10日土曜日の夕刻、宜野湾市嘉数高台公園にいた。宜野湾市商工会創立50周年を記念したイベントで、簡易ステージではジョニー宜野湾のライブである。司会は なおぴん(玉那覇なおみ)、2人とも知人である、が、声をかけなかった。ジョニーとは かつて週一30分番組「ジョニーと○○のうりひゃーちゃーすが」の制作でお世話になった。○○は最初は役者の新垣正弘こと やっちーで、2代目は上原典子こと のりちゃんに努めてもらった。なおぴんは 此方も週一番組出演中で、局でたまに会う。知らない仲ではないが、昨日は寒くて早くステージから離れたくてしようがなかった。でも元気なステージを拝見して安堵した、うりひゃ~。
明日は旧暦で1月1日、お正月。知らなかったが、報道で知り カレンダーで確認した。旧暦の名残が著しい糸満市では正月に向けて市場は活況。旧暦に縁も所縁もない浦添西原地区、所謂 都市化で自治会はあるものの主体的な活動は弱い。近所の民家でカエンカズラがオレンジの鮮やかな花弁を一斉に開いた。例年、2月から3月にかけて開花するらしい。元はブラジルが原産地、沖縄には他にも南米所縁の花々が根付いている。移民県の名残で形に現れる花弁の歴史を感じて欲しい。
連日の深夜ラジオネタ、オジサン 好きね。聴いた覚えのある声だと思ったら、あらま?DJは奄美大島の唄者、中孝介だ。週一50分番組の進行?なのかい?孝介。でも、メジャーになって良かった。孝介歌う「花」by森山直太朗をYouTubeで聴いてみた。奄美島唄が育んだ裏声の独特な歌唱は澄んだ透明感に溢れる。20数年前に島の郷土料理を味わえる店、唄者の西和美さんが厨房に立つ「かずみ」で当時、奄美看護福祉専門学校に通う学生の孝介の唄三線を拝聴したのが出会いの始まり始まり。ショックを受けた、世の中にこんな唄があるのね。しかも沖縄と同じ三線なのに、めっちゃキーが高いし、竹ひごで弦を打ち鳴らしている。その後、琉大に編入した孝介と島の物産展会場などで再会、坊主頭で真面目な青年でした。いつの間にかメジャーデビューして、当時習った携帯電話の番号は変更されて、あらま?だったけど、島を代表する唄者になってグッドよ。ラジオ番組、たまに聴きますわよ。
放送流しっぱなしのラジオ、寝床のお友だちだけど 今夜はビートルズの特集であった。寝られない、も~う。ファンと云うほどではないが、興味津々。解散から何年か?知らないが、現存メンバーのポール・マッカートニーやリンゴスターは年齢80代。時代を感じる、感じます。さて、YouTubeを拝見していたら、先日 テレビ放送された芸能人合唱コンクールの模様を見つけた。演歌歌手チームの楽曲はSMAP「世界に一つだけの花」、聴いているとコーラスの調和は大したものだが、途中 囃しで「ハ イ ヤ」「ハッハッ」と申している。あのぅ、BEGINの「島人の宝」など沖縄的楽曲を聴けば即分かるが、この囃しは沖縄独特のもの。この囃しが楽曲全体にリズムを与えている。したいひゃあ、ウチナー(やったね 沖縄)。もしかして、合唱をサポートしたアレンジャーは沖縄メロディに造詣があり、取り入れたかも。そう、確信する。だって毎年7月最終週には新宿街お越しのエイサーが商店街などで繰り広げられる時代だもの。イヤサーサ、ハ イヤ。パーランクーや締太鼓、大太鼓の迫力ある響き。三線の音色、掛け声や手踊り、渾然一体となった躍りはウチナーンチュのDNAを呼び覚まし、ヤマトンチューの魂に声かけてくる。
プロ野球春季キャンプ地、ヤクルトのキャンプ地 浦添の様子を見ようと浦添運動公園に足を運んだ。陽射しが強いので避けるために時間をずらして3時頃に球場に着いた。が、はて?グラウンドはおろかベンチに選手の姿はナッシング。去年までは認められていたエリアへの立ち入りが禁止されたみたい。あらま?選手と身近なコンタクトが叶わなくなったのね。屋内ドームの入口に出待ちのファンの数、数十名あり。ヤクルトのキャラクター、つば九郎の応援団も来ているね。