この前、チャーリーを抱いていた時、ああ不思議、チャーリーと出会ったことも、こんな風に温かい生きているチャーリーを感じていることも、と思ったのです。
そして、夫と出会ったことも、夫が倒れたことも、母と妹と仲良く過ごしていることも。何もかも不思議なことですね。
この頃は、ふと自分の思うことを見てみると、昔のとても嫌なことばかり、思い出しています。
自分がしたことの情けないこと、恥ずかしくて思い出すのも嫌だと思うこと、いってはいけないことを言い、やってはいけないことを恥ずかしげもなくやったこと、会いたくなかった人と出会い、自分の力で抜け出せなかったことなど、たくさんの思い出すのも嫌なことが、気持ちをめぐりまわっています。
そして、そんなとき、ああなんて自分の人生は嫌なものだったんだろうと思います。そんな一つ一つから抜け出せなくて、ひたすら暗い心に落ち込んでいきます。
どんなに嫌で情けなくて恥ずかしくても、それは自分のやったことなのですから、どうしても抜け出すことはできません。
そうやって、じっと自分の心と向き合っているとき、チャーリーを抱っこしていたのでした。温かくて、私のほうに心を寄せているような気がして、ずっと暗い心でいることができなくなりました。
嫌なことがたくさんあっても、ほんの少しいいこともあったじゃないと思えたのです。
嫌なことだって、私の生きてきた時間を暗く彩っているわけで、いいことと同じように、私につながっているのだと思いました。
自分の人生で起こったことは、きっと、どんなことも、私を作っているのだろうと思います。悪いこともいいことも、私の衣装なのだと思うのです。
そんなおもいで、チャーリーを抱いていました。そうしたら、暗い思いばかりではなく、何もかもが自分の人生なのだよねーと思うようになりました。
いいことだってあったのですから、いいこと、悪いこと、何もかもが私を作っているのだと、温かいチャーリーを抱っこして思ったのでした。
今でこそ"ハラスメント”・"ネグレクト”・”自己肯定”という言葉がありますが、昔はそんな考えもなかったですから。
でもいろいろな人の言葉にふれて(特にここ数年の間に)「過去の記憶がまた再整理」され、今はどれが頭に浮かんでも大丈夫になりました。何といいますか、「解釈し、判断し、ジャッジする自我」から解放されたように思います。
「自我から解放」してくれたいろいろな言葉を途中まで書いたのですが、これは押しつけになる...と思い、全部消しました。
一つだけ。これは随分前に読んで記憶もおぼろなのですが「人生はつづれ織りのタペストリー」というものでした。つづれ織りは表から見るといろいろな色の模様ですが、裏を見ると、たくさんの糸が途切れなくつながり、もつれ合っているようにさえ見えますね。
一人一人の人生は、その人その人の糸で織り上げられたつづれ織りで、複雑な色合いのものこそ味わいがある。そんな意味だったかと思います。この言葉には共感しました。
またいつものように勝手な想像ですが、beautiful-sunsetさんは繊細でよく気がつくからこそ、とても自覚的かつ自責的(って変な言い方ですが)になられるのではないかなぁと思います。
だからこそ、beautiful-sunsetさんのつづれ織りも味わい深いものになっていますよ。
みんなその時その時を一生懸命生きてきたのですから、恥じたり後悔することはないと思います。粛々と行く。今はこれが私の目標です。長い自分話の書き込みでごめんなさい。
でも、私は、自分の存在そのものを嫌いなわけではありません。私は自分のすべてをそのまま受け入れています。自分のやったこと、自分の言ったこと、人との出会いもすべて、自分の生きたこととして受け入れています。でも、そういうものが好きかというとすべてが好きなわけではないのです。ただ、自分という存在そのものを愛しています。今、命が終わったとしても、私は私で、十分に生きたよね、と言いながら死ねるのではないかと、この頃は思っています。
空さん、本当にあなたとお知り合いになれて、とても幸せです。現実をそのままに受け止めていらっしゃる子供さんにも、よろしくお伝えください。体の痛みができるだけなくなりますように。お元気でね。
私はお二人ほど自分を正確に分析はできていないし、それを書き表す力も持ち合わせていないけれど、最近、自分のこれまでの人生を振り返り同じようなことを考えています。
次々と押し寄せてくる心配事の前に、「なぜ」「なぜ」と言う問いを繰り返し、自分のどこが悪かったんだろうと自分を責める気持ちが高まってばかりいます。振り返ると、あれもこれもと自分の自己中心性に気づかされ、暗鬱な気分になるのです。まとまりのつかない文章ですがこれからら楽しみに読ませていただきたいと思っています。
本当にいろいろなことが起こり、いろいろなことを考えますね。でも、それは、全部自分がやったこと、言ったことが、今の自分を作っているのだといつも思います。
私は、夫が倒れ、自分が病気になり、思ってきたような自分の人生とは違っているのですが、それが"自分の人生"と思い、それをできるだけ楽しんでいます。
これからも、ブログを読んでいただくこと、感謝しています。