マイク・ハリスン Mike Harrison
【歌・演奏】
マイク・ハリスン/Mike Harrison
【リリース】
1971年10月
【録 音】
アイランド・スタジオ(ロンドン)
【プロデューサー】
マイク・ハリスン/Mike Harrison
【エンジニア】
リチャード・ディグビー・スミス/Richard Digby Smith
【レーベル】
アイランド・レコード/Island Records
【収 録 曲】
side:A
① Mother Nature(Peter Batey) 2:05
② Call It a Day(Peter Batey, Mike Harrison, Ian Herbert, Kevin Iverson) 6:25
③ Damian(Mike Harrison, Ian Herbert) 3:22
④ Pain(Ian Herbert, Kevin Iverson, Frank Kenyon) 3:30
side:B
⑤ Wait Until Morning(Griffin, Mike harrison) 4:26
⑥ Lonely People(Peter Batey) 2:33
⑦ Hard Headed Woman(Cat Stevens) 6:36
⑧ Here Comes The Queen(Luther Grosvenor) 2:29
【録音メンバー】
マイク・ハリスン/Mike Harrison(vocals, piano, organ, harmonica)
◆ジャンクヤード・エンジェル
イアン・ハーバート/Ian Herbert(guitars, piano, organ, vibes, backing-vocals)
フランク・ケニオン/Frank Kenyon(guitars, backing-vocals)
ピーター・ベイティ/Peter Batey(bass, percussions)
ケヴィン・アイヴァーソン/Kevin Iverson(drums, percussions, backing-vocals)
◆ゲスト・ミュージシャン
アーサー・ベルチャー/Arthur Belcher(tenor-sax⑦)
【チャート】
圏 外
【メ モ】
スプーキー・トゥースのリード・シンガーだったマイク・ハリスンの、ファースト・ソロ・アルバム。
スプーキー・トゥースは、1970年にアルバム「ラスト・パフ」を制作したが、リリース前に解散した。このアルバムはその後に制作された。
このアルバムでハリスンのバック・バンドを務めているのは、ハリスンの故郷カーライルのバンド「ジャンクヤード・エンジェル」である。メンバーのフランク・ケニオン(guitar)は、ハリスンのV.I.P.'s時代のバンド・メイト。またイアン・ハーバート(bass)は、1972年にスプーキー・トゥースの再結成に参加し、ハリスンのバンド・メイトとなる。
スモークスタック・ライトニング Smokestack Lightning
【歌・演奏】
マイク・ハリスン/Mike Harrison
【リリース】
1972年11月
【録 音】
マッスル・ショールズ・サウンド・スタジオ(アメリカ合衆国アラバマ州シェフィールド)
【プロデューサー】
マイク・ハリスン/Mike Harrison
クリス・ブラックウェル/Chris Blackwell
【エンジニア】
ジェリー・マスターズ/Jerry Masters
【レーベル】
アイランド・レコード/Island Records
【収 録 曲】
side:A
① Tears(Jimmy Stevens) 4:12
② Paid My Dues(Jimmy Stevens) 4:19
③ What a Price(Murphy Maddux, Jack Jessup, Fats Domino) 5:52
④ Wanna Be Free(Joe Tex) 4:14
side:B
⑤ Turning Over(Mike Harrison, Luther Grosvenor) 6:31
⑥ Smokestack Lightning(Chester Burnett) 12:28
【録音メンバー】
マイク・ハリスン/Mike Harrison(vocals, harmonica)
ピート・カー/Pete Carr(guitar)
ジミー・ジョンソン/Jimmy Johnson(guitar)
ウェイン・パーキンス/Wayne Perkins(slide-guitar)
ルーサー・グロヴナー/Luther Grosvenor(acoustic-guitar)
バリー・ベケット/Barry Beckett(keyboards)
クレイトン・アイヴィー/Clayton Ivey(keyboards)
デヴィッド・フッド/David Hood(bass)
ロジャー・ホーキンス/Roger Hawkins(drums)
ハリスン・キャロウェイ/Harrison Calloway(trumpet)
マイク・ステーシー/Mike Stacey(trumpet)
ハーヴェイ・トンプソン/Harvey Thompson(tenor-sax)
ロナルド・イーデス/Ronald Eades(baritone-sax)
チャールズ・ローズ/Charles Rose(trombone)
【チャート】
圏 外
【メ モ】
マイク・ハリスンのセカンド・ソロ・アルバムである。
この作品は、アラバマ州のマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオで、マッスル・ショールズのリズム・セクションとともに制作された。レコーディングに参加したバリー・ベケット(keyboards)、デヴィッド・フッド(bass)、ロジャー・ホーキンズ(drums)の3人は、本作がリリースされた直後の1973年1月にトラフィックに加入している。
レインボウ・ライダー Rainbow Rider
【歌・演奏】
マイク・ハリスン/Mike Harrison
【リリース】
1975年
【録 音】
グッドイヤー・スタジオ(アメリカ合衆国テネシー州ナッシュヴィル)
【プロデューサー】
クリス・キムジー/Chris Kimsey
【エンジニア】
クリス・キムジー/Chris Kimsey
【レーベル】
アイランド・レコード/Island Records
【収 録 曲】(☆=シングル)
side:A
☆① Maverick Woman Blues(Don Nix) 3:42
② You and Me(Will Jennings, Troy Seals) 2:40
③ I'll Keep It With Mine(Bob Dylan) 4:19
④ Like a Road(Leading Home)(Don Nix, Dan Penn) 4:40
⑤ We Can Work It Out(John Lennon, Pau McCartney) 3:24
side:B
⑥ Okay Lay Lady Lay(Luther Grosvenor, Mike Harrison) 6:40
⑦ Easy(Aitkin, Brown, Mike Harrison) 4:30
⑧ Somewhere Over the Rainbow(Harold Arlen, Edgar Yipsel Harburg) 2:36
⑨ Friend(Arthur Belcher, Mike Harrison) 4:40
【録音メンバー】
マイク・ハリスン/Mike Harrison(vocals, harmonica)
ミック・ジョーンズ/Mick Jones(guitar)
ボブ・コーエン/Bob Cohen(guitar)
カーク・ロレンジ/Kirk Lorange(slide-guitar)
モーガン・フィッシャー/Morgan Fisher(keyboards, synthesizer)
ノーバート・パットナム/Norbert Putnam(bass)
ケネス・バットリー/Kenneth Buttrey(drums, percussions)
アーサー・ベルチャー/Arthur Belcher(sax)
ザ・メンフィス・ホーンズ/The Memphis Horns(Horns)
コロナ・ステージ・スクール/Corona Stage School(choir)
20センチュリー・シンガーズ/20th Century Singers(choir)
【チャート】
圏 外
【メ モ】
マイク・ハリスンのサード・ソロ・アルバムである。
ナッシュヴィルで録音されたこのアルバムには、当時モット・ザ・フープルのメンバーだったモーガン・フィッシャーや、元スプーキー・トゥースのミック・ジョーンズをはじめ、ナッシュヴィルの腕利きミュージシャンが参加している。
プロデューサーのクリス・キムジーは、ローリング・ストーンズの1971年のアルバム「スティッキー・フィンガーズ」のエンジニア、そしてビル・ワイマンの1974年のソロ・アルバム「モンキー・グリップ」のプロデューサーである。
レイト・スターター Late Starter
【歌・演奏】
マイク・ハリスン/Mike Harrison
【リリース】
2006年
【録 音】
グランジ・スタジオ/The Grange Studio(イングランド ノーフォーク州)
【プロデューサー】
マイク・ハリスン/Mike Harrison
マーク・スティーヴンス/Mark Stevens
【エンジニア】
デイヴ・ウィリアムス/Dave Williams
【レーベル】
ハロー・レコード/Halo Records
【収 録 曲】(☆=シングル)
side:A
☆① Out of the Rain(Tony Joe White)
② A Fool in Love(Frankie Miller)
③ Jealous Kind(Delbert McClinton)
④ Come Back Baby(Ray Charles)
⑤ I Can Give You Everything(Terry Anderson)
⑥ Don't Touch Me(Hank Cochran)
⑦ You Were Never Mine(Delbert McClinton, Gary Nicholson, Benmont Tench)
⑧ Night Time(Roosevelt Sykes)
⑨ You Good Thing Is About to End(Isaac Hayes, David Porter)
⑩ The Rock(Jim Varsos)
⑪ Sinner's Prayer(Lowell Fulson, Lloyd Glenn)
⑫ Drown In My Own Tears(Henry Glover)
⑬ Let's Go Get Stoned(Ashford & Simpson, Jo Armstead)
⑭ I've Got Dreams to Remember(Otis Redding)
【録音メンバー】
マイク・ハリスン/Mike Harrison(lead-vocals)
ラルフ・レーマン/Ralf Lehmann(guitars, backing-vocals)
アクセル・ファーマン/Axel Fuhrmann(organ, backing-vocals)
ミシュカ/Mischka(piano, backing-vocals)
トロッター・シュミット/Trotter Schmidt(bass, backing-vocals)
ハンス・ウォールバウム/Hans Wallbaum(drums, percussions, backing-vocals)
リエッタ・オースティン/Rietta Austin(backing-vocals)
【チャート】
圏 外
【メ モ】
マイク・ハリスンの、31年ぶり4枚目のソロ・アルバムである。
ハンブルグ・ブルース・バンドの演奏を聴いたハロー・レコードのオーナー、マイケル・マスリンは、当時同バンドのヴォーカリストだったハリスンの歌声に大きな感銘を受けた。スプーキー・トゥースのファンでもあったマスリンは、ハリスンにソロ・アルバムを制作するよう説得した。本作はこうした経緯でリリースされたものである。レコーディングには「マイク・ハリスン・トラスト」のメンバーが参加している。
このアルバムは、主にソウルやブルースのカヴァー・コレクションで、非常に好意的な評価を得ている。
マイク・ハリスン Mike Harrison
【パート】
ヴォーカル、キーボード
【生没年月日】
1942年9月30日~2018年3月25日(75歳没)
【出身地】
イングランド カンバーランド州カーライル
【活動期間】
1963~1975
1997~2018
【経歴】
ディノ&ザ・ドナウズ/Dino & The Danubes
ザ・ダコタス/The Dakotas
ザ・ラムロッズ/The Ramrods(1960~1963)
V.I.P.'s(1963~1967)
アート/Art(1967)
スプーキー・トゥース/Spooky Tooth(1967~1970)
スプーキー・トゥース/Spooky Tooth(1972~1974)
スプーキー・トゥース/Spooky Tooth(1998~1999)
ハンブルグ・ブルース・バンド/The Hamburg Blues Band(2001)
スプーキー・トゥース/Spooky Tooth(2004)
マイク・ハリスン・トラスト/Mike Harrison Trust(2005)
スプーキー・トゥース/Spooky Tooth(2008~2009)
マイク・ハリスンは、イングランド出身のキーボード奏者、ヴォーカリスト。
スプーキー・トゥースのリード・シンガーとして知られている。
1960年、学校で友人だったグレッグ・リドリー(当時はギタリスト)らと「ディノ&ドナウズ」を結成したのがハリスンの音楽活動の出発点である。その後、リドリーとともに「ザ・ダコタス」で活動したのち、同年マイク・ヘンショウ(guitar)、アラン・マーシャル(drums)とロカビリー・スタイルのバンド「ザ・ラムロッズ」を結成する。
1963年後半、リドリーがラムロッズに加入すると、それをきっかけとしてバンドは「The V.I.P.'s」と名を改めた。
その頃、当時キンクスのマネージャーだったラリー・ペイジがV.I.P.'sに注目するようになった。ペイジの尽力によって、V.I.P.'sはRCAと契約を交わし、1964年10月にデビュー・シングル「Don't Keep Shouting at Me」をリリースする。この曲は本国イギリスで注目されることはなかったが、フランスではシングル・チャート2位を記録する大ヒットとなった。
その後ペイジはV.I.P.'sから離れ、代わってアニマルズのマネージャーであるマイク・ジェフリーズがマネージメントを行うようになる。ジェフリーズの紹介により、バンドは1965年にドイツへ渡り、ハンブルグのスター・クラブに出演。1966年初頭にはCBSに移籍する。
1966年、西ドイツから帰国したV.I.P.'sは、アイランド・レーベル創設者のクリス・ブラックウェルの知己を得る。バンドの将来性を高く評価していたブラックウェルはV.I.P.'sと契約し、この年「Vipps」名義を含む3枚のシングルをリリースした。なかでも同年10月にリリースされたシングル「I Wanna Be Free」は、フランスや西ドイツなどまたも本国以外で大ヒットした。とくに西ドイツではチャート1位を獲得している。
1966年秋から冬にかけてV.I.P.'sは大幅なメンバー・チェンジを行い、ラインナップはハリスン(vocal)、キース・エマーソン(keyboard)、グレッグ・リドリー(bass)、マイク・ケリー(drums)の4人となる。1967年初頭にはルーサー・グロヴナー(guitar)が加わって5人編成となるが、間もなくエマーソンは「ナイス」を結成するためバンドを脱退する。
V.I.P.'sはサイケデリック全盛期にさしかかった当時のロック界の状況を意識して、1967年4月に「Art」と改名する。アートは同年7月にアルバム「Supernatural Fairy Tales」とシングル「What's That Sound?」を発表。
スプーキー・トゥース(中央マイク・ハリスン)
1967年10月、留学のため西ドイツに滞在中だったアメリカ人のキーボード奏者兼ヴォーカリスト、ゲイリー・ライトがバンドに加わり、それを契機にバンドは「スプーキー・トゥース」と名を改めた。
スプーキー・トゥースの特色のひとつは、ハリスンとライトのふたりのヴォーカリスト兼キーボーディストを擁する、そのユニークな編成である。彼らが生み出すサイケデリック色の濃いヘヴィなサウンドは、のちのハード・ロックの源のひとつとも言われている。また、ザ・バンドの名曲「ザ・ウェイト」のカヴァー・シングルをリリースしていることからも分かるように、アメリカン・ロックへの憧れと接近を明確に打ち出しており、ブルージーでアーシーな音楽性を培って好意的な評価を得た。
ハリスンの「白いレイ・チャールズ」とも言われる、やや哀愁を帯びたブルージーな歌声は、そのスプーキー・トゥース・サウンドには欠かせないものであった。
ハリスンとライトはともにリード・シンガーであったが、しばしばお互いのヴォーカルを重ね合うというスタイルを創りだしており、その点ではブルー・アイド・ソウルの名デュオ、ライチャス・ブラザーズから影響されていると考えられている。
第1期スプーキー・トゥースは、バンド史上最高傑作と言われている1968年の作品「スプーキー・トゥー」をはじめとして、1969年までに3枚のアルバムを発表したが、ハリソンとライトが主導権を巡って争うようになり、それに端を発する感情的対立が原因となってライトが脱退する。
残ったハリソン、グロヴナー、ケリーは3人は、ジョー・コッカーのバック・バンド「グリース・バンド」のメンバーを補充し、「スプーキー・トゥース Featuring マイク・ハリスン」名義で4枚目のアルバム「ザ・ラスト・パフ」を制作したが、アルバム発表前の1970年夏にバンドは解散してしまった。
しかし解散後間もない1970年の秋に、ハリスン、グロヴナー、ケリー、元ナッシュヴィル・ティーンズ~ルネッサンスのジョン・ホウケン(keyboard)、元ジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズのスティーヴ・トンプソン(bass)というラインナップで、ヨーロッパ・ツアーのためにだけいったん再結成し、ツアー終了後の1970年10月に改めて解散した。
スプーキー・トゥースとしての活動に区切りをつけたハリスンは、同郷カーライルのバンドで、V.I.P.'s時代にバンド・メイトだったフランク・ケニオン(guitar)が在籍する「ジャンクヤード・エンジェル」を起用して、1971年にファースト・ソロ・アルバム「Mike Harrison」を発表する。
翌72年には米アラバマ州のマッスル・ショールズでセカンド・ソロ・アルバム「Smokestack Lightning」を制作した。
1972年秋、ハリスンはゲイリー・ライトと再会する。ふたりの関係は修復の方向へ進み、同年9月にスプーキー・トゥースの再結成が実現した。ラインナップは、ハリソン、ライトのほか元ワンダーホィールのミック・ジョーンズ(guitar)、元ジャンクヤード・エンジェルのイアン・ハーバート(bass)、元メインホースのブライソン・グラハム(drums)である。(ベースは間もなく元ロニー・レーンズ・スリム・チャンスのクリス・スチュワートに、ドラムスはのちマイク・ケリーに代わる)
新生スプーキー・トゥースは「ユー・ブローク・マイ・ハート・ソー・アイ・バステッド・ユア・ジョウ」と「ウィットネス」の2枚のアルバムを発表し、一部では「全盛期を思い起こさせるサウンド」と好意的に評価された。
しかし1973年頃には、またもハリスンとライトはバンドの主導権を巡って対立するようになり、ハリスンはケリー、スチュワートとともに1974年2月に脱退した。
ライトはメンバーを補充して1974年にアルバム「ザ・ミラー」を発表したが、セールスは低迷した。その結果ライトもソロ活動を志向するようになり、バンドを離れた。そのためスプーキー・トゥースは1974年11月に解散した。
スプーキー・トゥースを脱退したハリスンは再びソロ活動に入り、1975年に3枚目のソロ・アルバム「Rainbow Rider」を発表する。
ところが、ハリスンのソロ・アルバムの印税が「スプーキー・トゥースのアイランド・レコードに対する負債の返済」として、ハリスン本人の同意を得ることなくアイランド・レコードに渡っていることが判明した。そればかりではなく、スプーキー・トゥースのメンバーは、アイランド・レコードから受け取る週給以外には、印税等受け取るべき利益を受け取っておらず、そればかりか「アイランドに対する負債」という名目の借金が累積していたのである。これが原因でハリスンは音楽業界から離れることを決めた。
1975年から1997年までのハリスンはほとんど音楽活動を行っておらず、バーテンダーやトラックの運転手として働いていた。
この後カナダに移るなどして音楽業界から遠ざかっていたが、1990年代に入るとハリスンは再び音楽活動に対して意欲を持つようになり、いずれもスプーキー・トゥースのオリジナル・メンバーであるマイク・ケリー(drums)、ルーサー・グロヴナー(guitar)、グレッグ・リドリー(bass)とレコーディングを行う。これがきっかけとなって1998年にはこの4人でのスプーキー・トゥース再結成が実現、1999年には25年ぶりとなる新作アルバム「Cross Purpose」をリリースした。オリジナル・メンバーのうち4人がそろったのは1969年以来であった。
1999年、ハリスンは「ハンブルグ・ブルース・バンド」からオファーを受け、ドイツを拠点にブルース・ロック主体の演奏活動を活発に行った。このバンドはクリームやジャック・ブルースなどと仕事をしてきた詩人ピート・ブラウンの歌詞をフィーチャーしたものであった。
2004年6月、ハリスン、ゲイリー・ライト(vocal, keyboard)、マイク・ケリー(drums)は、新たにジョーイ・アルブレヒト(guitar)とマイケル・ベッカー(bass)を加えて3度目のスプーキー・トゥース再結成を果たし、ツアーを行う。
2006年、ハロー・レコードのオーナーであるマイケル・マスレンが、ハンブルグ・ブルース・バンドのライヴでハリスンの歌に大きな感銘を受ける。スプーキー・トゥースのファンでもあったマスレンはハリスンにソロ・アルバムを制作するよう説得し、レコーディングに漕ぎつける。こうして2006年にリリースされたのが、ハリスン31年ぶり4枚目のソロ・アルバム「Late Starter」である。
2008年2月、ハリソン(vocal, keyboard)、ライト(vocal, keyboard)、ケリー(drums)の3人のオリジナル・メンバーをフィーチャーし、スティーヴ・ファリス(guitar)とシェム・フォン・シュローク(bass)を加えた5人で4度目のスプーキー・トゥース再結成が行われ、ヨーロッパでツアーを行った。
2009年5月29日、ハリソン(vocal, keyboard)、ライト(vocal, keyboard)、アルブレヒト(guitar)、ベッカー(bass)を[、そしてケリーの代わりにトム・ブレフテリン(drums)を加え、シェパーズ・ブッシュ・エンパイアで行われたアイランド・レコード50周年記念コンサートで演奏した。
ハリスンはその後も時折り演奏活動を続けていたが、2018年3月25日に故郷のカーライルで死去した。死因は不明である。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
◆アルバム
<ソロ>
1971年 Mike Harrison
1972年 Smokestack Lightning
1975年 Rainbow Rider
2006年 Late Starter
<The V.I.P.'s>
★2007年 The Complete V.I.P.'s
<Art>
1967年 Supernatural Fairy Tales
<スプーキー・トゥース>
1968年 イッツ・オール・アバウト/It's All About
1969年 スプーキー・トゥー/Spooky Two(US44位)
1969年 セレモニー/Ceremony(US92位) *with Pierre Henry
1970年 ザ・ラスト・パフ/The Last Puff(US84位) *「Spooky Tooth featuring Mike Harrison」名義
1971年 タバコ・ロード/Tabacco Road(US152位)
1973年 ユー・ブローク・マイ・ハート・ソー・アイ・バステッド・ユア・ジョウ/You Broke My Heart So I Busted Your Jaw(US84位)
1973年 ウィットネス/Witness(US99位)
1999年 Cross Purpose
★1999年 The Best of Spooky Tooth:That Was Only Yesterday
☆2001年 BBC Sessions
<Hamburg Blues Band>
2001年 Touch (Mike Harrison meets The Hamburg Blues Band)
<Mike Harrison Trust>
2005年 Mike Harrison Trust (no label no number)
◆シングル
<ソロ>
1975年 We Can Work It Out
1975年 Somewhere Over the Rainbow
<The V.I.P.'s>
1964年 Don't Keep Shouting at Me
1966年 Mercy, Mercy *「Vipps」名義
1966年 Wintertime *「Vipps」名義
1966年 I Wanna Be Free
1967年 Straight Down to the Bottom
<Art>
1967年 What's That Sound (For What It's Worth)
<スプーキー・トゥース>
1968年 ザ・ウェイト/The Weight
1968年 サンシャイン・ヘルプ・ミー/Sunshine Help Me(US:Cash Box126位)
1968年 ラヴ・リアリー・チェンジド・ミー/Love Really Changed Me
1969年 ザット・ワズ・オンリー・イエスタデイ/That Was Only Yesterdai(Durch13位)
1969年 ザン・オブ・ユア・ファーザー/Son of Your Father
1969年 フィーリン・バッド/Feelin' Bad(US:Bebbling Under132位)
1970年 アイ・アム・ザ・ウォルラス/I Am the Walrus(Dutch38位)
1973年 オール・ソウン・アップ/All Sewn Up
グッバイ・クリーム Goodbye
【歌・演奏】
クリーム/Cream
【リリース】
1969年2月5日
【録音】
1968年10月 IBCスタジオ(イングランド ロンドン)
1968年10月19日 ザ・フォーラム(アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス)
【プロデューサー】
フェリックス・パパラルディ/Felix Pappalardi
【エンジニア】
ビル・ハルバーソン/Bill Halverson
エイドリアン・バーバー/Adrian Barber
デイモン・リヨン=ショウ/Damon Lyon-Shaw
【レーベル】
UK ポリドール・レコード/Polydor Records
US アトコ・レコード/Atco Records
【収録曲】(☆シングル=④)
side:A
☆① アイム・ソー・グラッド 9:11
I'm So Glad(Skip James)
② 政治家 6:19
Politician(Jack Bruce, Pete Brown)
side:B
③ トップ・オブ・ザ・ワールド 5:01
Sitting on Top of the World(Walter Vinson, Lonnie Chatmon)
☆④ バッジ 2:45
Badge(Eric Clapton, George Harrison)
*1969年3月リリース(US 60位) 1969年4月リリース(UK 18位)
⑤ スクラップヤード 3:14
Doing That Scrapyard(Jack Bruce, Pete Brown)
⑥ ホワット・ア・ブリングダウン 3:56
What a Bringdown(Ginger Baker)
【録音メンバー】
☆クリーム
エリック・クラプトン/Eric Clapton(guitars, lead-vocals④⑥, backing-vocals①)
ジャック・ブルース/Jack Bruce(bass①~⑤, piano⑤⑥, organ⑥, lead-vocals①②③⑤⑥)
ジンジャー・ベイカー/Ginger Baker(drums, percussions⑥, backing-vocals①⑥)
☆ゲスト・ミュージシャン
フェリックス・パパラルディ/Felix Pappalardi(bass⑥, piano④, mellotron④⑤)
ジョージ・ハリスン/George Harrison(rhythm-guitar④) ※L'Angelo Misterioso名義
【チャート】
1969年週間アルバム・チャート イギリス1位 アメリカ(ビルボード)2位
フランス3位 フィンランド4位 カナダ5位 オーストラリア6位 ノルウェイ7位 ドイツ9位
1969年年間アルバム・チャート アメリカ(ビルボード)43位
【メ モ】
クリームの4枚目にして、ラスト・アルバム。RIAAからゴールド・アルバムに認定された。
クリームは1968年11月に解散しており、本作のリリースはその約3ヵ月後である。
アルバムはスタジオ録音3曲とライヴ録音3曲、計6曲を収録している。
フェアウェル・ツアー開始直前の1968年10月に、まずロンドンのIBCスタジオで3曲を録音。①「アイム・ソー・グラッド」、②「政治家」、③「トップ・オブ・ザ・ワールド」の3曲は、フェアウェル・ツアー中の1968年10月19日にロサンゼルスのザ・フォーラムで行ったライヴにおける演奏である。
ハンブル・パイ Humble Pie
【活動期間】
1969年~1975年
1979年~1983年
1988年~2000年
2001年~2002年
2018年~
【メンバー】
<Guitar, Vocal>
スティーヴ・マリオット/Steve Marriott(guitar, vocal, keyboard, harmonica) 在籍1969~1975, 1979~1983
ピーター・フランプトン/Peter Frampton(guitar, vocal, keyboard) 在籍1969~1971, 2019~
デイヴ・"クレム"・クレムソン/Dave Clem Clempson(guitar, vocal, keyboard) 在籍1971~1975
ボブ・テンチ/Bob Tench(guitar, vocals, keyboards) 在籍1979~1981, 2000~2002
トミー・ジョンソン/Tommy Johnson(guitar) 在籍1983
フィル・ディックス/Phil Dix(guitar) 在籍1983
リック・リチャーズ/Rick Richards(guitar) 在籍1983
チャーリー・ヒューン/Charlie Huhn(vocal, guitar) 在籍1988~2000
ウォーリー・ストッカー/Wally Stocker(guitar, backing-vocals) 在籍1988~1990
アラン・グリーン/Alan Greene(guitar) 在籍1990~1999
リック・クレイグ/Rick Craig(guitar) 在籍2000
パトリック・トーマス/Patrick Thomas(guitar) 在籍2000
デイヴ・コルウェル/Dave "Bucket" Colwell(guitar, backing-vocals) 在籍2000~2002, 2018~
ジョニー・ウォーマン/Johnny Warman(vocals, guitar) 在籍2002
ジミー・クーンズ/Jimmy Kunes(vocals) 在籍2018~2022
ジェームス・ロトンディ/James Volpe Rotondi(guitar, vocals, keyboards) 在籍2018~2022
ジム・ステイプリー/Jim Stapley(vocal, guitar, keyboard) 在籍2022~
<Bass>
グレッグ・リドリー/Greg Ridley(bass, vocal, guitar) 在籍1969~1975, 2000~2002
アンソニー・"スーティ"・ジョーンズ/Anthony "Sooty" Jones(bass) 在籍1979~1981, 1988~1989
ジム・レヴァートン/Jim Leverton(bass, vocals) 在籍1982~1983
キース・クリストファー/Keith Christopher(bass) 在籍1983
デイヴ・ヒューイット/Dave Hewitt(bass) 在籍1983
ショーン・ビーヴァン/Sean Beavan(bass) 在籍1988~1990
スコット・アレン/Scott Allen(bass) 在籍1990~1992
サム・ネモン/Sam Nemon(bass) 在籍1992~1996
ブラッド・ジョンソン/Brad Johnson(bass) 在籍1996~1999
エアン・エヴァンス/Ean Evans(bass) 在籍2000
ケント・ガスコイン/Kent Gascoyne(bass) 在籍2000
デヴィッド・C・グロス/David C. Gross(bass) 在籍2018
アイヴァン・ボドリー/Ivan "Funkboy" Bodley(bass) 在籍2018~
<Drums>
ジェリー・シャーリー/Jerry Shirley(drums, keyboard) 在籍1969~1975, 1979~1981, 1988~1999, 2000~2002, 2018~
ファロン・ウィリアムスⅢ世/Fallon Williams Ⅲ(drums) 在籍1982~1983
ジェイミー・ダーネル/Jamie Darnell(drums) 在籍2000
ボビー・マークス/Bobby Marks(drums, percussions) 在籍2018~
<Keyboard>
ゴールディ・マックジョン/Goldy McJohn(keyboards) 在籍1982
ズート・マネー/Zoot Money(keyboard) 在籍2001~2002
ディーン・リース/Dean Rees(keyboard) 在籍2002
【バンドの歴史】
ハンブル・パイはR&Bをバックボーンとしたイングランドのロック・バンド。1969年にエセックス州で結成され、1970年代前半に活躍した。
ロック界における初期の「スーパー・グループ」のひとつと見なされている。
<結成まで>
1968年、当時アイドル・バンド「ザ・ハード」のメンバーだったピーター・フランプトン(vocal, guitar)は、自分がアイドル扱いされることにほとほと嫌気がさしていた。同じ頃、10代の若者に人気があった「スモール・フェイセス」に在籍していたスティーヴ・マリオット(vocal, guitar)も、アイドル的存在からの脱却とリズム&ブルースの追求を切実に願っていた。
共通の願望を持っていたふたりは、1968年に出会うとさっそく意気投合し、水面下でコンタクトを取り合うようになったが、それはもともとは新たなバンドの結成を企図するものではなかった。
マリオットはフランプトンの音楽的な視野を広げるために協力するつもりだったので、フランプトンにスモール・フェイセスへの参加を提案した。フランプトンがゲストとしてスモール・フェイセスのステージに立つことはあったが、正式なメンバーとして加入することについては他のメンバーが反対したため、このプランは実現しなかった。
1968年12月31日、この夜に行われたライヴの途中でマリオットはステージから降りてしまったことで他のメンバーとの亀裂が決定的となり、スモール・フェイセスから離脱した。
フランプトンは新たなバンドの結成に向けて、1969年2月にザ・ハードから脱退する。マリオットはそれに対して全面的に協力し、元スプーキー・トゥースのグレッグ・リドリー(bass)と元アポストリック・インターヴェンションのジェリー・シャーリー(drums)をフランプトンに引き合わせた。
その後マリオットはフランプトンからの呼びかけに応え、すぐに彼の新バンドに合流した。こうして1969年4月に「ハンブル・パイ」の陣容が整ったのである。
ちなみにスモール・フェイセスがマリオットの後任として声をかけたのはフランプトンである。言うまでもなく、フランプトンはその誘いを断っている。
<デビュー~1975>
ハンブル・パイは、エセックスのマリオットの自宅で1969年初頭からリハーサルに入る。間もなくイミディエイト・レコードと契約を交わした彼らは、同年8月にシングル「あいつ」とアルバム「アズ・セイフ・アズ・イエスタディ・イズ」でデビューを果たした。
スティーヴ・マリオットとピーター・フランプトンのふたりのスターを擁するハンブル・パイは「スーパー・グループ」としてたちまち大きな注目を集めたが、「ハンブル・パイ」というバンド名(「屈辱」「謝罪」という意味がある)はこういう期待を軽視するためにあえて選んだものであるという。
デビュー・シングル「あいつ」が全英4位のヒットを記録して好調なスタートを切った彼らは、1969年11月には早くもセカンド・アルバム「タウン・アンド・カントリー」を発表し、その後初のアメリカ・ツアーを行なった。
しかしこの頃のイミディエイト・レコードは経営危機に瀕しており、ファースト・アルバムからわずか3ヵ月後にセカンド・アルバムを発表したのは、倒産前にレコードをリリースしたいという会社側の意向があったからである。しかも広告宣伝費がなかったことに加え、イギリスのみでの発売だったため、アメリカ・ツアーの効果による売り上げもなく、セカンド・アルバムはチャートには登場しなかった。しかしFM局のオンエアによってアルバムの内容は周知され、好意的な評価を得た。
ハンブル・パイは、マリオットがR&B、ロック志向、フランプトンがポップ、アコースティック志向と、フロント・マンふたりが対照的な音楽観を持っていた。そのためハンブル・パイのコンサートは、アコースティック・セットとエレクトリック・セットで構成されることが多かった。
これはバンドの特色になっていた反面、定まらないポリシーと音楽的な迷いが浮き彫りになるというデメリットがあった。マリオットはアメリカでの成功を強く願っていたが、フランプトンのアコースティックな作風は、この頃のアメリカではあまり受け入れられていなかった。
1970年、イミディエイト・レコードが破産したため、ハンブル・パイはA&Mレコードに移籍する。これを契機として、バンドはアメリカ市場をはっきり意識するようになり、マリオットの持ち味であるソウルフルな歌、ヘヴィなロック・サウンドを前面に押し出すようになっていった。この年7月にアルバム「大地と海の歌」を、1971年3月に「ロック・オン」を発表したが、これらには強まってゆくR&B色が顕著に現れている。
アメリカで存在感を増していったハンブル・パイは、1971年7月9日にグランド・ファンク・レイルロードがシェイ・スタジアムで行った歴史的なコンサートにおいて、オープニング・アクトを務めている。
1971年11月には2枚組ライヴ・アルバム「パフォーマンス~ロッキン・ザ・フィルモア」を発表。このアルバムは、同年5月にフィルモア・イーストで行われたライヴを収録したもので、ソウルフルでヘヴィなハンブル・パイの魅力が詰まっており、当時屈指の傑作ライヴ・アルバムと高く評価された。これによってバンドは初めてアメリカでの商業的な成功を手にした。しかしフランプトンが理想とする音楽からは決定的にかけ離れたものであった。
このアルバムのリリース前に、音楽性の相違を理由としてフランプトンが脱退。後任として元コロシアムのデイヴ・"クレム"・クレムソンがバンドに加わった。これによってバンドの音楽性はR&B寄りに拍車がかかることになる。
クレムソンが加わったハンブル・パイは全盛期を迎える。1972年のアルバム「スモーキン」は貫禄すら感じられる脂の乗り切った作品で、アメリカでは6位まで上昇するヒットを記録。さらに1973年にはライヴ録音やR&Bのカヴァーを収録した意欲作「イート・イット」を発表する。
1973年には初来日したが、この時同じ時期にベック・ボガート&アピスも来日したため、ハンブル・パイはその陰に隠れた形になってしまったのは惜しまれる。
ハンブル・パイはロック界屈指のライヴ・バンドに成長したが、音楽的に煮詰まるようになったうえ、度重なるツアーによってメンバーの疲労は極まり、それらを理由に1975年の「Goodbye Pie Tour」終了後に解散した。
解散後、マリオットはソロ活動を開始したほか、自己のバンド「スティーヴ・マリオット・オール・スターズ」を結成。クレムソンとリドリーはコージー・パウエル(drums)を加えて「ストレンジ・ブリュー」を結成する。シャーリーはマーク・クラーク(bass)、ジョーイ・モランド(guitar, vocal)らと「ナチュラル・ガス」の結成に参加した。
<1979~1983>
1979年末、マリオットはオリジナル・メンバーのシャーリー(drums)、元ジェフ・ベック・グループのボブ・テンチ(guitar, vocal)、シャーリーと「マグネット」というバンドで活動していたアンソニー・"スーティ"・ジョーンズ(bass)の4人でハンブル・パイを再結成する。新生ハンブル・パイは2枚のアルバムを発表したが、1981年にマリオットの病のためツアーがキャンセルされると、その後アトランティック・レーベルとの契約も失われて経済的にも苦境に立たされたため、再び解散した。さらにはバンドの機材トラックも盗難にあったという。
1982年、マリオットはジム・レバートン(bass)、ゴールディ・マックジョン(keyboard 元ステッペンウルフ)、ファロン・ウィリアムスⅢ世(drums)のランナップでツアーに復帰したが、このバンドはプロモーターによって「ハンブル・パイ」と名乗ることになった。1983年にはアメリカ合衆国のアトランタを本拠地として、レバートンとマックジョンの代わりにトミー・ジョンソン(guitar)、キース・クリストファー(bass)をメンバーとして補充した。その後ジョンソンの代わりにフィル・ディックス(guitar)が参加し、さらに元ジョージア・サテライツのリック・リチャーズ(guitar)を新メンバーとして迎えた。しかしデモ音源の収録にリックとキースが遅れたことからマリオットはふたりを解雇、マリオットのほかフィル・ディックス(guitar)、デイヴ・ヒューイット(bass)、ファロン・ウィリアムスⅢ世(drums)のメンバーで収録を行ったが、レコードのリリースには至らなかった。その後いくつかのライヴ・ステージに立ったのち、マリオットはバンドを解散し、1983年末にイギリスに戻った。
<1988~2002>
1988年には、「ファストウェイ」を脱退したのち活動の拠点をアメリカに移したシャーリーが、「ハンブル・パイ」名義の使用権を得て、ゲイリー・ムーアとの活動で知られるチャーリー・ヒューン(元テッド・ニュージェント)をヴォーカルに据えて再々結成した。シャーリーとヒューン以外のメンバーは流動的で、「ニュー・ハンブル・パイ」あるいは「ハンブル・パイ・フィーチャリング・ジェリー・シャーリー」などと名乗った。
1991年、マリオットとフランプトンが再会し、アルバムの共同制作を計画する。ハンブル・パイの再結成も期待された。しかしマリオットが海外旅行からエセックスの自宅に帰宅した4月20日、寝タバコが原因で発生した火災のため、就寝中に焼死した。このためアルバムの制作は実現しなかった。
1999年8月、シャーリーは自動車事故のため重傷を負い、その後イギリスに帰国した。残ったヒューンは2000年も「ハンブル・パイ」として活動した。メンバーはリック・クレイグ(guitar 元ハロウィン)、ケント・ガスコイン(bass)、ジェイミー・ダーネル(drums)である。同年後半にクレイグの代わりとしてパトリック・トーマス(guitar)が、ガスコインの代わりにイアン・エヴァンス(bass 元アウトロウズ)が加入してツアーを終えた後、彼らは解散した。その後ヒューンはフォガットに参加する。
イギリスに戻ったシャーリーは、2000年にリドリー、テンチ、デイヴ・コルウェル(guitar 元バッド・カンパニー)というメンバーでハンブル・パイを再結成し、通算13枚目のスタジオ・アルバム「バック・オン・トラック」を制作。この収録にはズート・マネー(keyboard)、ヴィクター・マーティン(keyboard)が参加している。
2001年には、マリオットの没後10年を記念してロンドンで「スティーヴ・マリオット・メモリアル・コンサート」が開催された。このコンサートにフランプトン、リドリー、シャーリー、クレムソンが一時的に再結成して出演している。しかし2002年後半にリドリーが体調を崩したことで、バンドは解散した。
<2018~>
2018年現在、ジェリー・シャーリーは「ハンブル・パイ」の名前の所有権を持っており、シャーリー自身はツアーには参加しないが、新たなラインナップを組んだ。そのメンバーは、ジミー・クーンズ(vocals)、デイヴ・コルウェル(guitar)、ジェームス・ロトンディ(guitar)、デヴィッド・C・グロス(bass)、ボビー・マークス(drums)である。間もなくベーシストがアイヴァン・ボドリーに交替すると、同年8月に15公演を行うアメリカ・ツアーを開始した。
2023年現在のツアー・ラインナップは、デイヴ・コルウェル(guitar)、ジム・ステイプリー(vocal, guitar, organ, harmonica)、アイヴァン・ボドリー(bass)、ボビー・マークス(drums)で、「ハンブル・パイ・レガシー」として活動している。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
<アルバム>
1969年 アズ・セイフ・アズ・イエスタディ・イズ/As Safe as Yesterday Is(UK32位)
1969年 タウン・アンド・カントリー/Town And Country
1970年 大地と海の歌/Humble Pie
1971年 ロック・オン/Rock On(US118位)
☆1971年 パフォーマンス~ロッキン・ザ・フィルモア/Performance Rockin' the Fillmore(UK32位 US21位)
1972年 スモーキン/Smokin' (UK20位 US6位)
1973年 イート・イット/Eat It(UK34位 US13位)
★1973年 Lost and Found(US Billboard37位 CashBox41位)※「アズ・セーフ・アズ・イエスタディ・イズ」「タウン・アンド・カントリー」を2枚組アルバムとしたもの
1974年 サンダーボックス/Thunderbox(US52位)
1975年 ストリート・ラッツ/Street Rats(US100位)
★1976年 Back Home Again
★1977年 Greatest Hits
1980年 オン・トゥ・ヴィクトリー/On to Victory(US60位)
1981年 ゴー・フォー・ザ・スロート/Go for the Throat(US154位)
★1982年 Best of Humble Pie
★1987年 ベストCDコレクション/A&M Classics Volume 14
★1993年 A Piece of the Pie
★1994年 Early Years
★1994年 Hot n' Nasty:The Anthology
☆1996年 ライヴ・イン・コンサート/King Biscuit Flower Hour Presents- Humble Pie In Concert ※旧邦題「キング・ビスケット・ライヴ」
★1997年 The Scrubbers Sessions
★1999年 The Immediate Years:Natural Born Boogie
★1999年 Running with the Pack
☆2000年 Extended Versions ※「King Biscuit Flower Hour Presents- Humble Pie In Concert」のリイシュー盤
☆2000年 ナチュラル・ボーン・ブギ/Natural Born Boogie:The BBC Sessions ※旧邦題「BBCセッションズ」
★2000年 Twentieth Century Masters:The Millennium Collection
2002年 バック・オン・トラック/Back on Track
☆2002年 ライヴ・アット・ザ・ウィスキー・ア・ゴー・ゴー ’69/Live At The Whisky A Go-Go '69
★2005年 アトランタ・イヤーズ/Atlanta Years
★2006年 The Definitive Collection
★2006年 One More for the Old Tosser
☆2012年 Live '73
☆2013年 Live '81 ※「King Biscuit Flower Hour Presents- Humble Pie In Concert」のリイシュー盤
☆2013年 パフォーマンス〜ロッキン・ザ・フィルモア コンプリート・レコーディングス/Performance Rockin' the Fillmore: The Complete Recordings
☆2017年 オフィシャル・ブートレッグ・ボックス Vol.1/Official Bootleg Vol. 1 ※3CDボックス・セット
☆2018年 オフィシャル・ブートレッグ・ボックス Vol.2/Official Bootleg Vol. 2 ※5CDボックス・セット
☆2019年 アップ・アワ・スリーヴ~オフィシャル・ブートレッグ・ボックス Vol.3/Up Our Sleeve Official Bootleg Vol. 3 ※5CDボックス・セット
☆2019年 トゥアーリン~オフィシャル・ブートレッグ・ボックス Vol.4/Tourin’ Official Bootleg Vol. 4 ※4CDボックス・セット
2019年 ジョイント・エフォート/Joint Effort
<シングル>
1969年 あいつ/Natural Born Bugie(UK4位)
1969年 The Sad Bag of Shaky Jake
1970年 Big Black Dog
1971年 Shine On
1971年 ノー・ドクター/I Don't Need No Doctor(US73位)
1972年 ホット・アンド・ナスティ/Hot 'n' Nasty(US52位)
1972年 ほら穴の30日間/30Days in the Hole
1973年 ブラック・コーヒー/Black Coffee(US113位)
1973年 ゲット・ダウン・トゥ・イット/Get Down to It
1973年 シャット・アップ/Shut Up and Don't Interrupt Me
1974年 ナインティー・ナイン・パウンズ/Ninety-Nine Pounds
1974年 オー・ラ・ディ・ダ/Oh la de Da
1975年 ロックンロール・ミュージック/Rock and Roll Music(US105位)
1980年 Fool for a Pretty Face(US52位)
1981年 Tin Soldier(US58位)
【メンバー変遷】
#1 1969~1971
スティーヴ・マリオット(guitar, vocal)←Small Faces
ピーター・フランプトン(guitar, vocal)←The Herd
グレッグ・リドリー(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#2 1971~1975
スティーヴ・マリオット(guitar, vocal)
デイヴ・"クレム"・クレムソン(guitar)
グレッグ・リドリー(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#3 1979~1981
スティーヴ・マリオット(guitar, vocal)
ボビー・テンチ(guitar, vocal)
アンソニー・ジョーンズ(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#4 1982
スティーヴ・マリオット(guitar, vocal)
ジム・レバートン(bass)
ゴールディ・マックジョン(keyboard)
ファロン・ウィリアムスⅢ世(drums)
#5 1983
スティーヴ・マリオット(guitar, vocal)
トミー・ジョンソン(guitar)
キース・クリストファー(bass)
ファロン・ウィリアムスⅢ世(drums)
#6 1983
スティーヴ・マリオット(guitar, vocal)
フィル・ディックス(guitar)
リック・リチャーズ(guitar)
キース・クリストファー(bass)
ファロン・ウィリアムスⅢ世(drums)
#7 1983
スティーヴ・マリオット(guitar, vocal)
フィル・ディックス(guitar)
デイヴ・ヒューイット(bass)
ファロン・ウィリアムスⅢ世(drums)
#8 1988~1989
チャーリー・ヒューン(vocal, guitar)
ウォーリー・ストッカー(guitar, backing-vocals)
アンソニー・"スーティ"・ジョーンズ(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#9 1989~1990
チャーリー・ヒューン(vocal, guitar)
ウォーリー・ストッカー(guitar, backing-vocals)
ショーン・ビーヴァン(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#10 1990~1992
チャーリー・ヒューン(vocal, guitar)
アラン・グリーン(guitar, backing-vocals)
スコット・アレン(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#11 1992~1996
チャーリー・ヒューン(vocal, guitar)
アラン・グリーン(guitar, backing-vocals)
サム・ネモン(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#12 1996~1999
チャーリー・ヒューン(vocal, guitar)
アラン・グリーン(guitar, backing-vocals)
ブラッド・ジョンソン(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#13 2000
チャーリー・ヒューン(vocal, guitar)
リック・クレイグ(guitar)←ハロウィン
ケント・ガスコイン(bass)
ジェイミー・ダーネル(drums)
#14 2000
チャーリー・ヒューン(vocal, guitar)
パトリック・トーマス(guitar)
イアン・エヴァンス(bass)
ジェイミー・ダーネル(drums)
#15 2000~2001
ボビー・テンチ(vocal, guitar)
デイヴ・コルウェル(guitar)
グレッグ・リドリー(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#16 2001~2002
ボビー・テンチ(vocal, guitar)
デイヴ・コルウェル(guitar)
ズート・マネー(keyboard)
グレッグ・リドリー(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#17 2002
ボビー・テンチ(vocal, guitar)
ジョニー・ウォーマン(vocals, guitar)
ディーン・リース(keyboard)
グレッグ・リドリー(bass)
ジェリー・シャーリー(drums)
#18 2018
ジミー・クーンズ(vocals)
デイヴ・コルウェル(guitar)
ジェームス・ロトンディ(guitar)
デヴィッド・C・グロス(bass)
ボビー・マークス(drums)
ジェリー・シャーリー(director)
#19 2018~2022
ジミー・クーンズ(vocals)
デイヴ・コルウェル(guitar)
ジェームス・ロトンディ(guitar)
アイヴァン・ボドリー(bass)
ボビー・マークス(drums)
ジェリー・シャーリー(director)
#20 2023~
ジム・ステイプリー(vocal, guitar, organ, harmonica)
デイヴ・コルウェル(guitar)
アイヴァン・ボドリー(bass)
ボビー・マークス(drums)
ジェリー・シャーリー(director)
クリームの素晴らしき世界 Wheels of Fire
【歌・演奏】
クリーム/Cream
【リリース】
US 1968年7月14日
UK 1968年8月9日
【録音】
イングランド ロンドン IBCスタジオ 1967年7月、8月
アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市 アトランティック・スタジオ 1967年9月~10月、1968年1月~2月、6月
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ ウィンターランド 1968年3月8日、3月10日
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ ザ・フィルモア 1968年3月7日
【プロデューサー】
フェリックス・パパラルディ/Felix Pappalardi
【エンジニア】
トム・ダウド/Tom Dowd(Disc 1)
エイドリアン・バーバー/Adrian Barber(Disc 1、re-mix engineer Disc 2)
【レーベル】
UK ポリドール・レコード/Polydor Records
US アトコ・レコード/Atco Records
【収録曲】(☆シングル=①⑩)
<Disc 1>
side:A
☆① ホワイト・ルーム 4:58
White Room(Jack Bruce, Pete Brown)
*1968年11月リリース UK28位 US6位
② トップ・オブ・ザ・ワールド 4:58
Sitting on Top of the World(Walter Vinson, Lonnie Chatmon)
③ 時は過ぎて 4:37
Passing the Time(Ginger Baker, Mike Taylor)
④ おまえの言うように 4:20
As You Said(Jack Bruce, Pete Brown)
side:B
⑤ ねずみといのしし 3:13
Pressed Rat and Warthog(Ginger Baker, Mike Taylor)
⑥ 政治家 4:12
Politician(Jack Bruce, Pete Brown)
⑦ ゾーズ・ワー・ザ・デイズ 2:53
Those Were the Days(Ginger Baker, Mike Taylor)
⑧ 悪い星の下に 3:09
Born Unde a Bad Sign(Booker T. Jones, William Bell)
⑨ 荒れ果てた街 3:38
Deserted Cities of the Heart(Jack Bruce, Pete Brown)
<Disc 2>
side:C
☆⑩ クロスロード 4:13
Crossroads(Robert Johnson) Recorded at Winterland 1968.3.10
*1969年1月リリース US28位
⑪ スプーンフル 16:43
Spoonful(Willie Dixon) Recorded at Winterland 1968.3.10
side:D
⑫ 列車時刻 7:01
Traintime(Jack Bruce) Recorded at Winterland 1968.3.8
⑬ いやな奴 16:15
Toad(ginger Baker) Recorded at The Fillmore 1968.3.7
【録音メンバー】
☆クリーム
エリック・クラプトン/Eric Clapton(guitars, vocals)
ジャック・ブルース/Jack Bruce(bass, cello, harmonica, calliope, acoustic-guitar, recorder, vocals)
ジンジャー・ベイカー/Ginger Baker(drums, percussions, bells, glockenspiel, timpani, vocals, spoken-word)
☆ゲスト・ミュージシャン
フェリックス・パパラルディ/Felix Pappalardi(viola, bells, organ-pedals, trumpet, tonette)
【チャート】
1968年週間アルバム・チャート イギリス3位 アメリカ(ビルボード)1位
オーストラリア1位 カナダ1位 フランス2位 フィンランド3位 ドイツ15位 ノルウェイ16位
1968年年間アルバム・チャート アメリカ(ビルボード)45位
【メ モ】
クリームのサード・アルバム。スタジオ・アルバムとライヴ・アルバムから成るダブル・アルバムである。
このアルバムはRIAAプラチナ・アルバムに認定されたが、ダブル・アルバムがプラチナ・アルバムに認定されたのは世界で初めて。
「ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500」において、2003年版は203位、2012年版は205位にランクされた。
アルバムのアート・ワークは、前作と同じくマーティン・シャープが担当している。
カラフル・クリーム Disraeli Gears
【歌・演奏】
クリーム/Cream
【リリース】
1967年11月2日
【録音】
1967年5月11日~5月15日 アトランティック・スタジオ(アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市)
【プロデューサー】
フェリックス・パパラルディ/Felix Pappalardi
【エンジニア】
トム・ダウド/Tom Dowd
【レーベル】
リアクション・レコード/Reaction Records (UK)
アトコ・レコード/Atco Records (US)
【収録曲】(☆シングル=①②)
side:A
☆① ストレンジ・ブリュー 2:46
Strange Brew(Eric Clapton, Felix Pappalardi, Gail Collins)
*1967年シングル・チャート UK17位
☆② サンシャイン・ラヴ 4:10
Sunshine of Your Love(Jack Bruce, Pete Brown, Eric Clapton)
*1968年シングル・チャート UK25位 US6位 カナダ3位
③ 苦しみの世界 3:03
World of Pain(Eric Clapton, Felix Pappalardi, Gail Collins)
④ 夜通し踊ろう 3:34
Dance the Night Away(Jack Bruce, Pete Brown)
⑤ ブルー・コンディション 3:29
Blue Condition(Ginger Baker)
side:B
⑥ 英雄ユリシーズ 2:46
Tales of Brave Ulysses(Eric Clapton, Martin Sharp)
⑦ スーラバー 2:32
SWLABR(Jack Bruce, Pete Brown)
⑧ 間違いそうだ 3:26
We're Going Wrong(Jack Bruce)
⑨ アウトサイド・ウーマン・ブルース 2:24
Outside Woman Blues(Blind Joe Reynolds)
⑩ テイク・イット・バック 3:05
Take It Back(Jack Bruce, Pete Brown)
⑪ マザーズ・ラメント 1:47
Mother's Lament(Traditional)
【録音メンバー】
☆クリーム
エリック・クラプトン/Eric Clapton(guitars, 12st-guitar④, vovals①②③④⑨⑪)
ジャック・ブルース/Jack Bruce(bass①~⑩, piano⑤⑪, harmonica⑩, vocals②③④⑥⑦⑧⑩⑪)
ジンジャー・ベイカー/Ginger Baker(drums①~⑩, percussions①~⑩, vocals⑤⑪)
【チャート】
1968年週間アルバム・チャート イギリス5位 アメリカ(ビルボード)4位
オーストラリア1位 フィンランド1位 フランス2位 カナダ10位 ノルウェイ16位
1968年年間アルバム・チャート アメリカ(ビルボード)3位
【メ モ】
クリームのセカンド・アルバム。
ブルースをルーツとするクリームの音楽性は、この作品ではブルースを基盤としつつもサイケデリックな方向へシフトされている。
アルバム・タイトルは、競技用自転車についてクラプトンとベイカーが話していた時、ローディーのミック・ターナーが「ディレイラー・ギア」(変速機)を「ディズレーリ(19世紀のイギリスの首相ベンジャミン・ディズレーリ)・ギア」と言い間違えたことによる。これをふたりが面白って、アルバムのタイトルに採用した。
レコーディングは1967年5月にニューヨークで行われた。バンドは「Music in the 5th Dimension」での公演を終えてスタジオ入りし、3日半で録音を終えたが、バンドのビザは録音最終日が期限だったという。
①「ストレンジ・ブリュー」、③「苦しみの世界」で作者のひとりにクレジットされているゲイル・コリンズは、本作のプロデューサーであるフェリックス・パパラルディの妻。
サイケデリック調のアルバム・ジャケットはマーティン・シャープによる。彼はオーストラリア人の芸術家で、クラプトンが住んでいたロンドンのチェルシー地区の「ザ・フェアサントリー」の住人でもあった。シャープは、クリームの次作「クリームの素晴らしき世界」のジャケットも担当しているほか、⑥「英雄ユリシーズ」では歌詞も提供している。
アルバム用の写真は、ビートルズの写真で有名なボブ・ウィテカーが撮影した。
このアルバムはRIAA認定のゴールド・アルバムを獲得。1999年にはグラミーの殿堂入りした。またローリング・ストーン誌の「ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500」2003年版で第114位にランクされている。
フレッシュ・クリーム Fresh Cream
【歌・演奏】
クリーム/Cream
【リリース】
1966年12月9日
【録音】
1966年7月~10月
イングランド ロンドン ライリック・スタジオ
イングランド ロンドン ライミューズ・スタジオ
【プロデューサー】
ロバート・スティグウッド/Robert Stigwood
【エンジニア】
ジョン・ティムパーリー/John Timperley
【レーベル】
リアクション・レコード/Reaction Records (UK)
アトコ・レコード/Atco Records (US)
【収録曲】(☆シングル=⑤)
side:A
① N.S.U. 2:43
N.S.U.(Jack Bruce)
② スリーピー・タイム 4:20
Sleepy Time(Jack Bruce, Janet Godfrey)
③ ドリーミング 1:58
Dreaming(Jack Bruce)
④ スウィート・ワイン 3:17
Sweet Wine(Ginger Baker, Janet Godfrey)
☆⑤ スプーンフル 6:30
Spoonful(Willie Dixon)
*1967年リリース
side:B
⑥ 猫とリス 3:03
Cat's Squirerel(Doctor Ross)
⑦ フォー・アンティル・レイト 2:07
Four Until Late(Robert Johnson)
⑧ ローリン・アンド・タンブリン 4:42
Rollin' and Tumblin'(Hambone Willie Newbern)
⑨ アイム・ソー・グラッド 3:57
I'm So Glad(Skip James)
⑩ いやな奴 5:11
Toad(Ginger Baker)
【録音メンバー】
☆クリーム
エリック・クラプトン/Eric Clapton(guitars, vovals)
ジャック・ブルース/Jack Bruce(bass, harmonica, piano, vocals)
ジンジャー・ベイカー/Ginger Baker(drums, percussions, vocals)
【チャート】
1967年週間アルバム・チャート イギリス6位 アメリカ(ビルボード)39位
フィンランド4位 オーストラリア10位 フランス20位
1967年年間アルバム・チャート アメリカ(ビルボード)32位
【メ モ】
クリームのファースト・アルバム。
この作品が「のちのヘヴィ・メタル・ロックとジャム・ロックの誕生に大きく影響している」と評価する向きもある。
1966年12月9日、アルバムのステレオ・ヴァージョン、同モノラル・ヴァージョン、そしてシングル「アイ・フィール・フリー」(アメリカ盤に収録)が同時にリリースされた。1967年1月にはアメリカ盤がリリースされている。
このアルバムは、ローリング・ストーン誌の「ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500」2012年版の第102位にランクされている。
ミッチ・ミッチェル Mitch Mitchell
【本名】
ジョン・グラハム・ミッチェル/John Graham Mitchell
【パート】
ドラムス、パーカッション、ヴォーカル
【生没年月日】
1946年7月9日~2008年11月12日(62歳没)
【出身地】
イングランド ミドルセックス州イーリング
【経 歴】
ライオット・スクワッド/The Riot Squad(1964)
ジョージー・フェイム&ザ・ブルー・フレイムズ/Georgie Fame & The Blue Flames(1965~1966)
ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス/Jimi Hendrix Experience(1966~1969)
ジプシー・サン&レインボウズ/Gypsy Sun & Rainbows(1969)
ジャック・ブルース&フレンズ/Jack Bruce & Friends(1969)
ラマタム/Ramatam(1972~1973)
ジョージー・フェイム&ザ・ブルー・フレイムズ/Georgie Fame & The Blue Flames(1974)
ジプシー・サン・エクスペリエンス/Gypsy Sun Experience(1999)
ミッチ・ミッチェルは、1960年代後半の主要なロック・ドラマーのひとりであり、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのメンバーとして知られる。
ローリング・ストーン誌が選定した「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」では第8位にランクされている。
1992年、「ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス」の一員としてロックの殿堂入り。2009年にはモダン・ドラマーの殿堂入りも果たした。
ミッチ・ミッチェルは、1943年7月9日にイングランドのミドルセックス州イーリングで、トーマスとフィリスのミッチェル夫妻のあいだに生まれた。
10代の頃は子役としてテレビドラマやCMなどに出演しており、1960年にはイギリス映画「ボトムズ・アップ」で主役を演じている。
そのかたわらドラムの演奏にも興味を持ち、エルヴィン・ジョーンズをはじめ、トニー・ウィリアムス、マック・ローチ、ジョー・モレロなどのジャズ・ドラマーから多大な影響を受け、次第に独自のスタイルを確立してゆく。
ミッチェルが最初に加入したバンドは、地元イーリング・クラブで結成された「ソウル・メッセンジャーズ」である。
その後「ピート・ネルソン&ザ・トラヴェラーズ」「フランキー・リード&ザ・カジュアルズ」「ジョニー・ハリス&ザ・シェイズ」「ビル・ナイト&ザ・セプターズ」などのツアーやセッションに参加し、キャリアを積む。
1964年頃には「ライオット・スクワッド」というバンドでレコード・デビュー。またドラマーがダグ・サンドムからキース・ムーンに交替する前のザ・フーにもセッション・ドラマーとして参加している。1965年にはヴィヴ・プリンスの後任として一時的に「プリティ・シングス」のドラマーを務めた。
1965年12月には「ジョージー・フェイム&ブルー・フレイムス」に加入、1966年10月まで在籍した。その間1966年にはアルバム「スウィート・シングス」の制作に加わっている。
1966年、イギリスに渡ったジミ・ヘンドリックスは、自分のバンドを作るため様々なミュージシャンとセッションを行っていた。その年8月、ヘンドリックスのマネージャーを務めていたチャス・チャンドラーから連絡を受けたミッチェルは、ロンドンでのセッションに参加した。
10月6日に再度セッションに呼ばれたミッチェルは、この時ヘンドリックスに「ジンジャー・ベイカーのように演奏してほしいのかい?」と尋ねると、「ああそうだよ、君の好きなように叩いてくれ」という答えが返ってきたという。
ヘンドリックスのオーディションのためのセッションにはミッキー・ウォーラーなど多くのドラマーが声をかけられていたが、最終的にはミッチェルとエインズレー・ダンバーが候補に残った。チャンドラーによると、どちらを選ぶか甲乙つけ難く、苦慮したすえ最後はコイントスによってミッチェルが選ばれたそうである。こうしてミッチェルは、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのメンバーとなった。ちなみにダンバーはその後ジョン・メイオール、フランク・ザッパ、ジェファーソン・エアプレイン、ジャーニーなど錚々たるバンドに参加、ロック・ドラマーの第一人者として長年にわたって活躍している。
ヘンドリックスの革新的で自由度の高い演奏とミッチェルのドラミングは非常に相性が良かったと言える。ジャズに深く傾倒し、高度なテクニックを持っていたミッチェルは、ヘンドリックスの革新的で自由なアプローチに変幻自在に対応し、バンドを支えた。自分の音楽を推進発展させてくれるドラマーが必要だったヘンドリックスにとっては、スピード感と対応力に富んだミッチェルのドラミングはなくてはならないものだったといえる。
エクスペリエンスはヘンドリックスの圧倒的なパフォーマンスで世界的な人気バンドとなった。
ミッチェルがエクスペリエンス時代に残したアルバム「アー・ユー・エクスペリエンスト?」「アクシス:ボールド・アズ・ラヴ」「エレクトリック・レディランド」は英米のチャートで全てトップ10入りし、なかでも「エレクトリック・レディランド」は全米1位を記録している。
ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスはノエル・レディングの脱退により、1969年6月にわずか3年たらずで解散したが、ヘンドリックスはその後もミッチェルを手放さなかった。
1969年8月に行われたウッドストック・フェスティヴァルには、ヘンドリックスはミッチェルとビリー・コックス(bass)とで結成した「ジプシー・サン&レインボウズ」で出演している。
また、しばしばヘンドリックスはミッチェルと二人だけでスタジオに入り、レコーディングを行っている。
1969年末から1970年初頭にかけてのヘンドリックスのバンド「バンド・オブ・ジプシーズ」では、バディ・マイルスがドラマーとして起用されているが、この頃のミッチェルはジャック・ブルース(bass)率いる「ジャック・ブルース&フレンズ」に加わっており、マイク・マンデル(keyboard)やラリー・コリエル(guitar)とコラボレーションを行っている。
1970年4月~9月に行われたヘンドリックスの「クライ・オブ・ラヴ・ツアー」では、再びミッチェルがドラマーのポジションに戻った。
1968年12月、ミッチェルは、ローリング・ストーンズのテレビ番組「ロックンロール・サーカス」のために結成されたバンド「ザ・ダーティー・マック」の一員となった。他のメンバーは、ジョン・レノン(vocal, guitar)、エリック・クラプトン(guitar)、キース・リチャーズ(bass)、オノ・ヨーコ(screaming)である。このバンドは「ヤー・ブルース」「Whole Lotta Yoga」を録音している。
また1969年夏、ミッチェルはマイルス・デイヴィス(trumpet)の家に招待された。その時ジョン・マクラフリン(guitar)とセッションを始めたマイルスに「おい、ドラマー!お前はドラマーだろ?一緒に演奏しろ」と言われた。セッション後、マイルスに「OK、明日2時にCBSに来れるな」と声をかけられたミッチェルは、翌日「ビッチェズ・ブリュー」セッションに参加したということである。
1970年、バンド・オブ・ジプシーズ解散後のヘンドリックスは、ビリー・コックスを残して新たなバンドを結成するが、その時に参加したドラマーがミッチェルであった。呼び戻されたミッチェルは、1970年9月18日にヘンドリックスが死去するまで彼と活動を共にした。1970年8月にはこのメンバーでワイト島フェスティヴァルに出演している。
この頃(1970年春)、ヘンドリックスとミッチェルは、グレッグ・レイク(bass, vocal)が企図していた新グループへの参加を打診されている。このプランは実現しなかったが、レイクはキース・エマーソン(keyboard)とカール・パーマー(drums)を迎えて1970年6月に新たなバンドを結成した。このバンドが「エマーソン・レイク&パーマー」である。
1970年9月にヘンドリックスが急死した後、ミッチェルはエンジニアのエディ・クレイマーとともに残された不完全な音源の編集作業に携わった。ヘンドリックスの死後、「ザ・クライ・オブ・ラヴ」「レインボウ・ブリッジ」「ウォー・ヒーローズ」の3枚のスタジオ・アルバムが発表されたが、ミッチェルはそれらに収録されている曲のほとんどでドラムを叩いている。一方で自身のバンドを結成し活動したが、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス時代ほどの成功は得ることはなかった。
1972年渡米したミッチェルは、マイク・ピネラ(vocal, guitar 元アイアン・バタフライ)、エイプリル・ロートン(guitar)、ラス・スミス(bass)、トム・サリヴァン(keyboard)と「ラマタム」を結成したが、セカンド・アルバムがリリースされる前にバンドから去った。
その後「ヒンクリー・ヒーローズ」というジャム・バンドでジョン・ハルゼーとともにドラムを叩いたが、これはミッチェルが他のドラマーと共演した唯一のケースである。
そのほかコージー・パウエルの代役としてテリー・リード、ジャック・ブルース、ジェフ・ベックらのバックを務めたりしていたが、1974年に「ジョージー・フェイム&ザ・ブルー・フレイムズ」に復帰。この年にはポール・マッカートニーのバンド「ウィングス」のオーディションを受けているが、この時の最終的な結論もコイントスに委ねられ、今回はミッチェルではなく、ジョフ・ブリットンが選ばれた。
1970年代後半から1990年代にかけてのミッチェルは、イギリスを拠点に演奏を続け、時にはレコーディングを行ったりしていたが、いわばセミ・リタイア状態であった。
1999年、ミッチェルはビリー・コックス(bass)、ゲイリー・サーキン(guitar)とともに「ジプシー・サン・エクスペリエンス」を結成して活動を始めた。またこの年にはブルース・キャメロンのアルバム「Midnight Daydream」のレコーディングにも加わっている。このアルバムにはビリー・コックス、バディ・マイルス、ジャック・ブルースなど、ヘンドリックスやミッチェルゆかりのミュージシャンが参加してる。
2008年、エクスペリエンスを記念したツアーがアメリカの18都市で行われた。このツアーにはビリー・コックス、バディ・ガイ、ジョニー・ラング、ロビー・クリーガー、ブラッド・ウィットフォードらが参加していた。ツアーはオレゴン州ポートランドで終了したが、ツアーの終了から5日後の11月12日、ポートランドのボンソン・ホテルの一室でミッチェルが死亡しているのが発見された。62歳であった。正式な死因は明らかにされていないが、睡眠中の自然死と見られている。
ミッチェルは長年にわたって免疫系疾患とガンの治療を行っており、健康状態は良くなかった。このツアーでは、ミッチェルはそれぞれの公演で2、3曲しか演奏せず、つねにバックアップ・ドラマーがすぐそばに控えている状態だった。ツアー最後のポートランド公演では、ミッチェルの様子があまりにも弱っているようだったので、代役のドラマーが演奏したという。
「クイーン」のロジャー・テイラー(drums)は、ミッチェルのドラミングを初期のロール・モデルにしていたといい、「ミッチ・ミッチェル、特にヘンドリックスとの初期の作品を聴くのは本当に素晴らしい」と語っている。「カルト」や「ガンズ&ローゼス」のドラマーを務めたマット・ソーラムは、ミッチェルを「史上最も偉大なドラマーのひとり」と絶賛している。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)
<ジョージー・フェイム&ザ・ブルー・フレイムズ>
1966年 Sweet Things(UK6位)
<ジミ・ヘンドリックス>
1967年 アー・ユー・エクスペリエンスト?/Are You Experienced(UK2位 US5位)
1967年 アクシス:ボールド・アズ・ラヴ/Axis:Bold as Love(UK5位 US3位)
1968年 エレクトリック・レディランド/Electric Ladyland(UK6位 US1位)
★1968年 スマッシュ・ヒッツ/Smash Hits(UK4位 US6位)
☆1970年 ウッドストック/Woodstock:Music from the Original Soundtrack and More(UK35位 US1位)※録音1969年
☆1970年 Historic Performances Recorded at the Monterey International Pop Festival(US16位)※録音1967年
1971年 クライ・オブ・ラヴ/The Cry of Love(UK2位 US3位)
1971年 レインボウ・ブリッジ/Rainbow Bridge(UK16位 UK15位)
☆1971年 Experience(UK9位)※録音1969年
☆1971年 ワイト島のジミ・ヘンドリックス/Isle of Wight(UK17位)※録音1970年
☆1971年 ウッドストック2/Woodstock Two(US8位)※録音1969年
1972年 戦場の勇士たち/War Heroes(UK23位 US48位)
☆1972年 ヘンドリックス・イン・ザ・ウエスト/Hendrix in the West(UK7位 US12位)※録音1969~1970年
☆1972年 More Experience
1974年 Loose Ends
★1975年 クラッシュ・ランディング/Crash Landing(UK35位 US5位)
★1975年 ミッドナイト・ライトニング/Midnight Lightning(UK46位 US43位)※録音1968~1970, 1975年
★1978年 The Essential Jimi Hendrix
★1980年 ナイン・トゥ・ジ・ユニヴァース/Nine to the Universe(US127位)※録音1969年
★1981年 The Essential Jimi Hendrix Vol.2
☆1982年 炎のライヴ!! '68~'70/The Jimi Hendrix Concerts(UK16位)
★1983年 ベスト/The Singles Album(UK77位)
★1984年 キス・ザ・スカイ/Kiss the Sky(US148位)
☆1986年 モンタレー・ポップ・フェスティヴァル・ライヴ/Jimi Plays Monterey(US192位)※録音1967年
☆1986年 ジョニー・B・グッド/Johnny B. Good ※録音1970年
☆1986年 Band of Gypsys 2 ※録音1969~1970年
☆1987年 ライヴ・アット・ウィンターランド/Live at Winterland ※録音1968年
★1988年 Radio One(US119位)
★1990年 Lifelines:The Jimi Hendrix Story
☆1991年 Live Isle of Wight '70 ※録音1970年
☆1991年 Stages ※録音1967~1970年
★1992年 ジ・アルティメット・エクスペリエンス/The Ultimate Experience(US72位)
☆1994年 ウッドストック/Woodstock(US37位)※録音1969年
★1994年 ブルーズ/Blues(US45位)
★1995年 ヴードゥー・スープ/Voodoo Soup(UK83位 US66位)※録音1968~1970, 1995年
★1997年 ファースト・レイズ・オブ・ザ・ニュー・ライジング・サン/First Rays of the New Rising Sun(UK37位 US49位)
★1997年 エクスペリエンス・ヘンドリックス~ベスト/Experience Hendrix:The Best of Jimi Hendrix(UK18位 US133位)
★1997年 サウス・サターン・デルタ/South Saturn Delta(US51位)※録音1967~1970
☆1998年 BBCライヴ/BBC Sessions(US50位)※録音1967, 1969
☆1999年 ライヴ・アット・ウッドストック/Live at Woodstock(US90位)※録音1969年
★2000年 ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス〜アンリリースト&レア・マスターズ/The Jimi Hendrix Experience(US78位)
★2001年 ヴードゥー・チャイルド~ザ・ジミ・ヘンドリックス・コレクション/Voodoo Child:The Jimi Hendrix Collection(UK10位 US112位)
☆2002年 ブルー・ワイルド・エンジェル~ワイト島のジミ・ヘンドリックス/Blue Wild Angel:Live at the Isle of Wight(US200位)※録音1970年
☆2003年 ライヴ・アット・バークレー/Live at Berkeley(US191位)※録音1970年
★2003年 Martin Scorsese Presents The Blues:Jimi Hendrix
☆2007年 ライヴ・アット・モンタレー/Live at Monterey(全米171位)※録音1967年
★2010年 ヴァリーズ・オブ・ネプチューン/Valleys of Neptune(UK21位 US4位)※録音1967~1970, 1987年
★2010年 ウェスト・コースト・シアトル・ボーイ~ジミ・ヘンドリックス・アンソロジー/West Coast Seattle Boy:The Jimi Hendrix Anthology 録音1964~1970年
☆2011年 ウィンターランド/Winterland(US171位)※録音1968年
★2013年 ピープル、ヘル・アンド・エンジェルス/People, Hell and Angels(UK30位 US2位)※録音1968~1970年
☆2013年 マイアミ・ポップ・フェスティヴァル/Miami Pop Festival(US39位)※録音1968年
☆2015年 フリーダム~アトランタ・ポップ・フェスティヴァル/Freedom:Atlanta Pop Festival(US63位)※録音1970年
★2018年 ボース・サイズ・オブ・ザ・スカイ/Both Sides of the Sky(UK8位 US8位)※録音1968~1970年
<ラマタム>
1972年 ラマタム/Ramatam(US182位)
<レコーディング・セッション>
*Martha Veléz
1969年 Friends and Angels
*ロジャー・チャップマン/Roger Chapman
1980年 Mail Order Magic
*Greg Parker
1986年 Black Dog
*David Torn
1996年 What Means Solid, Traveller?
*Junior Brown
1998年 Long Walk Back
*ブルース・キャメロン/Bruce Cameron
1999年 Midnight Daydream