アンダー・オープン・スカイズ Under Open Skies
【歌・演奏】
ルーサー・グロヴナー/Luther Grosvenor
【リリース】
1971年10月
【録音】
アイランド・スタジオ
【プロデューサー】
ルーサー・グロヴナー、トニー・プラット/Luther Grosvenor, Tony Platt
【エンジニア】
トニー・プラット/Tony Platt
【レーベル】
アイランド・レコード/Island Record
【録音メンバー】
ルーサー・グロヴナー/Luther Grosvenor(vocals, electric-guitar, acoustic-guitars, bass①②⑤⑥, percussions④)
ジョン・ホウケン/John Hawken (piano①③⑤, organ⑤)
トレヴァー・バートン/Trevor Burton (bass③⑦)
マイク・ケリー/Mike Kellie(drums①③⑤⑥⑦, backing-vocals⑦)
マイケル・ジャイルズ/Michael Giles(drums②)
ジム・キャパルディ/Jim Capaldi(backing-vocals①)
ミック・ラルフス/Mick Ralphs(backing-vocals①)
トレヴァー・ルーカス/Trevor Lucas(backing-vocals⑤)
ポール・ベネット/Paul Bennett(backing-vocals⑦)
【収録曲】(シングル=「ヒア・カムズ・ザ・クイーン」)
side:A
① ライド・オン 6:27
Ride On(Luther Grosvenor)
② ヒア・カムズ・ザ・クイーン 3:35
Here Comes the Queen(Luther Grosvenor, Githa Grosvenor)
③ ホエン・アイ・メット・ユー 5:20
When I Met You(Luther Grosvenor)
④ ラヴ・ザ・ウェイ 3:30
Love the Way(Luther Grosvenor, Githa Grosvenor)
side:B
⑤ ウェイティング 4:15
Waiting(Luther Grosvenor)
⑥ ロケット 4:35
Rocket(Luther Grosvenor)
⑦ アンダー・オープン・スカイズ 5:20
Under Open Skies(Luther Grosvenor, Githa Grosvenor)
【チャート】
【メ モ】
スプーキー・トゥースのギタリストだったルーサー・グロヴナーが、スプーキー・トゥース解散後に発表したファースト・ソロ・アルバム。
コロシアム・ファースト Those Who Are About to Die Salute You
【歌・演奏】
コロシアム/Colosseum
【リリース】
1969年3月
【録音】
1968年11月~1969年
【プロデューサー】
トニー・リーヴス & ジェリー・ブロン/Tony Reeves & Gerry Bron
【レーベル】
イギリス フォンタナ・レコード
アメリカ ダンヒル・レコード
【録音メンバー】
☆コロシアム
ジェイムス・リザーランド/James Litherland (guitars①②③④⑤⑥⑧, lead-vocals)
ジム・ローチェ/Jim Roche(guitar⑦)
ディック・ヘクストール=スミス/Dick Heckstall-Smith(tenor-sax, soprano-saxbass,)
デイヴ・グリーンスレイド/Dave Greenslade(organ, piano, vibraphone, backing-vocals⑥)
トニー・リーヴス/Tony Reeves(bass)
ジョン・ハイズマン/Jon Hiseman(drums)
★ゲスト・ミュージシャン
ヘンリー・ロウザー/Henry Lowther(trumpet①)
【収録曲】
side:A
① 公園の散策 3:57
Walking in the Park(Graham Bond)
② プレンティ・ハード・ラック 4:29
Plenty Hard Luck(Dave Greenslade, Dick Heckstall-Smith, Jon Hiseman, James Litherland, Tony Reeves)
③ マンダリン 4:26
Mandarin(Tony Reeves, Dave Greenslade)
④ デビュー 6:22
Debut(Dave Greenslade, Dick Heckstall-Smith, Jon Hiseman, James Litherland, Tony Reeves)
side:B
⑤ ビウェア・ジ・アイデス・オブ・マーチ 5:39
Beware the Ides of March(Dave Greenslade, Dick Heckstall-Smith, Jon Hiseman, James Litherland, Tony Reeves)
⑥ ザ・ロード・シー・ウォークド・ビフォー 2:45
The Road She Walked Before (Dick Heckstall-Smith)
⑦ バックウォーター・ブルース 7:40
Backwater Blues (Leadbelly)
⑧ ゾーズ・アバウト・トゥ・ダイ 4:52
Those About to Die(Dave Greenslade, Dick Heckstall-Smith, Jon Hiseman, James Litherland, Tony Reeves)
【チャート】
1969年週間アルバム・チャート イギリス15位
コロシアム・ライヴ Colosseum Live
【歌・演奏】
コロシアム/Colosseum
【リリース】
1971年6月
【録音】
1971年3月18日 マンチェスター大学
1971年3月27日 ビッグ・アップル、ブライトン
【プロデューサー】
ジェリー・ブロン/Gerry Bron
ジョン・ハイズマン & コロシアム/Jon Hiseman & Colosseum
【エンジニア】
ピーター・ギャレン/Peter Gallen
【レーベル】
イギリス ブロンズ
アメリカ ワーナー・ブラザーズ
【録音メンバー】
☆コロシアム
クリス・ファーロウ/Chris Farlowe(vocals)
デイヴ・クレムソン/Dave "Clem" Clempson(guitars, vocals)
ディック・ヘクストール=スミス/Dick Heckstall-Smith(saxophones)
デイヴ・グリーンスレイド/Dave Greenslade(organ, vibraphone)
マーク・クラーク/Mark Clarke(bass)
ジョン・ハイズマン/Jon Hiseman(drums)
【収録曲】
side:A
① 月へのきざはし 9:43
Rope Ladder to the Moon(Pete Brown, Jack Bruce)
② 公園の散策 8:21
Walking in the Park(Graham Bond)
side:B
③ スケリングトン 14:52
Skelington(Dave Clempson, Jon Hiseman)
side:C
④ タングルウッド '63 10:12
Tanglewood '63(Mike Gibbs)
⑤ アンコール…ストーミー・マンデイ・ブルース 7:29
Encore...Stormy Monday Blues(T-Bone Walker)
side:D
⑥ 失われた天使 15:43
Lost Angeles (Dave Greenslade, Dick Heckstall-Smith, Chris Farlowe)
【チャート】
1971年週間アルバム・チャート イギリス15位
1972年週間アルバム・チャート オーストラリア48位
コロシアム Colosseum
【活動期間】
①1968~1971
②1994~2015
③2020~
【メンバー】
①1968~1971
ジョン・ハイズマン/Jon Hiseman(drums, percussion) 在籍1968~1971
ジム・ローチェ/Jim Roche(guitar) 在籍1968
ジェイムス・リザーランド/James Litherland(guitar, vocal) 在籍1968~1969
デイヴ・"クレム"・クレムソン/Dave "Clem" Clempson(guitar, vocal) 在籍1969~1971
デイヴ・グリーンスレイド/Dave Greenslade(organ, piano, keyboards) 在籍1968~1971
ディック・ヘクストール=スミス/Dick Heckstall-Smith(sax, clarinet) 在籍1968~1971
トニー・リーヴス/Tony Reeves(bass) 在籍1968~1970
ルイス・セナモ/Louis Cennamo(bass) 在籍1970
マーク・クラーク/Mark Clarke(bass) 在籍1970~1971
クリス・ファーロウ/Chris Farlowe(vocal) 在籍1970~1971
②1994~2015
ジョン・ハイズマン/Jon Hiseman(drums, percussion) 在籍1994~2015
デイヴ・"クレム"・クレムソン/Dave "Clem" Clempson(guitar, vocal) 在籍1994~2015
デイヴ・グリーンスレイド/Dave Greenslade(organ, piano, keyboards) 在籍1994~2015
ディック・ヘクストール=スミス/Dick Heckstall-Smith(sax, clarinet) 在籍1994~2004
バーバラ・トンプソン/Barbara Thompson(sax, flute) 在籍2004~2015
マーク・クラーク/Mark Clarke(bass) 在籍1994~2015
クリス・ファーロウ/Chris Farlowe(vocal) 在籍1994~2015
③2020~
デイヴ・"クレム"・クレムソン/Dave "Clem" Clempson(guitar, vocal) 在籍2020~
マーク・クラーク/Mark Clarke(bass) 在籍2020~
クリス・ファーロウ/Chris Farlowe(vocal) 在籍2020~
キム・ニシカワラ/Kim Nishikawara(sax) 在籍2020~
マルコム・モルティモア/Malcom Mortimore(drums) 在籍2020~
エイドリアン・アスキュー/Adrian Askew(keyboard) 在籍2020~2021
ニック・スティード/Nick Steed(keyboard) 在籍2021~
1960年代後半のアート・ロック・ブームの中で活躍したジャズ・ロック・グループ。
プログレッシヴ・ロックのパイオニア的存在とも言われている。
1960年、ジョン・ハイズマン(drums)、デイヴ・グリーンスレイド(keyboard)、トニー・リーヴス(bass)、クライヴ・バロウズ、ポール・マクドウェルの5人によって、「ウェス・ミンスター・ファイヴ」(Wes Minster Five)が結成された。このバンドが、のちの「コロシアム」の源流である。
ウェス・ミンスター・ファイヴは高校の仲間によって作られたバンドで、彼らが卒業する1962年に解散した。
その後ジョン・ハイズマンは、「ニュー・ジャズ・オーケストラ」などを経て1966年5月に「グラハム・ボンド・オーガニゼイション」に加入するが、そこでサックス奏者のディック・ヘクストール=スミスと出会う。
ヘクストール=スミスはグラハム・ボンド・オーガニゼイションを脱退すると、1967年7月に「ジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズ」に参加する。
1968年4月には、ジョン・ハイズマンとトニー・リーヴスがジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズに加入。ハイズマン、リーヴス、ヘクストール=スミスの3人が参加したアルバムが『Bare Wires』(1968年6月発表)である。このアルバムはかなりジャズに傾倒したものになっている。
1968年8月、ハイズマン、リーヴス、ヘクストール=スミスの3人は、ブルース・ブレイカーズから脱退。
ジョン・ハイズマンは新しいグループの結成へ向けて、1968年8月17付メロディ・メイカー紙でメンバーの募集を告知。これを見て応募してきたジム・ローチェ(guitar)とジェームス・リザーランド(vocal)に加え、元ウェス・ミンスター・ファイヴのメンバーで、ローチェとも旧知の仲であり、「サンダーバーズ」や「ラム・ジャム・バンド」を経てセッション・ミュージシャンとして活動していたデイヴ・グリーンスレイド(keyboard)、そしてブルース・ブレイカーズから行動を共にしていたリーヴス(bass)、ヘクストール=スミス(sax)の計6人で、「ジョン・ハイズマンズ・コロシアム」を結成、リハーサルに入る。
同年10月11日~12日、スカボローの「シーン・トゥー・クラブ」でデビュー・ライヴを行い、11月にはクリームの解散コンサートに出演。
この11月にはさっそく英フォンタナ・レコードと契約し、12月にはファースト・アルバムのレコーディングが始まったが、1曲録音しただけですぐにローチェが脱退したため、リザーランドがギターも兼ねることになった。
こうしてラインナップが固まり、バンド名も最終的に「コロシアム」となった。
1969年5月、ファースト・アルバム『コロシアム・ファースト』がリリースされると、アート・ロック・ブームが席捲するロック界でたちまち注目のバンドとなった。
この年秋、ヴァーティゴへ移籍。まもなくセカンド・アルバム『ヴァレンタイン組曲』の制作が始まるが、リザーランドが自己のグループ「Brotherhood」(のちの「モーグル・スラッシュ」)を結成するため、アルバム録音が終わった10月に脱退。後任としてデイヴ・"クレム"・クレムソン(元ベイカールー)が加入した。
同年11月、セカンド・アルバム『ヴァレンタイン組曲』を発表。このアルバムは、ジュリアス・シーザーの最期の3ヵ月を主題としており、アート・ロックあるいはジャズ・ロックの名盤として高く評価されている。
なお、1970年にアメリカでのみリリースされた『grass is greener』はアメリカ編集盤であり、クレムソンを含むラインナップで録音されている。ジャケットは『ヴァレンタイン組曲』と同じ構図で、曲目も4曲が『ヴァレンタイン組曲』と重複しており、ギター・パートはクレムソンがオーヴァー・ダビングしたものである。
1970年8月にナショナル・ジャズ・アンド・ブルース・フェスティヴァルに出演したのち、プロデューサー業に専念するためリーヴスが脱退(のち「グリーンスレイド」に参加)し、後任として元ルネッサンスのルイス・セナモが参加するが、9月には元セント・ジェームス・インファーマリーのマーク・クラークに交替。この時に英国ロック界のベテラン・ヴォーカリスト、クリス・ファーロウも迎えられた。このラインナップで制作されたのが、『ドーター・オブ・タイム』(1970年11月発表)である。ただし、このアルバムのベースは、半分以上ルイス・セナモが弾いている。
1971年3月に行なったツアーでは圧倒的な演奏力を見せつけているが、そのうちマンチェスター大学とブライトンのクラブ「ビッグ・アップル」で行ったライヴの模様を収録したライヴ・アルバムが、同年6月にリリースされた『コロシアム・ライヴ』である。
そしてコロシアムは、このライヴ・アルバムを発表したのちに解散。
1971年11月6付メロディ・メイカー紙は、コラシアムの解散を報じ、これを惜しんでいる。
解散後、クレムソンはピーター・フランプトンの後任として「ハンブル・パイ」に、クリス・ファーロウは「アトミック・ルースター」に、マーク・クラークは「ユーライア・ヒープ」に加入。
グリーンスレイドは、リーヴスを誘って自己のグループ「グリーンスレイド」を結成。
ヘクストール=スミスは1972年7月にアイランドからソロ・アルバム『A Story Ended』をリリース。
そしてハイズマンは、1972年6月に「テンペスト」を、1975年に「コロシアムⅡ」を結成している。
1994年、アルバム『コロシアム・ライヴ』のラインナップ(ハイズマン、ファーロウ、クレムソン、グリーンスレイド、ヘクストール=スミス、クラーク)で23年ぶりに再結成。
1997年、27年ぶりとなるスタジオ・アルバム『Bread & Circuses』を発表。
1999年、一時期、オリジナル・メンバーのベーシスト、トニー・リーヴスがサポートとして参加。
2003年、『Tomorrow's Dream』制作中にヘクストール=スミスが体調不良で休養に入り、ハイズマンの妻であり英国ジャズ界を代表するサックス奏者のバーバラ・トンプソンがサポートとして参加。2004年にヘクストール=スミスが亡くなると、トンプソンがそのまま正式メンバーとなった。
2007年初来日。2月17日~18日に、ハイズマン、ファーロウ、クレムソン、グリーンスレイド、トンプソン、クラークというラインナップで、クラブチッタ川崎でライヴを行った。
2014年、11年ぶりにスタジオ・アルバム『タイム・オン・アワ・サイド』をリリース。
2015年、2月28日のロンドンのシェパーズ・ブッシュ・エンパイアで行われた公演を最後に、コロシアムは活動を終了することが発表された。
2018年、バンドの創設者であるドラマー、ジョン・ハイズマンが死去。
ハイズマン死去のあと、残されたクリス・ファーロウ、クレム・クレムソン、マーク・クラークを中心に、2020年コラシアムは再始動する。
2022年4月、コラシアムは8年ぶりとなるフル・アルバム『Restoration』を発表。
【ディスコグラフィ】(*=ライヴ・アルバム)
1969年 コロシアム・ファースト/Those Who Are About to Die Salute You(全英15位)
1969年 ヴァレンタイン組曲/Valentyne Suite(全英15位)
1970年 ドーター・オブ・タイム/Daughter of Time(全英23位 ドイツ36位)
1971年 *コロシアム・ライヴ/Colosseum Live(全英17位 オーストラリア48位)
1995年 *LiveS The Reunion Concerts 1994
1997年 Bread & Circuses
2003年 Tomorrow's Blues
2003年 *コロン1994-リユニオン・コンサート/Live Cologne 1994
2003年 *The Complete Reunion Concert
2007年 *コロシアム・ライヴ!05/Live05
2009年 *Theme for a Reunion
2014年 タイム・オン・アワ・サイド/Time on Our Side
2015年 *Live At Boston Tea Party, August 1969
2020年 *Live At Montreux Jazz Festival 1969
2020年 *Live At Ruisrock, Turku, Finland, 1970
2020年 *Live At Oioer Club, Rome, Italy 1971
2020年 *Live '71, Canterbury, Brighton & Manchester
2022年 Restoration
マーク・クラーク Mark Clarke
【パート】
ベース、ヴォーカル
【生没年月日】
1950年7月25日~
【出生地】
イングランド リヴァプール
【経 歴】
コロシアム(1970~1971)
ユーライア・ヒープ(1971~1972)
テンペスト(1972~1974)
ナチュラル・ガス(1975~1976)
レインボウ(1977)
ヘンリー・グロス・バンド
マウンテン(1984~1985、1995~1998)
コロシアム(1994~2010)
JCM(2017~2018)
コロシアム(2020~ )
少年時代、ビートルズやその他の多くのバンドを見たクラークは、12歳の頃にはベース・プレイヤーになろうと決めたそうである。
ベーシストとしては、ジャック・ブルースやジョニー・グスタフソンらに影響されたという。
1966年「Kegmen」、1968年「Locomotive」でプレイしたのち、1968年後半から1969年にかけては「セント・ジェームス・インファーマリー」(St. James Infirmary)に在籍する。
当時はヴォーカリストとして高く評価されており、リヴァプール・エコー紙に「リヴァプールのジョー・コッカー」と紹介されたことがある。
ローカル・バンドでの活動後、クラークはロンドンに居を移し、デイヴ・"クレム"・クレムソンの紹介で「コロシアム」のローディーとして働くことになる。
1970年8月のナショナル・ジャズ・アンド・ブルース・フェスティヴァルを最後にベーシストのトニー・リーヴスがコロシアムから脱退。新たなベーシストとしてルイス・セナモ(元ルネッサンス)が加入したが、アルバム『ドーター・オブ・タイム』の制作途中で脱退したため、クラークが後任として迎えられた。
コロシアム解散後は、1971年秋にポール・ニュートンの後任としてユーライア・ヒープに加わったが、わずか3ヵ月在籍したのみで脱退している。ヒープのアルバム『悪魔と魔法使い』(1972年)に収録されている『魔法使い』は、クラークのインスピレーションから生まれた曲であり、ケン・ヘンズレーとの共作としてクレジットされているほか、この曲のみクラークのベースとヴォーカルでレコーディングされている。
マーク・クラーク(左)とジョン・ハイズマン
ヒープ脱退後の1972年6月、コロシアムのリーダーだったジョン・ハイズマン(drums)に呼び戻され、ハイズマンが結成した「テンペスト」に参加。メンバーはクラーク、ハイズマンのほか、ポール・ウィリアムス(vocal)、アラン・ホールズワース(guitar, violin)であった。
テンペストはジャズ・ロックとハード・ロックがクロスオーヴァーしたユニークな音楽性のバンドとして注目されたが、2枚のアルバムを残して1974年5月に解散する。
その後、クラーク、ジョーイ・モランド(guitar, vocal 元バッド・フィンガー)、ジェリー・シャーリー(drums 元ハンブル・パイ)、ピーター・ウッド(keyboard 元Sutherland Brothers & Quiver)の4人で「ナチュラル・ガス」を結成。
結成当初は「新たなスーパー・グループの誕生」と話題になり、1976年にはフェリックス・パパラルディのプロデュースでファースト・アルバム『ナチュラル・ガス』がリリースされたが、セールスは振るわず、間もなく解散した。
1977年5月、ジミー・ベインの後任としてレインボウに加入したが、7月には、アルバム『バビロンの城門』のレコーディングに際して音楽性の相違という理由で解雇される。
脱退後は元シャナナのギタリスト、ヘンリー・グロス(Henry Gross)のバック・バンドに加入している。
1979年、リチャード・T・ベアの録音に参加。
1980年代に入るとアメリカでの活動に比重を置くようになり、ビリー・スクワイア(元サイドワインダーズ~パイパー)、フィービー・スノウ、イアン・ハンター(元モット・ザ・フープル)、マイケル・ボルトン、シェール、ミートローフなどのバックを務め、レコーディングに参加している。
1984年、レスリー・ウェスト(guitar)とコーキー・レイング(drums)で再結成された「マウンテン」に加入。
1986年にはモンキーズのデイヴィー・ジョーンズ、ミッキー・ドレンツ、ピーター・トークの20周年記念ツアーのメンバーとなったほか、デイヴィー・ジョーンズと数年間仕事をともにした。
1994年、再結成した「コロシアム」に加入し、2015年2月28日にロンドンのシェパーズ・ブッシュ・エンパイアで行われたフェアウェル・コンサートまでベーシストを務めた。
2010年、初のソロ・アルバム『Moving to the Moon』をリリース。
2017年、クラーク(bass, vocal)、クレム・クレムソン(vocal, guitar)、ジョン・ハイズマン(drums)の3人で「JCM」を結成、2018年4月にファースト・アルバム『Heroes』を発表した。
2018年にジョン・ハイズマンが亡くなったが、2020年にクリス・ファーロウ、クレム・クレムソン、クラークらを中心に再びコロシアムは始動する。2022年4月には、コロシアム8年ぶりのフル・アルバム『Restoration』を発表している。
【ディスコグラフィ】
<ソロ・アルバム>
2010年 Moving to the Moon
<コロシアム>
1970年 ドーター・オブ・タイム/Daughter of Time(全英23位)
1971年 コロシアム・ライヴ/Colosseum Live(全英17位)
1994年 Colosseum Live S ー The Reunion Concerts
1997年 Bread and Circuses
2003年 Tomorrow's Blues
2007年 Live05
2014年 Time on Our Side
2022年 Restoration
<ディック・ヘクストール=スミス>
1972年 ア・ストーリー・エンディッド/A Story Ended
<ユーライア・ヒープ>
1972年 悪魔と魔法使い/Demons and Wizards(全米23位 全英20位)
<テンペスト>
1973年 テンペスト/Tempest
1974年 眩暈/Living in Fear
<ナチュラル・ガス>
1976年 ナチュラル・ガス/Natural Gas
<ケン・ヘンズレー>
1975年 愛と苦悩/Eager to Please
1980年 フリー・スピリット/Free Spirit
<リチャード・T・ベアー>
1979年 Captured Alive
<フィービー・スノウ>
1981年 Rock Away
<ビリー・スクワイア>
1981年 ドント・セイ・ノー/Don't Say No(全米5位)
1991年 Creatures of Habit
<イアン・ハンター>
1983年 孤独のハンター/All of the Good Ones Are Taken(全米125位)
<マイケル・ボルトン>
1983年 マイケル・ボルトン/Michael Bolton
<マウンテン>
1985年 Go for Your Life(全米166位)
1996年 Man's World
<モンキーズ>
1987年 20th Anniversary Tour 1986
<Torque>
2003年 103103
<JCM>
2018年 Heroes
グレアム・ボンド・オーガニゼイション Graham Bond Organisation
【活動期間】
1963~1967年
【メンバー】
グレアム・ボンド/Graham Bond (1937.10.28~1974.5.8) vocal, sax, organ, mellotron
ジャック・ブルース/Jack Bruce (1943.5.14~2014.10.25) bass, vocal
ジンジャー・ベイカー/Ginger Baker (1939.8.19~2019.10.6) drums, percussion
ジョン・マクラフリン/John McLaughlin (1942.1.4~ ) guitar
ディック・ヘクストール=スミス/Dick Heckstall-Smith (1934.9.26~2004.12.17) sax
ジョン・ハイズマン/John Hiseman (1944.6.21~2018.6.12) drums, percussion
1960年代のイギリスを席捲したブルース・ブームの中で活躍した、ブリティッシュ・ブルース・バンド。
バンド名の綴りは「Graham Bond Organisation」であるが、イギリス以外の国では「Organization」と表記されることもある。
グレアム・ボンド(vocal, sax, organ)は、1962年にアレクシス・コーナーの「ブルース・インコーポレイテッド」に加わり、このバンドでジンジャー・ベイカー(drums)、ジャック・ブルース(bass)と出会った。
ブルース・インコーポレイテッド加入を契機にサックスからオルガンに転向したボンドは、ベイカーとブルースを誘って1963年に「グレアム・ボンド・トリオ」を結成する。
その後、ジョン・マクラフリン(guitar)を加えてバンド名を「グレアム・ボンド・カルテット」とするとともに、ボンドは再びサックスをも演奏するようになった。
1963年暮れにマクラフリンがグループを去ると、サックス奏者のディック・ヘクストール=スミス(のちジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズ、コラシアム)を迎え、バンド名を「グレアム・ボンド・オーガニゼイション」と改めた。
バンドはボンドのハモンド・オルガンを大きくフィーチュアした独特のブルージーなサウンドで、クラブを中心に人気を得るようになる。とくにモッズ達のお気に入りバンドであった。
1964年、ウィンストン・Gのシングル『Please Don't Say』の録音に参加。これがバンドの最初の商業録音である。
同年、バンドは映画『Gonks Go Beat』に出演、「Harmonica」など計2曲を演奏している。
1965年1月、セカンド・シングル(バンドの名義でリリースするものとしては初)『Tammy』をリリース。
同年3月には、EMIコロムビアからデビュー・アルバム『ザ・サウンド・オブ '65』をリリース。これは、ジャズとR&Bを融合させたサウンドとして高く評価される。
同じく1965年7月、シングル『Lease on Love』をリリース。この曲にはメロトロンが使われているが、これはポピュラー音楽史上初めてメロトロンが全面的にフィーチュアされたものである。メロトロン使用の先駆的存在のひとつはビートルズだが、彼らが『ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー』を制作したのは1967年のことである。
この年8月、ジンジャー・ベイカーとの確執からジャック・ブルースが脱退。ブルースはこの後マンフレッド・マンに短期間加わったのちクリーム結成に参加している。残った三人(ボンド、ベイカー、ヘクストール=スミス)は、ゲストにマイク・ファラナ(trumpet)を加えて、1966年1月に『セント・ジェームス病院』をアメリカのアスコット・レーベルからリリースしている。
1966年3月、「ザ・フー」はシングル「サブスティチュード」(全英5位)をヒットさせたが、このシングルのB面にグレアム・ボンド・オーガニゼイションの曲「Waltz for a Pig」が使われたいたことから、一部で注目されるようになる。
この年ジンジャー・ベイカーが脱退してクリーム結成に参加したため、同年5月にボンドは後任としてジョン・ハイズマンをメンバーに加えた。ボンド、ヘクストール=スミス、ハイズマンのトリオとなったバンドは、1967年1月18日にシングル『ユーヴ・ガッタ・ハヴ・ラブ・ベイブ』をページ・ワン・レコードで録音した。
結局バンドは、商業的な成功を得られなかったことなどから、翌67年に解散する。
解散後、ハイズマンとヘクストール=スミスはジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズを経て、コロシアムを結成した。
ボンドは1970年初頭にジンジャー・ベイカーズ・エア・フォースに加入している。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
1965年 ザ・サウンド・オブ '65/The Sound of '65
1965年 ゼアズ・ア・ボンド・ビトゥイーン・アス/There's a Bond Between Us
☆1988年 クルークス・クリーク/Live at Klooks kleek(recorded 1964.10)
★2012年 ウェイド・イン・ザ・ウォーター/Wade in the Water
【メンバー変遷】
#1 1963
グレアム・ボンド(organ)
ジャック・ブルース(bass)
ジンジャー・ベイカー(drums)
#2 1963
グレアム・ボンド(organ, sax)
ジャック・ブルース(bass)
ジンジャー・ベイカー(drums)
ジョン・マクラフリン(guitar)
#3 1963~1965
グレアム・ボンド(organ, sax)
ジャック・ブルース(bass)
ジンジャー・ベイカー(drums)
ディック・ヘクストール=スミス(sax)
#4 1966
グレアム・ボンド(organ, sax)
ジンジャー・ベイカー(drums)
ディック・ヘクストール=スミス(sax)
#5 1966~1967
グレアム・ボンド(organ, sax)
ジョン・ハイズマン(drums)
ディック・ヘクストール=スミス(sax)
ゲイリー・セイン Gary Mervin Thain
【パート】
ベース、ギター、ヴォーカル
【生没年月日】
1948年5月15日~1975年12月8日(27歳)
【出生地】
ニュージーランド クライストチャーチ市
【経 歴】
キーフ・ハートリー・バンド(1968~1972)
ミラー・アンダーソン・バンド(1971)
ユーライア・ヒープ(1972~1975)
ユーライア・ヒープの3代目ベーシスト。
リー・カースレイク(drums)とのリズム・セクションで、ユーライア・ヒープの黄金期を支えた。
ニュージーランドのクライストチャーチ市で、コリン、アーサーに次ぐ三男として生まれる。
10代の頃にふたりの兄たちとともに「The Strangers」というバンドを結成、シングル・レコードを3枚リリースした。
1966年にオーストラリアへ移住すると、「The Secrets」に加入してシングル・レコードを1枚リリース。
The Secretsはその年に解散したが、同年には「Me & Others」というバンドを組んでイギリスやドイツをツアーする。
1967年に「New Nadir」というロック・トリオを結成し、ヨーロッパで活動した。このバンドは特にスイスで人気を得るようになり、アルバムの録音も行われたが、リリースには」至っていない。なおセインはNew Nadirのドラマー、ピーター・ドーキンズとロンドンへ旅行しているが、その際にジミ・ヘンドリックスとジャム・セッションを行っている。
1968年、キーフ・ハートリー・バンドに参加する。
キーフ・ハートリー(drums)はのちに、「俺はゲイリー・セインと知り合い、ジャムってみて、『彼は完璧だ』と思ったね。プレイヤーとして、ゲイリーはいままで付き合ったなかで最高だった。ゲイリーの参加で、バンドはとてもタイトなユニットになったんだ。」と語っている。
キーフ・ハートリー・バンドは同年のウッドストックに出演したが、この時演奏を終えたバンドは、道路の大渋滞のためヘリコプターでの移動を余儀なくされた。そのためスライ & ファミリー・ストーンの大ファンだったセインはその演奏を見ることができなくなってしまい、たいへんがっかりしたそうである。
セインは、キーフ・ハートリー・バンド時代に6枚のアルバムの録音に参加したが、1971年にユーライア・ヒープのツアーに参加したことがきっかけで、1972年2月に請われてヒープに加入した。
ユーライア・ヒープはセインの加入から人気、レコード・セールスとも急上昇しており、彼の在籍期間を「黄金期」と呼ぶことが多い。
ヒープ時代のセインは、4枚目のアルバム『悪魔と魔法使い』(1972年)から『夢幻劇』(1974年)までの5枚のアルバムを残している。
1975年1月、アルバム『幻想への回帰』のデモンストレーション録音に4曲分参加したが、バンド加入当初からドラッグを摂取し続けていたセインは感電事故の療養中にドラッグへの依存がひどくなったため、これ以上バンドの一員として演奏活動することは難しいと判断され、このセッションを最後として、1975年2月にユーライア・ヒープを解雇された。後任は、ジョン・ウェットン(元キング・クリムゾン)であった。
セインといえば、メロディックで印象的なフレーズを繰り出すベース・プレイで知られている。
ヴォーカルやギターなどのフロントに対して積極的に仕掛けていくこともしばしばで、そのユニークなスタイルでジョン・エントウィッスル(ザ・フー)やギーザー・バトラー(ブラック・サバス)らと並び称されている。
セインのフェイヴァリット・ベーシストは、ジェームス・ジェマーソンだという。ジェマーソンだけでなく、ジャズからも大きな影響を受けていたという。
1975年12月8日、ロンドンのノーウッドグリーンにある自宅アパートで、バスタブの中で亡くなっているのが発見された。死因はヘロインの過剰摂取による呼吸不全である。
【ディスコグラフィ】
Champion Jack Dupree
1969年 Scoobydoobydoo
キーフ・ハートリー・バンド
1969年 Halfbreed
1969年 The Battle of North West Six
1970年 The Time Is Near(全英41位)
1971年 Overdog
1971年 Little Big Band ※ライヴ・アルバム
1972年 Seventy-Second Brave
Martha Velez
1970年 Fiends and Angels
ミラー・アンダーソン・バンド
1971年 Bright City
ピート・ヨーク・パーカッション・バンド
1972年 The Pete York Percussion Band
ケン・ヘンズレー
1973年 誇り高き言霊/Proud Words on a Dusty Shelf(全豪57位)
ユーライア・ヒープ
1972年 悪魔と魔法使い/Demons and Wizards(全米23位、全英20位、日本28位)
1972年 魔の饗宴/The Magician's Birthday(全米31位、全英28位、日本43位)
1973年 ユーライア・ヒープ・ライヴ/Uriah Heep Live(全米37位、全英23位、日本22位)
1973年 スウィート・フリーダム/Sweet Freedom(全米33位、全英18位、日本45位)
1974年 夢幻劇/Wonderworld(全米38位、全英23位、日本76位)