トラフィック Traffic
【歌・演奏】
トラフィック/Traffic
【リリース】
1968年10月
【録音】
1968年1月~5月 オリンピック・スタジオ(ロンドン)、レコード・プラント(ニューヨーク)
【プロデューサー】
ジミー・ミラー/Jimmy Miller
【エンジニア】
エディー・クレーマー/Eddie Kramer
テリー・ブラウン/Terry Brown
グリン・ジョンズ/Glyn Johns
ブライアン・ハンフリーズ/Brian Humphries
【レーベル】
アイランド/Island
ユナイテッド・アーティスツ/United Artists
【収録曲】 ★シングル=⑤フィーリン・オールライト
side:A
① ユー・キャン・オール・ジョイン・イン 3:34
You Can All Join In(Dave Mason)
② パーリー・クィーン 4:20
Pearly Queen(Jim Capaldi, Steve Winwood)
③ ドント・ビー・サッド 3:24
Don't Be Sad(Dave Mason)
④ フー・ノウズ・ホワット・トゥモロウ・メイ・ブリング 3:11
Who Knows What Tomorrow May Bring(Jim Capaldi, Steve Winwood, Chris Wood)
★⑤ フィーリン・オールライト 4:16
Feelin' Alright?(Dave Mason)
※1968年週間シングル・チャート UK51位、US(ビルボード)123位、オランダ20位
side:B
⑥ ヴァガボンド・ヴァージン 5:21
Vagabond Virgin(Dave Mason, Jim Capaldi)
⑦ フォーティ・サウザンド・ヘッドメン 3:15
Roamin' Thru' the Gloamin' with 40,000 Headmen(Jim Capaldi, Steve Winwood)
⑧ クライン・トゥ・ビー・ハード 5:14
Cryin' to Be Heard(Dave Mason)
⑨ ノー・タイム・トゥ・リヴ 5:10
No Time to Live(Jim Capaldi, Steve Winwood)
⑩ ミーンズ・トゥ・アン・エンド 2:39
Means to an End(Jim Capaldi, Steve Winwood)
【録音メンバー】
☆トラフィック
スティーヴ・ウインウッド/Steve Winwood
organ②③④⑦⑧, piano⑤⑥⑨⑩, harpsichord⑧, guitar①②③④⑥⑦⑩, bass①②④⑤⑥⑨⑩, organ-bass③⑦, lead-vocals②③④⑦⑨⑩, backing-vocals①⑤⑥⑧
デイヴ・メイスン/Dave Mason
guitars①③⑤⑥, bass⑧, organ⑨, harmonica②③, lead-vocals①③⑤⑥⑧
クリス・ウッド/Chris Wood
tenor-sax①⑤⑧, soprano-sax③⑧⑨, flute②⑥⑦, percussions⑦, backing-vocals⑤
ジム・キャパルディ/Jim Capaldi
drums①~⑩, percussions④⑤⑥⑩, lead-vocals⑥, backing-vocals①③④⑧
【チャート】
1967年週間アルバム・チャート
イギリス(UKアルバムチャート)9位、アメリカ(ビルボード)17位、カナダ15位
【メ モ】
トラフィックのセカンド・アルバムである。
リリース当初の邦題は『トラフィック・ラスト・アルバム』。
このアルバムのリリース後にデイヴ・メイスンが脱退した。
⑩「ミーンズ・トゥ・アン・エンド」は、ドラムスとパーカッションにクリス・ウッドの名がクレジットされているが、これはおそらく誤りであり、この曲を録音したのは④と同じくウィンウッドとキャパルディであろうと推測されている。
ミスター・ファンタジー Mr. Fantasy
【歌・演奏】
トラフィック/Traffic
【リリース】
1967年12月8日
【録音】
1967年4月~11月
【プロデューサー】
ジミー・ミラー/Jimmy Miller
【エンジニア】
エディー・クレーマー/Eddie Kramer
【レーベル】
アイランド/Island
ユナイテッド・アーティスツ/United Artists
【収録曲】(シングル=「ノー・フェイス、ノー・ネーム、ノー・ナンバー」)
side:A
① ヘヴン・イズ・イン・ユア・マインド 4:16
Heaven Is in Your Mind(Jim Capaldi, Steve Winwood, Chris Wood)
② バークシャー・ポピーズ 2:55
Berkshire Poppies(Jim Capaldi, Steve Winwood, Chris Wood)
③ ハウス・フォー・エヴリワン 2:05
House for Everyone(Dave Mason)
④ ノー・フェイス、ノー・ネーム、ノー・ナンバー 3:35
No Face, No Name, No Nunber(Jim Capaldi, Steve Winwood)
*1968年週間シングル・チャート イギリス40位
⑤ ディア・ミスター・ファンタジー 5:44
Dear Mr. Fantasy(Jim Capaldi, Steve Winwood, Chris Wood)
side:B
⑥ ディーラー 3:34
Dealer(Jim Capaldi)
⑦ アッタリー・シンプル 3:16
Utterly Simple(Dave Mason)
⑧ カラード・レイン 2:43
Coloured Rain(Jim Capaldi, Steve Winwood, Chris Wood)
⑨ ホープ・アイ・ネヴァー・ファインド・ミー・ゼア 2:12
Hope I Never Find Me There(Dave Mason)
⑩ ギヴィング・トゥ・ユー 4:20
Giving to You(Jim Capaldi, Dave Mason, Steve Winwood, Chris Wood)
【録音メンバー】
☆トラフィック
スティーヴ・ウインウッド/Steve Winwood(organ, piano, harpsichord, guitar, bass, percuasions, lead-vocals①②④⑤⑥⑧, arrangements)
デイヴ・メイスン/Dave Mason(guitars, sitar, mellotron, tambura, harmonica, bass⑤⑥, percussions lead-vocals③⑦⑨)
クリス・ウッド/Chris Wood(flute, sax, organ, percussions, vocals)
ジム・キャパルディ/Jim Capaldi(drums, percussions, lead-vocals①⑥)
★ゲスト・ミュージシャン
ジミー・ミラー/Jimmy Miller(maracas⑤)
スティーヴ・マリオット/Steve Marriott(backing-vocal & percussions②)
ロニー・レーン/Ronnie Lane(backing-vocal & percussions②)
イアン・マクレガン/Ian McLagan(backing-vocal & percussions②)
ケニー・ジョーンズ/Kenney Jones(backing-vocal & percussions②)
【チャート】
1967年週間アルバム・チャート
イギリス16位 アメリカ88位
【メ モ】
トラフィックのファースト・アルバム。
なおUS盤には、UK盤未収録の「ペーパー・サン」「ホール・イン・マイ・シュー」(いずれもUKではシングルのみリリース)と、オムニバス・アルバム『ヒア・ウィ・ゴー・ラウンド・ザ・マルベリー・ブッシュ』に収められている同名曲(UKではシングルとしてリリース)が収録されている。
スプーキー・トゥー Spooky Two
【歌・演奏】
スプーキー・トゥース/Spooky Tooth
【リリース】
1969年3月
【録音】
ロンドン モーガン・スタジオ
【プロデューサー】
ジミー・ミラー/Jimmy Miller
【エンジニア】
アンディ・ジョンズ/Andy Johns
【レーベル】
イギリス=アイランド・レコード
アメリカ=A&Mレコード
【録音メンバー】
☆スプーキー・トゥース
ゲイリー・ライト/Gary Wright (vocals, keyboards)
マイク・ハリスン/Mike Harrison(vocals, keyboards)
ルーサー・グロヴナー/Luther Grosvenor(guitar)
グレッグ・リドリー/Greg Ridley(bass)
マイク・ケリー/Mike Kellie(drums)
★ゲスト・ミュージシャン
ジョー・コッカー/Joe Cocker(backing-vocal②)
スー & サニー/Sue & Sunny(backing-vocal②)
スティーヴ・ウインウッド/Steve Winwood(piano③)
【収録曲】
side:A
① ウェイティン・フォー・ザ・ウィンド 3:32
Waitin' for the Wind(Luther Grosvenor, Mike Harrison, Gary Wright)
② フィーリン・バッド 3:18
Feelin' Bad(Mike Kellie, Gary Wright)
③ アイヴ・ゴット・イナフ・ハートエイク 3:27
I've Got Enough Heartache(Mike Kellie, Gary Wright)
④ イーヴル・ウーマン 9:02
Evil Woman(Larry Weiss)
side:B
⑤ ロスト・イン・マイ・ドリーム 5:03
Lost in My Dream(Gary Wright)
⑥ ザット・ワズ・オンリー・イエスタデイ 3:53
That Was Only Yesterday(Gary Wright)
*1969年週間シングル・チャート オランダ13位
⑦ ベター・バイ・ユー、ベター・ザン・ミー 3:40
Better by You, Better Than Me (Gary Wright)
⑧ ハングマン・ハング・マイ・シェル・オン・ア・トゥリー 3:03
Hangman Hang My Shell on a Tree(Gary Wright)
【チャート】
1969年週間アルバム・チャート アメリカ(ビルボード)44位、オランダ4位
【メ モ】
スプーキー・トゥースのセカンド・アルバム。
バンド唯一の全米トップ50アルバムである。1969年10月11日付でビルボード44位を記録した。このアルバムはオランダでも最高位4位(1969年6月28日付)の好セールスを記録したが、本国イギリスではヒットしなかった。
本作を最後にベーシストのグレッグ・リドリーが脱退し、ハンブル・パイの結成に参加する。
エレクトリック・フラッグ The Electric Flag
【活動期間】
①1967年~1969年
②1974年
【メンバー】
①1967~1969
ニック・グレイヴナイツ/Nick Gravenites(vocals, rhythm-guitar)在籍1967~1969
マイク・ブルームフィールド/Mike Bloomfield(lead-guitar, vocals)在籍1967~1968
ホーシャル・ライト/Hoshal Wright(guitar)在籍1968~1969
バリー・ゴールドバーグ/Barry Goldberg(keyboards)在籍1967
マイケル・フォンファラ/Michael Fonfara(keyboards)在籍1967
ハービー・リッチ/Herbie Rich(keyboards, baritone-sax, guitar, vocals)在籍1967~1969
ジョン・サイモン/John Simon(keyboards)在籍1968~1969
ハーヴェイ・ブルックス/Harvey Brooks(bass, vocals)在籍1967~1969
バディ・マイルス/Buddy Miles(drums, guitar, vocals)在籍1967~1969, 1974
マーカス・ダブルディ/Marcus Doubleday(trumpet)在籍1967~1969
ステムシー・ハンター/Stemsy Hunter(alto-sax, vocals)在籍1968~1969
ピーター・ストラッツァ/Peter Strazza(tenor-sax)在籍1967~1968
テリー・クレメンツ/Terry Clements(tenor-sax)在籍1968~1969
ヴァージル・ゴンサルヴス/Virgil Gonsalves(baritone-sax, flute)在籍1968~1969
②1974
ニック・グレイヴナイツ/Nick Gravenites(vocals, rhythm-guitar)
マイク・ブルームフィールド/Mike Bloomfield(lead-guitar, vocals)
バリー・ゴールドバーグ/Barry Goldberg(keyboards)
ロジャー・トロイ/Roger Troy(bass, vocals)
バディ・マイルス/Buddy Miles(drums, vocals)
1967年にマイク・ブルームフィールドによって結成されたバンド。ホーン・セクション入りのブルース・ロックを提唱する、画期的な「スーパー・グループ」として注目を集めた。
マイク・ブルームフィールドは、1960年代中盤から終盤にかけてアメリカで最も注目されていたギタリストのひとりであった。
当時のブルームフィールドはバターフィールド・ブルース・バンドに在籍していたが、相次ぐツアーによる疲労が深刻になり、バンドから脱退する。
当時西海岸は、ジェファーソン・スターシップなどの出現で活況を呈しており、ブルームフィールドも心機一転サンフランシスコに移った。そして、ホーン・セクションを取り入れ、ブルースやサザン・ソウルをベースにした音楽を作るべく、気心の知れたミュージシャンを集めて結成したバンドが「エレクトリック・フラッグ」である。
メンバーは、ブルームフィールドのほか、ニック・グレイヴナイツ(vocal)とバリー・ゴールドバーグ(keyboard)というシカゴ時代からの盟友ふたりに加え、スタジオ・ミュージシャンとして活躍していたベーシストのハーヴェイ・ブルックスと、元ウィルソン・ピケットのツアー・バンドのドラマーで、ジミ・ヘンドリックスとの共演経験もあるバディ・マイルス、そしてゴールドバーグのシカゴ時代の友人でサックスのピーター・ストラッツァの、計6人である。
ちなみにゴールドバーグとブルックスは、ボブ・ディランのアルバム『追憶のハイウェイ61』で共演している。
エレクトリック・フラッグは、手始めにロジャー・コーマン監督、ピーター・フォンダ主演の1967年の映画『ザ・トリップ』のサウンドトラックを担当する(全てブルームフィールドが作曲)。そして同年のモンタレー・ポップ・フェスティヴァルで本格的なデビューを飾った。
モンタレーでのパフォーマンスは観客から支持されたものの、1967年7月から始まっていたファースト・アルバムのレコーディングはメンバーの個人的な問題で大幅に遅れてしまう。
ブルームフィールド、ゴールドバーグ、ストラッツァにはドラッグによる悪影響があった。その問題を解決しようとしている間に、ジャズ・ギタリストのラリー・コリエルの紹介で、トランペッターのマーカス・ダブルディがバンドに参加した。
1967年11月になると、ゴールドバーグがバンドを脱退し、後任としてマイケル・フォンハラが加入。
こうしていくつかのメンバーの異動があったが、1968年3月になってようやくファースト・アルバム『ア・ロング・タイム・カミン』がリリースされる。アルバム・チャートはビルボード31位に終わったが、ホーン・セクションを大胆に導入したブルース・ロックという当時の西海岸では稀なスタイルで注目された。彼らの音楽性は、シカゴやブラッド・スウェット & ティアーズにも影響を与えたと言われている。
しかし1968年6月、ドラッグの弊害による不眠症がひどくなったためブルームフィールドが脱退する。
ブルームフィールドとゴールドバーグが脱退した後はバディ・マイルスがバンドをまとめ、1968年にセカンド・アルバム『An American Music Band』をリリースした。しかしメンバー間に生じた音楽性の相違やドラッグ問題を解消できず、エレクトリック・フラッグはこのアルバムを最後に解散した。
解散後、ブルームフィールドはアル・クーパー(keyboard)とアルバム『スーパー・セッション』を制作。このアルバムにはブルックスとゴールドバーグも参加している。
バディ・マイルスは1969年10月に、ジミ・ヘンドリックス、ビリー・コックスと「バンド・オブ・ジプシーズ」を結成。
1974年、ブルームフィールド、ゴールドバーグ、マイルス、グレイヴナイツのオリジナル・メンバーに、新たにベースにロジャー・トロイを加えてエレクトリック・フラッグは再結成する。アルバム『The Band Kept Playing』を発表したが、セールスは期待されたほどではなかった。そして数か月の間に散発的にライヴを行ったが、ほどなく解散している。
2007年7月に開催された、40回目の記念すべきモンタレー・ポップ・フェスティヴァルに、グレイヴナイツとゴールドバーグが中心となって限定的にエレクトリック・フラッグを再結成して出演し、ファースト・アルバムからセレクトした曲などを演奏している。
【ディスコグラフィ】
<アルバム>
1968年 ア・ロング・タイム・カミン/A Long Time Comin' US(ビルボード)31位
1968年 An American Music Band
1974年 The Band Kept Playing
【メンバー変遷】
夢幻劇 Wonderworld
【歌・演奏】
ユーライア・ヒープ/Uriah Heep
【リリース】
1974年6月22日
【録音】
1974年1月~3月
ドイツ ミュンヘン
【プロデューサー】
ジェリー・ブロン/Gerry Bron
【エンジニア】
ピーター・ギャレン/Peter Gallen
【レーベル】
ブロンズ/Bronze(イギリス)
ワーナー・ブラザーズ/Warner Brothers(アメリカ)
【収録曲】(☆シングル=⑥)
side:A
① 夢幻劇 4:29
Wonderworld(Ken Hensley)
② 冒瀆 3:38
Suicidal Man(Mick Box, David Byron, Ken Hensley Lee Kerslake, Gary Thain)
*1973年週間シングル・チャート アメリカ91位 ノルウェイ9位 ニュージーランド20位 フィンランド23位 ドイツ40位
③ 季節の肖像 4:27
The Shadows and the Wind(Ken Hensley)
④ 鏡にうつした哀しみ 3:39
So tired(Mick Box, David Byron, Ken Hensley Lee Kerslake, Gary Thain)
⑤ 孤独の道標 2:43
The Easy Road(Ken Hensley)
side:B
☆⑥ 浮気な瞳 2:56
Something or Nothing(Mick Box, Ken Hensley, Gary Thain)
*1974年週間シングル・チャート ノルウェイ6位 フィンランド25位 ドイツ45位
⑦ 悪徳の旋律 5:59
I Won't Mind(Mick Box, David Byron, Ken Hensley Lee Kerslake, Gary Thain)
⑧ 恋の炎を燃やせ 3:39
We Got We(Mick Box, David Byron, Ken Hensley Lee Kerslake, Gary Thain)
⑨ 悪夢の宴 6:10
Dreams(Mick Box, David Byron, Ken Hensley)
【録音メンバー】
☆ユーライア・ヒープ
デヴィッド・バイロン/David Byron(lead-vocals)
ミック・ボックス/Mick Box (guitars)
ケン・ヘンズレー/Ken Hensley(keyboards, guitars, backing-vocal)
ゲイリー・セイン/Gary Thain(bass)
リー・カースレイク/Lee Kerslake(drums, percussions, backing-vocal)
★ゲスト・ミュージシャン
ホセ・ガブリエル/Jose Gabriel(synthesizers)
マイケル・ギブズ/Michael Gibbs(orchestral arrangements)
【チャート】
1973年週間アルバム・チャート
イギリス23位 アメリカ38位 日本76位
オーストリア2位 デンマーク3位 ノルウェイ3位 フィンランド5位 ドイツ7位 オーストラリア19位 カナダ31位
1974年年間アルバム・チャート
ドイツ40位
【メ モ】
ユーライア・ヒープ7作目のスタジオ・アルバム。
ゲイリー・セイン(bass)が参加した最後のアルバムである。
スウィート・フリーダム Sweet Freedom
【歌・演奏】
ユーライア・ヒープ/Uriah Heep
【リリース】
1973年9月3日(イギリス)
【録音】
1973年6月~7月
フランス エルヴィル城
【プロデューサー】
ジェリー・ブロン/Gerry Bron
【エンジニア、ミキシング】
ピーター・ギャレン/Peter Gallen
【レーベル】
ブロンズ/Bronze(イギリス)
ワーナー/Warner(アメリカ)
【収録曲】(☆シングル=①、②、⑥)
side:A
☆① ドリーマー 3:41
Dreamer(Gary Thain, Mick Box)
☆② 略奪 4:49
Stealin'(Ken Hensley)
*1973年週間シングル・チャート アメリカ91位 ノルウェイ9位 ニュージーランド20位 フィンランド23位 ドイツ40位
③ 愛の砂漠 2:47
One Day(Ken Hensley, Gary Thain)
④ スウィート・フリーダム 6:37
Sweet Freedom(Ken Hensley)
side:B
⑤ 時の狩人 5:43
If I Had the Time(Ken Hensley)
☆⑥ セヴン・スターズ 3:52
Seven Stars(Ken Hensley)
⑦ 狂気のサーカス 2:44
Circus(Gary Thain, Mick Box, Lee Kerslake)
⑧ 巡礼 7:10
Pilgrim(Ken Hensley, David Byron)
【録音メンバー】
☆ユーライア・ヒープ
デヴィッド・バイロン/David Byron(lead-vocals)
ミック・ボックス/Mick Box (guitars)
ケン・ヘンズレー/Ken Hensley(keyboards, guitars, backing-vocal)
ゲイリー・セイン/Gary Thain(bass)
リー・カースレイク/Lee Kerslake(drums, percussions, backing-vocal)
【チャート】
1973年週間アルバム・チャート
イギリス18位 アメリカ33位 日本45位
フィンランド2位 ノルウェイ2位 カナダ5位 オーストリア9位 ドイツ12位 デンマーク14位
1974年週間アルバム・チャート
オーストラリア19位
【メ モ】
ユーライア・ヒープ6作目のスタジオ・アルバム。
バンド初の海外録音作品。フランスのヴァル=ドワーズ県にあるエルヴィル城で録音された。
ポップな作風にシフトし、『悪魔と魔法使い』『魔の饗宴』で定着したオカルト的イメージを払拭した。
ベスト・オブ・ユーライア・ヒープ The Best of Uriah Heep
【歌・演奏】
ユーライア・ヒープ/Uriah Heep
【リリース】
1974年(カナダ)
1975年(ヨーロッパ)
1976年2月21日(アメリカ)
【録音】
1970年~1975年
【プロデューサー】
ジェリー・ブロン/Gerry Bron
【エンジニア、ミキシング】
ピーター・ギャレン/Peter Gallen
【レーベル】
ブロンズ・レコード/Bronze(ヨーロッパ)
マーキュリー・レコード/Mercury(アメリカ、カナダ)
【録音メンバー】
☆ユーライア・ヒープ
デヴィッド・バイロン/David Byron(lead-vocals①~⑩)
ミック・ボックス/Mick Box(guitars, vocals①~⑩)
ケン・ヘンズレー/Ken Hensley(organ piano, synthesizer, guitar, vocals①~⑩)
ポール・ニュートン/Paul Newton(bass, backing-vocals①②③④)
マーク・クラーク/Mark Clarke(bass, vocals⑥)
ゲイリー・セイン/Gary Thain(bass, vocals⑤⑦⑧⑨)
ジョン・ウェットン/John Wetton(bass⑩)
アレックス・ネピアー/Alex Napier(drums①)
キース・ベイカー/Keith Baker(drums②)
イアン・クラーク/Ian Clarke(drums③④)
リー・カースレイク/Lee Kerslake(drums, vocals⑤⑥⑦⑧⑨⑩)
★ゲスト・ミュージシャン
マンフレッド・マン/Manfred Mann(synthesizer③)
テッド・オセイ/Ted Osei(percussion④)
マック・トントー/Mac Tontoh(percussion④)
ラフティ・アマオ/Loughty Amao(percussion④)
【収録曲】(日本盤)
side:A
① ジプシー 2:45
Gypsy(Mick Box, David Byron)
② 肉食鳥 4:05
Bird of Prey(Mick Box, David Byron, ken Hensley, Paul Newton)
③ 七月の朝 10:36
July Morning(David Byron, Ken Hensley)
④ 対自核 5:07
Look at Yourself(Ken Hensley)
side:B
⑤ 安息の日々 2:36
Easy Livin'(Ken Hensley)
⑥ 魔法使い 2:59
The Wizard(Mark Clarke, Ken Hensley)
⑦ スウィート・ロレイン 4:13
Sweet Lorraine(Mick Box, David Byron, Gary Thain)
⑧ 略奪 3:17
Stealin'(Ken Hensley)
⑨ 冒瀆 3:38
Suicidal Man(Mick Box, David Byron, Ken Hensley, Lee Kerslake, Gary Thain)
⑩ 幻想への回帰 5:52
Return to Fantasy(Ken Hensley, David Byron)
【チャート】
1976年週間アルバム・チャート
アメリカ145位 オーストリア8位 ノルウェイ13位 ドイツ21位 スウェーデン47位
【メ モ】
ユーライア・ヒープが全盛期(1970~1975)に発表した8枚のスタジオ・アルバムから、時系列順にピック・アップしたベスト・アルバム。
A①「ジプシー」はシングル・ヴァージョンを収録。
テリー・キャス Terry Alan Kath
【パート】
ギター、ヴォーカル
【生没年月日】
1946年1月31日~1978年1月23日(31歳没)
【出生地】
アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ
【経 歴】
ビッグ・シング/The Big Thing(1967~1968)
シカゴ・トランジット・オーソリティ/Chicago Transit Authority(1968~1969)
シカゴ/Chicago(1970~1978)
アメリカン・ロックの代表的バンドのひとつ、「シカゴ」のオリジナル・メンバー。
シカゴではギター、リード・ヴォーカル、作詞作曲を担当、バンドの中心人物として1960~1970年代のシカゴを支えた。
ギターのほか、バンジョー、ベース・ギター、アコーディオン、ドラムも演奏するマルチ・プレイヤーである。
貧しい農家に生まれる。正式な音楽教育は受けていないが、育った家庭はみな音楽好きで、テリーも幼いころからバンジョーやアコーディオンに親しんでいた。
1950年代の終わりにヴェンチャーズが登場すると、テリーはたちまちヴェンチャーズ、そしてヴェンチャーズのギタリスト、ノーキー・エドワーズに夢中になり、独学でギターをマスターした。この間ケニー・バレル、ジョージ・ベンソン、ハワード・ロバーツなどのジャズ・ギタリストのレコードも聴きあさっていたという。その後1年ほどジャズのレッスンを受ける。
1963年頃、「ジミー&ザ・ジェントルメン」に参加。このバンドで終生の親友となるウォルター・パラザイダーに出会う。
1964年頃、ABCの人気番組『アメリカン・バンドスタンド』のホスト、ディック・クラークが率いていた「キャラヴァン・オブ・スターズ」にベーシストとして参加。このグループの前任ベーシストが、のち「シカゴ」のプロデューサーとなるジェイムス・ウィリアム・ガルシオであった。
その後ウォルター・パラザイダーと「ジ・エグゼクティヴス」を結成。このバンドでダニエル・セラフィン(drums)と出会う。
「ジ・エグゼクティヴス」は「ミッシング・リンクス」へと発展したのち1966年に解散したが、テリーとウォルター・パラザイダーは自分たちの「ホーン・セクションを入れたロック・バンドを作る」という構想に合ったミュージシャンを探し始め、ジェイムス・パンコウ(trombone)、リー・ロックネイン(trumpet)、ロバート・ラム(keyboard, vocal)を仲間に加えて、1967年2月に「ザ・ビッグ・シング」(The Big Thing)を結成した。
ザ・ビッグ・シングはイリノイ州メイウッドにあったウォルター・パラザイダーの母の家にある地下室でリハーサルを重ね、オリジナル曲を増やし、中西部でサーキットして、徐々にその知名度を上げていった。
1967年12月、ザ・ビッグ・シングのメンバーにピーター・セテラ(bass, vocal)が加わり、バンドは7人編成となる。
1968年なると旧知のプロデューサー、ジェイムス・ウィリアム・ガルシオがザ・ビッグ・シングのマネジメントとプロデュースを手掛けることになり、バンドは活動の幅を広げるために本拠地をロサンゼルスに移す。
ザ・ビッグ・シングのユニークな音楽はロサンゼルスの音楽業界でも知られるようになり、紆余曲折を経て、ジェイムス・ウィリアム・ガルシオの尽力でコロムビア・レコードと契約を結ぶことに成功した。そしてザ・ビッグ・シングは「シカゴ・トランジット・オーソリティ」(=シカゴ交通局)と改名し、1969年1月からファースト・アルバムの制作を開始する。
優れたオリジナル曲を多く持っていたシカゴ・トランジット・オーソリティーのファースト・アルバムは、当時標準だったLPレコード35分に収まりきらなかったため、新人バンドとしては異例の2枚組アルバムとして1969年4月にリリースされた。これが『シカゴの軌跡』である。
アルバム・リリース後はツアーに次ぐツアーを行った結果、「シカゴ・トランジット・オーソリティ」のパワフルでユニークな音楽性は広く認知されるようになった。アルバム『シカゴの軌跡』も全米チャート17位を記録、ゴールド・アルバムを獲得する好セールスを記録した。
この1969年、シカゴ市の運輸部門からバンド名に対してクレームがついたため、バンド名は「シカゴ」と改められる。
1970年にリリースしたセカンド・アルバム『シカゴと23の誓い』でバンドは大ブレイクする。シカゴはこの『シカゴと23の誓い』から10作連続して全米アルバム・チャートのトップ10に送り込んだが、とくに『シカゴⅤ』から『シカゴⅨ』まで5作連続して全米アルバム・チャート1位を記録している。
シカゴはアメリカン・ロックの頂点に立つ巨大バンドへと成長したが、その中にあってテリーは大きな柱としてバンドを支え続けた。
テリーは、ファースト・アルバム発表時からギタリスト、ヴォーカリスト、そしてソングライターとして活躍しており、以後もバンドの中枢部を担い続けることになる。
彼のギターは、パワフルで荒々しく、圧倒的な存在感を誇っている。ロックやジャズのエッセンスを存分に吸収、昇華させたプレイは高く評価されている。
テリーはジミ・ヘンドリックスを崇拝していたが、そのジミはテリーを「俺よりうまい」と称賛している。1968年9月、ウィスキー・ア・ゴーゴーでのシカゴのライヴに当時絶頂期だったジミ・ヘンドリックスが現れ、「(シカゴの)ホーン・セクションの息はぴったり、ギタリスト(テリー)は俺よりうまい。俺の前座をやってもらいたい。」と語った、という話が残っている。ちなみに、テリーとジミは、ふたりの共作アルバムを制作する、というプランを持っていたという。
また親友のひとりでもあったロバート・ラムは、テリーのギターについて「ぼくはテリーほどうまいリズム・プレイヤーを見たことがないし、彼のリード・ギターは当時としては世界的レベルだった」と語っている。
またバンド内では、ロバート・ラム、ピーター・セテラと並んでリード・ヴォーカルのポジションをも担っていた。
『イントロダクション』などのハードなナンバーでの男くさいヴォーカルはまさに「ロック」そのものだが、『リトル・ワン』『明日へのラヴ・アフェア』などのバラードで聴かれる、温もりのある歌声も評価が高い。
テリーは、表面上はアメリカを代表するバンドであるシカゴの主要メンバーであったが、メディアから正当に評価されていないという不満を抱えていた。また人間関係に疲弊しつつあったうえに、ドラッグへの依存が深刻化しており、精神的な余裕が失われつつあった。
1978年1月22日の夜、テリーは親友のウォルター・パラザイダーの家を訪ねていた。テリーはガールフレンドと大喧嘩していたうえに数日間ほぼ眠っておらず、疲れていたようだったという。心配するウォルターの家をあとにしたテリーは、翌1月23日にシカゴのスタッフのひとりであるドン・ジョンソンの家を訪れた。
テリーはガン・マニアでもあり、銃の分解や組み立てが好きで、ジョンソンの家でもピルトルの手入れをしていたという。
午後5時頃、テリーの様子を心配したジョンソンはテリーに「ベッドへ行って休むよう」忠告したが、テリーはクリップ(挿弾子)を抜いてある自動拳銃を見せ、「まだこれにはクリップが入っていないんだ」と言った。テリーは空のクリップを銃に装填し、その銃を頭の上で振り回していたが、その時指が引き金を引いてしまった。銃からクリップを抜いてはいたが、実は銃内の薬室には実弾が1発が残っており、テリーはその弾丸で自らの側頭部を撃ち抜いて即死した。まだ31歳の若さであり、32回目の誕生日のわずか8日前のことであった。
テリーは、死亡した翌日から、ファースト・ソロ・アルバムに向けてのリハーサルを行う予定だったという。
なおテリーの死後に後任としてシカゴに加入したのは、元スティーヴン・スティルス・バンドのドニー・デイカスである。
【ディスコグラフィ】
<シカゴ>
1969年 シカゴの軌跡/Chicago Transit Authority(アメリカ17位、イギリス9位)
1970年 シカゴと23の誓い/Chicago(アメリカ4位、イギリス6位)
1971年 シカゴⅢ/Chicago Ⅲ(アメリカ2位、イギリス9位)
1971年 シカゴ・アット・カーネギー・ホール/シカゴChicago at Carnegie Hall(アメリカ3位)
1972年 シカゴⅤ/Chicago Ⅴ(アメリカ1位、イギリス24位)
1972年 シカゴ・ライヴ・イン・ジャパン/Live in Japan
1973年 シカゴⅥ(遥かなる亜米利加)/Chicago Ⅵ(アメリカ1位)
1974年 シカゴⅦ(市俄古への長い道)/Chicago Ⅶ(アメリカ1位)
1975年 シカゴⅧ(未だ見ぬアメリカ)/Chicago Ⅷ(アメリカ1位)
1975年 シカゴⅨ(偉大なる星条旗)/Chicago Ⅸ:Chicago's Greatest Hits(アメリカ1位)
1976年 シカゴⅩ(カリブの旋風)/シカゴChicago Ⅹ(アメリカ3位、イギリス21位)
1977年 シカゴⅪ/シカゴChicago Ⅺ(アメリカ6位)