イースト・ウエスト East-West
【歌・演奏】
バターフィールド・ブルース・バンド/The Butterfield Blues Band
【リリース】
1966年8月
【録音】
1966年7月 チェス・スタジオ(イリノイ州シカゴ)
【プロデューサー】
マーク・エイブラムソン&ポール・ロスチャイルド/Mark Abramson & Paul Rothchild ①~⑤, ⑦⑧
バリー・フリードマン/Barry Friedman ⑥
【レーベル】
エレクトラ/Elektra
【録音メンバー】
☆バターフィールド・ブルース・バンド
ポール・バターフィールド/Paul Butterfield(vocals, harmonica)
マイク・ブルームフィールド/Mike Bloomfield(guitar)
エルヴィン・ビショップ/Elvin Bishop(guitar, lead-vocals⑧)
マーク・ナフタリン/Mark Naftalin(piano, organ)
ジェローム・アーノルド/Jerome Arnold(bass)
ビリー・ダヴェンポート/Billy Davenport(drums)
【収録曲】
side:A
① ウォーキン・ブルース 3:15
Walkin' Blues(Robert Johnson)
② ゲット・アウト・オブ・マイ・ライフ 3:13
Get Out of My Life, Woman(Allen Toussaint)
③ 絶望の人生 4:57
I Got a Mind to Give Up Living(Traditional)
④ オール・ジーズ・ブルース 2:18
All These Blues(Traditional)
⑤ ワーク・ソング 7:53
Work Song(Nat Adderley, Oscar Brown Jr.)
side:B
⑥ メアリー、メアリー 2:48
Mary, Mary(Michael Nesmith)
⑦ トゥー・トレインズ・ランニング 3:50
Twe Trains Running(Muddy Waters)
⑧ ネヴァー・セイ・ノー 2:57
Never Say No(Traditional)
⑨ イースト・ウェスト 13:10
East-West(Mike Bloomfield, Nick Gravenites)
【チャート】
1967年週間アルバム・チャート US(ビルボード)65位
【メ モ】
バターフィールド・ブルース・バンドのセカンド・アルバム。
ア・ロング・タイム・カミン A Long Time Comin'
【歌・演奏】
エレクトリック・フラッグ/Electric Flag
【リリース】
1968年3月
【録音】
1967年7月~1968年1月
【プロデューサー】
ジョン・コート/John Court
ジョー・チャーチ/Joe Church
【エンジニア】
ロイ・セガール/Roy Segal
【レーベル】
コロンビア・レコード/Columbia Records
【録音メンバー】
☆エレクトリック・フラッグ
マイク・ブルームフィールド/Mike Bloomfield(lead-guitar, vocals)
ニック・グレイヴナイツ/Nick Gravenites(vocals, guitar)
ハーヴェイ・ブルックス/Harvey Brooks(bass)
バディ・マイルス/Buddy Miles(drums, vocals)
バリー・ゴールドバーグ/Barry Goldberg(keyboards)
マイケル・フォンファラ/Michael Fonfara(keyboards)
ハーブ・リッチ/Herb Rich(organ, baritone-sax, guitar, vocals)
マーカス・ダブルデイ/Marcus Doubleday(trumpet)
ピーター・ストラッツァ/Peter Strazza(tenor-sax)
ステムシー・ハンター/Stemsy Hunter(alto-sax)
★アディショナル・パーソネル
リッチー・ヘヴンス/Richie Havens(percussion, sitar)
シヴカ/Sivuca(guitar, percussion)
ポール・ビーヴァー/Paul Beaver(keyboards, synthesizer)
ジョン・コート/John Court(percussion, vocals)
ジョー・チャーチ/Joe Church(percussion)
キャス・エリオット/Cass Elliot(vocal②)
レオ・ダルチェック/Leo Daruczek(strings)
チャールズ・マックラッケン/Charles McCracken(strings)
ボビー・ノトコフ/Bobby Notkoff(strings)
ジュリアス・ヘルド/Julius Held(strings)
【収録曲】
side:A
① キリング・フロア 4:11
Killing Floor(Chester Burnett, a.k.a, Howlin' wolf)
② グルーヴィン・イズ・イージー 3:06
Groovin' Is Easy(Ron Polte)
③ オーヴァー・ラヴィン・ユー 2:12
Over-Lovin' You(Mike Bloomfield, Barry Goldberg)
④ シー・シュッド・ハヴ・ジャスト 5:03
She Should Have Just(Ron Polte)
⑤ ワイン 3:15
Wine(Traditional arr.Mike Bloomfield)
side:B
⑥ テキサス 4:49
Texas(Mike Bloomfield, Buddy Miles)
⑦ 輪になって座れ 3:54
Sittin' in Circles(Barry Goldberg)
⑧ ユー・ドント・リアライズ 4:56
You Don't Realize(Mike Bloomfield)
⑨ アナザー・カントリー 8:47
Another Country(Ron Polte)
⑩ イージー・ライダー 0:53
Eazy Rider(Mike Bloomfield)
【チャート】
1968年週間アルバム・チャート US(ビルボード)31位
【メ モ】
マイク・ブルームフィールドを中心に結成されたエレクトリック・フラッグのファースト・アルバム。
ブルースとR&Bの融合したサウンドが特徴。
ホーン・セクション入りのバンドは画期的で、その後の「ブラッド・スウェット&ティアーズ」「シカゴ」などのブラス・ロック・バンドに影響を与えた。
ポール・バターフィールド・ブルース・バンド Paul Butterfield Blues Band
【活動期間】
1963~1971
【メンバー】
<vocal>
ポール・バターフィールド/Paul Butterfield(vocal, harmonica) 在籍1963~1971
<guitar>
エルヴィン・ビショップ/Elvin Bishop(guitar) 在籍1963~1968
マイク・ブルームフィールド/Mike Bloomfield(guitar) 在籍1964~1967
バジー・フェイトン/Buzzy Feiten(guitar) 在籍1968~1969
ラルフ・ウォルシュ/Ralph Walsh(guitar, vocals) 在籍1969~1971
<keyboards>
マーク・ナフタリン/Mark Naftalin(keyboards)在籍1965~1968
テッド・ハリス/Ted Harris(keyboards)在籍1969~1970
<bass>
ジェローム・アーノルド/Jerome Arnold(bass) 在籍1963~1967
バグジー・モー/Bugsy Maugh(bass) 在籍1967~1969
ロッド・ヒックス/Rod Hicks(bass, contrabass, vocals) 在籍1969~1971
<drums>
サム・レイ/Sam Lay(drums, vocal) 在籍1963~1965
ビリー・ウォーレン/Billy Warren(drums) 在籍1965
ビリー・ダヴェンポート/Billy Davenport (drums) 在籍1965~1967
フィリップ・ウィルソン/Phillip Wilson(drums) 在籍1967~1969
ジョージ・デヴィッドソン/George Davidson(drums) 在籍1969~1970
デニス・ホィッテッド/Dennis Whitted(drums) 在籍1970~1971
<horns>
キース・ジョンソン/Keith Johnson(trumpet) 在籍1967~1969
スティーヴ・マダイオ/Steve Madaio(trumpet, percussion, backing-vocal) 在籍1969~1971
デヴィッド・サンボーン(alto-sax, percussion) 在籍1967~1971
ジーン・ディンウィッディ(sax, flute, vocals) 在籍1967~1971
トレヴァー・ローレンス/Trevor Lawrence(baritone-sax, percussion, backing-vocal) 在籍1969~1971
シカゴで生まれ育ち、シカゴ・ブルースの洗礼を受けたポール・バターフィールドが1963年に結成したバンド。
バターフィールド・ブルース・バンドはイギリスにおけるブルース・ブレイカーズ同様、バンドの歴史の中で何人もの名プレイヤーを輩出していることでも知られている。
バターフィールド・ブルース・バンドは、ポール・バターフィールドとエルヴィン・ビショップとの邂逅にはじまる。
1960年代初頭、バターフィールドがシカゴ大学に入学したばかりのある日、バターフィールドは家の前でビールを飲みながらギターを弾いていると、通りがかったひとりの青年から話しかけられた。ふたりはブルースについて語り合い、あっという間に意気投合した。この通りがかりの青年が、ギタリストのエルヴィン・ビショップである。オクラホマの農村出身のビショップは、シカゴ大学に入学するためにその日シカゴに着いたばかりだったそうである。
この頃のバターフィールドが演奏していた楽器はギターであり、ハーモニカを吹いたことすらなかったが、ビショップとの出会いを境にすぐハーモニカに取り組み、半年ほど後には見違えるほど上達したという。後年ビショップはバターフィールドのことを「生まれつきの天才だ」と語っている。
やがてバターフィールド(vocal, harmonica)とビショップ(guitar)は「バターカップス」(The Buttercups)という名のデュオで演奏活動を始めた。経験を積んでゆくうちに、ふたりはシカゴのノースサイドにあるフォーク・クラブ「ビッグ・ジョンズ」からレギュラー出演のオファーを受ける。1963年のことである。
バンドとして出演することを考えたふたりは、いずれもハウリン・ウルフのツアー・メンバーだったジェローム・アーノルド(bass)とサム・レイ(drums)をメンバーに加えた。これが「ポール・バターフィールド・ブルース・バンド」結成のいきさつである。
このバンドでの「ビッグ・ジョンズ」でのライヴは大成功を収めた。
以後彼らは結成以来2年間にわたって「ビッグ・ジョンズ」で毎週6晩演奏し続け、シカゴ界隈では次第に有名になっていった。そして著名なプロデューサーのポール・ロスチャイルドの目に留まることになったのである。
このバターフィールド・ブルース・バンドは、人種的な観点で見ると、白人ふたり(バターフィールドとビショップ)とアフリカ系ふたり(アーノルドとレイ)から成り立っていた。1950年代半ばにアフリカ系アメリカ人の公民権適用と人種差別解消を求めて起こった公民権運動は、たちまち野火のように広まり、シカゴでも1964年8月に暴動が起こっていた。緊迫した空気に満ちていたこの当時、いわゆる「白人」と「黒人」の混成バンドの結成は非常に画期的なことだった。
1964年、エレクトラのプロデューサー、ポール・ロスチャイルドは、彼の友人でプロデューサー志望のジョー・ボイドから「世界最高のバンドがシカゴのブルース・バーで演奏していた」という話を聞き、バターフィールドのバンドを見るためにシカゴへ向かった。その時に別のクラブで、当時シカゴ周辺ではすでに有名だった新進ギタリスト、マイク・ブルームフィールドに出会い、衝撃を受ける。
ブルームフィールドがバターフィールドのバンドで起こす音楽的化学反応を目の当たりにしたロスチャイルドは、「ブルームフィールドをバンドに入れるよう」バターフィールドを説得しにかかった。
そしてブルームフィールドの加入後、バンドはエレクトラ・レコードと契約を交わすのである。
1964年12月、バンドは初録音を行う。この時収録された『Born in Chicago』がデビュー・シングルとしてリリースされた。この曲はバンドの旧友ニック・グレイヴナイツが作曲したものであった。『Born in Chicago』の初期ヴァージョンは、1965年にエレクトラから発表されたコンピレイション・アルバム『Folksong '65』に収められており、これによってバンドは次第に注目されるようになってゆく。
デビュー・アルバムのレコーディングはスムースに運ばなかったが、1965年10月にようやく『ポール・バターフィールド・ブルース・バンド』のタイトルでリリースすることができた。この頃、ブルームフィールドの提案によってマーク・ナフタリン(keyboard)がバンドに加入している。ナフタリンは1965年9月のセッションでバターフィールドの目にとまり、バンドへの加入を要請されたが、あまりにも急なことだったため、デビュー・アルバムのジャケット写真の中にはナフタリンは入っていない。
このアルバムにはエルモア・ジェイムスの『Shake Your Moneymaker』、マディ・ウォーターズが歌った『I Got My Mojo Working』、ジュニア・パーカーの『Mystery Train』、ウォルター・ジェイコブズの『Blues with a Feeling』や、再録音された『Born in Chicago』のほかオリジナル曲などが収録された。この時のブルームフィールドの圧倒的なギター・テクニックの前には、ビショップはサイド・ギターに徹せざるをえなかった。
アルバム・チャートは1966年に記録したビルボード123位が最高位だったものの、デルタ・ブルースとカントリーを取り入れた作った新しいスタイルは、フォークを好む若者とオールド・ブルースを好む年長者達双方から支持されるようになっていった。
なおドラマーのサム・レイはデビュー・アルバムのリリース後に病気のためバンドを離れ、後任としてブルース界のベテランであるビリー・ダヴェンポートが加入した。サム・レイはのちロック、ブルース、ジャズで殿堂入りした。また当時10代の青年だったジェイムズ・オスターバーグ(のちのイギー・ポップ)にドラムのレッスンを行ったことでも知られている。
1965年7月、ポール・バターフィールド・ブルース・バンドは「ニューポート・ジャズ・フェスティヴァル」に出演する。
出演者のなかにはボブ・ディランも出演もいた。
ディランは早くからバターフィールド・ブルース・バンドに注目しており、フェスティヴァルで演奏する直前に彼らをサポート・バンドに指名した。この頃バンドはディランのマネージャー、アルバート・グロスマンと契約しており、またマイク・ブルームフィールドとサム・レイは過去にボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」の録音に参加したことがあるという繋がりもあって、ディランの要望はすんなり受け入れられた。
ニューポートでのディランは、バンドを従えて強烈なエレクトリック・ブルースを4曲を演奏したが、アコースティックなフォークを信奉するファンは動揺し、「ディランがエレキ・ギターを持った」と非難を浴びせた。ただしその非難は「劣悪な音響とあまりにも短すぎる演奏に向けられたもので、実際には歓声もあがっていた」とも言われている。エレクトリック・ディランについてはその後も論議が続いたが、少なくともバターフィールド・ブルース・バンドに関しては、このステージによってその名を広く知らしめることになった。
1966年7月、セカンド・アルバム『イースト・ウェスト』を発表。
このアルバムは、ブルースの追求はもちろん、ジャズ、インド音楽、サイケデリックなどからも影響を受けた、
収録されているのは、ロバート・ジョンソンの「Walkin' Blues」、マイク・ネスミスの「Mary, Mary」、R&Bシンガーのリー・ドーシーが歌った「Get Out of My Life, Woman」、ナット・アダレイ(ジャズ・コルネット奏者)が作曲した「Work Song」などであるが、アルバムのハイライトは、なんといっても13分のインストゥルメンタル・ジャム・セッション「East-West」であろう。
この曲はインドのラーガやジョン・コルトレーン(ジャズ・サックス奏者)、ドラッグによる幻覚などに影響されたブルース・ロックで、バターフィールドおよびふたりのギタリスト(ブルームフィールドとビショップ)によるインプロヴィゼイションが展開されている。
「East-West」は、ロック史上においてジャム・セッションをフィーチャーした最初の曲とも言われており、サンフランシスコの多くのバンドに影響を与えた。ライブではおよそ1時間に渡って演奏が続けられることもあった。
この曲がきっかけとなり、アル・クーパーの『スーパー・セッション』など、ジャム・セッションを収録したアルバムが多く制作されることになる。
後年エルヴィン・ビショップは「クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー、グレイトフル・デッドなどのバンドはフォーク・バンドのようなもので、コードをかき鳴らしていただけだった。ブルームフィールドはどんなスケールも弾きこなし、彼らをノックアウトした」と語っている。
この頃の『イースト・ウェスト』のライヴ・バージョンは、1996年に発表されたアルバム『East-West Live』で聴くことができる。
セカンド・アルバムのリリース後にバンドはツアーに出る。
バンドがイギリスに滞在していた1966年の冬、当時ピーター・グリーン(guitar)が在籍していたジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズと何曲か録音する。このうち4曲が1967年1月にイギリスで『John Mayall's Bluesbreakers with Paul Butterfield』というタイトルの45回転EPとして発売された。
1967年6月には、カリフォルニアで行われた「モントレー・ポップ・フェスティバル」に出演。
バンドは音楽的成功を手に入れたが、この1967年には、ブルームフィールドやアーノルドが相次いで脱退する。(ブルームフィールドは脱退後「エレクトリック・フラッグ」を結成)
このためバンドはホーン・セクションの導入と、ジャズとロックのクロスオーヴァー・サウンドへのシフトを図り、新たにバグジー・モー(bass)、フィリップ・ウィルソン(drums のちアート・アンサンブル・オブ・シカゴ)、キース・ジョンソン(trumpet)、デヴィッド・サンボーン(alto-sax)、ジーン・ディンウィッディー(tenor-sax)を加えて再出発した。
デヴィッド・サンボーンとは、もちろん後年世界的なジャズ・サックス奏者となるデヴィッド・サンボーンのことである。
1967年、サード・アルバム『ピッグボーイ・クラブショー』を発表。アルバム・タイトルは、「オクラホマの田舎者」というイメージがあるエルヴィン・ビショップのニックネームに由来するものである。
マイク・ブルームフィールドが脱退したため、ビショップにかかる比重は必然的に大きくなっている。ブルースをベースに、R&Bのテイストを加えたこのアルバムは、ビルボードのチャートで52位まで上昇しているが、これはバンド史上最高位である。
1968年、ソウル・ミュージックへより接近した4作目のアルバム『イン・マイ・オウン・ドリーム』を発表。このアルバムを最後として、1968年末にマーク・ナフタリンと、バンド結成以前からのパートナーであるエルヴィン・ビショップが脱退する。ビショップはのちセッションマンとして活躍している。
1969年8月、ウッドストック・フェスティヴァルに出演し、7曲演奏する。映画にはバンドの演奏シーンは登場しなかったが、「Love March」がアルバム『ウッドストック・オリジナル・サウンドトラック』(1970年)に収録されている。
この年、ジャニス・ジョプリンと、永遠の名曲「One Night Stand」を録音。これは14年後の1983年にリリースされたジョプリンのアルバム『白鳥の歌』に収録された。
1969年にジェリー・ラゴヴォイのプロデュースによる5作目のアルバム『キープ・オン・ムーヴィング』を、1970年にはウェスト・ハリウッドの「トルバドール」での演奏を収めたライヴ・アルバム『ライヴ』を発表したが、ビショップ脱退後からバンドの勢いは下降線をたどり、1971年に発表した6作目『サムタイムズ・アイ・ジャスト・フィール・ライク・スマイリン』を最後に、同年ポール・バターフィールド・ブルース・バンドは解散した。
解散後、バターフィールドは「ポール・バターフィールズ・ベター・デイズ」を結成し、2枚のアルバムを発表している。
1972年には、ベスト・アルバム『Golden Butter:The Best of the Paul Butterfield Blues Band』がエレクトラからリリースされた。
2015年、ポール・バターフィールド・ブルース・バンドは「ロックの殿堂」入りを果たした。
彼らは殿堂入りしたアーティストのなかで唯一トップ40入りしたシングルもアルバムもない存在であるが、「シカゴ・ブルースとエレクトリックなロックを融合させ、それまではほぼアフリカ系アメリカ人のものだったブルースを一般大衆の元に届けた」という大きな功績があり、1960年代のミュージック・シーンにとって非常に重要なバンドであったことが評価されたといえる。
【ディスコグラフィ】 ☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレイション・アルバム
1965年 ポール・バターフィールド・ブルース・バンド/The Paul Butterfield Blues Band(US123位)
1966年 イースト・ウェスト/East-West(US65位)
1967年 ピッグボーイ・クラブショー/Resurrection of Pigboy Crabshaw(US52位)
1968年 イン・マイ・オウン・ドリーム/In My Own Dream(US79位)
1969年 キープ・オン・ムーヴィング/Keep on Moving(US102位)
☆1970年 ライヴ/Live(US72位)
1971年 サムタイムズ・アイ・ジャスト・フィール・ライク・スマイリン/Sometimes I Just Feel Like Smilin'(US124位)
★1972年 Golden Butter:The Best of the Paul Butterfield Blues Band(US136位)
☆1996年 Strawberry Jam(1966年~1968年録音)
☆1996年 East-West Live(1966年~1967年録音)
☆2016年 ガット・ア・マインド・トゥ・ギヴ・アップ・リヴィング-ライヴ1966/Got a Mind to Give Up Living-Live 1966(1966年録音)
【メンバーの変遷】
#1 1963~1964
ポール・バターフィールド(vocal, harmonica)
エルヴィン・ビショップ(guitar)
ジェローム・アーノルド(bass)
サム・レイ(drums, vocal)
#2 1964~1965
ポール・バターフィールド(vocal, harmonica)
エルヴィン・ビショップ(guitar)
マイク・ブルームフィールド(guitar)
ジェローム・アーノルド(bass)
サム・レイ(drums, vocal)
#3 1965
ポール・バターフィールド(vocal, harmonica)
エルヴィン・ビショップ(guitar)
マイク・ブルームフィールド(guitar)
マーク・ナフタリン(keyboards)
ジェローム・アーノルド(bass)
サム・レイ(drums, vocal)
#4 1965
ポール・バターフィールド(vocal, harmonica)
エルヴィン・ビショップ(guitar)
マイク・ブルームフィールド(guitar)
マーク・ナフタリン(keyboards)
ジェローム・アーノルド(bass)
ビリー・ウォーレン(drums)
#5 1965~1967
ポール・バターフィールド(vocal, harmonica)
エルヴィン・ビショップ(guitar)
マイク・ブルームフィールド(guitar)
マーク・ナフタリン(keyboards)
ジェローム・アーノルド(bass)
ビリー・ダヴェンポート(drums)
#6 1967
ポール・バターフィールド(vocal, harmonica)
エルヴィン・ビショップ(guitar)
マーク・ナフタリン(keyboards)
バグジー・モー(bass)
ビリー・ダヴェンポート(drums)
キース・ジョンソン(trumpet)
デヴィッド・サンボーン(alto-sax)
ジーン・ディンウィッディ(tenor-sax)
#7 1967~1968
ポール・バターフィールド(vocal, harmonica)
エルヴィン・ビショップ(guitar)
マーク・ナフタリン(keyboards)
バグジー・モー(bass)
フィリップ・ウィルソン(drums)
キース・ジョンソン(trumpet)
デヴィッド・サンボーン(alto-sax)
ジーン・ディンウィッディ(tenor-sax)
#8 1968~1969
ポール・バターフィールド(vocal, harmonica)
バジー・フェイトン(guitar)
バグジー・モー(bass)
フィリップ・ウィルソン(drums)
キース・ジョンソン(trumpet)
デヴィッド・サンボーン(alto-sax)
ジーン・ディンウィッディ(tenor-sax)
#9 1969
ポール・バターフィールド(vocal, harmonica)
バジー・フェイトン(guitar)
テッド・ハリス(keyboards)
ロッド・ヒックス(bass)
フィリップ・ウィルソン(drums)
キース・ジョンソン(trumpet)
スティーヴ・マダイオ(trumpet, backing-vocal)
デヴィッド・サンボーン(alto-sax)
ジーン・ディンウィッディ(tenor-sax)
トレヴァー・ローレンス(baritone-sax, backing-vocal)
#10 1969~1970
ポール・バターフィールド(vocal, harmonica)
ラルフ・ウォルシュ(guitar)
テッド・ハリス(keyboards)
ロッド・ヒックス(bass)
ジョージ・デヴィッドソン(drums)
スティーヴ・マダイオ(trumpet, backing-vocal)
デヴィッド・サンボーン(alto-sax)
ジーン・ディンウィッディ(tenor-sax)
トレヴァー・ローレンス(baritone-sax, backing-vocal)
#11 1970~1971
ポール・バターフィールド(vocal, harmonica)
ラルフ・ウォルシュ(guitar)
ロッド・ヒックス(bass)
デニス・ホイッテッド(drums)
スティーヴ・マダイオ(trumpet, backing-vocal)
デヴィッド・サンボーン(alto-sax)
ジーン・ディンウィッディ(tenor-sax)
トレヴァー・ローレンス(baritone-sax, backing-vocal)
B.J. ウィルソン Barrie James "B.J." Wilson
【パート】
ドラムス
【生没年月日】
1947年3月18日~1990年10月8日(43歳没)
【出生地】
イングランド ミドルセックス州エドモントン
【経 歴】
ザ・パラマウンツ/The Paramounts(1963~1964)
ジミー・パウエル&ザ・ファイヴ・ディメンションズ/Jimmy Powell & The Five Dimensions(1964~1965)
ザ・パラマウンツ/The Paramounts(1965~1966)
フレディ・マック・サウンド/Freddie Mack Sound(1966~1967)
ジョージ・ビーン&ザ・ランナーズ/George Bean & The Runners(1967)
プロコル・ハルム/Procol Harum(1967~1977)
フランキー・ミラーズ・フル・ハウス/Frankie Miller’s Full House(1977~1978)
ジョー・コッカー・バンド/Joe Cocker Band(1979~1984)
ウィルソンはミドルセックス州エドモントンで生まれ、ロンドン北部のポンダーズ・エンドで育った。
1963年夏、サセックス州サウスエンドのグループ「ザ・パラマウンツ」に加入する。1963年12月にバンドがリリースしたデビュー・シングル『Poison Ivy』はチャート35位まで上昇するスマッシュ・ヒットを記録、ミック・ジャガーから「最高のR&Bバンド」と評されたがその後ヒット曲を出すことはできなかった。
ウィルソンは1964年に一時的にバンドを離れて「ジミー・パウエル&ザ・ファイヴ・ディメンションズ」に加わったが、半年ほどでパラマウンツに復帰。その後はバンドが解散する1966年まで在籍した。
パラマウンツの解散後は「フレディ・マック・サウンド」(このバンドで出会ったベーシスト、アラン・カートライトとはのちにプロコル・ハルムでもバンド・メイトとなる)を経て、1967年にジョージ・ビーンのバンド「ザ・ランナーズ」に加入。またセッション・ドラマーとしてキャット・スティーヴンスやルルのサポートを務めた。
パラマウンツ時代のバンド・メイト、ゲイリー・ブルッカーが1967年に結成した「プロコル・ハルム」は、その年5月に発表したデビュー・シングル『青い影』を大ヒットさせ、一躍人気バンドとなった。ところがバンドは1967年夏にドラマーのボビー・ハリスンを解雇し、ブルッカーは後任としてウィルソンに白羽の矢を立てる。
1967年7月、ウィルソンはやはりパラマウンツのメンバーだったロビン・トロワー(guitar)とともにプロコル・ハルムのメンバーとなった。これ以降ウィルソンは1977年の解散までバンドを支え、全アルバムの録音に参加した。
ウィルソンのドラミングは重厚かつパワフルで、ジャズからの影響も大きく、独特のスタイルを持っていた。プロコル・ハルムの5作目のアルバム『ブロークン・バリケーズ』(1971年)に収録されている曲『パワー・フェイリュアー』は、ステージではウィルソンのパフォーマンスのために演奏されており、いくつか残されているこの曲のライヴ映像でウィルソンのドラミングを観ることができる。
1968年にはジョー・コッカーの『ウィズ・ア・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ』の録音に参加。
ジョー・コッカーと初期のプロコル・ハルムはともにリーガル・ゾノフォーン(Reagal Zonophone)というレーベルに所属していたという縁がある。
この録音にはのちにレッド・ツェッペリンを結成するジミー・ペイジも参加していた。ペイジはウィルソンのドラミングを気に入り、新バンドに誘ったが、ウィルソンは「プロコル・ハルムの活動が軌道に乗っていた」ことを理由にこの話を断っている。
なおコッカーの『ウィズ・ア・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ』は、イギリスをはじめオランダ、ベルギー、スイスでもチャート1位となる大ヒットを記録した。
ウィルソンは1973年にはルー・リードのアルバム『ベルリン』の録音に参加、『レディ・デイ』と『ザ・キッズ』でドラムを叩いている。
また1975年にはウィルソンは友人で映画音楽作曲家のリチャード・ハートリーに招かれ、当時のプロコル・ハルムのバンドメイトだったミック・グラバム(guitar)とともに映画『ロッキー・ホラー・ショー』(1975 年)のサウンドトラックの録音に参加している。
プロコル・ハルムの解散後は、ベーシストのクリス・コッピングとともに「フランキー・ミラーズ・フル・ハウス」に加入。ミラーのソロ・アルバム『ダブル・トラブル』の録音にも参加した。
1979年には旧知のジョー・コッカーのツアー・バンドに加わり、1984年まで在籍した。
1983年、「AC/DC」のドラマーであるフィル・ラッドが、アルバム『フリック・オブ・ザ・スウィッチ』のレコーディング中(ドラム・パートは録音済みだった)に解雇されたことに伴い、ドラム・パートの再録音のためウィルソンが呼ばれた。しかしウィルソンが起用されたトラックは使用されず、AC/DCの新たなドラマー、サイモン・ライトによる録音に差し替えられた。
1984年、元「シン・リジィ」のスコット・ゴーハム(guitar)や「スーパートランプ」のボブ・シーベンバーグ(drums)らとともに、パトリック・ランドレヴィル(1960年代のカルト・バンド「RHS」の元メンバー)と共演。
1985 年、元プロコル・ハルムのバンドメイトであるキース・リードやマシュー・フィッシャーとともに、ゲイリー・ブルッカーのソロ・アルバム『Echoes in the Night』の制作に招かれ、『Ghost Train』『Mr. Blue Day』『The Long Goodbye』『Hear What You Saying』の4曲の録音に参加した。これがウィルソンの最後のレコーディングとなった。
ウィルソンはその後アメリカ合衆国オレゴン州に移住したが、1987年に意図的な薬物の過剰摂取に意識不明に陥る。
そのまま3年間入院していたが回復することなく、1990年10月8日にオレゴン州ユージーンで肺炎のため43歳で死去した。
ブルッカーはウィルソンを偲んで、翌91年にプロコル・ハルムを再結成した。
【ディスコグラフィ】☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム
<プロコル・ハルム>
1967年 青い影/Procol Harum US47位
1968年 月の光/Shine On The Brightly US24位
1969年 ソルティ・ドック/A Salty Dog UK27位, US32位
1970年 ホーム/Home UK49位, US34位
1971年 ブロークン・バリケーズ/Broken Barricades UK42位, US32位
★1972年 A Whiter Shade of Pale / A Salty Dog UK26位
☆1972年 プロコル・ハルム・ライヴ~イン・コンサート・ウィズ・ザ・エドモントン・シンフォニー・オーケストラ/Live In Concert with The Edmonton Symphony Orchestra UK48位, US5位
1973年 グランド・ホテル/Grand Hotel US21位
★1973年 The Best of Procol Harum UK131位
1974年 異国の鳥と果物/Exotic Birds And Fruit US86位
1975年 プロコルズ・ナインス/Procol’s Ninth UK41位, US52位
1977年 輪廻/Something Magic US147位
<レコーディング・セッション>
1969年 心の友/With A Little Help From My Friends(ジョー・コッカー)UK29位, US35位
1970年 レオン・ラッセル/Leon Russell(レオン・ラッセル)US60位, 日本62位
1973年 ベルリン/Berlin(ルー・リード)UK7位, US98位
1975年 ロッキー・ホラー・ショー/The Rocky Horror Picture Show(サウンドトラック)
1978年 ダブル・トラブル/Double Trouble(フランキー・ミラー)US177位
1979年 Slung Line(ジョン・ハイアット)US202位
1981年 Watch That First Step(Bruce Stephens)※Norway
1985年 Giants In Our Own Room(ボブ・シーベンバーグ)
1985年 Echoes In The Night(ゲイリー・ブルッカー)
シャイニン・オン Shinin' On
【歌・演奏】
グランド・ファンク/Grand Funk
【リリース】
1974年3月1日
【録音】
1974年 スワンプ・スタジオ(ミシガン州)
【プロデューサー】
トッド・ラングレン/Todd Rundren
【エンジニア】
トッド・ラングレン/Todd Rundren
【レーベル】
キャピトル・レコード/Capitol Records
【録音メンバー】
☆グランド・ファンク
マーク・ファーナー/Mark Farner(guitars, guitarrón, harmonica, organ④, vocals)
メル・サッチャー/Mel Schacher(bass)
ドン・ブリューワー/Don Brewer(drums, percussions, vocals)
クレイグ・フロスト/Craig Frost(organ, clavinet, synthesizer, piano, mellotron, backing-vocals)
★アディショナル・パーソネル
トッド・ラングレン/Todd Rundren(guitars④, backing-vocals)
【収録曲】(★シングル=①③)
side:A
★① シャイニン・オン 5:59
Shinin' On(Don Brewer, Mark Farner)
※1974年週間シングル・チャート US(ビルボード)11位 カナダ13位
② ゲット・バック・イン 3:56
To Get Back In(Mark Farner)
★③ ロコモーション 2:46
The Loco-Motion(Gerry Goffin, Carole King)
※1974年週間シングル・チャート US(ビルボード)1位 カナダ1位 オーストラリア7位 ドイツ10位
④ キャリー・ミー・スルー 5:34
Carry Me Through(Don Brewer, Craig Frost)
side:B
⑤ プリーズ・ミー 3:37
Please Me(Don Brewer, Mark Farner)
⑥ プリティー・ボーイ 3:08
Mr. Pretty Boy(Don Brewer, Mark Farner)
⑦ ゲッティン・オーヴァー・ユー 3:59
Gettin' Over You(Don Brewer, Craig Frost)
⑧ リトル・ジョニー・フッカー 4:59
Loneliest Rider(Mark Farner)
【チャート】
1974年週間アルバム・チャート
US(ビルボード)5位 カナダ2位 日本24位 ノルウェイ10位 オーストラリア43位
1974年年間アルバム・チャート
US(ビルボード)44位
【メ モ】
グランド・ファンク10枚目(スタジオ・アルバムとしては8枚目。ベスト・アルバムを除く。)のアルバム。RIAA公認ゴールド・アルバムを獲得している。
オリジナルLP盤のジャケットは3D仕様で印刷されており、ジャケットから切り取れる赤と青のセロファンが付いた眼鏡を使って見ることができるようにデザインされている。
アメリカン・バンド We're an American Band
【歌・演奏】
グランド・ファンク/Grand Funk
【リリース】
1973年7月15日
【録音】
1973年6月12日~6月15日(クライテリア・スタジオ フロリダ州マイアミ)
【プロデューサー】
トッド・ラングレン/Todd Rundren
【レーベル】
キャピトル・レコード/Capitol Records
【録音メンバー】
☆グランド・ファンク
マーク・ファーナー/Mark Farner(electric-guitars, acoustic-guitar,electric-piano③, Percussions, vocals)
メル・サッチャー/Mel Schacher(bass)
ドン・ブリューワー/Don Brewer(drums, percussions, vocals)
クレイグ・フロスト/Craig Frost(organ, clavinet, electric-piano, synthesizer)
【収録曲】(★シングル=①⑦)
side:A
★① アメリカン・バンド 3:26
We're an American Band(Don Brewer)
※1973年週間シングル・チャート US(ビルボード)1位 カナダ4位
② ストップ・ルッキン・バック 4:51
Stop Lookin' Back(Mark Farner, Don Brewer)
③ クリーピン 7:00
Creepin'(Mark Farner)
④ ブラック・リコリス 4:43
Black Licorice(Mark Farner, Don Brewer)
side:B
⑤ ザ・レイルロード 6:12
The Railroad(Mark Farner)
⑥ エイント・ガット・ノーバディ 4:23
Ain't Got Nobody(Mark Farner)
★⑦ ウォーク・ライク・ア・マン 4:04
Walk Like a Man (You Can Call Me Your Man) (Mark Farner, Don Brewer)
※1974年週間シングル・チャート US(ビルボード)19位 カナダ16位
⑧ ロンリエスト・ライダー 5:14
Loneliest Rider(Mark Farner)
【チャート】
1973年週間アルバム・チャート
US(ビルボード)2位 カナダ4位 日本10位 ノルウェイ12位 オーストラリア27位
【メ モ】
グランド・ファンク9枚目(スタジオ・アルバムとしては7枚目。ベスト・アルバムを除く。)のアルバム。RIAA公認プラチナ・アルバムを獲得した。なお、このアルバムからバンド名が「グランド・ファンク」となる。
プロデュースは、「音の魔術師」の異名をとるトッド・ラングレンが担当。週間アルバム・チャートはビルボード2位まで上昇したが、これはバンド史上最高位である。
タイトル・チューンの「アメリカン・バンド」は、バンド初のシングル・チャート(ビルボード)1位を記録した。
不死鳥 Phoenix
【歌・演奏】
グランド・ファンク・レイルロード/Grand Funk Railroad
【リリース】
1972年9月
【録音】
1971年9月 サウンド・ショップ(テネシー州ナッシュヴィル)
【プロデューサー】
グランド・ファンク・レイルロード/Grand Funk Railroad
【レーベル】
キャピトル・レコード/Capitol Records
【録音メンバー】
☆グランド・ファンク・レイルロード
マーク・ファーナー/Mark Farner(guitars, organ①, harmonica, vocals)
メル・サッチャー/Mel Schacher(bass)
ドン・ブリューワー/Don Brewer(drums, percussions, vocals)
★アディショナル・パーソネル
クレイグ・フロスト/Craig Frost(organ, clavinet, harpsichord, piano)
ダグ・カーショウ/Doug Kershaw(electric-violin)
【収録曲】(★シングル=⑩)
side:A
① フライト・オブ・ザ・フェニックス 3:38
Flight of the Phoenixs(Mark Farner)
② トライング・トゥ・ゲット・アウェイ 4:11
Trying to Get Away(Mark Farner)
③ サムワン 4:04
Someone(Mark Farner)
④ シー・ガット・トゥ・ムーヴ・ミー 4:48
She Got to Move Me(Mark Farner)
⑤ レイン・キープス・フォーリン 3:25
Rain Keeps Fallin(Mark Farner)
side:B
⑥ アイ・ジャスト・ガッタ・ノウ 3:52
I Just Gotta Know(Mark Farner)
⑦ ソー・ユー・ウォント・ハヴ・トゥ・ダイ 3:21
So You Won't Have to Die(Mark Farner)
⑧ 自由は子供達の為に 6:06
Freedom is for Children(Mark Farner)
⑨ ガッタ・ファインド・ミー・ア・ベター・デイ 4:07
Gotta Find Me a Better Day(Mark Farner)
★⑩ ロックンロール・ソウル 3:40
Rock & Roll Soul(Mark Farner)
※1972年週間シングル・チャート US(ビルボード)29位 カナダ37位
【チャート】
1972年週間アルバム・チャート
US(ビルボード)5位 カナダ8位 オーストラリア13位 ノルウェイ20位 日本21位
【メ モ】
グランド・ファンク・レイルロード7枚目(スタジオ・アルバムとしては6枚目)のアルバム。RIAA公認ゴールド・アルバムを獲得した。
このアルバムは、初のグランド・ファンク・レイルロードのセルフ・プロデュースによる作品である。また旧知のクレイグ・フロスト(keyboards グランド・ファンク・レイルロードの前身である「ザ・ファビュラス・パック」の元メンバー)と、ケイジャン・フィドルの第一人者であるダグ・カーショウが、バンド始まって以来のゲスト・ミュージシャンとしてレコーディングに加わっている。
ラスト・エグジット Last Exit
【歌・演奏】
トラフィック/Traffic
【リリース】
1969年5月
【録音】
side:A(スタジオ録音)1968年 モーガン・スタジオ(ロンドン)
side:B(ライヴ録音) 1968年3月14日 フィルモア・オーディトリアム(サンフランシスコ)
【プロデューサー】
ジミー・ミラー/Jimmy Miller
【レーベル】
アイランド/Island
ユナイテッド・アーティスツ/United Artists
ポリドール/Polydor
【収録曲】 ★シングル=⑤メディケイテッド・グー ☆=ライヴ
side:A ※compilation
① ジャスト・フォー・ユー 2:18
Just for You(Dave Mason)
② シャンハイ・ヌードル・ファクトリー 5:06
Shanghai Noodle Factory(Steve Winwood, Jim Capaldi, Chris Wood, Jimmy Miller, Larry Fallon)
③ サムシングス・ゴット・ア・ホールド・オブ・マイ・トゥ 2:14
Something's Got a Hold of My Toe(Steve Winwood, Dave Mason, Jimmy Miller)
④ ウィザリング・トゥリー 3:04
Withering Tree(Steve Winwood, Jim Capaldi)
★⑤ メディケイテッド・グー 3:36
Medicated Goo(Steve Winwood, Jimmy Miller)
*週間シングル・チャート 圏外
side:B ※Live at The Fillmore Auditorium
☆⑥ フィーリン・グッド 10:40
Feelin' Good(Anthony Newley, Leslie Bricusse)
☆⑦ ブラインド・マン 7:06
Blind Man(Deadric Malone, Joseph Scott)
【録音メンバー】
☆トラフィック
スティーヴ・ウインウッド/Steve Winwood(organ, piano, bass, guitar②⑤, lead-vocals②④⑤⑥⑦)
デイヴ・メイスン/Dave Mason(guitars①③, lead-vocals①)
クリス・ウッド/Chris Wood(flute, sax, organ)
ジム・キャパルディ/Jim Capaldi(drums, percussions, backing-vocals)
【チャート】
1969年週間アルバム・チャート
アメリカ(ビルボード)19位、カナダ31位
【メ モ】
トラフィックのサード・アルバム。
トラフィックは1968年12月に解散したが、その後アイランド・レコードが未発表の音源を編集して制作したのがこの「ラスト・エグジット」である。
A面は未発表曲とアルバム未収録だったシングルのB面曲で構成されている。デイヴ・メイスンが録音に参加しているのは①③のみ。
①「ジャスト・フォー・ユー」は、デイヴ・メイソンのイギリスにおけるソロ・シングルA面として1968年2月にリリースされたもの。トラフィックのメンバーは録音に参加している。
③「サムシングス・ゴット・ア・ホールド・オブ・マイ・トゥ」はインストゥルメンタル。アウトテイクのためもともとはリリースされる予定はなかった。
④「ウィザリング・ツリー」は、1968年9月にリリースされたシングル「フィーリン・オールライト」のB面である。アルバム・ヴァージョンはシングル・ヴァージョンと若干異なっている。この曲にはデイブ・メイソンは参加していないが、メイソンがまだトラフィックに在籍していた特に録音されたものと思われる。
⑤「メディケイテッド・グー」は1968年12月にシングルA面としてリリースされたが、そのB面が②「シャンハイ・ヌードル・ファクトリー」である。2曲ともシングルとして発表された時はモノラル録音だったが、このアルバムにはステレオ・ヴァージョンが収録された。両曲とも1970年の再結成以後のライヴにおける定番曲となった。
B面⑥⑦は1968年3月14日に行われたフィルモア・オーディトリアムでのライヴが収録されているが、メンバーはスティーヴ・ウィンウッド、クリス・ウッド、ジム・キャパルディの3人である。
アメリカ盤『Last Exit』
ピーター・ジャイルズ Peter Anthony Giles
【パート】
ベース、ヴォーカル
【生没年月日】
1944年6月17日~
【出生地】
イングランド ハンプシャー州ハヴァント
【経歴】
ジョニー・キング&ザ・レイダース/Johnny King & The Raiders(1960~1961)
デイヴ・アンソニー&ザ・レベルス/Dave Anthony & The Rebels(1961)
ザ・ダウランズ&ザ・サウンドトラックス/The Dowlands & The Soundtracks(1961~1963)
ザ・サンズ・コンボ/The Sands Combo(1963)
ジ・インターンズ/The Interns(1963)
ザ・トレンドセッターズ・リミテッド/The Trendsetters Limited(1963~1967)
ザ・ブレイン/The Brain(1967)
ジャイルズ・ジャイルズ & フリップ/Giles, Giles & Fripp(1967~1968)
キング・クリムゾン/King Crimson(1970)
マクドナルド & ジャイルズ/McDonald & Giles(1970)
21st センチュリー・スキッツォイド・バンド/21st Century Schizoid Band(2002~2007)
ハンプシャー州ハヴァントに生まれ、南イングランドのドーセット州ボーンマス郊外で育った。
実兄のマイケル・ジャイルズは、のちのキング・クリムゾン初代ドラマーである。
10代の頃、兄マイケルの影響で音楽に興味を持ち、ベースを弾き始める。
1960年、地元のスキッフル・バンド「ジョニー・キング&ザ・レイダース」に加わる。これがジャイルズ兄弟の本格的な音楽活動の始まりである。1961年にバンドが解散すると「デイヴ・アンソニー&ザ・レベルス」に加入。1961年11月に兄マイケルとともにボーンマスの人気グループ「ザ・ダウランズ&ザ・サウンドトラックス」に参加する。
ザ・ダウランド・ブラザーズを離れてからは「ザ・サンズ・コンボ」と「ジ・インターンズ」を経て、1963年12月にトロンボーン奏者をフィーチュアしたR&Bバンド「ザ・トレンドセッターズ・リミテッド」にマイケルとともに加入する。このバンドでは4枚のシングル・レコードの録音に参加したり、ベン・E・キングの英国公演時のバックを務めたりしている。
ザ・トレンドセッターズ・リミテッドは1967年6月に「ザ・ブレイン」(The Brain)と改名して方向性をサイケデリック・ミュージックにシフトしようとしたが、現状を打開できず同年8月に解散する。
ジャイルズ兄弟は新バンドを結成するため新聞にシンガー兼オルガニスト募集の広告を出す。これに応募してきたのが、オルガニストではなかったが同じドーセット州出身であるギタリストのロバート・フリップであった。オーディションの結果、3人は1967年8月に「ジャイルズ・ジャイルズ & フリップ」を結成した。
ジャイルズ・ジャイルズ&フリップは1967年の終わり頃にロンドンへ進出し、デラムとレコーディング契約を結ぶ。
この年6月にはイアン・マクドナルド(元インフィニティ)と、彼の恋人であるジュディ・ダイブル(vocal、元フェアポート・コンヴェンション)がジャイルズ・ジャイルズ & フリップに加入。また、イアン・マクドナルドを通じて、イアンのインフィニティ時代のバンド・メイトだったピート・シンフィールドとも知り合い、ジャイルズ・ジャイルズ&フリップはシンフィールドから歌詞を提供されるようになる。
同年7月、イアンと破局したジュディ・ダイブルがバンドを脱退。
同年9月13日、ジャイルズ・ジャイルズ & フリップはデビュー・アルバム『チアフル・インサニティ・オブ・ジャイルズ・ジャイルズ&フリップ』を発表したが、セールスは全く振るわなかった。
12月になると、ロバート・フリップとの関係に溝ができたことが原因で、ピーターはジャイルズ・ジャイルズ & フリップを脱退する。後任として参加したのがグレッグ・レイク(bass, vocal)である。
ジャイルズ・ジャイルズ & フリップは一度もライヴでの演奏をすることなく活動に終止符を打ち、バンド名を改めて再出発を図ることになるが、その新たなバンド名が「キング・クリムゾン」である。
ジャイルズ・ジャイルズ & フリップ脱退後のピーターはコンピューターのオペレーターとして働いていたが、1970年にロバート・フリップからの依頼を受けて、キング・クリムゾンのセカンド・アルバム『ポセイドンのめざめ』の録音に参加、ベースを担当した。当時のキング・クリムゾンは過渡期にあり、メンバーはフリップとシンフィールドのふたりになっていたためである。
この年は引き続いてマイケル・ジャイルズとイアン・マクドナルドのユニット「マクドナルド & ジャイルズ」が残した唯一のアルバム『マクドナルド & ジャイルズ』のレコーディングにも参加している。
その後はセッション・ミュージシャンとして活動していたが、1974年頃からは弁護士の書記となり、長年にわたってイギリス音楽業界の著作権管理団体「パフォーミング・ライト・ソサエティ」のために働いた。
1977年にはエルヴィス・コステロのバック・バンドのオーディションを受けたが、ピーターのベースはコステロが求めているものではなかったため、採用には至らなかった。
1978年、マイケル・ジャイルズのソロ・アルバム『プログレス』(発表は24年後の2002年)の録音に参加したのを最後にしばらく音楽活動から遠ざかるが、1980年代半ばからジャズ・バンドのベーシストとして活動を再開。
2001年、かつてジャイルズ・ジャイルズ&フリップがイアン・マクドナルドとジュディ・ダイブルを加えて制作した未発表音源の編集に携わる。この音源はLP『Metaphormosis』、CD『The Brondesbury Tapes』として同年に発表された。
2002年、マイケル・ジャイルズやイアン・マクドナルド、メル・コリンズなどキング・クリムゾンの元メンバーらとともに「21stセンチュリー・スキッツォイド・バンド」(命名はロバート・フリップ)を結成。このバンドは初期キング・クリムゾンやマクドナルド&ジャイルズのナンバーをレパートリーとしており、2007年まで活動を続け、高い評価を得た。
2009年、ザ・ダウランド・&ザ・サウンドトラックスやトレンドセッターズ・リミテッドなど、1967年以前に録音された音源を『The Giles Brothers』としてリリースした。
ピーターは2001年以来妻ヤスミン(keyboard, vocal)とともに「Aluna」というユニットで音楽活動を続けていたが、2018年にアルバムを制作。これは2021年に「Yasmin and Peter Giles」名義のアルバム『Insights』として発表された。
ピーター・ジャイルズは中長距離ランナーとしての顔も持っている。
2015年にはリヨンで行われた世界マスターズ陸上競技選手権に出場し、1500m70歳代の部で2位となっている。
【参加アルバム】☆=ライヴ・アルバム ★コンピレイション・アルバム
<ジャイルズ・ジャイルズ&フリップ>
1968年 チアフル・インサニティ・オブ・ジャイルズ・ジャイルズ&フリップ/The Cheerful Insanity of Giles, Giles & Fripp
2001年 The Brondesbury Tapes(CD。LPとしては『Metaphormosis』のタイトルで発表)
<キング・クリムゾン>
1970年 ポセイドンのめざめ/In the Wake of Poseidon
<マクドナルド & ジャイルズ>
1970年 マクドナルド & ジャイルズ/McDonald & Giles
<21st センチュリー・スキッツォイド・バンド>
2002年 Official Bootleg Volume One
☆2004年 Tokyo 2002
☆2004年 Live in Italy
☆2005年 Live in Japan
☆2006年 Pictures of a City - Live in New York
<Peter Giles, Michael Giles>
★2009年 The Giles Brothers 1962-1967
<Yasmin and Peter Giles>
2021年 Insights
<レコーディング・セッション>
1972年 Nigel Lived(Murray Head)
1994年 Vast Empty Spacec(Todd Dillingham)
2002年 プログレス/Progress(マイケル・ジャイルズ)※録音1978年
2002年 Passion(Murray Head)
アルヴィン・リー Alvin Lee
【本名】
グラハム・アンソニー・バーンズ/Graham Anthony Barnes
【パート】
ギター、ヴォーカル
【生没年月日】
1944年12月19日~2013年3月6日(68歳没)
【出生地】
イングランド ノッティンガム
【経 歴】
テン・イヤーズ・アフター(1966~1974)
アルヴィン・リー&カンパニー(1974~1975、1976)
テン・イヤーズ・レイター(1978~1980)
アルヴィン・リー・バンド(1980~1982、1990年代)
テン・イヤーズ・アフター(1988~2003)
アルヴィン・リーは、1960年代から1970年代にかけて世界的な成功を収めたブルース・ロック・バンド「テン・イヤーズ・アフター」のギタリスト兼ヴォーカリストである
トレード・マークは、「Big Red」と呼ばれたチェリー・レッドのギブソンES-335。
ロック・ミュージックにおける「速弾き」ギタリストの先駆者のひとりであり、多くのギタリストに影響を与えた。
アル・ディ・メオラは、アルヴィンのギターを聴いた時に全てピッキングしているものと思い込み、自分もその練習を続けているうちに速く弾けるようになったという。
イングランドのノッティンガムに生まれ、ノッティンガム西部のウォラトンにあるマーガレット・グレン・バット校に進む。
アルヴィンは、両親が集めていたジャズやブルースのレコードによって音楽に親しむようになっていた。
13歳の時、ロックンロールに影響されてギターを弾き始める。当時のアルヴィンはチャック・ベリーとスコッティ・ムーアに夢中だったという。
当時のロック・ギタリストたちはアメリカのブルース・ギタリストをお手本としていたが、やがてアルヴィンはチャーリー・クリスチャンやタル・ファーロウらのジャズ・ギタリストをひたすらコピーするようになり、それによって速弾きと「マシンガン」とも形容されたピッキングを習得した。
1960年、アルヴィンは地元ノッティンガムで知り合ったレオ・ライオンズ(bass)とともに「アイヴァン・ジェイ&ザ・ジェイメン」という5人組のバンドを結成。
間もなくこのバンドはギター・トリオとなり、「ザ・ジェイメン」から「ザ・ジェイキャッツ」へ、そして「ザ・ジェイバーズ」と改名。演奏場所を求めて彼らは一時はハンブルグに移った。
ジェイバーズは1964年2月にデビュー・シングル『Not Fade Away』をリリース。
1965年夏にドラマーがリック・リーに交替し、メンバーはアルヴィン・リー、レオ・ライオンズ、リック・リーとなる。
1966年、ジェイバーズはロンドンへ進出。この年、チック・チャーチル(keyboards)が加わり4人編成となったバンドは「テン・イヤーズ・アフター」と改名する。
テン・イヤーズ・アフターは、1967年にウィンザー・ジャズ・フェスティバルに出演したが、この時のパフォーマンスが認められ、デッカ・レーベル傘下にあるデラム・レコードと契約することになった。
1967年、デビュー・アルバム『テン・イヤーズ・アフター・ファースト』を発表すると、アルヴィンのギターを中心としたエネルギッシュなステージが徐々に評判となる。
1968年にはセカンド・アルバム『イン・コンサート』を発表。このアルバムは、当時としては異例のライヴ・アルバムとしてリリースされており、ライヴ・バンドとして頭角を現しつつあったテン・イヤーズ・アフターの魅力が反映されたものになっている。
1969年、テン・イヤーズ・アフターはウッドストック・フェスティヴァルに出演。
8月17日夜のステージで見せた「アイム・ゴーイング・ホーム」の熱演は、25万人もの大観衆を熱狂させた。
この時のテン・イヤーズ・アフターの演奏はウッドストック・フェスティヴァルのハイライトのひとつに数えられており、ドキュメンタリー映画『ウッドストック』にも収められている。そしてこの時のパフォーマンスによって、アルヴィンの人気も決定的なものとなった。
テン・イヤーズ・アフターではスタジオ・アルバムを8枚リリースしているが、イギリスでは2作目の『ストーンドヘンジ』(1969年)から5作目の『ワット』(1970年)まで4作連続トップ10入りを、アメリカでは3作目の『夜明けのない朝』から6作目の『スペース・イン・タイム』まで4作連続トップ30入りを記録している。
1971年、バンドはコロムビア・レコードに移籍。9月にリリースしたシングル『チェンジ・ザ・ワールド』はビルボードで40位となるヒット(テン・イヤーズ・アフター唯一の全米トップ40入り)を記録したが、ひと頃の人気は徐々に影をひそめるようになり、1973年の来日公演終了後からはブルース・ロックを追求したいリーとポップ路線にシフトさせようとするレーベルとの間の音楽的指向の相違が表面化するようになった。
1973年、アルヴィンはジョージ・ハリスン、スティーヴ・ウィンウッド、ロン・ウッド、ミック・フリートウッドをゲストに迎えて、アメリカのゴスペル系シンガー、マイロン・ルフェーヴルとのコラボレーション・アルバム『自由への旅路』を制作、発表する。カントリー・ロックから大きな影響を受けているこのアルバムは、セールスは今ひとつ伸びなかったものの、好意的な評価を受けた。
同年発表されたジェリー・リー・ルイスの2枚組アルバム『ロックンロール・スーパー・セッション』の録音にも参加している。
アルヴィンは、1974年にはソロ・プロジェクトを本格化させる。
この年3月22日に行われる予定のロンドンのレインボー・シアター公演のために、ブリティッシュ・ファンク・バンド「ココモ」のメンバーとアレクシス・コーナーのバンド「スネイプ」の元メンバーのジョイントによる「アルヴィン・リー&カンパニー」を結成。この公演の模様は2枚組のライヴ・アルバム『栄光への飛翔』として、テン・イヤーズ・アフター解散後の1974年11月にリリースされている。
テン・イヤーズ・アフターは1974年4月に通算8作目のスタジオ・アルバム『ヴァイブレーションズ』を発表したが、アルヴィンが活動の比重の重きをソロに置くようになっていたことなどで人気の停滞に拍車がかかり、アルバムのリリース後間もなく解散した。
1975年8月4日、サンフランシスコのウィンターランドで、アメリカでのフェアウェル・コンサートのため一時的にテン・イヤーズ・アフターが再結成される。
1975年にはソロ・アルバム『パンプ・アイアン』を制作したが、この時のレコーディング・メンバーが第2期「アルヴィン・リー&カンパニー」である。
同年にはボ・ディドリーのアルバム『栄光のロックン・ロール・ジャム』の録音にも参加、数曲でギターを弾いている。
1978年、ズート・マネー(keyboard)やアラン・スペナー(bass)らを起用してソロ・アルバム『レット・イット・ロック』を制作。
『レット・イット・ロック』を発表した後、トム・コンプトン(drums)、ミック・ホークスワース(bass)を起用して「テン・イヤーズ・レイター」を結成。『甦る雷神』(1978年)と『ライド・オン』(1979年)の2枚のアルバムをリリースし、ヨーロッパやアメリカなどでツアーを行った。
1980年、「テン・イヤーズ・レイター」のメンバーを一新、元レア・バードのスティーヴ・グールド(vocal, guitar)などを加えて、バンド名も「アルヴィン・リー・バンド」とした。このバンドは1980年10月に『フリーフォール』、そして1981年11月に『RX-5』の、計2枚のアルバムをリリースした。1981年にはスティーヴ・グールドの後任としてミック・テイラー(guitar, vocal)が加入している。
1983年7月1日、一夜限りで再結成し、ロンドンの「マーキー・クラブ25周年記念コンサート」に出演。
1989年、ソロ活動と並行して、オリジナル・メンバーによる「テン・イヤーズ・アフター」の再結成にも参加。同年アルバム『アバウト・タイム』をリリースした。
1990年代には再びスティーヴ・グールドとともに「アルヴィン・リー・バンド」としての活動を再開させ、1993年に12年ぶりのサード・アルバム『Nineteenninetyfour』発表した。
2004年、D.J. フォンタナ、そしてかつてのアルヴィンのアイドルであるスコッティ・ムーアを招いて制作したアルバム『アルヴィン・リー・イン・テネシー』をリリース。
晩年はレコーディング・スタジオのある自宅にこもって「FBI」というバンドをプロデュースするなど、マイ・ペースで活動した。
2012年9月にはアルバム『スティル・オン・ザ・ロード・トゥ・フリーダム』をリリースしたが、これがアルヴィンの最後の作品となった。
2013年3月6日、アルヴィン・リーはスペインで死去。68歳であった。
死因は、「心房細動を治療するための通常の外科的処置後に起きた予期せぬ合併症」とメディアで発表されている。
アルヴィンの訃報を聞いたレオ・ライオンズは、アルヴィンを「兄弟に最も近いもの」と呼んでその死を惜しみ、リック・リーは「彼の死の現実についてまだピンと来ていない」と哀しみを述べた。
アルヴィンは20枚以上のアルバムや多くの楽曲を残しているが、「ビルボード」誌は、ウッドストック・フェスティバルでの『アイム・ゴーイング・ホーム』や、1971年のヒット・シングル『チェンジ・ザ・ワールド』などを画期的なパフォーマンスだったとして、アルヴィンの功績を讃えている。
【ディスコグラフィ】☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム
<テン・イヤーズ・アフター>
1967年 テン・イヤーズ・アフター・ファースト/Ten Years After
☆1968年 イン・コンサート/Undead UK26位、US(ビルボード)115位
1969年 ストーンドヘンジ/Stonedhenge UK6位、US(ビルボード)61位
1969年 夜明けのない朝/Ssssh UK4位、US(ビルボード)20位
1970年 クリックルウッド・グリーン/Cricklewood Green UK4位、US(ビルボード)14位
1970年 ワット/Watt UK5位、US(ビルボード)21位
1971年 スペース・イン・タイム/A Space in Time UK36位、US(ビルボード)17位
1972年 ロックンロール・ミュージック・トゥ・ザ・ワールド/Rock & Roll Music to the World UK27位、US(ビルボード)43位
★1972年 Alvin Lee and Company US55位
☆1973年 ライヴ!/Recorded Live UK36位、US(ビルボード)39位
1974年 ヴァイブレーションズ/Positive Vibrations US(ビルボード)81位
★1975年 Goin' Home! US174位
1989年 アバウト・タイム/About Time US(ビルボード)120位
☆2001年 ライヴ・アット・ザ・フィルモア・イースト/Live at the Fillmore East 1970
☆2003年 One Night Jammed
☆2005年 Roadworks
<ソロ・アルバム等>
1973年 自由への旅路/On the Road to Freedom(アルヴィン・リー with マイロン・ルフェーヴル) US(ビルボード)138位
☆1974年 栄光への飛翔/In Flight(アルヴィン・リー&カンパニー) US(ビルボード)65位
1975年 パンプ・アイアン/Pump Iron!(アルヴィン・リー) US(ビルボード)131位
1978年 レット・イット・ロック/Let It Rock(アルヴィン・リー)
1978年 甦る雷神/Rocket Fuel(アルヴィン・リー&テン・イヤーズ・レイター) US(ビルボード)115位
☆1978年 Live at Rockpalast
1979年 ライド・オン/Ride On(アルヴィン・リー&テン・イヤーズ・レイター) US(ビルボード)158位
1980年 フリー・フォール/Free Fall(アルヴィン・リー・バンド) US(ビルボード)198位
1981年 RX5/RX5
1986年 デトロイト・ディーゼル/Detroit Diesel US(ビルボード)124位
1992年 ズーム/Zoom
1994年 Nineteen Ninety-Four
☆1994年 Live In Vienna
2004年 アルヴィン・リー・イン・テネシー/In Tennessee
2007年 Saguitar
2012年 スティル・オン・ザ・ロード・トゥ・フリーダム/Still on the Road to Freedom
☆2013年 The Last Show
<ソロ・シングル>
1986年 デトロイト・ディーゼル/Detroit Diesel US(ビルボード)26位