エマーソン・レイク&パウエル Emerson Lake & Powell
【歌・演奏】
エマーソン・レイク&パウエル/Emerson Lake & Powell
【リリース】
1986年6月2日
【録 音】
1985年~1986年
メイスン・ルージュ(イングランド ロンドン)
フリートウッド・モバイル(イングランド サセックス州)
【プロデューサー】
トニー・タヴァナー/Tony Taverner
グレッグ・レイク/Greg Lake
【エンジニア】
トニー・タヴァナー/Tony Taverner
【レーベル】
ポリドール/Polydor Records
【収 録 曲】(☆=シングル④⑦)
side : A
① ザ・スコアー 9:10
The Score(words : Greg Lake music : Keith Emerson)
② ラーニング・トゥ・フライ 3:52
Learning to Fly(words : Greg Lake music : Keith Emerson)
③ ザ・ミラクル 7:02
The Miracle(words : Greg Lake music : Keith Emerson)
side : B
☆④ タッチ・アンド・ゴー 3:35
Touch and Go(words : Greg Lake music : Keith Emerson)(traditional English folk song「Lovely Joan」 adaptation : Keith Emerson)
※1986年6月9日リリース 1986年週間シングル・チャート US60位
⑤ ラヴ・ブラインド 3:08
Love Blind(words : Greg Lake music : Keith Emerson)
⑥ ステップ・アサイド 3:42
Step Aside(words : Greg Lake music : Keith Emerson)
☆⑦ レイ・ダウン・ユア・ガンズ 4:20
Lay Down Your Guns(words : Greg Lake & Steve Gould music : Keith Emerson)
※1986年8月25日リリース(US)
⑧ 火星-戦争をもたらすもの 7:53
Mars, the Bringer of War(music : Gustav Holst adaptation : Emerson Lake & Powell)
【録音メンバー】
◆エマーソン・レイク&パウエル
キース・エマーソン/Keith Emerson(Keyboards)
グレッグ・レイク/Greg Lake(bass, guitars, vocals, production)
コージー・パウエル/Cozy Powell(drums, percussions)
【チャート】
1986年週間アルバム・チャート アメリカ(ビルボード)23位 イギリス35位 日本19位 オーストラリア87位
【メ モ】
・エマーソン・レイク&パウエルのファースト・アルバム。バンド唯一のスタジオ・アルバムである。
・アルバムからのファースト・シングル④「タッチ・アンド・ゴー」は、1986年7月19日付のビルボードで最高60位を記録した。この曲のメインのシンセサイザー・パートは、イギリスのフォーク・ソング「ラヴリー・ジョーン」をベースにしている。
・⑧「火星-戦争をもたらすもの」は、イギリスの作曲家グスターヴ・ホルストの組曲「惑星」の「火星-戦争をもたらすもの」を改作したものである。なおこのホルストの「火星」は、グレッグ・レイクがキング・クリムゾン時代の最期に参加したアルバム「ポセイドンのめざめ」に収録されている「デヴィルズ・トライアングル」でも使われている。
エマーソン・レイク&パウエル Emerson Lake & Powell
【活動期間】
1985年~1986年
【メンバー】
キース・エマーソン/Keith Emerson(Keyboards)
グレッグ・レイク/Lake(bass, guitars, vocals)
コージー・パウエル/Powell(drums, percussions)
【バンドの歴史】
1970年代に世界的な人気バンドとして活躍したエマーソン・レイク&パーマー(EL&P)は、1979年に活動を停止し、1980年2月に解散した。
解散後、キース・エマーソンとグレッグ・レイクはソロ活動を開始。カール・パーマーは自己のバンド「PM」を結成してアルバムを1枚発表したのち、「エイジア」の結成に参加する。
1984年、エマーソンのソロ・プロジェクトに対して、セールス面を考慮したレーベル側がEL&Pの再結成を提案した。これを受けてエマーソンとレイクはEL&P再結成について話し合うようになり、レイクは再結成に同意する。しかし、当時のパーマーはエイジアでの成功を手にしており、エイジアとしての活動に集中したいという意思が固く、エイジアに対する契約上の義務もあって、EL&Pの再結成は実現しなかった。
このため同じく「P」の頭文字を持つサイモン・フィリップスに声をかけたが、フィリップスも多くのセッションを抱えていたため、加入には至らなかった。ほかにもイアン・ペイスにオファーを送ったが、ペイスはディープ・パープルの再結成に参加した直後であり、それには応えられなかった。最終的に正式に加入したのは、1970年代からエマーソンと親しく交流していたコージー・パウエルであった。
こうして1985年に「エマーソン・レイク&パウエル」の布陣が整い、同年終盤にはアルバムの制作を開始するのである。
エマーソンはこのバンドを「EL&Pの再結成」と公言していたが、パーマーはそれには同意せず、エマーソン・レイク&パーマー以外のバンドが「ELP」または「EL&P」という省略名とELPのロゴを使用することの禁止を求める訴訟を起こした。裁判はパーマーが勝訴し、新たなバンドは「エマーソン・レイク&パウエル」と名乗ることが認められた。しかし同時に、エマーソン・レイク&パウエルのことを「ELP」または「EL&P」と呼ぶことはできなくなった。ただし、エマーソン・レイク&パウエルは、ライヴではエマーソン・レイク&パーマーの作品も演奏している。
1986年7月、ファースト・アルバム「エマーソン・レイク&パウエル」がリリースされ、ビルボード最高23位のスマッシュ・ヒットを記録した。
同年8月15日から11月2日まではアメリカ・ツアーを行ったが、ツアーに対しては賛否両論が起こり、バンドはマネージメントを解雇した。ツアーを終えたのちにパウエルが脱退したため、エマーソン・レイク&パウエルは解散した。
その後パーマーがエイジアから脱退したことにより、は再び「エマーソン・レイク&パーマー」の再結成の計画が持ち上がったが、間もなくレイクが離脱したため、エマーソンとパーマーはロバート・ベリー(bass, guitar)を加えて「3(スリー)」を結成する。
パウエルは1988年にブラック・サバスに加入。
オリジナル・メンバーによるエマーソン・レイク&パーマー再結成は、1991年まで時を待つことになる。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
<アルバム>
1986年 エマーソン・レイク&パウエル/Emerson Lake & Powell
★2003年 ザ・スプロケット・セッションズ/The Sprocket Sessions
☆2010年 ライヴ・イン・コンサート/Live in Concert
★2012年 Live in Concert & More ※2CD combining「The Sprocket Sessions」&「Live in Concert」
★2024年 The Complete Collection ※3CD combining「Emerson Lake & Powell」,「The Sprocket Sessions」&「Live in Concert」
<シングル>
1986年 Touch and Go(US60位)
1986年 Lay Down Your Guns
【メンバー変遷】
#1 1985~1986
キース・エマーソン(Keyboards) ex. Emerson Lake & Palmer →3
グレッグ・レイク(bass, guitars, vocals) ex. Asia →Emerson Lake & Palmer
コージー・パウエル(drums, percussions) ex. Whitesnake →Black Sabbath
フロム・ハンブル・オレンジ From Humble Orange
【歌・演奏】
ジンジャー・ベイカー & バンド/Ginger Baker & Band
【リリース】
1982年
【録 音】
Idea Recording(イタリア共和国ロンバルディ州ミラノ)
【プロデューサー】
スティーヴ・ジェームス/Steve James
【エンジニア】
スティーヴ・ジェームス/Steve James
ピノ・ヴィカリPino Vicari
【レーベル】
CGD/CGD (Compagnia Generale Del Disco)
【収 録 曲】
side:A
① The Eleventh Hour 3:14
(words & music : Ginger Baker)
② Too Many Apples 3:33
(words & music : Douglas Brockie)
③ It 3:03
(words & music : Ginger Baker)
④ Under the Sun 4:37
(words & music : Douglas Brockie)
⑤ On the Road to Grandma's House 3:40
(words & music : Ginger Baker)
side:B
⑥ The Land of Mordor 5:08
(words : John Tolkien music : Ginger Baker)
⑦ This Planet 3:26
(words & music : Douglas Brockie)
⑧ Sore Head in the Morning Blues 5:43
(words : Ginger Baker music : Douglas Brockie, Karl Hill)
⑨ Wasting Time 3:10
(words & music : Ginger Baker)
⑩ Lament 0:17
【録音メンバー】
ジンジャー・ベイカー/Ginger Baker(drums, percussions, keyboards, vocals)
ダグラス・ブロッキー/Douglas Brockie(guitars, lead-vocals)
カール・ヒル/Karl Hill(bass, vocals)
クリス・ジェント/Chris Gent(tenor-sax)
【チャート】
1982年週間アルバム・チャート 圏外
【メ モ】
ジンジャー・ベイカーのソロ・アルバムである。名義は「ジンジャー・ベイカー&バンド」。
ブルージーなロック・アルバムである。
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ホーシス・アンド・トゥリーズ Horses & Trees
【歌・演奏】
ジンジャー・ベイカー/Ginger Baker
【リリース】
1986年1月6日
【録 音】
1985年9月~11月
クアド・スタジオ/Quad Recording Studio(アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市)
パワー・ステーション/Power Station(アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市)
エヴァーグリーン・スタジオ/Evergreen Studio(アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市)
【プロデューサー】
ビル・ラズウェル/Bill Laswell
【エンジニア】
ロブ・スティーヴンス/Rob Stevens(Evergreen Studio)
ジェイソン・コーサロ/Jason Corsaro(Power Station)
ロバート・ムッソ/Robert Musso(Quad Studio)
【レーベル】
セルロイド・レコード/Celluloid Records
【収 録 曲】
side:A
① インターロック 4:55
Interlock(Bill Laswell, Daniel Ponce, Nicky Skopelitis, Foday Musa Suso)
② ダスト・トゥ・ダスト 5:29
Dust to Dust(Bill Laswell)
③ サトウ 5:20
Satou(Bill Laswell, Foday Musa Suso, Aïyb Dieng)
side:B
④ アンカット 6:48
Uncut(Bill Laswell, Daniel Ponce, Nicky Skopelitis, Foday Musa Suso, Ginger Baker)
⑤ マウンテン・タイム 6:04
Mountain Time(Ginger Baker, Aïyb Dieng)
⑥ マクタ 5:34
Makuta(Ginger Baker, Aïyb Dieng, Bill Laswell, Foday Musa Suso)
【録音メンバー】
ジンジャー・ベイカー/Ginger Baker(drums)
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アイーヴ・ディエン/Aïyb Dieng(talking-drum①③④⑤⑥, bells①③④⑥)
フォデイ・ムサ・スソ/Foday Musa Suso(dousongonni [harp] ①④, kalimba③⑥, nyanyer③⑥)
ダニエル・ポンセ/Daniel Ponce(bata①②④, bells①③④⑤)
ナナ・ヴァスコンセロス/Naná Vasconcelo(berimbau③⑥, cuica③⑥, shaker③⑥, voice③⑥)
ニッキー・スコペリティス/Nicky Skopelitis(12strings-guitar①②④⑥, 6strings-guitar①)
ビル・ラズウェル/Bill Laswell(bass①②④, 6strings-bass②, slide-guitar②)
バーニー・ウォーレル/Bernie Worrell(organ①②④)
ロバート・ムッソ/Robert Musso(organ⑥)
ラクシュミナラヤナ・シャンカール/Lakshminarayana Shankar(violin①②④)
グランドミキサー D.ST/Grandmixer D.ST(turntable③)
【チャート】
1986年週間アルバム・チャート 圏外
【メ モ】
・ジンジャー・ベイカーのソロ・アルバム。
ベイカーとビル・ラズウェルのコラボレーション的性格を持つボーダーレス・アルバムで、全曲インストゥルメンタルである。
録音に参加しているのは、おもにラズウェルと繋がりのあるミュージシャンである。
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アフリカン・フォース African Force
【歌・演奏】
ジンジャー・ベイカー/Ginger Baker
【リリース】
1987年
【録 音】
Jazzhaus Cologne(percussions & drums, Live recorded ドイツ連邦共和国ケルン市)
Burberg Studio(other instruments ドイツ連邦共和国イゼルローン市)
【プロデューサー】
ヤン・カズダ/Jan Kazda
【エンジニア】
Ansgar Ballhorn(Jazzhaus Cologne)
【レーベル】
ITM Records
【収 録 曲】
side:A
① ブレイン・ダメージ 4:49
Brain Damage(Jan Kazda & Ginger Baker)
② ソコト 5:03
Sokoto(Jan Kazda & Ginger Baker)
③ アンソウマニア 6:03
Ansoumania(Jan Kazda & Ginger Baker)
side:B
④ アドア 6:17
Adoa(Jan Kazda & Ginger Baker)
⑤ アフリカン・フォース 12:43
African Force(Jan Kazda & Ginger Baker)
【録音メンバー】
ジンジャー・ベイカー/Ginger Baker(drums)
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Wolfgang Schmidtke(soprano-sax, tenor-sax)
Ludwig Gotz(trombone)
Jan Kazda(bass, guitar, keyboards)
Francis Mensah(percussions)
Ampofo(percussions, voice①②③④)
Ansou Mana Bangoura(percussions, voice①②③④)
J. C. Commodore(percussions, voice①②③④)
【チャート】
1987年週間アルバム・チャート 圏外
【メ モ】
ジンジャー・ベイカーのソロ・アルバム。
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ノー・マテリアル No Material
【歌・演奏】
ノー・マテリアル/No Material
【リリース】
1989年
【録 音】
1987年3月28日 ミューレ・フンツィケン/Muhle Hunziken(スイス連邦ベルン州ルビゲン/Rubigen, Switzerland)
【レーベル】
ITM Records
【収 録 曲】
side:A
① Dishy Billy 11:39
(Ginger Baker)
② Skin the Pizzle 15:32
(Sonny Sharrock)
③ Oil of Tongue 10:29
(Nicky Skopelitis)
④ One in the Bush is Worth Two in the Hand 16:39
(Peter Brötzmann)
【録音メンバー】
<ノー・マテリアル>
ペーター・ブロッツマン/Peter Brötzmann(sax)
ソニー・シャーロック/Sonny Sharrock(electric-guitar)
ニッキー・スコペリティス/Nicky Skopelitis(electric-guitar)
ヤン・カズダ/Jan Kazda(bass)
ジンジャー・ベイカー/Ginger Baker(drums)
【チャート】
1989年週間アルバム・チャート 圏外
【メ モ】
・ジンジャー・ベイカー、ソニー・シャーロック、ニッキー・スコペリティス、ペーター・ブロッツマン、ヤン・カズダが組んだ「ノー・マテリアル」のライヴ・アルバムである。1987年3月28日にスイスのルビゲンにあるミューレ・フンツィケンで行われたライヴを収録している。
ノー・マテリアルは1987年に解散するまで一週間に3回のコンサートを行った短命のグループである。ビル・ラズウェルの「マテリアル」「ラスト・イグジット」、ジンジャー・ベイカーの「アフリカン・フォース」、ドイツのバンド「ダス・フェルド」のメンバーが集結したフリー・ジャズ・グループである。バンド名は、メンバーが完全即興のコンサートを行ったという事実に由来したものである。
ナチュラル・ガス Natural Gas
【歌・演奏】
ナチュラル・ガス/Natural Gas
【リリース】
1976年
【録 音】
クリスタル・サウンド(アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス市ハリウッド)
【プロデューサー】
フェリックス・パパラルディ/Felix Pappalardi
【エンジニア】
ラルフ・モス/Ralph Moss
【レーベル】
プライヴェート・ストック・レコード/Private Stock Records
【収 録 曲】(☆=シングル⑥)
side:A
① リトル・ダーリン 3:08
Little Darlin'(Kathy Molland, Joey Molland)
② 愛の歌をもう一度 3:55
Once Again, A Love Song(Joey Molland)
③ ユー・キャント・ドゥ・イット 2:55
You Can Do It(Mark Clarke, Peter Wood)
④ アイヴ・ビーン・ウェイティング 3:15
I've Been Waitin'(Joey Molland)
⑤ 愛を信じて 4:03
I Believe It's Love(Jerry Shirley, Joey Molland)
side:B
☆⑥ ザ・ライト・タイム 3:47
The Right Time(Mark Clarke)
※1976年リリース
⑦ クリスマス・ソング 4:59
Christmas Song(Joey Molland)
⑧ ミラクル・マイル 2:43
Miracle Mile(Mark Clarke)
⑨ ダーク・クラウド 2:59
Dark Cloud(Joey Molland)
⑩ セント・ルイス・ブルース 3:29
St. Louis Blues(Mark Clarke)
【録音メンバー】
◆ナチュラル・ガス
ジョーイ・モランド/Joey Molland(guitar, vocals①②④⑥⑦⑧⑨)
ピーター・ウッド/Peter Wood(Keyboards)
マーク・クラーク/Mark Clarke(bass, vocals①~⑩)
ジェリー・シャーリー/Jerry Shirley(drums)
◆ゲスト・ミュージシャン
フェリックス・パパラルディ/Felix Pappalardi(vocals③)
【チャート】
【メ モ】
・ナチュラル・ガスのファーストにしてラスト・アルバム。ジョーイ・モランドとマーク・クラークが全曲の作曲とヴォーカルを担当している。
ナチュラル・ガス Natural Gas
【活動期間】
1975年~1976年
【メンバー】
ジョーイ・モランド/Joey Molland(guitar, vocals)
レス・ニコル/Les Nichol(guitar, vocals)
ピーター・ウッド/Peter Wood(Keyboards)
マーク・クラーク/Mark Clarke(bass, vocals)
ジェリー・シャーリー/Jerry Shirley(drums)
【バンドの歴史】
1974年末にバッドフィンガーを離脱したジョーイ・モランド(guitar, vocals)、1975年に解散したハンブル・パイのジェリー・シャーリー(drums)、1974年に解散したテンペストのマーク・クラーク(bass)、元サザーランド・ブラザーズ&クイーヴァーで,、アル・スチュワートのサポートも務めていたピーター・ウッド(keyboard)の4人が、新たにバンドを結成するべく1975年に集結。シャーリーの発案でバンド名を「ナチュラル・ガス」とし、活動を開始する。
モランドが在籍していたバッドフィンガーがアップル・レコードに所属していたことから、結成当初はアップルのスタッフだったマル・エヴァンスがプロデュースを担当していたが、ナチュラル・ガスがプライヴェート・ストックと契約すると、レーベルの意向によってフェリックス・パパラルディがプロデューサーに迎えられた。
新たなスーパー・グループの誕生として話題となったナチュラル・ガスは、こうして1976年にファースト・アルバム「ナチュラル・ガス」を発表する。申し分のないキャリアを持つ4人が制作したこの作品は、メロディーを大事にした良質のハード・ポップ・アルバムだったが、期待に反してセールスは振るわなかった。
アルバム発表後、ハンブル・パイ時代にシャーリーとバンドメイトだったピーター・フランプトンの全米ツアーにフロント・アクトとして参加。フランプトンは当時日の出の勢いだったこともあり、ツアーは成功裡に終わったが、その後ポップ志向のモランドとハードなサウンドを志向する他の3人の間に音楽的な見解の相違が生じたことに加え、バンドはロサンゼルスに戻りたいモランドとニューヨークに残りたい他の3人に分かれてしまい、モランドは脱退する。1976年末に後任としてレス・ニコルが加入したが、バンドは間もなく解散した。
解散後、モランドは1979年にトム・エヴァンスとともに「バッドフィンガー」名義でアルバム「エアウェイヴス」を発表。
クラークは1977年5月に「レインボー」へ加入。
シャーリーは、ウッド、ニコルとともに結成した「マグネット」を経てハンブル・パイの再結成に参加。
ウッドは「マグネット」を経てジェス・ローデンと「リヴィッツ」を結成した。なおウッドがアル・スチュワートと共作した「イヤー・オブ・ザ・キャット」は、1976年に全米8位の大ヒットを記録している。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム)
1976年 ナチュラル・ガス/Natural Gas
☆2018年 Live from the Vault ※録音1976年8月17日
【メンバー変遷】
#1 1975~1976
ジョーイ・モランド(guitar, vocals) ex. Badfinger →Badfinger
ピーター・ウッド(Keyboards) ex. Southerland Brothers & Quiver
マーク・クラーク(bass, vocals) ex. Tempest
ジェリー・シャーリー(drums) ex. Humble Pie
#2 1976
レス・ニコル(guitar, vocals) ex. Leo Sayer →Magnet
ピーター・ウッド(Keyboards) →Magnet
マーク・クラーク(bass, vocals)→Rainbow
ジェリー・シャーリー(drums)→Magnet
ストレンジ・ブリュー Strange Brew
【活動期間】
1975年
【メンバー】
クレム・クレムソン/Clem Clempson(guitar,vocals)
グレッグ・リドリー/Greg Ridley(bass, vocals)
コージー・パウエル/Cozy Powell(drums)
【バンドの歴史】
1975年春のハンブル・パイ解散後に、クレム・クレムソンとグレッグ・リドリーがコージー・パウエルを誘って結成した新たなバンドが、ストレンジ・ブリューである。
クレムソンは1960年代後半に「ベイカールー」を率いていたが、パウエルは1969年秋のごく短期間、その「ベイカールー」のメンバーだったことがある。
3人とも「クリーム」をリスペクトしていたところから、バンドはその影響を受けたギター・トリオを目指していた。
バンド名はクリームのレパートリーから付けられた。これはクレムソンとリドリーが1975年6月に受けた取材中(パウエルはカー・レースに参加するため欠席していた)に考えたものである。
ところがリハーサルが始まった矢先、クレムソンが手首に大けがを負ってしまった。このためバンドは活動の停止を余儀なくされ、そのまま解散することになったのである。
解散後、パウエルは1975年にリッチー・ブラックモア率いるレインボーのオーディションを受けて採用され、その後第2期レインボーを支えた。
クレムソンはそのブラックモアの後任を探していたディープ・パープルのオーディションを受けたが採用されず、同年7月にスティーヴ・マリオット・オール・スターズに加入。
リドリーも1975年8月にスティーヴ・マリオット・オール・スターズに参加し、再びクレムソンとバンド・メイトになった。
【ディスコグラフィ】
レコード制作なし
【メンバー変遷】
#1 1975
クレム・クレムソン(guitar, vocal)ex.ハンブル・パイ →スティーヴ・マリオット・オール・スターズ
グレッグ・リドリー(bass, vocal)ex.ハンブル・パイ →スティーヴ・マリオット・オール・スターズ
コージー・パウエル(drums)ex.コージー・パウエルズ・ハマー →レインボー
ストリート・ラッツ Street Rats
【歌・演奏】
ハンブル・パイ/Humble Pie
【リリース】
1975年2月
【録 音】
1975年1月
オリンピック・スタジオ(イングランド ロンドン)
クリア・サウンズ・サウンド(イングランド エセックス州)
【プロデューサー】
アンドリュー・ルーグ・オールダム/Andrew Loog Oldham
スティーヴ・マリオット/Steve Marriott
【エンジニア】
アラン・オダフィ/Alan O'Duffy
ジョン・ハミル/John Hamill
スティーヴ・マリオット/Steve Marriott
【レーベル】
A&M レコード/A&M Records
【収 録 曲】(☆=シングル②)
side:A
① ストリート・ラッツ 2:51
Street Rats(Steve Marriott)
☆② ロックンロール・ミュージック 2:57
Rock and Roll Music(Chuck Berry)
※1975年リリース US105位
③ 恋を抱きしめよう 3:21
We Can Work It Out(John Lennon, Paul McCartney)
④ スコアド・アウト 2:46
Scored Out(Steve Marriott, Clem Clempson)
⑤ ロード・ホグ 3:09
Road Hog(Steve Marriott)
⑥ レイン 4:02
Rain(John Lennon, Paul McCartney)
side:B
⑦ ゼア・ティス 3:06
There 'Tis(Steve Marriott, Clem Clempson)
⑧ ラヴメイカー 5:37
Let me Be Your Lovemaker(Clarence Reid, Willie Clarke, Betty Wright)
⑨ カントリーマン・ストンプ 2:20
Countryman Stomp(Clem Clempson, Greg Ridley, Tim Hinkley)
⑩ ドライヴ・マイ・カー 3:42
Drive My Car(John Lennon, Paul McCartney)
⑪ クイーンズ・アンド・ナンズ 3:05
Queens and Nuns(Humble Pie)
【録音メンバー】
◆ハンブル・パイ
スティーヴ・マリオット/Steve Marriott(guitar, keyboards, harmonica, lead-vocals①③④⑤⑥⑦⑪)
クレム・クレムソン/Dave "Clem" Clempson(guitars)
グレッグ・リドリー/Greg Ridley(bass, backing-vocals, lead-vocals②⑥⑧⑨⑩)
ジェリー・シャーリー/Jerry Shirley(drums②~⑪)
◆ゲスト・ミュージシャン
メル・コリンズ/Mel Collins(sax)
イアン・ウォーレス/Ian Wallace(drums①)
ティム・ヒンクリー/Tim Hinkley(keyboards)
【チャート】
1975年週間アルバム・チャート アメリカ(ビルボード)100位 イギリス 圏外 カナダ98位
【メ モ】
・ハンブル・パイの8作目のスタジオ・アルバム。ハンブル・パイは、この作品をリリースしたのち、解散する。
・①「ストリート・ラッツ」は、スティーヴ・マリオットが自分のソロ・アルバムに収録するつもりで録音した曲である。イアン・ウォーレスやティム・ヒンクリーが参加している。
・アルバムの録音場所は、オリンピック・スタジオと、マリオットの自宅スタジオであるクリア・サウンズ・サウンド。
・ビートルズの曲を3曲(③⑥⑩)カヴァーしている。⑥「レイン」のリード・ヴォーカルは、マリオットとグレッグ・リドリーが分け合っている。なお②「ロックンロール・ミュージック」はチャック・ベリーの作品だが、ビートルズもカヴァーしている。
・アメリカでは8週にわたってビルボード200入りし、1975年5月24日付で記録した100位が最高位であった。
キース・エマーソン Keith Emerson
【本 名】
キース・ノエル・エマーソン/Keith Noel Emerson
【パート】
オルガン、ピアノ、シンセサイザー、アコーディオン etc...
【生没年月日】
1944年11月2日~2016年3月10日(71歳没)
【出身地】
イングランド ヨークシャー州トッドモーデン
【経歴】
キース・エマーソン・トリオ/Keith Emerson Trio(1963~1964)
ジョン・ブラウンズ・ボディーズ/John Brown's Bodies(1965)
ゲイリー・ファー&ザ・T-ボーンズ/Gary Farr & The T-Bones(1965~1966)
V.I.P.'s(1966~1967)
ナイス/Nice(1967~1970)
エマーソン・レイク&パーマー/Emerson, Lake & Palmer(1970~1980)
エマーソン・レイク&パウエル/Emerson, Lake & Powell(1985~1986)
3(1987~1989)
ザ・ベスト/The Best(1990)
エイリアンズ・オブ・エクストラオーディナリー・アビリティ/Aliens of Extraordinary Ability(1990)
エマーソン・レイク&パーマー/Emerson, Lake & Palmer(1991~1998)
キース・エマーソン&ザ・ナイス/Emerson, Lake & Palmer(2002~2003)
キース・エマーソン・バンド/Keith Emerson Band(2004~)
エマーソン・レイク&パーマー/Emerson, Lake & Palmer(2010)
キース・エマーソンは、イングランド出身の鍵盤楽器奏者である。
クラシックやジャズの要素を大胆に取り入れてロック・ミュージックに新たな可能性を示し、ロック界屈指の圧倒的な演奏力で、世界的な人気を得た。
オール・ミュージックはエマーソンについて「おそらくロック史上最も偉大で、最も技術的に熟練した鍵盤奏者」と評している。
開発されて間もないシンセサイザーにいち早く注目して取り入れ、その可能性を世界に知らしめたことでも有名で、シンセサイザー奏者の草分け的存在でもある。
【出生~1966年】
エマーソンが生まれたのは、イングランドのヨークシャー州トッドモーデンである。
第二次世界大戦中にイングランド南部から避難したエマーソン家は、その後ウエスト・サセックス州ワージングに移った。
父のノエルはアマチュアのピアニストで、幼いエマーソンは父にピアノの基礎を習った。
8歳の時、地元のピアノ教師についてレッスンを始めたエマーソンは、15歳の時に地元ワージングで行われた「ワージング・ミュージック・フェスティバル」に出場し、バッハの部で2位を獲得するまでになった。ちなみに、このフェスティヴァルがエマーソンの人生における初ライヴ・ステージだということである。
エマーソンはロンドンでクラシック音楽を勉強するよう勧められたが、クラシックよりもジャズを演奏することを選んだ。この頃にエマーソンが影響を受けたジャズ・ピアニストは、デイヴ・ブルーベックやジョージ・シアリングなどである。
同じ時期、エマーソンはジャズ・オルガン奏者のジャック・マクダフの演奏を聴いてハモンド・オルガンに興味を持つ。ローンと父親からの援助によってハモンドオルガンを購入したエマーソンは、音楽活動を本格化させてゆく。
高校を卒業したエマーソンは地元のロイズ銀行に就職し、電算機課で働き始めると同時に地元のパブなどでピアノを弾くようになった。その結果、業務より音楽活動を優先したとして解雇されることになった。
その後、ワージングのビッグ・バンドに加入したエマーソンは、このビッグ・バンドのベーシストとドラマーとともにピアノ・トリオを結成し、ジャズ・クラブなどで演奏するようになる。1963年末には「キース・エマーソン・トリオ」として自身初のレコーディングを行った。この時の音源は2015年に限定発売されている。
1965年には「ジョン・ブラウンズ・ボディーズ」というバンドを結成し、クラブで演奏するようになった。
この年にはロンドンに居を移し、「ゲイリー・ファー & T・ボーンズ」に加入してマーキー・クラブなどで演奏するようになる。T・ボーンズ解散後の1966年、請われてスプーキー・トゥースの前身であるヴィップス(The V.I.P.'s)に加入し、ドイツに渡ってスタークラブなどで演奏した。
【ナイスの結成~解散】
ヴィップスが帰国する直前、エマーソンはP.P.アーノルド(vocal)のマネージメントをしていたミッキー・ザ・オーとフランスで知り合う。
帰国後の1966年暮れ、ミッキー・ザ・オーの紹介でアーノルドに会いに行ったエマーソンは、その時部屋にあったフェンダー・ローズを弾いた。それを聴いたアーノルドは、すぐにエマーソンにバック・バンドの結成を持ちかけた。これがきっかけとなり、アーノルドとエマーソン(keyboard)は、T・ボーンズ時代のバンドメイトであるリー・ジャクソン(bass)、元ジ・アタックのデヴィッド・オリスト(guitar)、元クリス・ファーロウ&サンダーバーズのイアン・ヘイグ(drums)とともに新たなバンドを結成した。バンド名は、移動中の車の中でアーノルドが提案した「ナイス」に決まり、1967年5月から「パット・アーノルド & ザ・ナイス」として活動するようになった。
アーノルドからバンド結成の話が持ちかけられた時、エマーソンはバンドだけのパフォーマンスの時間をもらえるよう求め、了承を得た。ナイスは次第に人気を集めるようになり、1967年8月には第7回ナショナル・ジャズ・アンド・ブルース・フェスティヴァルにバンド単独で出演。またマーキー・クラブにレギュラー出演するようにもなった。
同年8月、薬物の常用で演奏に支障をきたしていたヘイグは解雇され、元マーク・リーマン・ファイヴのブライアン・デイヴィソンが加わる。
バンドが軌道に乗りかけた矢先、アーノルドはいったん帰国することになる。アメリカ人だったアーノルドはイギリスの労働許可証を持っていたが、この有効期限が迫ってきたためである。ナイスは、帰国前に制作した彼女のアルバム「ファースト・レディ・オブ・イミディエイト」の録音に参加し、その後1967年9月にイミディエイト・レコードのアンドリュー・オールダムをマネージャーに迎えて「ナイス」としてアーノルドから独立した。
1968年1月、ファースト・アルバム「ナイスの思想」を発表。
ナイスは、クラシック曲の大胆なアレンジと、エマーソンのハモンド・オルガンを前面に押し出したサウンドが評価され、人気を得るようになった。またステージ上でハモンドオルガンの上に乗ったり、オルガンにナイフを突き刺したりするエマーソンの派手なショーマンシップも話題を集めた。
同年10月、薬物依存を理由にオリストは解雇され、ナイスはトリオ編成となる。
1969年頃からエマーソンは、他のふたり(ジャクソン、デイヴィソン)の演奏能力と音楽性の相違を物足りなく感じるようになり、ひそかに新バンドの結成を考えていた。おりしも1969年11月にナイスはキング・クリムゾンと合同でアメリカ公演を行ったが、この時エマーソンはキング・クリムゾンのグレッグ・レイクと意気投合する。1970年になると、ふたりは新たなバンドについて意見を交わし、構想を練るようになった。
契約上の問題があったため新バンド結成への動きは水面下で進めていたが、1970年初頭にイギリスの音楽紙で「ナイスにグレッグ・レイク加入」という記事が出てしまった。
1970年4月、ナイスは解散する。
【エマーソン・レイク&パーマー】
1970年4月、エマーソンとグレッグ・レイクはアトミック・ルースターのカール・パーマーを加えて「エマーソン・レイク & パーマー」(EL&P)を結成。
すでに各々名声を得ていた三人の集結は「スーパー・グループ誕生」として話題になった。
1970年8月29日の「第3回ワイト島ポップ・フスティヴァル」が彼らの実質的デビュー・ステージである。このステージでEL&Pは聴衆から大きな支持を得た。この後、ライヴ・ステージを精力的に行い、同年のメロディー・メーカー誌の人気投票でバンドはブライテスト・ホープ部門の1位を獲得した。
同年11月にリリースしたデビュー・アルバム「エマーソン・レイク&パーマー」は、さっそく全英4位のヒットを記録。以後「タルカス」「展覧会の絵」「トリロジー」「恐怖の頭脳改革」と、5作連続でアルバムを全英チャートのトップ5に送り込んでいる。(アメリカ(ビルボード)ではデビュー・アルバムから7作連続して全米チャートのトップ20を記録)
クラシックやジャズを大胆に昇華融合させたEL&Pのサウンドは世界的に人気を集め、ピンク・フロイド、イエス、キング・クリムゾンと並んで「4大プログレ・バンド」と称された。
それまではロックではキーボード・トリオはあまり見られなかったが、EL&P以後数多くのキーボード・トリオが生まれている事実がEL&Pの影響力の大きさを物語っていると言えよう。
1971年5月、セカンド・アルバム「タルカス」を発表。このアルバムでエマーソンは本格的にモーグ・シンセサイザーを駆使し、新境地を拓いた。ちなみにシンセサイザーの使用は、バンド結成当初にレイクから勧められていたという。
この当時、シンセサイザーは電子音を出したり、録音した音を重ね合わせたりする程度にしか使われていなかった。エマーソンはまだ活用方法が未知だったシンセサイザーを初めてステージで使い、楽器としての可能性の大きさを提示したのである。
そしてエマーソンは、モーグ・シンセサイザーをツアーに携行した最初のミュージシャンでもある。
当時彼が使用していたモーグは、重さ250キロ、高さは3mもあり、移動には4人のローディーを必要としたうえ、温度の変化に伴ってしばしば調子が狂うなど、管理に大きな問題を抱えていた。しかしモーグはすでにエマーソンにとって欠かすことのできない機材であった。
ナイス時代に引き続き、エマーソンは積極的にクラシック音楽とロックの融合を図った。そのよく知られた例が、1874年にロシアの作曲家モデスト・ムソルグスキーによって作曲されたピアノ組曲「展覧会の絵」である。
1971年3月26日、EL&Pは「展覧会の絵」をアレンジしてライヴ演奏した。この時エマーソンはミニ・モーグを多用している。この音源は未発表のままだったが、EL&Pの人気が高まるにつれついには海賊盤が出回る事態となった。これを重く見たアイランド・レコードは、市場から海賊盤を回収し、1971年11月に改めてライヴ・アルバム「展覧会の絵」をリリースすると、これが全英3位、全米10位を記録したほか、日本でもオリコン・チャートで2位まで上昇する大ヒットを記録した。
EL&Pは、1971年6月にはフランクフルトのオーケストラとバレエ・カンパニーとの共演で「展覧会の絵」を演奏するイベントを含むヨーロッパ・ツアーを行っている。
そのほかにもエマーソンは、バッハ、ショパン、バルトーク、チャイコフスキー、ホルスト、プロコフィエフ、コープランド、ヒナステラなどの数多くのクラシック曲を積極的に取り上げている。
ジャズに対しても造詣の深かったエマーソンは、10代の頃好きだったデイヴ・ブルーベックのレパートリーとして有名な「トルコ風ブルー・ロンド」を取り上げたり、ソニー・ロリンズの「セント・トーマス」の一節を曲の中で使うなどしている。
1971年6月に発表したセカンド・アルバム「タルカス」が全英1位となったEL&Pは押しも押されぬ人気バンドとなった。同年9月のメロディー・メーカー誌人気投票のバンド部門ではレッド・ツェッペリンに代わり1位になっている。
1972年、エマーソンはEL&Pの一員として来日し、7月22日に後楽園球場で、7月24日に阪神甲子園球場でコンサートを行った。甲子園でのコンサートでは、カール・パーマーのドラム・ソロの途中で興奮したひとりの観客がフェンスを乗り越えたことがきっかけとなり、多くの観客がステージに向かってなだれ込む事態が起きた。このため主催者側の判断でコンサートは中止となった。
同年9月のメロディー・メーカー誌人気投票では、バンド部門と各メンバーの担当楽器部門の、計4部門で1位を獲得している。
EL&Pは、1973年11月に5枚目のアルバム「恐怖の頭脳改革」を発表、同時にアメリカ・ツアーも行ったが、ツアー終了後の8月から活動を停止してしまう。理由のひとつは、エマーソンがEL&Pとしての活動に忙殺され、疲れ切っていたことにある。
エマーソンは、1976年にソロ・シングル「ホンキー・トンク・トレイン・ブルース」を発表。この曲は1927年にミード・ラックス・ルイスが書いたもので、エマーソンのシングルは全英21位にまで上昇した。
EL&Pの活動停止後、エマーソンは「ピアノ協奏曲第1番」を作曲し、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団と共演する。この時エマーソンは、批評家達の「エマーソンには曲が書けず、代わりにクラシック曲の編曲に頼っている」という発言や、もともとあまり協力的ではなかったロンドン・フィルハーモニー管弦楽団側の「ロック・ミュージシャンがピアノ協奏曲を書いてなにになる」という態度によって、逆に意欲をかき立てられたいう。完成したピアノ協奏曲は、1977年のEL&Pのアルバム「ELP四部作」に収められた。この協奏曲は、のちにジェフリー・ビーゲルを始めとするクラシックのピアニストによって何度も演奏されている。
「四部作」を発表したEL&Pは同時期に北米ツアーを開始、久しぶりに表舞台に戻ったが、バンドとしての終焉は近づいていた。
1978年、バハマで新たなアルバム「ラヴ・ビーチ」の制作を開始したが、この時点で3人はEL&Pを解散することに合意していた。
EL&Pの解散が正式に発表されたのは1980年2月であった。
キース・エマーソンは、EL&Pの音楽性、進取性における推進役でもあった。
彼がEL&Pとしての活動を通じて挙げた功績はいくつもあるが、そのひとつはクラシックやジャズとロックの融合を積極的に試みたことである。エマーソンはクラシックはもちろんジャズの素養も深く、かつそれらの音楽に対して深い敬意を抱いていた。
そしてもうひとつは、シンセサイザーの可能性の追及である。
エマーソンが初めてモーグ・シンセサイザーのサウンドを聴いたのはナイス時代である。知り合いのレコード店主にウェンディ・カルロスの「スイッチド・オン・バッハ」を聴かせてもらったエマーソンはすぐシンセサイザーに興味を持った。ナイスは1970年2月と3月にロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と共演する予定だったが、エマーソンはこのコンサートにシンセサイザーを演奏できるよう手配した。これが彼とシンセサイザーの関わりの始まりである。
エマーソンがモーグ・シンセサイザーを積極的に使用したことにより、シンセサイザーの存在は世界中に知れ渡った。開発者のロバート・モーグは「キース・エマーソンは、ロックにおいてシンセサイザーをどのように使うかという方法論を最初に示した人物である」と述べている。
鍵盤奏者としてのエマーソンは、圧倒的な演奏力を誇っていた。そればかりではなくステージングや楽器の使用方などについてもはっきりしたポリシーを持っていた。
エマーソンの主要機材のひとつは、ハモンド・オルガンである。メインとして使用したのはハモンドC-3である。エマーソンはオルガンの音を歪ませ、パーカッシヴなトーンを強調し、エキサイティングなロック・ミュージックに適応する音色を活用した。
彼の暴力的とも言えるステージ・アクションも有名である。
鍵盤と鍵盤の隙間にナイフを突き立てて音を鳴らせっぱなしにしたり(来日時の後楽園球場公演では日本刀を突き刺した)、オルガンの上に乗って揺さぶりながら前に進んだり、オルガンそのものを倒したり蹴飛ばしたりと、過激なパフォーマンスは日常的なものだった。このため「オルガンのジミ・ヘンドリックス」と呼ばれることもあった。ナイス時代の1968年6月26日に出演したロイヤル・アルバート・ホールのチャリティー・コンサートでは、オルガンを蹴り飛ばしてひっくり返したうえ、それにアメリカ国旗をのせて火を付けたため、このホールから締め出されてしまったこともある。
またリバーブをかけた状態でわざと衝撃を与えて爆発音を出したり、オルガンをPAスピーカーに近づけてハウリングを起こしたり、電源をひんぱんに切ったり入れたりしてあえてピッチを不安定するなど、様々な音を出して演奏をよりエキサイティングなものにした。2005年のインタビューでは「酷使して修理不可能にしたオルガンは3台」と述べている。
ロックのライヴにおける鍵盤楽器奏者は、楽器の特性上動き回ることはできないため、ステージ上での動きは地味であった。しかしエマーソンはステージでのショウ・アップの必要性も重視していたので、試行錯誤しつつ派手なパフォーマンスを繰り広げた。彼のステージングは、ハード・ロックのミュージシャンにも大きな影響を与えたといわれている。
なおエマーソンが使用したナイフは本物のナチスの短剣で、ナイス時代のローディーだったレミー・キルミスターから贈られたものである。
こうしたエマーソンのステージングは、ジミ・ヘンドリックス(guitar)とドン・シン(organ)に影響されたものである。彼がまだ無名だった頃、マーキー・クラブに出演していた「ソウル・エージェンツ」のステージで、ドン・シンがオルガンを分解しながら演奏しているのを見た。これがその後のエマーソンのステージングのヒントになったという。またヴィップス時代、演奏中に客席で喧嘩が始まった時にエマーソンはとっさにオルガンで爆発音や機関銃の音を出して喧嘩を止めたことがあった。バンドのメンバー達はまた喧嘩が起きたら同じパフォーマンスをするように頼んだという話も残っている。
【エマーソン・レイク&パーマー解散後(1980~1991)】
エマーソンはEL&Pの解散後もバハマに残り、映画音楽やソロ・アルバムを制作する。
1981年、ファースト・ソロ・アルバム「ホンキー」をリリース。バハマで地元のミュージシャンと制作したこの作品は、カリプソやレゲエなどの要素などを取り入れており、それまでのエマーソンの音楽性とはかなり異なっていたため、それまでのファンにはあまり受け入れられなかった。
1980年代は映画音楽の作曲にも力を注いだ。ダリオ・アルジェント監督のホラー映画「インフェルノ」(1980年)、シルヴェスター・スタローン主演のアクション映画「ナイト・ホークス」(1981年)、SFアニメーション映画「幻魔大戦」(1983年)、ルチオ・フルチ監督「マーダー・ロック」(1984年)、ミケーレ・ソアヴィ監督「教会」(1989年)、特撮怪獣映画「ゴジラ FINAL WARS」(2004年)など、数々のサウンドトラックを制作した。1984年の「ベスト・リベンジ」はボストンのブラッド・デルプ、ザ・バンドのリヴォン・ヘルムがヴォーカル、ザ・バンドのガース・ハドソンがアコーディオンで参加している。このサウンド・トラックの中の「ドリーム・ランナー」はその後エマーソンの定番曲となった。
1980年代半ばになるとEL&P再結成のプランが持ち上がる。しかしカール・パーマー(drums)は当時エイジアに在籍していたため参加せず、代わりにコージー・パウエルが参加し、1985年に「エマーソン・レイク&パウエル」として活動を開始した。
エマーソンはこのバンドをEL&Pの再結成と公言していたが、パーマーは「それに同意はできない」という姿勢を崩さなかった。結局エマーソン・レイク&パウエルはアルバムを1枚発表したのち、パウエルの脱退によって解散した。
その後パーマーがエイジアから脱退したことにより、エマーソンとグレッグ・レイク(bass)は再び「エマーソン・レイク&パーマー」の再結成に向けて動き始めた。しかしレイクがすぐにこのトリオから離れたため、エマーソンとパーマーはロバート・ベリー(bass, guitar)を加えて「3(スリー)」を結成した。3は1988年にアルバム「スリー・トゥ・ザ・パワー」をリリースしたがセールスは振るわず、その後行われたツアーの終了後に解散した。
1989年、アルメニア地震の被災者被害のためのチャリティー「ロック・エイド・アルメニア」によるシングル「スモーク・オン・ザ。ウォーター」のレコーディングに参加。
1990年、エマーソンは、ジョー・ウォルシュ(guitar イーグルス)、ジェフ・バクスター(guita ドゥービー・ブラザーズ)、ジョン・エントウィッスル(bass ザ・フー)、サイモン・フィリップス(drums)とスーパー・グループ「ザ・ベスト」を結成、短期間のツアーを行った。
1990年代初頭にはスチュアート・スミス、リッチー・オノリ、マーヴィン・スパーリング、ロビー・ワイコフとともに「エイリアンズ・オブ・エクストラオーディナリー・アビリティ」を結成したが、エマーソンがEL&Pの再結成に向けて準備を始めたこと、そしてスチュアート・スミスがスウィートの再結成に関わっていたことで、レコード契約を交わすまでに至らなかった。
【エマーソン・レイク&パーマー再結成~キース・エマーソン・バンド】
1991年、エマーソン・レイク&パーマー再結成。1992年にアルバム「ブラック・ムーン」を発表した。その後ツアーも行ない、約20年ぶりに来日公演も行った。
1993年、エマーソンは演奏に支障をきたすほどの右手の神経疾患を発症し、1年間演奏を休んだ。この期間は離婚や経済的困難が重なり、エマーソンは精神的に不安定な状態だった。回復後の1994年にはEL&P再結成後2枚目のアルバム「イン・ザ・ホット・シート」を発表、また1996年にはジェスロ・タルとのアメリカ・ツアーを成功させたが、1997年以降は活動実態がなく、1998年8月に再び解散した。
なお神経疾患は徐々に回復し、2002年には再び完全に両手で演奏できる状態に戻った。
2002年、エマーソンはリー・ジャクソン(bass)、ブライアン・デイヴィソン(drums)とともにナイスを再結成(名義は「キース・エマーソン&ザ・ナイス」)し、32年ぶりにイギリス・ツアーを行った。そのツアーでは、デイヴ・キルミンスター(guitar, vocal)、フィル・ウィリアムス(bass)、ピート・ライリー(drums)をサポート・メンバーとして加え、EL&Pの曲も演奏した。
2004年には、デイヴ・キルミンスター、フィル・ウィリアムス、ピート・ライリーの3人とともに「キース・エマーソン・バンド」として全米ツアーを行う。翌2005年10月には来日公演も行った。2006年にはヴォーカル&ギターがキルミンスターからマーク・ボニーラに交替し、アメリカとヨーロッパでツアーを行った。
2007年12月10日、エマーソンは、ロンドンのO2アリーナで行われたレッド・ツェッペリン再結成コンサート/アーメット・アーティガン追悼コンサートに出演し、イエスのクリス・スクワイア、アラン・ホワイト、元バッド・カンパニーのサイモン・カークという、スーパーグループとも言える編成でオープニング・アクトを務めた。この時は、アーロン・コープランド作曲の「市民のためのファンファーレ」を新たなアレンジで演奏している。
2008年、キース・エマーソン・バンド・フィーチャリング・マーク・ボニーラとして、ソロ・アルバムをリリースし、その直後の8月22日から9月7日にかけて、バルト三国、ロシア、ブルガリアをツアーした。同年10月には来日して東京と大阪で公演を行っている。編成は、マーク・ボニーラ(guitar)のほか、新メンバーのトラヴィス・デイヴィス(bass)とドラムスのトニー・ピア(drums 元ブライアン・セッツァー・オーケストラ)である。
【2010年~死去】
2010年の4月1日から25日にかけて、エマーソンはレイクとのデュオで北米ツアーを行い、エマーソンのオリジナルと、新たなアレンジでナイス、キング・クリムゾン、エマーソン・レイク&パーマーの曲を演奏した。
この年7月25日、ロンドンのヴィクトリア・パークで行われた「ハイ・ヴォルテージ・フェスティバル 」で、「エマーソン・レイク・&パーマー」は結成40周年を記念してこの夜限りの再結成を果たし、メイン・アクトとしてコンサートを行った。このイベントには当時パーマーが在籍していたエイジアも出演していた。
2010年以降、エマーソンの活動はオーケストラとの共演に比重を移してゆく。
この年、日本の作曲家吉松隆によってオーケストラ用に編曲されたEL&Pのレパートリー「タルカス」が、3月14日に東京フィルハーモニー交響楽団によって初演された。これはのちにNHK大河ドラマ「平清盛」の劇中音楽にも使われた。吉松の提案で、コンサートマスターを務めた荒井英治はタルカスを弦楽四重奏に編曲し、荒井が第一ヴァイオリンを担当する「モルゴーア・カルテット」のCDに収録された。
2011年3月11日、日本は東日本大震災に見舞われた。イギリスでニュースを見たエマーソンは、被災者に捧げる曲「The Land Of Rising Sun(日出ずる国へ)」をサセックス州のスタジオで録音し、3月20日にYouTubeで公開して被災者に曲を捧げるとともに被災地への寄付を呼び掛けた。
2011年9月、エマーソンはノルウェイの指揮者テリエ・ミケルセンとのコラボレーションで、EL&Pのレパートリーのオーケストラによる新たな演奏に取り組む。このプロジェクトは「ザ・スリー・フェイツ(The Three Fates)」と名付けられ、2012年9月にノルウェイで初演された。2012年、エマーソンの最後のアルバム「ザ・スリー・フェイツ・プロジェクト」がリリースされる。メンバーはマーク・ボニーラとテリエ・ミケルセンであった。
2013年9月、エマーソンはアメリカ合衆国ケンタッキー州で指揮者として初舞台を踏む。
2014年10月には、ニューヨーク州のモロイ大学で行われた彼自身の70歳トリビュート・コンサートで、サウスショア交響楽団を前に指揮棒を振っている。
2016年3月11日未明、カリフォルニア州サンタモニカの自宅で、同居していた日本人ガールフレンドが倒れているエマーソンを発見した。すぐに通報したが、間もなく死亡が確認された。71歳だった。当初は死因不明とされていたが、サンタモニカ警察は自ら頭部を拳銃で撃ったものと判断し、ロサンゼルス郡検視局によって自殺と断定された。
右手の神経症を抱えていたエマーソンはうつ病も患っており、精神的に非常に不安定な状態だった。そのため今後演奏がうまくゆかず、ファンを失望させてしまうのではないかと恐れていたという。
訃報を受け、グレッグ・レイク、カール・パーマーを初めとした多くのミュージシャンやアーティストから追悼コメントが寄せられた。
なおこの年12月にはグレッグ・レイクもガンのため死去した。
EL&Pのメンバーで唯一残されたパーマーは、「カール・パーマーズ・ELP・レガシー」を結成し、2017年にエマーソンとレイクを追悼するワールド・ツアーを行った。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
<リーダー・アルバム>
1981年 ホンキー/Honky
☆1984年 Chord Sampler
☆1986年 The Emerson Collection
1988年 ザ・クリスマス・アルバム/The Christmas Album
1995年 チェンジング・ステイツ/Changing State
2002年 エマーソン・プレイズ・エマーソン/Emerson Plays Emerson
☆2005年 At the Movies
☆2005年 ハマー・イット・アウト/Hammer It Out::The Anthology
☆2006年 オフ・ザ・シェルフ/Off The Shelf
2008年 キース・エマーソン・バンド・フィーチャリング・マーク・ボニーラ/Keith Emerson Band featuring Marc Bonilla
★2009年 Boys Club-Live from California ※with Glenn Hughes, Marc Bonilla
★2010年 Moscow ※with Keith Emerson Band featuring Marc Bonilla(CD & DVD)
★2010年 Live from Manticore Hall ※with Greg Lake
2012年 スリー・フェイツ・プロジェクト/The Three Fates Project ※with マーク・ボニーラ、テリエ・ミケルセン
<ソロ・シングル>
1976年 ホンキー・トンク・トレイン・ブルース/Honky Tonk Train Blues (UK21位, イタリア1位)
<ナイス>
1968年 ナイスの思想/The Thoughts of Emerlist Davjack
1968年 少年易老学難成/Ars Longa Vita Brevis
☆1969年 ジャズ+クラシック/ロック=ナイス/Nice(UK3位)※片面スタジオ録音、片面ライヴ録音
☆1970年 ファイヴ・ブリッジズ/Five Bridges(UK2位, US197位)
★1970年 ナイセスト!/The Nicest of the Nice
☆1971年 エレジー/Elegy(UK5位) ※2曲ライヴ録音、2曲スタジオ録音
★1972年 オータム'67-スプリング'68/Autumn '67-Spring'68 ※1973年「Autumn to Spring」として再発
★1972年 キース・エマーソン・ウィズ・ザ・ナイス/Keith Emerson with The Nice
★1995年 The Immediate Years
☆1996年 America-The BBC Sessions
★1999年 Nice Hits Nice Bits
★2000年 Here Comes The Nice-The Immediate Anthology
☆2001年 The Swedish Radio Sessions
☆2002年 BBC Sessions
☆2003年 ヴィヴァシタス ライヴ・アット・グラスゴー2002/Vivacitas ※「キース・エマーソン&ザ・ナイス」名義
☆2005年 Hammer It Out-The Anthology
☆2009年 フィルモア・イースト 1969/Live at the Fillmore East December 1969
<エマーソン・レイク & パーマー>
1970年 エマーソン・レイク&パーマー/Emerson Lake & Palmer(UK4位, US18位)
1971年 タルカス/Tarkus(UK1位, US9位)
☆1971年 展覧会の絵/Pictures at an Exhibition(UK3位, US10位)
1972年 トリロジー/Trilogy(UK2位, US5位)
1973年 恐怖の頭脳改革/Brain Salad Surgery(UK2位, US11位)
☆1974年 レディース・アンド・ジェントルメン/Welcome Back My Friends to the Show That Never Ends...Ladies and Gentlemen(UK6位, US4位)
1977年 四部作/Works Volume 1(UK9位, US12位)
1977年 作品第二番/Works Volume 2(UK20位, US37位)
1978年 ラヴ・ビーチ/Love Beach(UK48位, US55位)
☆1979年 イン・コンサート/In Concert(US73位)
★1980年 ベスト・オブ・EL&P/The Best of Emerson, Lake & Palmer(US108位)
1992年 ブラック・ムーン/Black Moon(US78位)
★1992年 アトランティック・イヤーズ/The Atlantic Years
☆1993年 ライヴ・アット・ロイヤル・アルバート・ホール/Live at the Royal Albert Hall
☆1993年 ワークス・ライヴ/Works Live
★1993年 リターン・オブ・ザ・マンティコア/The Return of the Manticore
★1994年 The Best of Emerson, Lake & Palmer
1994年 イン・ザ・ホット・シート/In the Hot Seat
☆1997年 ワイト島ライヴLive at the Isle of Wight Festival 1970
☆1997年 Live in Poland
☆1998年 ゼン&ナウ/Then and Now
★2000年 The Very Best of Emerson Lake & Palmer
★2000年 Extended Versions : The Encore Collection
★2001年 Fanfare for the Common Man
★2001年 The Very Best of Emerson, Lake
☆2003年 From the Front Row...Live!
★2004年 The Ultimate Collection(UK43位)
★2007年 The Essential Emerson, Lake & Palmer
★2007年 From the Beginning
★2007年 Gold Edition
☆2010年 A Time and a Place
☆2010年 ハイ・ヴォルテージ/High Voltage
☆2011年 Live at Nassau Coliseum '78
☆2011年 Live at the Mar Y Sol Festival '72
☆2012年 Live in California 1974
★2012年 タルカス~ザ・ベスト・オブ・ELP/The Best of ELP
☆2013年 Live in Montreal 1977
★2013年 Platinum Best
☆2015年 Once Upon a Time : Live in South America 1997
☆2015年 Live at Montreux 1997
☆2017年 Masters from the Vaults
★2017年 ジ・エヴァーラスティング ~ベスト・オブ・ELP~/Platinum Best
☆2019年 Live at Pocono International Raceway, U.S.A., 8th July 1972
★2020年 The Ultimate Collection (3CD)
<エマーソン・レイク&パウエル>
1986年 Emerson Lake & Powell(UK35位, US23位)
☆2003年 Live in Concert
☆★2003年 The Sprocket Sessions ※live rehearsals
☆★2012年 Live in Concert & More ※「Live in Concert」と「The Sprocket Sessions」の2枚組CD
☆★2024年 The Complete Collection ※「Emerson Lake & Powell」「The Sprocket Sessions」「Live in Concert」の3枚組CD
<3>
1988年 To The Power of Three(US97位)
☆2015年 Live Boston 88
☆2017年 Rockin' the Ritz
<サウンドトラック・アルバム>
1980年 インフェルノ/Inferno (1980年) ※ダリオ・アルジェント監督「インフェルノ」サウンドトラック
1981年 ナイトホークス/Nighthawks (1981年) ※ブルース・マルムース監督「ナイトホークス」サウンドトラック
1983年 幻魔大戦/Harmageddon ※アニメ映画「幻魔大戦」サウンドトラック
1985年 ベスト・リヴェンジ/Best Revenge
1986年 マーダー・ロック/Murder Rock ※ルチオ・フルチ監督作品
2002年 アイアンマン/Iron Man Vol.1 ※1994年テレビシリーズ「アイアンマン」サウンドトラック
2002年 ザ・チャーチ(デモンズ3)/La Chiesa ※1989年ミケーレ・ソアヴィ監督「デモンズ3」サウンドトラック
2004年 ゴジラ FINAL WARS/Godzilla: Final Wars ※2004年北村龍平監督「ゴジラ FINAL WARS」サウンドトラック
サンダーボックス Thunderbox
【歌・演奏】
ハンブル・パイ/Humble Pie
【リリース】
1974年2月
【録 音】
オリックス・サウンド/Olics Sound(グァテマラ共和国サムホエア・イースト)
【プロデューサー】
ハンブル・パイ/Humble Pie
【レーベル】
A&M レコード/A&M Records
【収 録 曲】(☆=シングル⑧⑫)
side:A
① サンダーボックス 5:19
Thunderbox(Steve Marriott, Clem Clempson)
② グルーヴィン・ウィズ・ジーザス 2:18
Groovin' with Jesus(Gene Barge, Bennie Swartz)
③ アイ・キャント・スタンド・ザ・レイン 4:19
I Can't Stand the Rain(Ann Peebles, Don Bryant, Bernard Miller)
④ アンナ 3:45
Anna (Go to Him)(Arthur Alexander)
⑤ ノー・ウェイ 2:48
No Way(Steve Marriott, Greg Ridley)
⑥ ラリー・ウィズ・アリ 2:51
Rally with Ali(Steve Marriott, Clem Clempson, Greg Ridley, Jerry Shirley)
side:B
⑦ ドント・ウォーリー、ビー・ハッピー 2:59
Don't Worry, Be Happy(Steve Marriott, Clem Clempson, Greg Ridley, Jerry Shirley)
☆⑧ ナインティー・ナイン・パウンズ 2:47
Ninety-Nine Pounds(Don Bryant)
※1974年リリース
⑨ エヴリー・シングル・デイ 3:50
Every Single Day(Clem Clempson)
⑩ ノー・マネー・ダウン 4:25
No Money Down(Chuck Berry)
⑪ ドリフト・アウェイ 3:56
Drift Away(Mentor Williams)
☆⑫ オー・ラ・ディ・ダ 4:34
Oh La-De-Da(Phillip Mitchell)
※1974年リリース
【録音メンバー】
◆ハンブル・パイ
スティーヴ・マリオット/Steve Marriott(guitar, keyboards, harmonica, lead-vocals)
クレム・クレムソン/Dave "Clem" Clempson(guitars, backing-vocals)
グレッグ・リドリー/Greg Ridley(bass, backing-vocals, lead-vocals⑪)
ジェリー・シャーリー/Jerry Shirley(drums, piano③, backing-vocals)
◆ゲスト・ミュージシャン
メル・コリンズ/Mel Collins(horns)
ブラックベリーズ/The Blackberries(backing-vocals)
ヴェネッタ・フィールズ/Venetta Fields
ビリー・バーナム/Billie Barnum
カーリーナ・ウィリアムズ/Carlena Williams
【チャート】
1974年週間アルバム・チャート アメリカ(ビルボード)13位 イギリス 圏外 日本(オリコン)85位 カナダ58位
【メ モ】
・ハンブル・パイの7作目のスタジオ・アルバム。
・全12曲中7曲がブルースやソウルからのカヴァー。②「グルーヴィン・ウィズ・ジーザス」はThe Violinaires、③「アイ・キャント・スタンド・ザ・レイン」⑧「ナインティー・ナイン・パウンズ」はアン・ピーブルズ、④「アンナ」はアーサー・アレクサンダー、⑩「ノー・マネー・ダウン」はチャック・ベリー、⑪「ドリフト・アウェイ」はドビー・グレイ、⑫「オー・ラ・ディ・ダ」はザ・ステイプル・シンガーズのカヴァーである。
・アルバム・タイトルは、「トイレ」という意味の17世紀のスラング。デザインと写真はヒプノシスが担当している。
・アメリカでは、1974年4月13日付のビルボード52位が最高位であった。母国イギリスでは全英アルバム・チャートへのランク入りはできなかった。
イート・イット Eat It
【歌・演奏】
ハンブル・パイ/Humble Pie
【リリース】
1973年4月
【録 音】
①~⑫=スティーヴ・マリオット・クリア・サウンズ・ホーム・スタジオ(イングランド エセックス州モートン)
⑬~⑮=グリーンズ・プレイハウス(スコットランド グラスゴー)
【プロデューサー】
ハンブル・パイ/Humble Pie
【エンジニア】
クリス&アイリッシュ/Chris & Irish
【レーベル】
A&M レコード/A&M Records
【収 録 曲】(☆=シングル①⑤⑦)
side:A
☆① ゲット・ダウン・トゥ・イット 3:27
Get Down to It(Steve Marriott)
※1973年リリース
② 大酒飲みと悪女 3:18
Good Booze and Bad Woman(Steve Marriott)
③ それは愛のために 4:41
Is It for Love?(Steve Marriott)
④ ドラッグストア・カウボーイ 5:40
Drugstore Cowboy(Steve Marriott)
side:B
☆⑤ ブラック・コーヒー 3:11
Black Coffee(Ike Turner, Tina Turner)
※1973年2月リリース 1973年シングル・チャート US113位
⑥ アイ・ビリーヴ・トゥ・マイ・ソウル 4:05
I Believe to My Soul(Ray Charles)
※1972年9月リリース
☆⑦ シャット・アップ 3:07
Shut Up and Don't Interrupt Me(Johnny Bristol, Edwin Starr)
※1973年リリース
⑧ ザッツ・ハウ・ストロング・マイ・ラヴ・イズ 3:49
That's How Strong My Love Is(Roosevelt Jamison)
side:C
⑨ セイ・ノー・モア 2:10
Say No More(Steve Marriott)
⑩ オー・ベラ(オール・ザッツ・ハーズ) 3:28
Oh, Bella (All That's Hers)(Steve Marriott)
⑪ サマー・ソング 2:48
Summer Song(Steve Marriott)
⑫ ベクトン・ダンプス 3:16
Beckton Dumps(Steve Marriott)
side:D
⑬ アップ・アワー・スリーヴ 5:02
Up Our Sleeve(words : Steve Marriott music : Humble Pie)
⑭ ホンキー・トンク・ウィメン 3:58
Honky Tonk Women(Mick Jagger, Keith Richards)
⑮ ロード・ランナー 13:30
(I'm a) Road Runner(Brian Holland, Lamont Dozier, Eddie Holland)
【録音メンバー】
◆ハンブル・パイ
スティーヴ・マリオット/Steve Marriott(guitar, keyboards, harmonica, vocals)
クレム・クレムソン/Dave "Clem" Clempson(guitars, backing-vocals)
グレッグ・リドリー/Greg Ridley(bass, backing-vocals)
ジェリー・シャーリー/Jerry Shirley(drums)
◆ゲスト・ミュージシャン
B. J. コール/B. J. Cole(pedal steel guitar⑩)
シドニー・ジョージ/Sidney George(sax)
ブラックベリーズ/The Blackberries(backing-vocals)
クライディ・キング/Clydie King
ヴェネッタ・フィールズ/Venetta Fields
ビリー・バーナム/Billie Barnum
【チャート】
1973年週間アルバム・チャート アメリカ(ビルボード)13位 イギリス34位 カナダ10位 オーストラリア41位 日本(オリコン)58位
【メ モ】
・ハンブル・パイのダブル・アルバム。6作目のスタジオ・アルバムである。
この作品はA面がスティーヴ・マリオットのハードなオリジナル、B面はR&Bクラシックのカヴァー、C面はマリオットのアコースティックなオリジナル、D面はグラスゴーのグリーンズ・プレイハウスにおけるライヴ録音である。
・アメリカでは、1973年5月5日付でビルボード13位を記録し、前作「スモーキン」に続いて全米トップ20入りを果たした。