年にブラック・サバスに加入。
オリジナル・メンバーによるエマーソン・レイク&パーマー再結成は、1991年まで時を待つことになる。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
<アルバム>
1986年 エマーソン・レイク&パウエル/Emerson Lake & Powell
★2003年 ザ・スプロケット・セッションズ/The Sprocket Sessions
☆2010年 ライヴ・イン・コンサート/Live in Concert
★2012年 Live in Concert & More ※2CD combining「The Sprocket Sessions」&「Live in Concert」
★2024年 The Complete Collection ※3CD combining「Emerson Lake & Powell」,「The Sprocket Sessions」&「Live in Concert」
<シングル>
1986年 Touch and Go(US60位)
1986年 Lay Down Your Guns
【メンバー変遷】
#1 1985~1986
キース・エマーソン(Keyboards) ex. Emerson Lake & Palmer →3
グレッグ・レイク(bass, guitars, vocals) ex. Asia →Emerson Lake & Palmer
コージー・パウエル(drums, percussions) ex. Whitesnake →Black Sabbath
ナチュラル・ガス Natural Gas
【活動期間】
1975年~1976年
【メンバー】
ジョーイ・モランド/Joey Molland(guitar, vocals)
レス・ニコル/Les Nichol(guitar, vocals)
ピーター・ウッド/Peter Wood(Keyboards)
マーク・クラーク/Mark Clarke(bass, vocals)
ジェリー・シャーリー/Jerry Shirley(drums)
【バンドの歴史】
1974年末にバッドフィンガーを離脱したジョーイ・モランド(guitar, vocals)、1975年に解散したハンブル・パイのジェリー・シャーリー(drums)、1974年に解散したテンペストのマーク・クラーク(bass)、元サザーランド・ブラザーズ&クイーヴァーで,、アル・スチュワートのサポートも務めていたピーター・ウッド(keyboard)の4人が、新たにバンドを結成するべく1975年に集結。シャーリーの発案でバンド名を「ナチュラル・ガス」とし、活動を開始する。
モランドが在籍していたバッドフィンガーがアップル・レコードに所属していたことから、結成当初はアップルのスタッフだったマル・エヴァンスがプロデュースを担当していたが、ナチュラル・ガスがプライヴェート・ストックと契約すると、レーベルの意向によってフェリックス・パパラルディがプロデューサーに迎えられた。
新たなスーパー・グループの誕生として話題となったナチュラル・ガスは、こうして1976年にファースト・アルバム「ナチュラル・ガス」を発表する。申し分のないキャリアを持つ4人が制作したこの作品は、メロディーを大事にした良質のハード・ポップ・アルバムだったが、期待に反してセールスは振るわなかった。
アルバム発表後、ハンブル・パイ時代にシャーリーとバンドメイトだったピーター・フランプトンの全米ツアーにフロント・アクトとして参加。フランプトンは当時日の出の勢いだったこともあり、ツアーは成功裡に終わったが、その後ポップ志向のモランドとハードなサウンドを志向する他の3人の間に音楽的な見解の相違が生じたことに加え、バンドはロサンゼルスに戻りたいモランドとニューヨークに残りたい他の3人に分かれてしまい、モランドは脱退する。1976年末に後任としてレス・ニコルが加入したが、バンドは間もなく解散した。
解散後、モランドは1979年にトム・エヴァンスとともに「バッドフィンガー」名義でアルバム「エアウェイヴス」を発表。
クラークは1977年5月に「レインボー」へ加入。
シャーリーは、ウッド、ニコルとともに結成した「マグネット」を経てハンブル・パイの再結成に参加。
ウッドは「マグネット」を経てジェス・ローデンと「リヴィッツ」を結成した。なおウッドがアル・スチュワートと共作した「イヤー・オブ・ザ・キャット」は、1976年に全米8位の大ヒットを記録している。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム)
1976年 ナチュラル・ガス/Natural Gas
☆2018年 Live from the Vault ※録音1976年8月17日
【メンバー変遷】
#1 1975~1976
ジョーイ・モランド(guitar, vocals) ex. Badfinger →Badfinger
ピーター・ウッド(Keyboards) ex. Southerland Brothers & Quiver
マーク・クラーク(bass, vocals) ex. Tempest
ジェリー・シャーリー(drums) ex. Humble Pie
#2 1976
レス・ニコル(guitar, vocals) ex. Leo Sayer →Magnet
ピーター・ウッド(Keyboards) →Magnet
マーク・クラーク(bass, vocals)→Rainbow
ジェリー・シャーリー(drums)→Magnet
ストレンジ・ブリュー Strange Brew
【活動期間】
1975年
【メンバー】
クレム・クレムソン/Clem Clempson(guitar,vocals)
グレッグ・リドリー/Greg Ridley(bass, vocals)
コージー・パウエル/Cozy Powell(drums)
【バンドの歴史】
1975年春のハンブル・パイ解散後に、クレム・クレムソンとグレッグ・リドリーがコージー・パウエルを誘って結成した新たなバンドが、ストレンジ・ブリューである。
クレムソンは1960年代後半に「ベイカールー」を率いていたが、パウエルは1969年秋のごく短期間、その「ベイカールー」のメンバーだったことがある。
3人とも「クリーム」をリスペクトしていたところから、バンドはその影響を受けたギター・トリオを目指していた。
バンド名はクリームのレパートリーから付けられた。これはクレムソンとリドリーが1975年6月に受けた取材中(パウエルはカー・レースに参加するため欠席していた)に考えたものである。
ところがリハーサルが始まった矢先、クレムソンが手首に大けがを負ってしまった。このためバンドは活動の停止を余儀なくされ、そのまま解散することになったのである。
解散後、パウエルは1975年にリッチー・ブラックモア率いるレインボーのオーディションを受けて採用され、その後第2期レインボーを支えた。
クレムソンはそのブラックモアの後任を探していたディープ・パープルのオーディションを受けたが採用されず、同年7月にスティーヴ・マリオット・オール・スターズに加入。
リドリーも1975年8月にスティーヴ・マリオット・オール・スターズに参加し、再びクレムソンとバンド・メイトになった。
【ディスコグラフィ】
レコード制作なし
【メンバー変遷】
#1 1975
クレム・クレムソン(guitar, vocal)ex.ハンブル・パイ →スティーヴ・マリオット・オール・スターズ
グレッグ・リドリー(bass, vocal)ex.ハンブル・パイ →スティーヴ・マリオット・オール・スターズ
コージー・パウエル(drums)ex.コージー・パウエルズ・ハマー →レインボー
ショットガン・エクスプレス Shotgun Express
【活動期間】
1966年~1967年
【メンバー】
ロッド・スチュワート/Rod Stewart(vocal)
ベリル・マースデン/Beryl Marsden(vocal)
ピーター・グリーン/Peter Green(guitar)
ジョン・ムーアズヘッド/John Moorshead(guitar)
フィル・ソーヤー/Phil Sawyer(guitar)
ピーター・バーデンス/Peter Bardens(Keyboards)
デイヴ・アンブローズ/Dave Ambrose(bass)
ミック・フリートウッド/Mick Fleetwood(drums)
【バンドの歴史】
「ショットガン・エクスプレス」は、1966年5月にロンドンで結成されたR&Bバンドで、ピーター・バーデンスが結成したインストゥルメンタル・R&Bバンド「ピーター・B's」が母体である。短命に終わったが、後年有名になるロック・ミュージシャンが数多く在籍していたことで知られている。
ピーター・バーデンス率いる「ピーター・B's」の1966年4月時点のメンバーは、ピーター・バーデンス(keyboard)、ピーター・グリーン(guitar)、デイヴ・アンブローズ(bass)、ミック・フリートウッド(drums)であった。
ヴォーカリストを加えて可能性を追求を試みることにしたピーター・B'sは、スティームパケットを脱退して間もないロッド・スチュワートと、リヴァプールのクラブなどで活躍していたベリル・マースデンのふたりのヴォーカリストを迎えた。6人編成となったバンドは、再出発へ向けて「ショットガン・エクスプレス」と改名した。
ショットガン・エクスプレスはリズム&ブルースを音楽の基盤とし、ロンドンのクラブなどで演奏していたが、グリーンがジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズに加わるため1966年7月に脱退する。後任として加入したのは元ザ・パイレーツのジョン・ムーアズヘッドである。
同年10月にはコロムビアからデビュー・シングル「I Could Feel The Whole World Turn Around」をリリースしたが、成功は得られなかった。
同年12月、ムーアズヘッドが脱退し、後任としてフィル・ソーヤーが加入。
スチュワートが1967年2月に脱退してジェフ・ベック・グループに参加すると、その後間もなくしてショットガン・エクスプレスは解散した。
解散後、フリートウッドはジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズに加入してグリーンと再会する。
バーデンスは「ラヴ・アフェア」に、アンブローズはごく短期間「ジェフ・ベック・グループ」に参加したのち「ブライアン・オーガー&ザ・トリニティ」に、ソーヤーは「スペンサー・デイヴィス・グループ」に、マースデンは「ザ・シー・トリニティ」にそれぞれ加入している。
なお、バーデンスは1971年に「キャメル」を、フリートウッドとグリーンは1967年に「フリートウッド・マック」を結成している。またアンブローズはのちEMIレコードのA&R部門に在籍して辣腕をふるい、セックス・ピストルズやデュラン・デュラン、ケイト・ブッシュ、ペット・ショップ・ボーイズなどを発掘、契約を交わしている。
左から ロッド・スチュワート、ベリル・マースデン、ピーター・バーデンス
【ディスコグラフィ】
<シングル>
1966年 I Could Feel The Whole World Turn Around
1967年 Funny 'Cos Neither Could I
【メンバー変遷】
#1 1966.5~1966.7
ロッド・スチュワート/Rod Stewart(vocal)ex. Steampacket
ベリル・マースデン/Beryl Marsden(vocal)
ピーター・グリーン/Peter Green(guitar)ex. The Peter B's →John Mayall & the Bluesbreakers
ピーター・バーデンス/Peter Bardens(Keyboards)ex. The Peter B's
デイヴ・アンブローズ/Dave Ambrose(bass)ex. The Peter B's
ミック・フリートウッド/Mick Fleetwood(drums)ex. The Peter B's
#2 1966.7~1966.12
ロッド・スチュワート/Rod Stewart(vocal)
ベリル・マースデン/Beryl Marsden(vocal)
ジョン・ムーアズヘッド/John Moorshead(guitar)ex. The Pirates →Julie Covey & The Machine
ピーター・バーデンス/Peter Bardens(Keyboards)
デイヴ・アンブローズ/Dave Ambrose(bass)
ミック・フリートウッド/Mick Fleetwood(drums)
#3 1966.12~1967.2
ロッド・スチュワート/Rod Stewart(vocal)→Jeff Beck Group
ベリル・マースデン/Beryl Marsden(vocal)→The She Trinity
フィル・ソーヤー/Phil Sawyer(guitar)ex. Fleur De Lys →Spencer Davis Group
ピーター・バーデンス/Peter Bardens(Keyboards)→Love Affair
デイヴ・アンブローズ/Dave Ambrose(bass)→Jeff Beck Group
ミック・フリートウッド/Mick Fleetwood(drums)→John Mayall & the Bluesbreakers
スティームパケット Steampacket
【活動期間】
1965年~1966年
【メンバー】
ロング・ジョン・ボルドリー/Long John Baldry(vocal)
ロッド・スチュワート/Rod Stewart(vocal)
ジュリー・ドリスコール/Julie Driscoll(vocal)
ヴィック・ブリッグス/Vic Briggs(guitar)
ブライアン・オーガー/Brian Auger(keyboard, vocal)
リッキー・フェンソン/Ricky Fenson(bass)
ミッキー・ウォーラー/Micky Waller(drums)
【バンドの歴史】
ロング・ジョン・ボルドリーは、1963年に「シリル・デイヴィス R&B オール・スターズ」に参加したが、1964年1月にシリル・デイヴィスが死去したためその後を引き継ぎ、バンド名を「フーチー・クーチー・メン」として活動を続けていた。
フーチー・クーチー・メン解散後の1965年7月、ボルドリーはロンドンにおいてロッド・スチュワート、ジュリー・ドリスコール、ブライアン・オーガー、ヴィック・ブリッグス、リッキー・フェンソン(のち「リック・ブラウン」と名乗る)、ミッキー・ウォーラーの計7人で新たなバンドを結成し、バンド名を「スティームパケット」とした。
スチュワート、ドリスコールは、フーチー・クーチー・メンでボルドリーのバンド・メイトだった。ブライアン・オーガーは自身のバンド「トリニティー」を率いており、ウォーラーはそのメンバーであった。ブリッグスはダスティ・スプリングフィールドのバックを務めていた「エコーズ」のメンバーで、友人であるオーガーの要請でスティームパケットに参加。またフェンソンは、ビル・ワイマンが加わる前の、最初期のローリング・ストーンズのベーシストである。
スティームパケットはリズム&ブルースを基盤にしたバンドで、ジョルジオ・ゴメルスキーのマネージメントによって全国のさまざまなクラブや劇場などで演奏し、モッズらから支持されるようになった。1965年にはローリング・ストーンズのイギリス・ツアーのサポートを務めている。
実力的には申し分のないバンドだったが、メンバーがそれぞれに交わしていた契約が障壁となって、正式なアルバムを制作することはできなかったが、マーキー・クラブでのリハーサルを録音した音源が1970年に「First of the Supergroups:Steampacket Featuring Rod Stewart」のタイトルでリリースされている。
1966年初頭にスチュワートが脱退すると、その数ヵ月後にはボルドリーも脱退し、その後間もなく1966年5月にスティームパケットは解散した。
解散後のボルドリーは、当時無名のエルトン・ジョンが在籍していた「ブルーソロジー」に加入。
オーガーは「トリニティー」を再結成し、ドリスコール、ブリッグス、フェンソン、ウォーラーはオーガーと行動をともにする。
スチュワートは「ショットガン・エクスプレス」を経て「ジェフ・ベック・グループ」に加入するが、ここでウォーラーと再会している。
左から ロッド・スチュワート、ロング・ジョン・ボルドリー、ジュリー・ドリスコール、ブライアン・オーガー
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
<アルバム>
1970年 ファースト・スーパー・グループ/Rock Generation Volume 6 - The Steampacket (Or The First "Supergroup")
1990年 The Steampacket Featuring Long John Baldry, Rod Stewart, Brian Auger & Julie Driscoll ※録音1965年
【メンバー変遷】
#1 1965~1966
ロング・ジョン・ボルドリー(vocal)ex. Hoochie Coochie Men
ロッド・スチュワート(vocal)ex. Hoochie Coochie Men →Shotgun Express
ジュリー・ドリスコール(vocal)ex. Hoochie Coochie Men
ヴィック・ブリッグス(guitar)ex. The Echoes
ブライアン・オーガー(keyboard, vocal)ex. Trinity
リッキー・フェンソン(bass)ex. Cyril Davies & the R&B All-Stars
ミッキー・ウォーラー(drums)ex. Trinity
#2 1966
ロング・ジョン・ボルドリー(vocal)→Bluesology
ジュリー・ドリスコール(vocal)
ヴィック・ブリッグス(guitar)
ブライアン・オーガー(keyboard, vocal)
リッキー・フェンソン(bass)
ミッキー・ウォーラー(drums)
#3 1966
ジュリー・ドリスコール(vocal)→Brian Auger & the Trinity
ヴィック・ブリッグス(guitar)→Brian Auger & the Trinity
ブライアン・オーガー(keyboard, vocal)→Brian Auger & the Trinity
リッキー・フェンソン(bass)→Brian Auger & the Trinity
ミッキー・ウォーラー(drums)→Brian Auger & the Trinity
ハンブル・パイ Humble Pie
【活動期間】
1969年~1975年
1979年~1983年
1988年~2000年
2001年~2002年
2018年~
【メンバー】
<Guitar, Vocal>
スティーヴ・マリオット/Steve Marriott(guitar, vocal, keyboard, harmonica) 在籍1969~1975, 1979~1983
ピーター・フランプトン/Peter Frampton(guitar, vocal, keyboard) 在籍1969~1971, 2019~
デイヴ・"クレム"・クレムソン/Dave Clem Clempson(guitar, vocal, keyboard) 在籍1971~1975
ボブ・テンチ/Bob Tench(guitar, vocals, keyboards) 在籍1979~1981, 2000~2002
トミー・ジョンソン/Tommy Johnson(guitar) 在籍1983
フィル・ディックス/Phil Dix(guitar) 在籍1983
リック・リチャーズ/Rick Richards(guitar) 在籍1983
チャーリー・ヒューン/Charlie Huhn(vocal, guitar) 在籍1988~2000
ウォーリー・ストッカー/Wally Stocker(guitar, backing-vocals) 在籍1988~1990
アラン・グリーン/Alan Greene(guitar) 在籍1990~1999
リック・クレイグ/Rick Craig(guitar) 在籍2000
パトリック・トーマス/Patrick Thomas(guitar) 在籍2000
デイヴ・コルウェル/Dave "Bucket" Colwell(guitar, backing-vocals) 在籍2000~2002, 2018~
ジョニー・ウォーマン/Johnny Warman(vocals, guitar) 在籍2002
ジミー・クーンズ/Jimmy Kunes(vocals) 在籍2018~2022
ジェームス・ロトンディ/James Volpe Rotondi(guitar, vocals, keyboards) 在籍2018~2022
ジム・ステイプリー/Jim Stapley(vocal, guitar, keyboard) 在籍2022~
<Bass>
グレッグ・リドリー/Greg Ridley(bass, vocal, guitar) 在籍1969~1975, 2000~2002
アンソニー・"スーティ"・ジョーンズ/Anthony "Sooty" Jones(bass) 在籍1979~1981, 1988~1989
ジム・レヴァートン/Jim Leverton(bass, vocals) 在籍1982~1983
キース・クリストファー/Keith Christopher(bass) 在籍1983
デイヴ・ヒューイット/Dave Hewitt(bass) 在籍1983
ショーン・ビーヴァン/Sean Beavan(bass) 在籍1988~1990
スコット・アレン/Scott Allen(bass) 在籍1990~1992
サム・ネモン/Sam Nemon(bass) 在籍1992~1996
ブラッド・ジョンソン/Brad Johnson(bass) 在籍1996~1999
エアン・エヴァンス/Ean Evans(bass) 在籍2000
ケント・ガスコイン/Kent Gascoyne(bass) 在籍2000
デヴィッド・C・グロス/David C. Gross(bass) 在籍2018
アイヴァン・ボドリー/Ivan "Funkboy" Bodley(bass) 在籍2018~
<Drums>
ジェリー・シャーリー/Jerry Shirley(drums, keyboard) 在籍1969~1975, 1979~1981, 1988~1999, 2000~2002, 2018~
ファロン・ウィリアムスⅢ世/Fallon Williams Ⅲ(drums) 在籍1982~1983
ジェイミー・ダーネル/Jamie Darnell(drums) 在籍2000
ボビー・マークス/Bobby Marks(drums, percussions) 在籍2018~
<Keyboard>
ゴールディ・マックジョン/Goldy McJohn(keyboards) 在籍1982
ズート・マネー/Zoot Money(keyboard) 在籍2001~2002
ディーン・リース/Dean Rees(keyboard) 在籍2002
【バンドの歴史】
ハンブル・パイはR&Bをバックボーンとしたイングランドのロック・バンド。1969年にエセックス州で結成され、1970年代前半に活躍した。
ロック界における初期の「スーパー・グループ」のひとつと見なされている。
<結成まで>
1968年、当時アイドル・バンド「ザ・ハード」のメンバーだったピーター・フランプトン(vocal, guitar)は、自分がアイドル扱いされることにほとほと嫌気がさしていた。同じ頃、10代の若者に人気があった「スモール・フェイセス」に在籍していたスティーヴ・マリオット(vocal, guitar)も、アイドル的存在からの脱却とリズム&ブルースの追求を切実に願っていた。
共通の願望を持っていたふたりは、1968年に出会うとさっそく意気投合し、水面下でコンタクトを取り合うようになったが、それはもともとは新たなバンドの結成を企図するものではなかった。
マリオットはフランプトンの音楽的な視野を広げるために協力するつもりだったので、フランプトンにスモール・フェイセスへの参加を提案した。フランプトンがゲストとしてスモール・フェイセスのステージに立つことはあったが、正式なメンバーとして加入することについては他のメンバーが反対したため、このプランは実現しなかった。
1968年12月31日、この夜に行われたライヴの途中でマリオットはステージから降りてしまったことで他のメンバーとの亀裂が決定的となり、スモール・フェイセスから離脱した。
フランプトンは新たなバンドの結成に向けて、1969年2月にザ・ハードから脱退する。マリオットはそれに対して全面的に協力し、元スプーキー・トゥースのグレッグ・リドリー(bass)と元アポストリック・インターヴェンションのジェリー・シャーリー(drums)をフランプトンに引き合わせた。
その後マリオットはフランプトンからの呼びかけに応え、すぐに彼の新バンドに合流した。こうして1969年4月に「ハンブル・パイ」の陣容が整ったのである。
ちなみにスモール・フェイセスがマリオットの後任として声をかけたのはフランプトンである。言うまでもなく、フランプトンはその誘いを断っている。
<デビュー~1975>
ハンブル・パイは、エセックスのマリオットの自宅で1969年初頭からリハーサルに入る。間もなくイミディエイト・レコードと契約を交わした彼らは、同年8月にシングル「あいつ」とアルバム「アズ・セイフ・アズ・イエスタディ・イズ」でデビューを果たした。
スティーヴ・マリオットとピーター・フランプトンのふたりのスターを擁するハンブル・パイは「スーパー・グループ」としてたちまち大きな注目を集めたが、「ハンブル・パイ」というバンド名(「屈辱」「謝罪」という意味がある)はこういう期待を軽視するためにあえて選んだものであるという。
デビュー・シングル「あいつ」が全英4位のヒットを記録して好調なスタートを切った彼らは、1969年11月には早くもセカンド・アルバム「タウン・アンド・カントリー」を発表し、その後初のアメリカ・ツアーを行なった。
しかしこの頃のイミディエイト・レコードは経営危機に瀕しており、ファースト・アルバムからわずか3ヵ月後にセカンド・アルバムを発表したのは、倒産前にレコードをリリースしたいという会社側の意向があったからである。しかも広告宣伝費がなかったことに加え、イギリスのみでの発売だったため、アメリカ・ツアーの効果による売り上げもなく、セカンド・アルバムはチャートには登場しなかった。しかしFM局のオンエアによってアルバムの内容は周知され、好意的な評価を得た。
ハンブル・パイは、マリオットがR&B、ロック志向、フランプトンがポップ、アコースティック志向と、フロント・マンふたりが対照的な音楽観を持っていた。そのためハンブル・パイのコンサートは、アコースティック・セットとエレクトリック・セットで構成されることが多かった。
これはバンドの特色になっていた反面、定まらないポリシーと音楽的な迷いが浮き彫りになるというデメリットがあった。マリオットはアメリカでの成功を強く願っていたが、フランプトンのアコースティックな作風は、この頃のアメリカではあまり受け入れられていなかった。
1970年、イミディエイト・レコードが破産したため、ハンブル・パイはA&Mレコードに移籍する。これを契機として、バンドはアメリカ市場をはっきり意識するようになり、マリオットの持ち味であるソウルフルな歌、ヘヴィなロック・サウンドを前面に押し出すようになっていった。この年7月にアルバム「大地と海の歌」を、1971年3月に「ロック・オン」を発表したが、これらには強まってゆくR&B色が顕著に現れている。
アメリカで存在感を増していったハンブル・パイは、1971年7月9日にグランド・ファンク・レイルロードがシェイ・スタジアムで行った歴史的なコンサートにおいて、オープニング・アクトを務めている。
1971年11月には2枚組ライヴ・アルバム「パフォーマンス~ロッキン・ザ・フィルモア」を発表。このアルバムは、同年5月にフィルモア・イーストで行われたライヴを収録したもので、ソウルフルでヘヴィなハンブル・パイの魅力が詰まっており、当時屈指の傑作ライヴ・アルバムと高く評価された。これによってバンドは初めてアメリカでの商業的な成功を手にした。しかしフランプトンが理想とする音楽からは決定的にかけ離れたものであった。
このアルバムのリリース前に、音楽性の相違を理由としてフランプトンが脱退。後任として元コロシアムのデイヴ・"クレム"・クレムソンがバンドに加わった。これによってバンドの音楽性はR&B寄りに拍車がかかることになる。
クレムソンが加わったハンブル・パイは全盛期を迎える。1972年のアルバム「スモーキン」は貫禄すら感じられる脂の乗り切った作品で、アメリカでは6位まで上昇するヒットを記録。さらに1973年にはライヴ録音やR&Bのカヴァーを収録した意欲作「イート・イット」を発表する。
1973年には初来日したが、この時同じ時期にベック・ボガート&アピスも来日したため、ハンブル・パイはその陰に隠れた形になってしまったのは惜しまれる。
ハンブル・パイはロック界屈指のライヴ・バンドに成長したが、音楽的に煮詰まるようになったうえ、度重なるツアーによってメンバーの疲労は極まり、それらを理由に1975年の「Goodbye Pie Tour」終了後に解散した。
解散後、マリオットはソロ活動を開始したほか、自己のバンド「スティーヴ・マリオット・オール・スターズ」を結成。クレムソンとリドリーはコージー・パウエル(drums)を加えて「ストレンジ・ブリュー」を結成する。シャーリーはマーク・クラーク(bass)、ジョーイ・モランド(guitar, vocal)らと「ナチュラル・ガス」の結成に参加した。
<1979~1983>
1979年末、マリオットはオリジナル・メンバーのシャーリー(drums)、元ジェフ・ベック・グループのボブ・テンチ(guitar, vocal)、シャーリーと「マグネット」というバンドで活動していたアンソニー・"スーティ"・ジョーンズ(bass)の4人でハンブル・パイを再結成する。新生ハンブル・パイは2枚のアルバムを発表したが、1981年にマリオットの病のためツアーがキャンセルされると、その後アトランティック・レーベルとの契約も失われて経済的にも苦境に立たされたため、再び解散した。さらにはバンドの機材トラックも盗難にあったという。
1982年、マリオットはジム・レバートン(bass)、ゴールディ・マックジョン(keyboard 元ステッペンウルフ)、ファロン・ウィリアムスⅢ世(drums)のランナップでツアーに復帰したが、このバンドはプロモーターによって「ハンブル・パイ」と名乗ることになった。1983年にはアメリカ合衆国のアトランタを本拠地として、レバートンとマックジョンの代わりにトミー・ジョンソン(guitar)、キース・クリストファー(bass)をメンバーとして補充した。その後ジョンソンの代わりにフィル・ディックス(guitar)が参加し、さらに元ジョージア・サテライツのリック・リチャーズ(guitar)を新メンバーとして迎えた。しかしデモ音源の収録にリックとキースが遅れたことからマリオットはふたりを解雇、マリオットのほかフィル・ディックス(guitar)、デイヴ・ヒューイット(bass)、ファロン・ウィリアムスⅢ世(drums)のメンバーで収録を行ったが、レコードのリリースには至らなかった。その後いくつかのライヴ・ステージに立ったのち、マリオットはバンドを解散し、1983年末にイギリスに戻った。
<1988~2002>
1988年には、「ファストウェイ」を脱退したのち活動の拠点をアメリカに移したシャーリーが、「ハンブル・パイ」名義の使用権を得て、ゲイリー・ムーアとの活動で知られるチャーリー・ヒューン(元テッド・ニュージェント)をヴォーカルに据えて再々結成した。シャーリーとヒューン以外のメンバーは流動的で、「ニュー・ハンブル・パイ」あるいは「ハンブル・パイ・フィーチャリング・ジェリー・シャーリー」などと名乗った。
1991年、マリオットとフランプトンが再会し、アルバムの共同制作を計画する。ハンブル・パイの再結成も期待された。しかしマリオットが海外旅行からエセックスの自宅に帰宅した4月20日、寝タバコが原因で発生した火災のため、就寝中に焼死した。このためアルバムの制作は実現しなかった。
1999年8月、シャーリーは自動車事故のため重傷を負い、その後イギリスに帰国した。残ったヒューンは2000年も「ハンブル・パイ」として活動した。メンバーはリック・クレイグ(guitar 元ハロウィン)、ケント・ガスコイン(bass)、ジェイミー・ダーネル(drums)である。同年後半にクレイグの代わりとしてパトリック・トーマス(guitar)が、ガスコインの代わりにイアン・エヴァンス(bass 元アウトロウズ)が加入してツアーを終えた後、彼らは解散した。その後ヒューンはフォガットに参加する。
イギリスに戻ったシャーリーは、2000年にリドリー、テンチ、デイヴ・コルウェル(guitar 元バッド・カンパニー)というメンバーでハンブル・パイを再結成し、通算13枚目のスタジオ・アルバム「バック・オン・トラック」を制作。この収録にはズート・マネー(keyboard)、ヴィクター・マーティン(keyboard)が参加している。
2001年には、マリオットの没後10年を記念してロンドンで「スティーヴ・マリオット・メモリアル・コンサート」が開催された。このコンサートにフランプトン、リドリー、シャーリー、クレムソンが一時的に再結成して出演している。しかし2002年後半にリドリーが体調を崩したことで、バンドは解散した。
<2018~>
2018年現在、ジェリー・シャーリーは「ハンブル・パイ」の名前の所有権を持っており、シャーリー自身はツアーには参加しないが、新たなラインナップを組んだ。そのメンバーは、ジミー・クーンズ(vocals)、デイヴ・コルウェル(guitar)、ジェームス・ロトンディ(guitar)、デヴィッド・C・グロス(bass)、ボビー・マークス(drums)である。間もなくベーシストがアイヴァン・ボドリーに交替すると、同年8月に15公演を行うアメリカ・ツアーを開始した。
2023年現在のツアー・ラインナップは、デイヴ・コルウェル(guitar)、ジム・ステイプリー(vocal, guitar, organ, harmonica)、アイヴァン・ボドリー(bass)、ボビー・マークス(drums)で、「ハンブル・パイ・レガシー」として活動している。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
<アルバム>
1969年 アズ・セイフ・アズ・イエスタディ・イズ/As Safe as Yesterday Is(UK32位)
1969年 タウン・アンド・カントリー/Town And Country
1970年 大地と海の歌/Humble Pie
1971年 ロック・オン/Rock On(US118位)
☆1971年 パフォーマンス~ロッキン・ザ・フィルモア/Performance Rockin' the Fillmore(UK32位 US21位)
1972年 スモーキン/Smokin' (UK20位 US6位)
1973年 イート・イット/Eat It(UK34位 US13位)
★1973年 Lost and Found(US Billboard37位 CashBox41位)※「アズ・セーフ・アズ・イエスタディ・イズ」「タウン・アンド・カントリー」を2枚組アルバムとしたもの
1974年 サンダーボックス/Thunderbox(US52位)
1975年 ストリート・ラッツ/Street Rats(US100位)
★1976年 Back Home Again
★1977年 Greatest Hits
1980年 オン・トゥ・ヴィクトリー/On to Victory(US60位)
1981年 ゴー・フォー・ザ・スロート/Go for the Throat(US154位)
★1982年 Best of Humble Pie
★1987年 ベストCDコレクション/A&M Classics Volume 14
★1993年 A Piece of the Pie
★1994年 Early Years
★1994年 Hot n' Nasty:The Anthology
☆1996年 ライヴ・イン・コンサート/King Biscuit Flower Hour Presents- Humble Pie In Concert ※旧邦題「キング・ビスケット・ライヴ」
★1997年 The Scrubbers Sessions
★1999年 The Immediate Years:Natural Born Boogie
★1999年 Running with the Pack
☆2000年 Extended Versions ※「King Biscuit Flower Hour Presents- Humble Pie In Concert」のリイシュー盤
☆2000年 ナチュラル・ボーン・ブギ/Natural Born Boogie:The BBC Sessions ※旧邦題「BBCセッションズ」
★2000年 Twentieth Century Masters:The Millennium Collection
2002年 バック・オン・トラック/Back on Track
☆2002年 ライヴ・アット・ザ・ウィスキー・ア・ゴー・ゴー ’69/Live At The Whisky A Go-Go '69
★2005年 アトランタ・イヤーズ/Atlanta Years
★2006年 The Definitive Collection
★2006年 One More for the Old Tosser
☆2012年 Live '73
☆2013年 Live '81 ※「King Biscuit Flower Hour Presents- Humble Pie In Concert」のリイシュー盤
☆2013年 パフォーマンス〜ロッキン・ザ・フィルモア コンプリート・レコーディングス/Performance Rockin' the Fillmore: The Complete Recordings
☆2017年 オフィシャル・ブートレッグ・ボックス Vol.1/Official Bootleg Vol. 1 ※3CDボックス・セット
☆2018年 オフィシャル・ブートレッグ・ボックス Vol.2/Official Bootleg Vol. 2 ※5CDボックス・セット
☆2019年 アップ・アワ・スリーヴ~オフィシャル・ブートレッグ・ボックス Vol.3/Up Our Sleeve Official Bootleg Vol. 3 ※5CDボックス・セット
☆2019年 トゥアーリン~オフィシャル・ブートレッグ・ボックス Vol.4/Tourin’ Official Bootleg Vol. 4 ※4CDボックス・セット
2019年 ジョイント・エフォート/Joint Effort
<シングル>
1969年 あいつ/Natural Born Bugie(UK4位)
1969年 The Sad Bag of Shaky Jake
1970年 Big Black Dog
1971年 Shine On
1971年 ノー・ドクター/I Don't Need No Doctor(US73位)
1972年 ホット・アンド・ナスティ/Hot 'n' Nasty(US52位)
1972年 ほら穴の30日間/30Days in the Hole
1973年 ブラック・コーヒー/Black Coffee(US113位)
1973年 ゲット・ダウン・トゥ・イット/Get Down to It
1973年 シャット・アップ/Shut Up and Don't Interrupt Me
1974年 ナインティー・ナイン・パウンズ/Ninety-Nine Pounds
1974年 オー・ラ・ディ・ダ/Oh la de Da
1975年 ロックンロール・ミュージック/Rock and Roll Music(US105位)
1980年 Fool for a Pretty Face(US52位)
1981年 Tin Soldier(US58位)
【メンバー変遷】
#1 1969~1971
スティーヴ・マリオット(guitar, vocal)←Small Faces
ピーター・フランプトン(guitar, vocal)←The Herd
グレッグ・リドリー(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#2 1971~1975
スティーヴ・マリオット(guitar, vocal)
デイヴ・"クレム"・クレムソン(guitar)
グレッグ・リドリー(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#3 1979~1981
スティーヴ・マリオット(guitar, vocal)
ボビー・テンチ(guitar, vocal)
アンソニー・ジョーンズ(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#4 1982
スティーヴ・マリオット(guitar, vocal)
ジム・レバートン(bass)
ゴールディ・マックジョン(keyboard)
ファロン・ウィリアムスⅢ世(drums)
#5 1983
スティーヴ・マリオット(guitar, vocal)
トミー・ジョンソン(guitar)
キース・クリストファー(bass)
ファロン・ウィリアムスⅢ世(drums)
#6 1983
スティーヴ・マリオット(guitar, vocal)
フィル・ディックス(guitar)
リック・リチャーズ(guitar)
キース・クリストファー(bass)
ファロン・ウィリアムスⅢ世(drums)
#7 1983
スティーヴ・マリオット(guitar, vocal)
フィル・ディックス(guitar)
デイヴ・ヒューイット(bass)
ファロン・ウィリアムスⅢ世(drums)
#8 1988~1989
チャーリー・ヒューン(vocal, guitar)
ウォーリー・ストッカー(guitar, backing-vocals)
アンソニー・"スーティ"・ジョーンズ(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#9 1989~1990
チャーリー・ヒューン(vocal, guitar)
ウォーリー・ストッカー(guitar, backing-vocals)
ショーン・ビーヴァン(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#10 1990~1992
チャーリー・ヒューン(vocal, guitar)
アラン・グリーン(guitar, backing-vocals)
スコット・アレン(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#11 1992~1996
チャーリー・ヒューン(vocal, guitar)
アラン・グリーン(guitar, backing-vocals)
サム・ネモン(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#12 1996~1999
チャーリー・ヒューン(vocal, guitar)
アラン・グリーン(guitar, backing-vocals)
ブラッド・ジョンソン(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#13 2000
チャーリー・ヒューン(vocal, guitar)
リック・クレイグ(guitar)←ハロウィン
ケント・ガスコイン(bass)
ジェイミー・ダーネル(drums)
#14 2000
チャーリー・ヒューン(vocal, guitar)
パトリック・トーマス(guitar)
イアン・エヴァンス(bass)
ジェイミー・ダーネル(drums)
#15 2000~2001
ボビー・テンチ(vocal, guitar)
デイヴ・コルウェル(guitar)
グレッグ・リドリー(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#16 2001~2002
ボビー・テンチ(vocal, guitar)
デイヴ・コルウェル(guitar)
ズート・マネー(keyboard)
グレッグ・リドリー(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#17 2002
ボビー・テンチ(vocal, guitar)
ジョニー・ウォーマン(vocals, guitar)
ディーン・リース(keyboard)
グレッグ・リドリー(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#18 2018
ジミー・クーンズ(vocals)
デイヴ・コルウェル(guitar)
ジェームス・ロトンディ(guitar)
デヴィッド・C・グロス(bass)
ボビー・マークス(drums)
ジェリー・シャーリー(director)
#19 2018~2022
ジミー・クーンズ(vocals)
デイヴ・コルウェル(guitar)
ジェームス・ロトンディ(guitar)
アイヴァン・ボドリー(bass)
ボビー・マークス(drums)
ジェリー・シャーリー(director)
#20 2023~
ジム・ステイプリー(vocal, guitar, organ, harmonica)
デイヴ・コルウェル(guitar)
アイヴァン・ボドリー(bass)
ボビー・マークス(drums)
ジェリー・シャーリー(director)