国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

国鉄労働組合史 198

2011-06-13 10:00:00 | 国鉄労働組合史
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第四章 JR体制への移行と国労の闘い

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第二節 新会社への職員採用差別・配属差別と配転・出向攻撃
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├○二 選別と採用差別の実態│
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 北海道における選別と採用差別の実態

 北海道全体における新会社等への採用状況は、採用通知が行われた段階では〈表4-1 別揚〉のようになっていた。
 北海道には国労組織四地本(釧路、旭川、札幌、青函)あるが、まず釧路地本での国労組合員の採用率は22%にしか及ばず、改革労協(鉄道労連)や鉄産労が100%採用で、残りに国労組合員を採用したという実態であり、組合所属による選別は明らかであった。誰がみても業務上、知識、実務、技術などすぐれていて指導的立場にある職員が、国労組合員であるが故に不採用となっていた。同一職場で夫婦そろって清算事業団に配属されたケースもみられたが、釧路地本の各職場では国労からの駆け込み脱退者(年末から新年2月にかけて)をすべて新会社に採用しているという特徴がみられた。次の「声」は、釧路地本組合員からの発言である。
 ▽ Oさん(45歳、検査係兼学園講師) 「北海道と貨物を希望し不採用となり、清算事業団行きとなりました。職場では多くの職員を教える立場で、まじめにミスもなく、一生けん命働いてきました。まさか残れないとは思ってもみませんでした。『私だけが残ればいい』とは思ってはいませんでしたが、子供3人、家族、学校の関係など『国労』の名だけで、こんなにひどく差別されていいのでしょうか。許されないと思います。」
 ▽ Sさん(52歳、検査係) 「私は清算事業団行きとなりました。34年勤めて仕事のミスもなく、まじめに働いてきました。多種の車の修繕をするための養成をし、北海道に残れると思っていました。家もあるし家族もいます。振り分けがどんな基準か問題があります。国労という名前だけで差別される実態をみたとき、原がたつやら悩みました……。本当に安全な輸送ができるのでしょうか。」
 ▽ Kさん(45歳、事務係) 「私は事務職です。北海道と貨物と東日本と希望しましたが、まさか東日本の通知をもらうとは思いませんでした。仕事のミスもなく、かえって私以上にミス等が多い人が北海道に残れたのです。毎晩友だちと飲み歩きました。かえりをまつ妻は一週間悩んで、精神病院にいってみてもらいました。精神安定剤をもらいやっとおちつきました。妻と5日間話し、釧路の雇用状況を考え、2年間単身でいくことを決めました。学校、地域の関係等、2年後は家を売りはらい家族がきます。国労の名のもとの差別は許せないと思います。」
 旭川鉄道管理局内で2月16日の採用通知を受けたのは、国労組合員2676人中891人であり、退職予定者を除いても1487人が不採用となっていた。改革労協の方は、組合員1705人中採用通知を受けたものは1517人で、退職者を除くと10人程度不採用となっただけであった。また、組合役員についてその採用状況をみてみると、国労の分会三役は28・7%、支部三役は13・3%、職協三役は37・5%、地方本部役員0%で、役員全体では28・5%にしかならない。これに比べて、改革労協の組合役員は全員が採用されており、とくに動労地本書記長などはかつて解雇処分が出された経歴をもっていたが採用されていた。
 旭川管理局総局長は「必要な人材を必要な箇所に配属するためであり、選別・差別は行っていない」と報道関係者にコメントしていたが、国労旭川地本は次のような事実をあげて反論した。

① 保線区関係で資材隠しを行い、処分された組合員・管理者が採用となっている。

② 宗谷本線において昨年11月17日、機関士及び車掌が信号機の確認取扱いの間違いをおかし、本社に報告され処分も減給と通知された。しかし、動力者乗務員は採用、車掌は不採用となっている。

③ 浜頓別管理室は定員12人であるが、採用されたのは国労1人、施労2人であり、不足9人は他職場から配転させることになる。職場上状況もわからない職員が来て、重要な線路保守体制は確立されない。

④ 職場別にみると、改革労協組合員は新会社及び公的部門にほとんどが内定している事実は、選別・差別以外のなにものでもない。


 国労組織としては北海道内で最大の地本であった札幌地本は、1月下旬に鉄産労の旗上げがあって多くの脱退者を出した。札幌管内での採用状況は、改革労協が95%、鉄産労が79%、国労は59%(苗穂工場を除くと40%)で、所属組合による差別・選別は明確であった。国労から分裂して約2800人で鉄産労を結成し、彼らは直ちに「雇用安定協約」と「労使共同宣言」を締結していたが、結果的には約600人が清算事業団行きとなった。
そうした中で特徴的だったのは、鉄産労では専従役員6人(元国労専従)全員と、元国労専従経験者10人全員が採用されていたことである。
 青函地本では、意思確認書を提出した者について採用されたのは国労641人(69・5%)、全動労2人(16・7%)、その他の組合1507人(99・3%)となっており、不採用者は国労282人、全動労10人、その他の組合10人であった。ここでも国労と全動労の組合員が選別・差別されていることははっきりしていたが、前年夏の多能工化教育という一カ月程度の研修を受けて、保線、駅、電気、建築、工場、船舶に配置された動労組合員は全員採用されていた。ある工場(五稜郭車両所)では部品職場に配置された動労組合員6人は1人では何もできず、使い走りや見習いをしていたのに全員採用になり、技術を持っている国労組合員で新会社希望者20人からは9人が不採用になった。この不採用者9人のうち6人は組合役員であった。このような事例は、他の職場でも同様であった
 

続く

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