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キング・クリムゾン ①

2024-05-21 02:25:15 | band

キング・クリムゾン King Crimson ①1968~1984


活動期間
  1968年~1974年
  1981年~1984年

  1994年~2011年
  2013年~2021年


メンバー
 [guitar]
  ロバート・フリップ/Robert Fripp(guitars) 在籍1968~1974, 1981~1984
  エイドリアン・ブリュー/Adrian Belew(guitars, vocals) 在籍1981~1984

 [bass]
  グレッグ・レイク/Greg Lake(bass, vocals, guitars) 在籍1969~1970
  ピーター・ジャイルズ/Peter Giles(bass) 在籍1970
  ゴードン・ハスケル/Gordon Haskell(vocals, bass) 在籍1970
  ボズ・バレル/Boz Burrell(vocals, bass) 在籍1971~1972
  ジョン・ウェットン/John Wetton(bass, vocals) 在籍1972~1974
  トニー・レヴィン/Tony Levin(bass, stick) 在籍1981~1984

 [piano]
  キース・ティペット/Keith Tippett(piano) 在籍1970

 [others]
  イアン・マクドナルド/Ian  sax/flute/keyboards/vocals 在籍1968~1969
  メル・コリンズ/Mel Collins(sax, flute) 在籍1970~1972
  デヴィッド・クロス/David Cross(violin, keyboards) 在籍1972~1974

 [drums]
  マイケル・ジャイルズ/Michael Giles(drums, vocals) 在籍1968~1970
  アンディ・マッカロック/Andy McCulloch(drums) 在籍1970
  イアン・ウォーレス/Ian Wallace(drums) 在籍1971~1972
  ビル・ブルーフォード/Bill Bruford(drums) 在籍1972~1974、1981~1984

 [percussions]
  ジェイミー・ミューア/Jamie Muir(percussions) 在籍1972~1973

 [words]
  ピート・シンフィールド/Pete Sinfield(words, synthesiser) 在籍1968~1971


 キング・クリムゾンは、イングランド出身のプログレッシヴ・ロック・バンドである。
 ロック、ジャズ、クラシック、フォーク、ヘヴィ・メタル、エレクトロニクス、ニュー・ウェイヴ、実験音楽など幅広い音楽性を持っており、いわゆる「四大プログレ・バンド」のひとつとして世界的な人気と評価を得ている。
 代表作のアルバム『クリムゾン・キングの宮殿』は、従来のロックの概念を打ち破り、音楽的可能性を大きく広げた歴史的作品で、現在にいたるまでロック界に大きな影響を与え続けている。
 プログレッシヴ・ロックのみならず、ロック史上においても重要なバンドである。


<結成まで>
 1967年春に「ザ・ブレイン」を脱退したマイケル・ジャイルズ(drums)とピーター・ジャイルズ(bass)の兄弟は、新たなバンドを作るべく新聞にメンバー募集の広告を出した。これに応募してきたのがジャイルズ兄弟と同じくドーセット州出身のギタリスト、ロバート・フリップである。3人は同年8月に「ジャイルズ・ジャイルズ & フリップ」を結成する。
 一方、ロンドンでガールフレンドのジュディ・ダイブル(元フェアポート・コンヴェンション, vocal)と音楽活動を始めていたイアン・マクドナルド(sax, keyboard)は、1968年に詩人のピート・シンフィールドとともに、フォーク・ロック・グループ「インフィニティ」を結成する。


 1968年6月、マクドナルド、ダイブル、シンフィールド(作詞, 照明)の3人は、メンバーの募集広告に応じてジャイルズ・ジャイルズ&フリップに加入する。ただし間もなくマクドナルドと破局したダイブルは、7月にはバンドから離脱している。
 1968年9月13日、ジャイルズ・ジャイルズ & フリップはデビュー・アルバム『チアフル・インサニティ・オブ・ジャイルズ・ジャイルズ & フリップ』を発表したが、全くの鳴かず飛ばずであった。
 1968年11月、フリップとの軋轢が原因でピーター・ジャイルズが脱退。後任として加入したのは、フリップの古くからの友人グレッグ・レイク(bass, vocal)である。こうしてジャイルズ・ジャイルズ & フリップの陣容はフリップ、マクドナルド、マイケル・ジャイルズ、レイク、シンフィールドの5人に落ち着き、1968年12月にシンフィールドの提案によってバンド名を「キング・クリムゾン」と改めた。
 この名前は、マクドナルドとシンフィールドがジャイルズ・ジャイルズ & フリップ加入前に共作した曲『クリムゾン・キングの宮殿』から採ったものである。のちシンフィールドは「メンバーの反対を押し切って付けた」と語っている。
 当初バンドのローディだったピート・シンフィールドは、作詞や照明でバンドに大きく貢献していたため、演奏には加わらないが正式なメンバーとなった。


<デビュー~1969>
 キング・クリムゾンがリハーサルを開始したのは1969年1月である。
 同年4月9日にロンドンのスピーク・イージーでデビュー(客席には当時イエスのギタリストだったピーター・バンクスがいたという)を果たすと、その直後にはマーキー・クラブのレギュラーとなる。
 7月5日にはハイド・パークに推定50万人が集まったブライアン・ジョーンズ(ローリング・ストーンズ)の追悼フリー・コンサートに出演し、そのステージはガーディアン紙から「センセーショナル」だったと報じられた。8月9日には第9回ナショナル・ジャズ・アンド・ブルース・フェスティヴァルに出演。
 こうして彼らの評判は徐々に高まり、ロック界の注目株となった。



左から ロバート・フリップ、マイケル・ジャイルズ、グレッグ・レイク、イアン・マクドナルド、ピート・シンフィールド(1969)


 クリムゾンのデビュー・アルバムのレコーディングは1969年6月に始まった。
 プロデューサーは当初トニー・クラークが務めていたが、2度に渡って録音済みのテープが破棄されるなど制作は難航する。結局クラークは降板し、その後はクリムゾン自身のプロデュースで録音が進められ、10月10日についにデビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』を発表するにいたった。
 このアルバムにおいて実質的にイニシアティヴを取っていたのはイアン・マクドナルドである。彼は制作にメロトロンや管楽器を持ち込み、演奏面はもちろん作編曲でもバンドに大きく貢献したほか、バンドの誰よりも長時間スタジオにこもって作業していたと言われている。
 『クリムゾン・キングの宮殿』は、その高度な演奏力と完成度で発表直後から驚きをもって迎えられ、「ロック史上不滅の名作」とも評価された。ザ・フーのピート・タウンゼントは「不気味な傑作」と評している。そしてその先鋭的な音楽性はシーンに多大な衝撃を与えた。
 アルバム・チャートでは全英5位、全米でも28位にまで上昇するヒットを記録。これについては後年「ビートルズの『アビイ・ロード』を1位から蹴落としたアルバム」と紹介されることが多々あり、そのエピソードはアルバムの偉大さを表すものとして広まってしまったが、その記述はローカル・チャートの記録である可能性が高く、事実とは異なる。
 クリムゾンは『クリムゾン・キングの宮殿』発表直後にアメリカ・ツアーを開始したが、ツアー中の1969年12月7日にジャイルズとマクドナルドが突然クリムゾンからの脱退を表明した。フリップとの音楽性の相違や過酷なツアーによる心身の疲労がその理由であった。バンドの崩壊を危惧したフリップは自分が脱退することを申し出たが、マクドナルドとジャイルズは「自分たちが脱退する方がバンドのためである」という主張を崩さなかった。
 1969年12月16日、サンフランシスコのフィルモア・ウエストでの演奏を最後に、結成わずか約1年でオリジナル・ラインナップは崩れたのである。



左から グレッグ・レイク、ロバート・フリップ、マイケル・ジャイルズ、イアン・マクドナルド(1969)



左から グレッグ・レイク、マイケル・ジャイルズ、ロバート・フリップ、イアン・マクドナルド

<1970~1972>
 しかしクリムゾンはアイランド・レーベルとの契約によってニュー・アルバムを制作しなければならなかった。このためフリップはジャイルズを引きとめたが、ジャイルズの脱退の意思は固かった。
 代替メンバーの補充にも行き詰まり、活動が停滞してしまったクリムゾンは苦境に立たされた。フリップは苦肉の策としてジャイルズに短期のサポートを提案するとジャイルズはこれに応じ、弟のピーター・ジャイルズとともに、1970年1月~4月にかけて行われたクリムゾンのセカンド・アルバム『ポセイドンのめざめ』の録音に参加した。またマクドナルドの後任にはメル・コリンズ(sax, flute)が迎えられた。
 4月以降、今度はグレッグ・レイクがスタジオに姿を見せなくなる。マクドナルドとジャイルズが抜けたバンドの未来に可能性を見出せなくなったことと、キース・エマーソンに誘われて「エマーソン・レイク & パーマー」の結成に動き出していたためである。レイクの抜けた穴は、当初エルトン・ジョンが候補にあがったが、バンドの音楽性に合わないと判断され、フリップの友人でもあるゴードン・ハスケルが埋めた。レイクは『ポセイドンのめざめ』の「ケイデンスとカスケイド」のみレコーディングしていなかったので、ハスケルはその曲のヴォーカルを担当した。コリンズとハスケルはそのまま正式にメンバーとなった。
 こうした困難を乗り越え、クリムゾンは1970年5月にようやくセカンド・アルバム『ポセイドンのめざめ』を発表。メンバー・チェンジのためアルバム・リリース後のツアーは行われなかったが、チャートでは前作以上の全英4位を記録した。
 なおジャイルズ兄弟はレコーディング終了後にイアン・マクドナルドと「マクドナルド & ジャイルズ」を結成し、1970年11月にはファースト・アルバム『マクドナルド & ジャイルズ』を発表したが、バンドは間もなく自然消滅している。





 新たにゴードン・ハスケル(bass, vocal)、メル・コリンズ(sax, flute)、アンディ・マッカロック(drums 元Shy Limbs)をメンバーに迎えたクリムゾンは、1970年12月にサード・アルバム『リザード』を発表した。このアルバムにイエスのジョン・アンダーソン(vocal)がゲスト参加しているのは有名な話である。
 1970年11月、アルバムのリリース・ツアーのリハーサルの最中に「音楽性の相違に耐えられなくなった」ハスケルが脱退する。後任としてオーディションにやってきたのはイアン・ウォーレス(元ウォリアーズ)だったが、ウォーレスはドラマーとして採用されたためマッカロックが解雇される。相次ぐメンバー・チェンジのため、リリース・ツアーは行われなかった。
 ヴォーカリストのオーディションにはブライアン・フェリーも応募していたが、最終的にボズ・バレルが選ばれた。ウォーレスとバレルは1971年1月にクリムゾンに参加する。
 ベーシストにはいったんリック・ケンプ(元スティーライ・スパン)が選ばれたが、ケンプは最初のリハーサルのみで脱退する。後任の選考は難航したが、バレルが兼任することで解決した。バレルはギターを弾くことはできたが、ベースは未経験だったため、フリップがバレルにベースの弾き方を教え、ウォーレスがリズム・セクションとしてのベースの使い方を教えた。バレルは2ヵ月の特訓でレパートリーをマスターした。
 1971年4月、ドイツのフランクフルトで16ヵ月ぶりにライヴを行ったクリムゾンは、翌5月からはイギリスで47本のライヴを行って完全復活を果たし、同年7月からは4枚目のアルバム『アイランズ』の制作に取りかかる。この時期のクリムゾンの音楽性の特徴は、なんといっても豊かな叙情性と、ジャズとクラシックからの影響にあると言えよう。
 同年11月には北米ツアーが始まったが、この頃のバンド内の人間関係は険悪になってきており、とくにフリップとシンフィールドの確執は深まる一方であった。シンフィールドは、『アイランズ』発表後に解雇された。



左から メル・コリンズ、ボズ・バレル、イアン・ウォーレス、ロバート・フリップ(1971)


 1972年早々のリハーサルではフリップと他のメンバー(バレル、ウォーレス、コリンズ)の音楽的対立はかなり深刻になっていた。バレル、ウォーレス、コリンズはブルースやファンクを好んでいたからである。そのためフリップは「彼らと新たな作品のアイデアを具現化することは困難である」という理由で、いったん解散を決意した。しかしマネジメント側はすでに向こう2ヵ月の北米ツアーのスケジュールを組んでおり、契約を盾に取られたバレル、ウォーレス、コリンズの3人はしぶしぶこれに同意するほかなかった。行われたツアーの模様は、初のライブ・アルバム『アースバウンド』として同年6月にリリースされている。このアルバムの音源はカセットテープによって録音されているため音質は劣悪だが、対立が深まるメンバー同士の高い緊張感に導かれた驚異的な演奏が収められている。
 ツアーが終わった4月にこの3人は脱退し、これによってクリムゾンは実質的に解散状態に陥った。
 脱退後のバレル、ウォーレス、コリンズは、ツアー中に意気投合したアレクシス・コーナーと合流して新たなバンド「スネイプ」を結成する。


<1972~1974>
 北米ツアーを終えたフリップはイギリスに戻り、1972年9月に「イエス」のビル・ブルーフォード(drums)、「ファミリー」のメンバーでフリップの大学時代の友人でもあるジョン・ウェットン(bass, vocal)、デレク・ベイリー(guitar)が主宰する即興集団「カンパニー」に属していたジェイミー・ミューア(percussion)をクリムゾンに迎え入れた。またフリップが「Wave」というバンドのリハーサルに招待された時にデヴィッド・クロス(violin, keyboard)と知り合っていたが、そのクロスをオーディションによって採用した。
 こうして陣容が整った新生キング・クリムゾンは1972年10月13日にフランクフルトのズーム・クラブでツアーを再開。1973年の1月から2月にかけて名作との誉れ高い『太陽と戦慄』を制作したが、レコーディング終了後に早くもミューアが脱退する。演劇的かつ過激な、独特のステージ・パフォーマンスで注目されていたミューアだったが、仏教により深く傾倒していったことがその理由である。



左から ジェイミー・ミューア、ビル・ブルーフォード、ロバート・フリップ、デヴィッド・クロス、ジョン・ウェットン(1973)



左から ジョン・ウェットン、デヴィッド・クロス、ロバート・フリップ、ビル・ブルーフォード


 1974年3月には6枚目のアルバム『暗黒の世界』を発表。この頃のクリムゾンの音楽性はドライで攻撃性を増しており、卓越した演奏能力を存分に生かしたライヴには定評があった。即興演奏が主体の緊張感に満ちたそのパフォーマンスは高く評価された。
 再びバンドとしてのピークを迎えつつあったクリムゾンだが、1974年にはクロスがウェットンとの音楽的な対立に端を発して解雇される。その結果メンバーはフリップ、ウェットン、ブルーフォードの3人のみとなった。
 1974年7月、クリムゾンは7枚目のアルバム『レッド』の制作に入る。
 レコーディングにはウェットンの呼び掛けでイアン・マクドナルド、メル・コリンズらかつてのメンバーがゲスト参加。アルバムは1974年10月に発表されたが、この直前にフリップは解散を宣言する。バンド内の人間関係が修復不可能なまでに悪化していたためと言われている。解散宣言にいたるまでのフリップは、創設メンバーのイアン・マクドナルドを再び迎えてのバンド継続、またはフリップ自身のクリムゾンからの脱退、あるいはスティーヴ・ハケット(ジェネシス)をフリップの後任に迎えてのクリムゾン存続(この案はマネジメント側から却下された)など、いくつもの方法を模索していたということである。



左から ビル・ブルーフォード、ロバート・フリップ、ジョン・ウェットン



左から ジョン・ウェットン、ビル・ブルーフォード、ロバート・フリップ


 この後、フリップはブライアン・イーノとのプロジェクトを進める。そしてウェットンはロキシー・ミュージックに、ブルーフォードは「ゴング」「ロイ・ハーパー & トリガー」に参加した。また『レッド』にゲスト参加したマクドナルドは「フォリナー」に創設メンバーとして加入し、世界的な成功を収めた。なおウェットンとブルーフォードは1977年に「UK」を結成している。


 解散後の1975年、1974年の北米ツアーの模様を収録したライヴ・アルバム『USA』がリリースされる。脱退直前のデヴィッド・クロスが参加していたものだが、『21世紀の精神異常者』など3曲がエディ・ジョブソンのヴァイオリンに差し替えられている。
 また1974年の映画「エマニエル夫人」の劇中で使用されていた音楽が『太陽と戦慄 パート2』に酷似しているとして、のちにフリップが訴訟を起こした。最終的に示談で和解した。


<1981~1984>
 1974年以降のフリップは、ソロや自己のプロジェクトで活動していたが、再びバンドとしての活動の可能性を模索するようになる。
 1980年晩秋、フリップとビル・ブルーフォードは、共同で「リーグ・オブ・ジェントルメン」を経て、新たなプロジェクトに乗り出した。これに加わったのは、フリップ、ブルーフォードのほか、エイドリアン・ブリュー(guitar, vocal)、トニー・レヴィン(bass)というふたりのアメリカ人ミュージシャンである。
 ブリューはデヴィッド・ボウイーやトーキング・ヘッズなどのサポートを務めた新鋭セッション・ギタリストで、トーキング・ヘッズのツアーが終わった後に合流。ベーシストには当初ジェフ・バーリンの名があがったが、フリップはバーリンのプレイはバンドに合わないと感じ、オーディションによって、ニューヨークでスタジオ・ミュージシャンとして活躍中だったトニー・レヴィンが選ばれた。もともとフリップはレヴィンの存在に注目しており、のちに「もしレヴィンがクリムゾンに興味を持っていると知っていればオーディションなしで彼を選んだだろう」と述べている。
 この4人をメンバーとする新グループは、「ディシプリン」と名乗り、準備のためイギリスに戻り、1981年4月30日にサマセット州バースのモールズ・クラブでライヴ・デビューを果たした。
 1981年9月、バンド名をタイトルとした通算8枚目のスタジオ・アルバム『ディシプリン』をリリース。その後バンド名を改め、「キング・クリムゾン」の名を復活させた。これはレーベル側の商業的な意向を反映させたものである。この年12月には初来日している。



左から エイドリアン・ブリュー、ビル・ブルーフォード、トニー・レヴィン、ロバート・フリップ


 復活したキング・クリムゾンの音楽的特徴は、ツイン・ギター編成を前面に押し出したギター・ロック、ポリリズムの多用とニュー・ウェイヴの要素を大胆に取り入れたことである。そのほかポスト・パンク、ファンク、ワールド・ミュージックなど幅広い音楽性を包含していた。これは、管楽器やヴァイオリン、メロトロンなどを恒常的に編成に組み込み、リリカルでウェットな音楽的要素が大きかった1970年代までのスタイルとは一線を画すものである。このクリムゾンの劇的な変化には賛否両論が起こり、一部からは「クリムゾンはトーキング・ヘッズと化してしまった」と批判された。また元メンバーのジョン・ウェットンは、当時「イギリス人以外がメンバーとして参加しているこのバンドは、クリムゾンとしては認められない」と述べている。



左から トニー・レヴィン、ビル・ブルーフォード、エイドリアン・ブリュー、ロバート・フリップ


 1982年には通算9枚目のスタジオ・アルバム『ビート』を発表したが、制作はアイデアが不足している状態で開始せざるえを得なかったため緊張感に満ちており、ギタリスト兼リード・ヴォーカリスト、そして作詞家でもあるブリューは重い責任からくるストレスに苛立った結果、フリップと衝突したことさえあったという。復活当初は『ディシプリン』のみのプロジェクトであったため、新たなアイデアが不足している状態で制作を開始せざるをえなかったという。
 1984年3月、通算10枚目のスタジオ・アルバム『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』をリリース。しかしバンドの方向性は定まっておらず、この頃にはメンバーの制作意欲は低下してしまっていた。同年春には再来日し、その後北米ツアーをこなしたが、フリップは7月にはバンドの解散を決定した。フリップは「レーベルとの契約は、アルバム3枚リリースが条件であった。本来意図したアイデアは『ディシプリン』で完結している」と後年明かしている。



【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)

 <アルバム>

  1969年 クリムゾン・キングの宮殿/In the Court of Crimson King UK5位, US28位
  1970年 ポセイドンのめざめ/In the Wake of Poseidon UK4位, US31位
  1970年 リザード/Lizard UK26位, US113位
  1971年 アイランズ/Islands UK30位, US76位
 ☆1972年 アースバウンド/Earthbound ※録音1971年

  1973年 太陽と戦慄/Lark's Tongues in Aspic UK20位, US61位
 ☆1974年 暗黒の世界/Starless and Bible Black UK28位, US64位 ※ライヴ音源とスタジオ録音の両方を収録

  1974年 レッド/Red UK45位, US66位
 ☆1975年 USA/USA ※録音1974年
 ★1976年 新世代への啓示/A Young Person's Guide to King Crimson
  1981年 ディシプリン/Discipline UK41位, US45位
  1982年 ビート/Beat UK39位, US52位
  1984年 スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー/Three of a Perfect Pair UK30位, US58位
 

【メンバー変遷】
#1 1969
  ロバート・フリップ(guitars)
  イアン・マクドナルド(sax, keyboard, vocal)
  グレッグ・レイク(bass, vocal)
  マイケル・ジャイルズ(drums, vocal)
  ピート・シンフィールド(words)

#2 1970.1~1970.4
  ロバート・フリップ(guitars)
  ピーター・ジャイルズ(bass)
  メル・コリンズ(sax, flute)
  マイケル・ジャイルズ(drums)
  ピート・シンフィールド(words)
  キース・ティペット(piano)
  グレッグ・レイク(vocal)
  ゴードン・ハスケル(vocal)

#3 1970.8~1970.11
  ロバート・フリップ(guitars)
  メル・コリンズ(sax, flute)
  ゴードン・ハスケル(vocal, bass)
  アンディ・マッカロック(drums)
  ピート・シンフィールド(words)

#4 1971
  ロバート・フリップ(guitars)
  メル・コリンズ(sax, flute)
  ボズ・バレル(vocal, bass)
  イアン・ウォーレス(drums)
  ピート・シンフィールド(words)

#5 1971.11~1972.4
  ロバート・フリップ(guitars)
  メル・コリンズ(sax, flute)
  ボズ・バレル(vocal, bass)
  イアン・ウォーレス(drums)

#6 1972.9~1973.2
  ロバート・フリップ(guitars)
  ジョン・ウェットン(bass, vocals)
  デヴィッド・クロス(violin, keyboard)
  ビル・ブルーフォード(drums)
  ジェイミー・ミューア(percussions)

#7 1973.2~1974.7
  ロバート・フリップ(guitars)
  ジョン・ウェットン(bass, vocals)
  デヴィッド・クロス(violin, keyboard)
  ビル・ブルーフォード(drums)

#8 1974.7~1974.9
  ロバート・フリップ(guitars)
  ジョン・ウェットン(bass, vocals)
  ビル・ブルーフォード(drums)

#9 1981~1984
  ロバート・フリップ(guitars)
  エイドリアン・ブリュー(guitars, vocals)
  トニー・レヴィン(bass)
  ビル・ブルーフォード(drums) 

 


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『ドゥービー・ブラザーズ・ファースト』(ドゥービー・ブラザーズ)

2024-05-20 13:01:45 | albums

ドゥービー・ブラザーズ・ファースト The Doobie Brothers


【歌・演奏】
  ドゥービー・ブラザーズ/The Doobie Brothers


【リリース】
  1971年4月30日


【録音】
  1970年11月~1970年12月
  パシフィック・レコーディング・スタジオ アメリカ合衆国カリフォルニア州サン・マテオ



【プロデューサー】
  レニー・ワロンカー/Lenny Waronker
  テッド・トンプルマン/Ted Templeman



【エンジニア】
  マーティ・コーン/Marty Cohn



【レーベル】
  ワーナー・ブラザーズ/Warner Brothers Records



【収録曲】(☆シングル=①⑥⑨)
 side:A
 ☆① ノーボディ 3:42
    Nobody(Tom Johnston)
    *1971年リリース、1974年リリースUS58位

  ② スリッペリ・セント・ポール 2:14
    Slippery St. Paul(Patrick Simmons)
  ③ グリーンウッド・クリーク 3:04
    Greenwood Creek(Tom Johnston)
  ④ イット・ウォント・ビー・ライト 2:38
    It Won't Be Right(Tom Johnston, Patrick Simmons)
  ⑤ トラヴェリン・マン 4:25
    Travelin' Man(Tom Johnston)
 side:B

 ☆⑥ フィーリン・ダウン・ファーザー 4:20
    Feelin' Down Farther(Tom Johnston)
  ⑦ ザ・マスター 3:30
    The Master(Tom Johnston)
  ⑧ グロウィン・ア・リトル・イーチ・デイ 3:20
    Growin' a Little Each Day(Tom Johnston)
 ☆⑨ ビーハイヴ・ステイト 2:42
    Beehive State(Randy Newman)
  ⑩ クローサー・エヴリ・デイ 4:19
    Closer Every Day(Patrick Simmons)
  ⑪ シカゴ 1:40
    Chicago(Arr. by Patrick Simmons)





【録音メンバー】
 ☆ドゥービー・ブラザーズ
   トム・ジョンストン/Tom Johnston(acoustic-guitars, electric-guitars, harmonica③⑪, piano⑧⑩, lead-vocals, backing-vocals)
   パトリック・シモンズ/Patrick Simmons (acoustic-guitars, electric-guitars, lead-vocals, backing-vocals)
   デイヴ・ショグレン/Dave Shogren(bass, organ⑩, backing-vocals)
   ジョン・ハートマン/John Hartman(drums, percussions)
 

【チャート】
 1971年週間アルバム・チャート  圏外


【メ  モ】
 ドゥービー・ブラザーズのデビュー・アルバム。
 最初のシングル①はチャート入りしなかったが、1974年に編集されて再発された時にはビルボード58位を記録した。その後2010年にはアルバム『ワールド・ゴーン・クレイジー』でセルフ・カヴァーしている。


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『異端審問』(ユーライア・ヒープ)

2024-05-20 12:06:38 | albums

異端審問 Outsider


【歌・演奏】
  ユーライア・ヒープ/Uriah Heep


【リリース】
  2014年6月6日


【録音】
  2014年1月~2014年2月
  リスクーム・パーク・スタジオ/Liscomb Park Studio(イングランド バッキンガムシャー)



【プロデューサー】
  マイク・パクスマン/Mike Paxman



【エンジニア】
  スティーヴ・リスピン/Steve Rispin
  ピーター・ウォーターマン/Peter Waterman



【レーベル】
  フロンティアーズ/Frontiers
  アヴァロン/Avalon(日本)



【収録曲】(☆シングル=②)
  ① 移ろいゆく世界 4:56
    Speed of Sound(Mick Box, Phil Lanzon)
 ☆② 刹那主義 4:54
    One Minute(Mick Box, Phil Lanzon)
    *2014年リリース

  ③ 苦難の日々 5:24
    The Law(Mick Box, Phil Lanzon)
  ④ 異端審問 3:22
    The Outsider(Mick Box, Phil Lanzon & P.C. Phil Lanzon)
  ⑤ 殻を脱ぎ捨てろ! 4:07
    Rock the Foundation(Mick Box, Phil Lanzon)
  ⑥ 光を求めて 5:07
    Is Anybody Gonna Help Me?(Mick Box, Phil Lanzon)
  ⑦ 対峙 3:36
    Looking at You(Mick Box, Phil Lanzon)
  ⑧ 遠き日の安息 4:55
    Can't Take That Away(Mick Box, Phil Lanzon)
  ⑨ 眠れぬ森のジェシー 3:59
    Jessie(Mick Box, Phil Lanzon)
  ⑩ キッス・ザ・レインボウ 5:12
    Kiss the Rainbow(Mick Box, Phil Lanzon)
  ⑪ なるようになるさ 3:34
    Say Goodbye(Mick Box, Phil Lanzon)





【録音メンバー】
 ☆ユーライア・ヒープ
   バーニー・ショウ/Bernie Shaw(lead-vocals)
   ミック・ボックス/Mick Box (guitars, backing-vocals)
   フィル・ランゾン/Phil Lanzon(keyboards, backing-vocals)
   デイヴ・リマー/Dave Rimmer(bass, backing-vocals)
   ラッセル・ギルブルック/Russell Gilbrook(drums, backing-vocals)
 

【チャート】
 2014年週間アルバム・チャート  スイス17位 フィンランド28位 ドイツ32位 オーストリア56位 オランダ74位 日本237位 UKロック&メタル9位


【メ  モ】
 ユーライア・ヒープ23作目のスタジオ・アルバム。
 このアルバムから、ベーシストがトレヴァー・ボルダーからデイヴ・リマーに交替している。


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デイヴ・ショグレン

2024-05-16 12:03:32 | bass

デイヴ・ショグレン David Paul "Dave" Shogren

 【パート】
   ベース、キーボード、ギター、バッキング・ヴォーカル

 【生没年月日】
   1950年10月12日~1999年12月14日(49歳没)

 【出生地】
   アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ

 【経歴】
   ドゥービー・ブラザーズ/The Doobie Brothers(1970~1972)
   SMB(1996~1999)




 デイヴ・ショグレンはアメリカのベーシスト。ドゥービー・ブラザーズのオリジナル・メンバーである。


 当初は12弦ギターを弾いていた。1970年、トム・ジョンストン(guitar, vocal)とジョン・ハートマン(drums)が在籍していたバンド「Pud」に、グレッグ・マーフィー(bass)の後任として加入し、ベーシストに転向。その後パトリック・シモンズ(guitar, vocal)が加わったPudは、同年にはバンド名を新たに「ドゥービー・ブラザーズ」と変えた。
 ドゥービーズは1970年11月にデビュー・アルバムのレコーディングを始め、1971年4月に『ドゥービー・ブラザーズ・ファースト』というタイトルで発表したが、これはほぼ話題にならなかった。
 1972年、セカンド・アルバム『トゥールーズ・ストリート』の制作中、ショグレンは『トゥールーズ・ストリート』(bass, acoustic-guitar)、『ホワイト・サン』(backing-vocals)の2曲の録音を残してドゥービーズを脱退。
 ショグレンのベース・ラインは、初期のドゥービー・ブラザーズ・サウンドを堅実に支えている。


     


 ドゥービーズ脱退後のショグレンは、サンフランシスコのベイエリアでセッション・ベーシストとして音楽活動を続ける。またカリフォルニアにスタジオを所有し、長年レコーディング業界に携わってプロデューサー、エンジニアとしても仕事をした。
 1993年から1995年までは、ライターのブラッド・フィーガーと協力して「Parrot Audio Books」という出版社を設立し、バート・レイノルズやジョン・デンヴァーの自伝などのナレーション付きの本を12冊出版した。ショグレンは録音の専門知識を活かしてチーフ・エンジニアを務め、「エクソシスト」「アルジャーノンに花束を」の20周年記念オーディオも担当している。


 1996年、ショグレンは彼のマネージャー兼プロデューサーであるポール・クルシオと協力して、チェット・マクラッケン(drums)、コーネリアス・バンパス(sax, keyboard)とともに「SMB」というバンドを結成した。
 このバンドは主にドゥービー・ブラザーズの曲を演奏するトリビュート・バンドで、ドゥービーズのヒット曲のレコーディングも行った。当初は「オリジナル・ドゥービー・ブラザーズ」と名乗って活動していたが、ドゥービーズはこのバンド名を使用することに対して訴訟を起こし、裁判所からは名前の差し止め命令が出された。
 SMBは1998年9月にフロリダ州クリアウォーターのクラブ・モアでライヴを行った。クラブ・モアの共同オーナーであるデイヴ・ケアリーはのちに「そのライブは大成功だった」と述べている。


 1999年12月14日、ショグレンはカリフォルニア州サンノゼの自宅で睡眠中に死去。49歳だった。
 健康状態は良好だったと言われているが、死の数日前にショグレンは父に体調不良であるとの電話をかけていたという。
 SMBは新しいCDを完成させており、ヨーロッパ・ツアーの計画を立てていたところであった。


     



【ディスコグラフィ】

 <ドゥービー・ブラザーズ>

  1971年 ドゥービー・ブラザーズ・ファースト/The Doobie Brothers
  1972年 トゥールーズ・ストリート/Toulouse Street US21位

 <参加アルバム>
  1974年 Ron Gardner「RG」
  1982年 Richard Horner「Talkin' 'Bout You」
  1992年 The Charlie Brechtel Band「Made In The U.S.A.」
  1999年 Joel Crawford「BeFriender」  


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ジョン・ハートマン

2024-05-15 15:34:48 | drums

ジョン・ハートマン John Hartman

 【パート】
   ドラムス、パーカッション、ヴォーカル

 【生没年月日】
   1950年3月18日~2021年12月29日(71歳没)

 【出生地】
   アメリカ合衆国ヴァージニア州フォールズチャーチ

 【経歴】
   ドゥービー・ブラザーズ/The Doobie Brothers(1970~1979, 1987~1992)
   トム・ジョンストン・バンド/Tom Johnston Band(1979~1980前半)



 ジョン・ハートマンはアメリカのドラマー。ドゥービー・ブラザーズのオリジナル・メンバーである。


 ハートマンは、1950年にヴァージニア州フォールズチャーチで生まれた。
 10代の頃からドラマーとしていろいろなセッションやライヴに参加しており、1969年にはカリフォルニア州サンノゼに移り住む。
 この頃、元ジェファーソン・スターシップで当時モビー・グレイプに在籍していたスキップ・スペンスと知り合い、スペンスからトム・ジョンストン(guitar, vocal)を紹介される。
 意気投合したハートマンとジョンストンは、グレッグ・マーフィー(bass)を加えてバンド「Pud」を結成し、サンノゼ周辺で活動を始めた。やがてベースがデイヴ・ショグレンに交替、その後パトリック・シモンズ(guitar, vocal)が加入し、1970年にはバンド名を「
ドゥービー・ブラザーズ」と改める。


 1971年4月、ドゥービー・ブラザーズはデビュー・アルバム『ドゥービー・ブラザーズ・ファースト』をリリース。リリース後間もなく2人目のドラマーとしてマイケル・ホサックが加入した。これによってその後長く続くことになるツイン・ドラマー体制が整った。
 ホサックは1974年に脱退したが、後任としてキース・ヌードセンが加入。
 ツイン・ギター、ツイン・ドラムを擁するドゥービーズは、ハードなロックとアコースティックなサウンドを融合させてヒット曲を量産し、1970年代半ばにはイーグルスらと並ぶアメリカン・ロックの代表的バンドと言われるまでに成長する。
 しかしハートマンは、1978年12月にリリースしたアルバム『ミニット・バイ・ミニット』を最後に、絶頂期にあったドゥービーズを脱退する。メンバー間の不和などがその理由であった。
 ドゥービーズ在籍中のハートマンは「リトル・ジョン」の愛称で親しまれ、ツイン・ドラムの一翼を担ってバンドの屋台骨を支えた。
 レコーディングではホサックがドラムをたたき、ハートマンはパーカッションを務めることもあったが、『ブラック・ウォーター』『ホワット・ア・フール・ビリーヴス』の2曲の全米No.1シングルや、『リッスン・トゥ・ザ・ミュージック』『ロング・トレイン・ランニン』『チャイナ・グローヴ』などのバンドの代表曲すべてでハートマンはドラムを叩いている。





 1979年、ドゥービーズ時代のバンドメイト、トム・ジョンストンに迎えられ、「トム・ジョンストン・バンド」に加入、1980年代前半まで在籍した。
 その後は第一線から身を引き、カリフォルニアで牧場を経営していた。また警察官を目指して警察学校を卒業したが、著名人であることと、過去のドラッグ使用歴がネックとなってカルフォルニア州の警官として採用されることはなかったという。
 

 1987年、ベトナム戦争退役軍人のためのチャリティ・コンサートのためにドゥービー・ブラザーズは再結成する。この時、ハートマンのほかトム・ジョンストン(guitar, vocal)、パット・シモンズ(guitar, vocal)、ジェフ・バクスター(guitar)、ジョン・マクフィー(guitar)、タイロン・ポーター(bass)、マイケル・マクドナルド(keyboard)、キース・ヌードセン(drums)、マイケル・ホサック(drums)、チェット・マクラッケン(drums)、ボビー・ラカインド(percussion)、コーネリアス・バンパス(sax, keyboard)の、計12人が集結した。
 翌88年、ジョンストン、シモンズ、ハートマン、ホサック、ポーター、ボビー・ラカインドの6人編成で、ドゥービーズは正式に再結成を果たす。
 ハートマンは再結成後に『サイクルズ』と『ブラザーフッド』の2枚のアルバムに参加したが、1992年のボビー・ラカインドのための同窓会ライヴを最後にドゥービーズから永久に引退した。後任としてバンドに加わったのは、かつてのメンバー、キース・ヌードセンであった。
 その後のハートマンは、公の場に姿を現すことはほとんどなかった。
 2020年、ドゥービー・ブラザーズのメンバーとしてロックの殿堂入りを果たした。この時、ツイン・ドラマーのかつてのパートナーで、2005年に死去したヌードセン、2010年に死去したホサックも、ともに殿堂入りしている。





 2021年12月29日、ジョン・ハートマンは71歳で死去。
 2022年9月、ドゥービー・ブラザーズはSNSを通じてハートマンが亡くなったことを公表し、その死を悼んだ。



【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)

 <ドゥービー・ブラザーズ>

  1971年 ドゥービー・ブラザーズ・ファースト/The Doobie Brothers

  1972年 トゥールーズ・ストリート/Toulouse Street US21位
  1973年 キャプテン・アンド・ミー/The Captain and Me US7位

  1974年 ドゥービー天国/What Were Once Vices Are Now Habits US4位, UK19位
  1975年 スタンピード/Stampede US4位, UK14位
  1976年 ドゥービー・ストリート/Takin' It to the Streets US8位, UK42位
 ★1976年 ベスト・オブ・ザ・ドゥービーズ/Best of the Doobies US5位

  1977年 運命の掟/Livin' on the Fault Line US10位, UK25位
 ★1981年 ベスト・オブ・ザ・ドゥービーズ vol.2/Best of the Doobies VolumeⅡ US39位

  1978年 ミニット・バイ・ミニット/Minute by Minute US1位
  1989年 サイクルズ/Cycles US17位
  1991年 ブラザーフッド/Brotherhood US82位
 ★1993年 Listen to the Music:The Very Best of The Doobie Brothers

  2001年 On Our Way Up ※1970年録音
 ★2001年 Greatest Hits US142位, UK45位
 ★2003年 Divided Highway

 ☆2011年 フェアウェル・ライヴ~ライヴ・アット・ザ・グリーク・シアター1982/Live at the Greek Theater 1982 ※ゲストとして参加



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『ホーム』(プロコル・ハルム)

2024-05-14 01:26:08 | albums

ホーム Home


【歌・演奏】
  プロコル・ハルム/Procol Harum


【リリース】
  1970年6月5日



【録音】
  1970年2月
  EMIスタジオ(ロンドン)


【プロデューサー】
  クリス・トーマス/Chris Thomas


【エンジニア】
  ジェフ・ジャラット/Jeff Jarratt


【レーベル】
  リーガル・ゾノフォン/Regal Zonophone(UK)
  A&Mレコード/A&M Records(US, Canada & Australia)


【収録曲】(☆シングル=①②⑤)
 side:A
 ☆① ウィスキー・トレイン 4:31
    Whisky Train(words:Keith Reid music:Robin Trower)
    *1970年リリース(アメリカのみ)
 ☆② デッド・マンズ・ドリーム 4:46
    The Dead Man's Dream(words:Keith Reid music:Gary Brooker)
    *1970年リリース(オランダのみ)
  ③ スティル・ゼアル・ビー・モア 4:53
    Still There'll Be More(words:Keith Reid music:Gary Brooker)
  ④ ナッシング・ザット・アイ・ディドント・ノウ 3:36
    Nothing That I Didn't Know(words:Keith Reid music:Gary Brooker)
 ☆⑤ アバウト・トゥ・ダイ 3:36
    About to Die(words:Keith Reid music:Robin Trower)
    *1970年リリース(イタリアのみ)  
 side:B
  ⑥ バーンヤード・ストーリー 2:46
    Barnyard Story(words:Keith Reid music:Gary Brooker)
  ⑦ ピギー・ピッグ・ピッグ 4:48
    Piggy Pig Pig(words:Keith Reid music:Gary Brooker)
  ⑧ 捕鯨物語 7:06
    Whaling Stories(words:Keith Reid music:Gary Brooker)
  ⑨ ユア・オウン・チョイス 3:14
    Your Own Choice(words:Keith Reid music:Gary Brooker)





【録音メンバー】
 ☆プロコル・ハルム
   ゲイリー・ブルッカー/Gary Brooker(lead-vocals, piano)
   ロビン・トロワー/Robin Trower(guitar)
   クリス・コッピング/Chris Copping(organ, bass)
   B.J. ウィルソン/B.J. Wilson(drums)
   キース・リード/Keith Reid(lyrics)


【チャート】
 1970年週間アルバム・チャート  イギリス49位 アメリカ(ビルボード)34位 カナダ13位 オーストラリア24位 デンマーク6位


【メ  モ】
 プロコル・ハルム4枚目のアルバム。
 アメリカではビルボード34位を記録し、3作連続して全米トップ40入りを果たした。イギリスでは1970年6月27日付で最高49位を記録。
 このアルバムからベーシストが元パラマウンツのクリス・コッピングに交替している。コッピングはパラマウンツ時代にゲイリー・ブルッカー、ロビン・トロワーとバンドメイトであった。


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『サンライズ』(エリック・カルメン)

2024-05-13 11:26:33 | albums

サンライズ Eric Carmen


【歌・演奏】

  エリック・カルメン/Eric Carmen

【リリース】
  1975年11月

【録音】
  1975年8月~9月(O.D.Oサウンド・スタジオ アメリカ合衆国ニューヨーク市)

【プロデューサー】
  ジミー・アイナー/Jimmy Ienner

【エンジニア】
  ジャック・シャーデル/Jack Sherdel

【レーベル】
  アリスタ・レコード/Arista Records

【録音メンバー】
   エリック・カルメン/Eric Carmen(lead-vocals, piano, guitar)
   ダン・ハードリッカ/Dan Hrdlicka(lead-guitar, backing-vocals)
   ヒュー・マックラッケン/Hugh McCracken(slide-guitar④)
   スティーヴ・ニル/Steve Knill(bass, backing-vocals)

   リチャード・レイシング/Richard Reising(synthesizer, organ, backing-vocals)
   ドワイト・クリューガー/Dwight Krueger(drums, percussions, backing-vocals)
   マイケル・マクブライド/Michael McBride(drums, percussions, backing-vocals)
   ジャッキー・ケルソ/Jackie Kelso(flute③)



【収録曲】(☆シングル=①③④)
 side:A
 ☆① サンライズ 5:21
    Sunrise(Eric Carmen)
    *1976年週間チャート ビルボード34位、カナダ36位

  ② すてきなロックン・ロール 3:10
    That's Rock and Roll(Eric Carmen)
 ☆③ 恋にノータッチ 3:45
    Never Gonna Fall in Love Again(Eric Carmen, Sergei Rachmaninoff)
    *1976年週間チャート ビルボード11位、カナダ1位

 ☆④ オール・バイ・マイ・セルフ 7:13
    All by Myself(Eric Carmen, Sergei Rachmaninoff)
    *1975年週間チャート ビルボード2位、カナダ1位、UK12位

  ⑤ 悲しきラスト・ナイト 2:57
    Last Night(Eric Carmen)
 side:B
  ⑥ 愛しのマイ・ガール 3:02
    My Girl(Eric Carmen)
  ⑦ 野望 3:03

    Great Expectations(Eric Carmen)
  ⑧ エヴリシング 2:01
    Everything(Eric Carmen)
  ⑨ ノー・ハード・フィーリング 5:40
    No Hard Feelings(Eric Carmen)
  ⑩ オン・ブロードウェイ 3:26
    On Broadway(Barry Mann, Cynthia Weil, Jerry Leiber, Mike Stoller)


【チャート】
 1975年週間アルバム・チャート アメリカ(ビルボード) 21位、イギリス58位、オーストラリア15位、スウェーデン41位
 1976年年間アルバム・チャート アメリカ(ビルボード) 20位



【メ  モ】
 1970年代前半に活躍したパワー・ポップ・バンド「ラズベリーズ」のリード・ヴォーカルだったエリック・カルメンの、ファースト・ソロ・アルバム。
 1975年のアルバム・チャートではビルボード最高21位を記録、RIAAゴールド・アルバムに認定されている。
 このアルバムからは④『オール・バイ・マイセルフ』、③『恋にノータッチ』、①『サンライズ』の3曲がシングルとしてリリースされており、全て1976年にシングル・チャートのトップ40入りしている。そのほか②『すてきなロックン・ロール』は1977年にショーン・キャシディがカヴァーしてチャート3位のヒットとなっている。

 
 ④はセルゲイ・ラフマニノフの『ピアノ協奏曲第2番』を、③は同じくラフマニノフの『交響曲第2番』のメロディを一部使っているほか、⑩『オン・ブロードウェイ』はドリフターズのカヴァーである。そのほかはカルメンが作詞・作曲している。


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エリック・カルメン

2024-05-13 03:06:22 | vocal

エリック・カルメン Eric Howard Carmen

 【パート】
   ヴォーカル、ピアノ、キーボード、ギター、ベース

 【生没年月日】
   1949年8月11日~2024年3月9日(74歳没)

 【出生地】
   アメリカ合衆国オハイオ州クリーヴランド

 【経歴】
   サイラス・エリー/Cyrus Erie(1967~1969)
   クィック/Quick(1969)
   ラズベリーズ/The Raspberries(1970~1975)
   リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド/Ringo Starr and His All-Starr Band(2000)

   ラズベリーズ/The Raspberries(2004~2009)


 エリック・カルメンは、アメリカのシンガー・ソングライター。

 1970年代前半にラズベリーズのリード・ヴォーカリスト、ソングライターとして活躍した。その後ソロとなって『オール・バイ・マイ・セルフ』や『恋にノー・タッチ』などの大ヒット曲を生み出した。


 カルメンは、ロシア系ユダヤ人移民の子としてオハイオ州クリーヴランドで生まれ、オハイオ州リンドハーストで育った。
 幼いころから音楽に親しんでいたカルメンは、3歳のときにはすでにクリーブランド音楽大学のダルクローズ・リトミック・プログラムに参加していた。

 6歳になると、クリーブランド・シンフォニー・オーケストラのバイオリニストだった叔母のミュリエル・カルメンからヴァイオリンのレッスンを受けるようになる。11歳の時にはクラシック・ピアノを習い始め、あわせて自作曲を書くようにもなった。そしてのちにはクリーヴランド音楽院でロシアの作曲家セルゲイ・ラフマニノフについて学んだ時期もあった。
 ロックが世界中を席捲した1960年代前半に出会ったビートルズやローリング・ストーンズから大きな影響を受け、チャールズ・F・ブラッシュ高校に入るとロック・バンドでピアノとヴォーカルを担当するようになる。
 カルメンは、15歳のときにギターのレッスンも受け始めていたが、間もなくギターの先生のスタイルが自分に合わないと感じるようになったため、その後は独学でギターを習得したということである。


 高校を卒業したカルメンはジョン・キャロル大学に進んだ。
 彼は、このころから将来ミュージシャンになることを真剣に考えるようになった。
 1967年、カルメンはウォーリー・ブライソン(guitar)とともに、当時のクリーヴランドで注目を集めるバンドのひとつ「サイラス・エリー」に加入。このバンドは、カルメンとブライソンの共作によるシングル・レコード『Get the Message』を1969年にエピック・レコードからにリリースしている。
 ブライソンは彼の友人であるジム・ボンファンティ(drums)、デイヴ・スモーリー(guitar)とともに、やはりクリーヴランドの人気バンドだった「クワイア」でも活動していた。1969年の終わりごろにサイラス・エリーとクワイアが解散すると、カルメンは「クイック」を結成するが、間もなくソロ活動を開始する。ソロ・デビューとしてシングル用に『I'll Hold Out My Hand』を1970年に録音しているが、これは発売されることはなかった。
 その後カルメンは元クワイアのブライソン、ボンファンティと合流する。3人はベーシストにジョン・アレクシスを迎え、1970年に「ラズベリーズ」を結成。
 アレクシスが1971年に脱退すると、カルメンがベースにスイッチし、ベトナム戦争から帰還したばかりのデイヴ・スモーリー(元クワイア)がリズム・ギターとして加入する。これにより、ラズベリーズのラインナップはエリック・カルメン(vocal, bass, piano, guitar)、ウォーリー・ブライソン(guitar)、デイヴ・スモーリー(guitar, bass)、ジム・ボンファンティ(drums)となった。
 ラズベリーズはデモ音源を制作したが、その完成度は関係者のあいだで評判となるほど高く、彼らとの契約を欲したメジャー・レーベル間で入札が行われたほどだった。
 入札の結果、ラズベリーズはキャピトル・レコードと契約する。
 キャピトルはプロデューサーにジミー・アイナー(スリー・ドッグ・ナイトやベイ・シティ・ローラーズなどを担当)を起用し、レコーディングはニューヨークのレコード・プラントとロンドンのアビイ・ロード・スタジオで行われた。


 ラズベリーズは1972年2月にデビュー・シングル『さよならは言わないで』を、同年4月にはデビュー・アルバム『ラズベリーズ』をリリースする。同年7月、このアルバムから『ゴー・オール・ザ・ウェイ』 がシングル・カットされると、たちまちビルボード・シングル・チャートで5位まで上昇、ミリオン・セラーを記録する大ヒットとなった。これが契機となり、ラズベリーズはパワー・ポップの草分けとして人気バンドの仲間入りを果たしたのである。
 以後も『明日を生きよう』『レッツ・プリテンド』『オーヴァーナイト・センセーション』などのヒット曲を出したが、メンバー間の人間関係を原因として1975年解散する。





 ラズベリーズ解散した後のカルメンは、1975年7月にアリスタ・レコードと契約を交わす。
 同年11月、ソロ・デビュー・アルバム『サンライズ』をリリース。このアルバムからは『オール・バイ・マイセルフ』『恋にノータッチ』『サンライズ』の3曲がシングル・カットされ、全てビルボード・シングル・チャートのトップ40入りを記録した。
 なかでも『オール・バイ・マイセルフ』は100万枚以上を売り上げ、シングル・チャートで1976年3月15日から3週連続全米2位(ビルボード)を記録して、R.I.A.A.からゴールド・ディスクに認定されるほどのメガ・ヒットとなった。この曲は、セルゲイ・ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」をモチーフにした、7分を超える壮大なバラードで、現在ではカルメンの代表曲として世界的に認知されている。1996年にはセリーヌ・ディオンがカヴァーしており、彼女のヴァージョンも大ヒット(全米4位、全英6位)した。
 また『恋にノータッチ』もラフマニノフの作品である「交響曲第2番第3楽章」のメイン・テーマをモチーフにしており、ビルボードで最高11位、カナダではチャート1位を記録した。
 これらのヒット曲を輩出したアルバム『サンライズ』はビルボード・アルバム・チャートで21位となり、1977年には50万枚以上を売り上げたことでゴールド・アルバムに認定された。


 1977年8月、カルメンのセカンド・アルバム『雄々しき翼』がリリースされ、ビルボード・アルバム・チャートに13週間ランクインし、最高45位を記録した。タイトル曲はビルボードで88位にとどまったが、後にオリビア・ニュートン・ジョンが1978年のアルバム『さよならは一度だけ』で取り上げている

 そのほか、ショーン・キャシディが1976年に『すてきなロックン・ロール』をカヴァーしてビルボード3位に、1977年には『ヘイ・ディーニー』をカヴァーしてビルボード7位に送り込んでおり、1977年秋の数週間は、この2曲にカルメン自身のシングル『愛をくれたあの娘』を加えたカルメン作の3曲が同時にビルボード・ホット100 にチャート・インした。
 その後カルメンは『チェンジ・オブ・ハート』(1978年)、『トゥナイト・ユア・マイン』(1980年)の2枚のアルバムをリリースした。アルバム・チャートでは低迷したが、シングル『チェンジ・オブ・ハート』はビルボードで最高19位のスマッシュ・ヒットとなった。この曲はサマンサ・サングがアルバム『ときめきへの誘い』でカヴァーしている。
 また1978年には世界歌謡祭のゲストとして来日。1980年には東京、大阪、京都、北海道、愛知、神奈川の6都市7ヵ所で来日公演を行った。





 ソロ転向後のカルメンはソフト・ロックやパワー・バラードを多く取り上げて世界的な人気を得たが、1980年代に入るとレコード会社や出版社との訴訟の対応などで活動に支障をきたし、低迷するようになった。
 しかし1984年にゲフィン・レコードへ移籍して心機一転を図る。
 この年カルメンは、映画『フットルース』の挿入歌『パラダイス~愛のテーマ』をディーン・ピッチフォードと共作した。
アン・ウィルソン&マイク・レノがシングルとしてリリースしたこの曲は、ビルボードで最高7位まで上昇した。このヒットによってカルメンの名が久々にメディアに取り上げられるようになったのである。
 


 1985年1月には4年ぶりにアルバム『エリック・カルメン』をリリースしてロック・シーンに再び姿を現した。このアルバムからは『噂の女』(ビルボード35位)のスマッシュ・ヒットが生まれているが、そのほかルイーズ・マンドレルがカヴァーした『メイビー・マイ・ベイビー』のシングルが、1986年にビルボードのカントリー・ソング・チャートで8位を記録している


 1987年、カルメンがリリースした『ハングリー・アイズ』は、ビルボード4位、ビルボードUSアダルト・コンテンポラリー2位の大ヒットを記録した。この曲は映画『ダーティ・ダンシング』のためにフランク・プリヴァイトとジョン・デニコラが書き下ろしたもので、このヒットによって、カルメンはシンガーとしてのカムバックも果たしたのである。
 1988年、この年開催されたソウル夏季オリンピックのためのコンピレーション・アルバム『ワン・モーメント・イン・タイム』にカルメンの『リーズン・トゥ・トライ』(ビルボード87位)が収録された。またこの年のシングル『メイク・ミー・ルーズ・コントロール』がビルボード3位の大ヒットを記録し、カルメンは再びスターの座に返り咲いた。
 しかし1990年代のカルメンはほとんど活動しておらず、1998年にアルバム『夢の面影』(Winter Dreams)を日本限定でリリース(アメリカでは2000年に『I Was Born to Love You』のタイトルで
リリース)したのみである。カルメンはこのアルバムの録音にバンドを起用せず、ほとんどの楽器を自分で演奏し、ドラムのパートは自分でプログラミングしている。


 2000年、「リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド」に加わり、ツアーに同行した。
 2004年11月、31年ぶりのラズベリーズ再結成に参加。カルメン、ボンファンティ、ブライソン、スモーリーからなるオリジナル・メンバーでの再結成だった。ラズベリーズの復活は話題となり、全米ツアーのチケットは完売するほどだった。ツアーも好評を博し、なかでもウエスト・ハリウッドのハウス・オブ・ブルースで収録されたライヴ・アルバムは非常に高く評価された。このライヴは、ニューヨーク・デイリー・ニュースで、年間のベスト・コンサートに選ばれている。



 2013年12月24日、カルメンの15年ぶりの新曲「ブランド・ニュー・イヤー」を「特別なクリスマス・ギフト」として無料ダウンロード配信でリリース。この曲は翌14年にリリースされたベスト・アルバム『エッセンシャル・エリック・カルメン』にも収録されている。


 カルメンは3度結婚している。
 1978年から79年にかけてはマーシー・ヒルと結婚生活を送った。1993年に結婚したスーザン・ブラウンとの間には2人の子供をもうけたが、2009年に離婚している。そして2016年から2024年に亡くなるまでは、元ニュース・キャスターのエイミー・マーフィーと過ごした。
 なおカルメンはロサンゼルスで暮らしていたが、1990年代に故郷オハイオ州に戻り、州北東部のゲイツ・ミルズで暮らしていた。


 2024年3月、エリック・カルメンは74歳で死去。
 3月11日に妻のエイミー・カルメンによって、訃報がエリックのホームページに掲載された。それによるとカルメンはその前の週末、就寝中に亡くなったということである。死因は明らかにされていない。





【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)

 *アルバム*

 <ラズベリーズ>
  1972年 ラズベリーズ/Raspberries US51位
  1972年 明日を生きよう/Fresh US36位
  1973年 サイド 3/Side 3 US128位
  1974年 素晴らしき再出発/Starting Over US143位
 ★1976年 Raspberries' Best Featuring Eric Carmen US138位
 ☆2007年 Live on Sunset Strip
 ☆2017年 Pop Art Live

 <ソロ・アルバム>
  1975年 サンライズ/Eric Carmen US21位, UK58位
  1977年 雄々しき翼/Boats Against the Current US45位
  1978年 チェンジ・オブ・ハート/ US137位
 ★1979年 ベスト・オブ・エリック・カルメン ※日本のみ発売
  1980年 トゥナイト・ユア・マイン/Tonight You're Mine US160位
  1984年 エリック・カルメン/Eric Carmen US128位
 ★1988年 The Best of Eric Carmen US59位
 ★1997年 The Definitive Collection
  1998年 夢の面影/I Was Born to Love You ※日本のみ。アメリカでは2000年にリリース。
 ★1999年 All by Myself ー The Best of Eric Carmen

 ★2014年 The Essential Eric Carmen


 *シングル*

 <サイラス・エリー>
  1969年 Get the Message

 <クィック>
  1969年 Ain't Nothing Gonna Stop Me

 <ラズベリーズ>
  1972年 さよならは言わないで/Don't Want to Say Goodbye US86位
  1972年 ゴー・オール・ザ・ウェイ/Go All the Way US5位
  1972年 明日を生きよう/I Wanna Be With You US16位
  1972年 ドライヴィン・アラウンド/Drivin' Around
  1973年 レッツ・プリテンド/Let's Pretend US35位
  1973年 トゥナイト/Tonight US69位
  1973年 アイム・ア・ロッカー/I'm a Rocker US94位
  1974年 君に首ったけ/Ecstacy 
  1974年 オーヴァーナイト・センセーション/Overnight Sensation 18位
  1974年 クルージング・ミュージック/Cruisin Music
  
 <ソロ>
  1975年 オール・バイ・マイセルフ/All by Myself US2位, UK12位
  1976年 恋にノータッチ/Never Gonna Fall in Love Again US11位
  1976年 サンライズ/Sunrise US34位
  1976年 すてきなロックンロール/That's Rock'n'Roll デンマーク7位
  1977年 愛をくれたあの娘/She Did It US23位
  1977年 雄々しき翼/Boats Against the Current US88位
  1978年 マラソン・マン/Marathon Man
  1978年 チェンジ・オブ・ハート/Change of Heart US19位
  1978年 二人のラブウェイ/Haven't We Come a Long Way
  1978年 愛を求めて/Baby I Need Your Loving US62位
  1980年 悲しみTOO MUCH/It Hurts Too Much US75位
  1980年 All for Love
  1980年 フーリン・マイセルフ/Foolin' Myself
  1985年 噂の女/I Wanna Hear It from Your Lips US35位
  1985年 I'm Through with Love US87位
  1986年 The Rock Stops Here
  1987年 ハングリー・アイズ/Hungry Eyes US4位, UK82位
  1988年 As Long as We Got Each Other ※with Louise Mandrell
  1988年 メイク・ミー・ルーズ・コントロール/Make Me Lose Control US3位, UK93位
  1988年 Reason to Try US87位
  2013年 Brand New Year




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『イントゥ・ザ・ワイルド』(ユーライア・ヒープ)

2024-05-13 00:38:44 | albums

イントゥ・ザ・ワイルド Into the Wild


【歌・演奏】
  ユーライア・ヒープ/Uriah Heep


【リリース】
  2011年4月12日(日本)
  2011年4月15日(ヨーロッパ)

  2011年5月3日(アメリカ)


【録音】
  2010年12月~2011年2月
  リスクーム・パーク・スタジオ/Liscomb Park Studio(イングランド バッキンガムシャー)



【プロデューサー】
  マイク・パクスマン/Mike Paxman



【エンジニア】
  スティーヴ・リスピン/Steve Rispin



【レーベル】
  フロンティアーズ/Frontiers



【収録曲】(☆シングル=①)
 ☆① ネイル・オン・ザ・ヘッド 4:15
    Nail on the Head(Mick Box, Phil Lanzon)
    *2011年リリース

  ② アイ・キャン・シー・ユー 4:13
    I Can See You(Mick Box, Phil Lanzon)
  ③ イントゥ・ザ・ワイルド 4:20
    Into the Wild(Mick Box, Phil Lanzon)
  ④ マネー・トーク 4:44
    Money Talk(Phil Lanzon)
  ⑤ アイム・レディ 4:14
    I'm Ready(Mick Box, Phil Lanzon)
  ⑥ トレイル・オブ・ダイアモンズ 6:28
    Trail of Diamonds(Mick Box, Phil Lanzon)
  ⑦ サザン・スター 4:26
    Southern Star(Phil Lanzon)
  ⑧ ビリーヴ 5:09
    Believe(Mick Box, Phil Lanzon)
  ⑨ ロスト 4:51
    Lost(Trevor Bolder)
  ⑩ Tバード・エンジェル 4:01
    T-Bird Angel(Mick Box, Phil Lanzon)
  ⑪ キス・オブ・フリーダム 6:13
    Kiss of Freedom(Phil Lanzon)
  ⑫ ハード・ウェイ・トゥ・ラーン 5:25
    Hard Way to Learn(Trevor Bolder)※日本盤ボーナス・トラック





【録音メンバー】
 ☆ユーライア・ヒープ
   バーニー・ショウ/Bernie Shaw(lead-vocals)
   ミック・ボックス/Mick Box (guitars, backing-vocals)
   フィル・ランゾン/Phil Lanzon(keyboards, backing-vocals)
   トレヴァー・ボルダー/Trevor Bolder(bass, lead-vocals⑨, backing-vocals)
   ラッセル・ギルブルック/Russell Gilbrook(drums, backing-vocals)
 

【チャート】
 2011年週間アルバム・チャート  スウェーデン29位 フィンランド31位 ドイツ32位 オーストリア40位 スイス42位 UKロック&メタル11位


【メ  モ】
 ユーライア・ヒープ22作目のスタジオ・アルバム。
 このアルバムはドイツのチャートで32位まで上昇したが、これは1980年以降のドイツにおけるチャート・エントリー最高位である。
 またこれはトレヴァー・ボルダーが参加した最後のアルバムである。ボルダーは2013年にガンのため62歳で死去した。


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『ウェイク・ザ・スリーパー』(ユーライア・ヒープ)

2024-05-09 11:04:28 | albums

ウェイク・ザ・スリーパー Wake the Sleeper


【歌・演奏】
  ユーライア・ヒープ/Uriah Heep


【リリース】
  2008年6月2日(ヨーロッパ)
  2008年8月26日(アメリカ)



【録音】
  2007年
  チャペル・スタジオ(イングランド リンカーンシャー)



【プロデューサー】
  マイク・パクスマン/Mike Paxman



【ミキシング】
  マーク・エヴァンス/Mark Evans

【マスタリング】

  デニス・ブラッカム/Denis Blackham


【レーベル】
  サンクチュアリ・レコーズ/Sanctuary Records(イギリス)
  ノイズ・レコーズ/Noise Records(ドイツ)



【収録曲】
  ① ウェイク・ザ・スリーパー 3:33
    Wake the Sleeper(Mick Box, Phil Lanzon)
  ② オーヴァーロード 5:58
    Overload(Mick Box, Phil Lanzon)
  ③ ティアーズ・オブ・ザ・ワールド 4:45
    Tears of the World(Mick Box, Phil Lanzon)
  ④ ライト・オブ・ア・サウザンド・スターズ 3:57
    Light of a Thousand Stars(Mick Box, Phil Lanzon)
  ⑤ ヘヴンズ・レイン 4:16
    Heaven's Rain(Mick Box, Phil Lanzon)
  ⑥ ブック・オブ・ライズ 4:05
    Book of Lies(Mick Box, Phil Lanzon)
  ⑦ ホワット・カインド・オブ・ゴッド 6:37
    What Kind of God(Mick Box, Phil Lanzon)
  ⑧ ゴースト・オブ・ジ・オーシャン 3:22
    Ghost of the Ocean(Mick Box, Phil Lanzon)
  ⑨ エンジェルス・ウォーク・ウィズ・ユー 5:24
    Angels Walk with You(Trevor Bolder)
  ⑩ シャドウ 3:35
    Shadow(Phil Lanzon)
  ⑪ ウォー・チャイルド 5:07
    War Child(Trevor Bolder, Tony Gallagher)





【録音メンバー】
 ☆ユーライア・ヒープ
   バーニー・ショウ/Bernie Shaw(lead-vocals)
   ミック・ボックス/Mick Box (guitars, backing-vocals)
   フィル・ランゾン/Phil Lanzon(keyboards, backing-vocals)
   トレヴァー・ボルダー/Trevor Bolder(bass, backing-vocals)
   ラッセル・ギルブルック/Russell Gilbrook(drums, backing-vocals)
 

【チャート】
 2008年週間アルバム・チャート  スウェーデン55位 スイス55位 日本265位 UKロック&メタル24位


【メ  モ】
 ユーライア・ヒープ21作目のスタジオ・アルバム。前作『ソニック・オリガミ』以来10年ぶりのスタジオ・アルバムで、ロシアではゴールド・アルバムを獲得した。
 リー・カースレイクに代わる新たなドラマーとしてバンドに加入したラッセル・ギルブルックが初めて録音に参加したアルバムである。


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