首里城正殿が夜半に焼失したのが昨年の10月31日、沖縄県の財産が突然の事態に失した。当日は早朝からの報道に接して、空しい思いを抱いて浦添から片道6キロを歩いて城の周囲に来た。龍潭池の此方から火の手は収まったが白煙が残る現場に朝8時過ぎにたどり着いた。多くの市民や報道関係者が詰める場所、お城を見てはいるが静かだ。声が出ないのだ、私も同じく。何と空しい光景、あれから1年。多くの支援を受けて再建に歩む首里城、これからを見守りたいね。
1972年10月14日、東京住いの大学1年生は友人らと後楽園球場にいた、平日だったがスタンドは満席に近い。そう、プロ野球公式戦、読売ジャイアンツと中日ドラゴンズのダブルヘッダー。観客の目線はたった一人の男に終始注がれた、誰あろう この日で引退を表明する名手、長嶋茂雄へのエールを届けるためだ。我々が座れたのは3塁側の3階席であったか?何れにせよ、ミスターが守備に就く三塁に近い、声は届く。プレーが身近だ・・そして、役者だった、1試合目だったか、プロ野球人生の節目を飾るホームランをレフトスタンドに叩き込んだ、見事であった、華がありんした。2試合目が終わり夜になっていた、マウンドに立つミスター。我々の周囲では「長嶋~辞めるな~」だの「ありがとう~長嶋~」と男たちの野太い声が嗚咽していた。それにしても人の名前を呼び捨てね、「さん」をつけなさいよ。スポットライトを浴びたミスター、球場の空は取材のヘリが何機か飛び、ファンの色んな声が飛び交う中で「私は引退しますが、我が巨人軍は永久に不滅です」の言葉が響いた。沸き立つ歓声に拍手・・長嶋茂雄が現役の時代にプレーを拝見出来たことに感謝する日であった。