午後、スマホに着信、あら?東京にいる筈の友人ではないか。え?那覇空港から・・やはり、空いた日程をやりくりして大好きな宮古島に一泊した帰りだという。東京行きの乗り継ぎまで時間が出来たので勤め先に訪ねたいという、どうぞどうぞ、めんそうれ!で再会は果たして1年ぶり?積もる話もあるが、近況を伺うと相変わらずの忙しさのようで、やりくりしてマイルを活用して宮古と沖縄本島と東京を一泊二日で行き来するなんてオジサンには無理な話。何事も好きが高じればということか。早朝出勤の折にはラジコで沖縄の放送を聴くというから感心する。所要時間1時間弱で旅の人に戻っていった。宮古島銘菓の差し入れ、ありがとうね、たんでぃがたんでぃが、ズミ!
昨日は随分と久しぶりに舞台朗読を堪能した。沖縄可否の会主催による舞台朗読、田名洋子ひとり語り。田名さん、実に22年ぶりのひとり語りなのである。会場は那覇市久茂地のミニ空間、6時開演前には既にキャパ60の客席が埋まっているぞ。東京からは主宰の三上左京氏に代わって中野さんが駆けつけてくれた。この方とも久しぶりに再会を果たす。で、舞台演出の一平さんが今回はお休みで、室内灯のオンオフなどは可否の会メンバーが受付もそうだがこなしてくれている。会友のオジサンは運営を手伝うことがない・・・。定刻通りの開演、一部は主人公と渡り鳥ガンの触れ合いに迫る井伏鱒二作「屋根の上のサワン」。休憩を挟んだ2部は新川和江作「わたしを束ねないで」、何れも田名さんが得意とする尺が20分前後の作品。8時前に終演となり、メンバーらと会場近くの割烹で打ち上げ。女子会に紛れ込んだオジサンではあるが、寿司が美味しく頂けたし、ビールが冷えていて格別な宵であった。
勤め先が主催する民謡の底辺拡大を図る事業、新唄大賞。数えて29回目の公開審査会が25日・日曜日に沖縄市のミュージックタウン音市場で開かれる。1次審査を通過した15組が審査に臨み、大賞を始め歌唱賞・作詞賞・作曲賞・奨励賞・大衆賞、そして審査員特別賞が選定される。審査員には県内の主たる民謡協会9団体から会長らが加わり、昨年中に発表された新曲(新唄)を審査するのだ。唄の島沖縄、郷土を代表する民謡は後世に伝えるべく親しまれ伝承する役割も大事なこと。例えば、沖縄方言が使える・話せる・聴くことが出来ると答えられる方は果たして県民の何割だろうか?というのも、民謡は方言が基礎になるからで、方言の意味を理解しつつ唄に表現の術を伝えなければいけない。さて、1990年の第1回大賞作品はナークニーの名手、上原正吉さんが唄った「アカバンタ」(作詞:宮城鷹夫、作曲:松田弘一)で、作詞した宮城鷹夫さんが南城市佐敷手登根区の出身ということもあり、昨年9月に区民の協力で歌碑が建立された。かつて各地で(毛遊び・もうあしび)と親しまれ若い男女の出会いの場でもあったアカバンタを過疎化が進む地域に活性化を呼び込む手立てとして、また憩いの場を提供しようと企図されたものだ。主催社としては、報に接して感慨深いし、報われた気もして嬉しい限りだ。第1回以来、毎回のように運営に関わってきたが、とっくに時効になるので打ち明けるが、審査員に島唄の大御所、嘉手刈林昌さんが会場に見えた時のこと・・ン?先生、さきかじゃ~(お酒の匂いプンプン)しますよ、あいえ~な~!けーいみそーれ(帰って下さい)と即退場になったのだ。さすがは大御所、風流の自由人、素顔のままであった。思い出話のひとつ。さて、今度の日曜日、結果は如何に?
平昌オリンピック、日本勢が活躍していますね。観戦して気付いたが、冬季五輪は競技に国別の体格差がないね。フィギュアスケート然り、ジャンプも然り、カーリング然り・・然り然り。体格のハンデがないのなら年中冬季五輪があればいいのにね、と周りに漏らしている。