アレックス・ネピアー Alex Napier
【パート】
ドラムス、パーカッション、ベース、ギター
【生没年月日】
1947年10月18日~2023年1月19日(75歳没)
【出生地】
スコットランド グラスゴー
【経歴】
スパイス/Spice(1969.2~1969.12)
ユーライア・ヒープ/Uriah Heep(1969.12~1970.2)
プリズム/Prism
アレックス・ネピアー・バンド/Alex Napier Band(1980~1981)
アレックス・ネピアーは、イギリスのドラマー。ユーライア・ヒープのオリジナル・メンバーである。
地元の様々なバンドで演奏していたネピアーは、音楽紙の広告によって「スパイス」というバンドがドラマーを募集していることを知る。
当時のスパイスは、1968年11月にデビュー・シングル『What About The Music』をリリースしたばかりだったが、1969年初頭にドラマーのナイジェル・ペグラムが脱退したため、後任を探していた。
広告に応募したネピアーはスパイスへ加入。このバンドにはデヴィッド・バイロン(vocal)、ミック・ボックス(guitar)、ポール・ニュートン(bass)らが在籍していた。ちなみにスパイスはこの頃一時的に「The Play」と名乗って活動したが、まもなく元のバンド名「スパイス」に戻している。
1969年春、スパイスがイングランドのハイウィカムのブルース・ロフト・クラブで演奏していたところ、そこにプロデューサーのジェリー・ブロンが居合わせた。当時、スパイスのマネージャーはポール・ニュートンの父が務めていたが、彼はブロンと知り合いだった。この繋がりからブロンはスパイスに契約を持ちかけ、レコーディングの機会を提供した。
デビュー・アルバムのレコーディングは、1969年の7月にロンドンのランズダウン・スタジオで始まった。この時収録された曲のうち、リリースされなかった未発表音源やデモ音源は、1993年になってアルバム『The Lansdowne Tapes』としてCD化されている。
ネピアーが「カム・アウェイ・メリンダ」「ウェイク・アップ」の2曲を録音したのち、1969年末になってキーボード奏者として元「トー・ファット」のケン・ヘンズレーがスパイスに加わった。当時のスパイスのキーボード奏者コリン・ウッドはサポート・メンバーであり、バンドは正式なキーボード奏者を必要としていたからである。そしてブロンの提案でバンド名は「ユーライア・ヒープ」と改められた。(ただし1970年2月までは「スパイス」の名で活動している)
ヘンズレーの加入後、ネピアーはさらに「ジプシー」「ウォーキング・イン・ユア・シャドウ」「リアル・ターンド・オン」「アイル・キープ・オン・トライング」の4曲でドラムを叩いたが、レコーディングの終了を待たず1970年2月に解雇された。後任のドラマーは、エルトン・ジョンから推薦されたナイジェル・オルソンであった。
当時のベーシスト、ポール・ニュートンはのちに「ネピアーは、当時の私にとっては良い友人だった。彼はいいドラマーだったが、彼の仕事とヒープの成功への貢献は認められていなかった。」と語っている。
なおネピアーが録音に参加した曲は、1970年6月に発表されたユーライア・ヒープのデビュー・アルバム『ユーライア・ヒープ・ファースト』(原題:…Very 'Eavy…Very 'Umble)に収録された。
その後のネピアーの音楽活動は、ライヴを主体として続けられた。
ユーライア・ヒープを離れた後のネピアーは、2枚のソロアルバム『ウィル・アンド・ザ・キル』とクリスマス・アルバム『オースティン・リズム・アンド・ブルース・クリスマス』の2枚のソロ・アルバムを発表。この2枚のアルバムで彼はドラムとベースを演奏している。しかしアルバムのセールスははかばかしいものではなかった。
また古い友人のピーター・ハリスンとともに「プリズム」というバンドに加わったりしたが、経済的な理由により引退することを決め、その後ロンドンのホテルで働いた。
ネピアーは、1980年から1981年にかけては「アレックス・ネピアー・バンド」で活動した。このバンドはトニー・メイソン(vocal)をフィーチャーし、2 曲のデモ音源を残している。
その後のネピアーは、最終的には音楽業界から引退し、家具職人として働いたという。旧友のピーター・ハリスンは、「最後にネピアーに会ったとき、彼は演奏をやめており、息子にドラムを教えていた。ネピアーの息子は父親のキットを使ってドラムを演奏していた。」と述懐している。
ユーライア・ヒープの歴代のドラマーの中では、ネピアーは短期間しか在籍しなかった初期のドラマーのひとりに過ぎないと見なされている。しかし『ユーライア・ヒープ・ファースト』におけるネピアーのドラミングを評価する人が多いのも事実である。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)
<スパイス>
★1993年 The Lansdowne Tapes ※1969年録音
<ユーライア・ヒープ>
1970年 ユーライア・ヒープ・ファースト/…Very 'Eavy…Very 'Umble US186位 日本41位 イタリア11位 フィンランド14位
★1976年 ザ・ベスト・オブ・ユーライア・ヒープ/The Best of Uriah Heep US145位 オーストリア8位 ノルウェイ13位
<ソロ>
1988年 Will and the Kill
1989年 Austin Rhythm and Blues