という話を書いたのですが、
それだけではフェアじゃないな
と思ったので、
母についての話を一つ。
私の母は、実は、
食事以外のことに関しては
あまりうるさくない親でした。
きちんとするのが好きだし、
いろいろ手をかけたいタイプではあるのですが、
「子どもに求める」というより
「とにかくやってあげたい」派。
特に、教育面においては自由で。
金は出すが、口は出さない、が基本姿勢でした。
習い事は、
やりたいと言えばやらせるけど、
練習や進捗に関しては口を出さず、
やめたいと言えばやめさせ…
あっさりしたものです。
学校の成績もちらっと見るだけ。
進路は子ども任せ。
でも、決めたことへの物心両面の手助けは
惜しみなくしてくれました。
いつも、
「子どもはお金のことなんか
気にしなくていい。
やりたいようにやりなさい。」
と言っていましたねぇ。
今どきの金銭教育とは真逆な感じですが、
子どもがどういう選択をしても
全面的に支える親の覚悟を見せる
って意味では
良い面もあるかな、と思います。
実際、自分が食うに事欠いても
教育にはドンッとお金を出す、
という姿勢でした。
ありがたいことです。
(私は全然しっかりした子ではなかったので、
もう少し口を出して
ハッパかけてくれても良かったのに、
と思ったりもしますが・笑)
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母の、この妙に肝の据わった教育ポリシーは
自分の経験から導き出されたものらしいです。
母は、小中高と成績優秀で、
本当は大学に行きたかったのですが、
家の経済的事情により
高卒で働くことに。
弟たち(これまた優秀だったらしい)
が控えているので、
その進学を優先させたんです。
「女だから大学は…」ってのもあったはず。
大学の代わりに、
習い事は沢山させてもらったようだから。
でも、本当は、大学に行って
もっと学びたかった。
優秀さでは、私もひけをとっていなかったのに。
・・・という「満たされなかった思い」が
「子どもの希望を優先する」につながり、
一方で、
裕福でなくても
習い事にはお金をかけてもらった
という経験が
「教育にはお金を惜しまない」
という信念につながります。
しかし、
学校の成績と人生の良し悪しは
イコールではない
という考えも持っていて。
「学生時代はすごいガリ勉したけどね、
私、別に大した人間にはならへんかったし。
子どもに勉強勉強言うことなんかないわ、と思って」
「周り見ても、
神童って言われるくらい勉強出来た子が、
仕事もできて、良い人生送ってるかっていったら
別にそんなこともない」
と言っていました。
学びに価値を置くけれど、
それほど期待しない。
改めて考えると、不思議。
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思うに、
同じ「教育にお金を惜しまない」
という価値感であっても、
その内実は、
2種類に分けられるのではないかと。
一つは、高学歴志向・上昇志向があり、
教育を将来のための投資だと見做す考え方。
そういう人は、
惜しみなくお金を出すとはいえ、
費用対効果を考えるので、
投資対象を吟味するし、
成果にも強い関心を持ちます。
無駄な投資をしたくない、
という気持ちがあるんでしょうね。
社会的に成功しやすい
賢いやり方かもしれません。
もう一つは、
教育を、投資ではなく、
いわば掛け捨てのように捉えている人。
学ぶこと自体に価値がある、
「それによって得られるもの」は
その時の満足感だけで十分、プライスレス!
という考えです。
母はこちらです。
こちらの方が、絶対楽しいと思います。
が、リターン考えずに
ひたすら散財することに
なってしまうこともある…
というか、ほとんどそんな感じ。
でもそれを「無駄」とは考えない。
ある意味貴族的といいますか。
生活実態はド庶民なのにね!
私も、母ほどではないにしても、
似た傾向はあります。
恐らく、息子も…。
「売家と唐様で書く三代目」
と言うけれど、
これって、少なくとも二代目までは
しっかり稼ぐ堅実派だった
ってことだから、まだマシじゃない?
三代続けて三代目気質だなんて(笑)
悪いけど、食い潰せるほどの財産は無いのよ、
自分の食い扶持は自分でなんとかしてね☆
と(自分を棚に上げて)
息子には言い聞かせなくちゃねー。
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