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みなさん、こんばんは。
今回の主人公の少年は、かなりバイアスをかけていますが、私の子供のころの思いでをラップさせてみました。
実は書いていて、涙が出てきて困りました。
何を感情移入しているのかといわれそうですが、本当にあの貧しかったころを思い出してしまって・・・。
書き手失格ですね。
私が幼稚園のころ、父親は天王寺鉄道管理局に勤務していました。
幼稚園の遠足は、天王寺動物園。
他の家族は、着飾りそして白いお米、振り返って我が家はというと、古米の入った少し黄色がかった配給米(今では死語ですが)、丸く握ったおにぎりにゴマをかけただけのおにぎりに、僅かばかりの漬物
ふと、隣を見れば三角のおにぎりには海苔がいっぱい、子供のころの憧れだった赤いウインナーも・・・
玉子焼きもふっくらと焼いて中には海苔が入った豪華版
すみません、こんなこと書くつもりはなかったのですが、昭和30年代後半から40年代前半は未だ日本は貧しかったということを書きたかっただけですので。
さて、お話を続けていきたいと思います。
> 父親は、笑いながらも弟の子供に渡さなくてはならないであろうお年玉のことで頭が痛いのでした。
>
20:00を回ると、さすがにすっかり町は夜の雰囲気となり、ネオンなども今と異なり少なかったので空を見上げるとたくさんの星が瞬いていました。
義男も眠い目をこすりながら、本を読んでいます。
「義男、目が悪くなるから本は読まん方がいいよ。」
母親が、義男をいさめますが、義男は、一度母の顔を見て、不服そうに。
「だって、退屈なんだもん、まだ?」
「あと、1時間もすれば改札が始まるから大丈夫さ。」
「えー、あと1時間?」
義男は、あきれたのと疲れが出たのとで少しふくれ面です。
そんなとき、前に座っていたおじさんが、ふいに振り返り。
「坊、どこまで行くんだ?おじさんは宮崎は延岡というところに帰るんだ。」
「僕は、大分のおじいさんところに行くんだ、いとこのけんぼうに会いに」
「そうか、坊はいくつだい。」
「僕は、6つだよ。来年小学校にあがるの。」
同じ列車に乗る、ただそれだけの理由ですが子供の話し相手になってくれる人がいる。
義男も話し相手がいるので、時間を紛らわせてくれているようでした。
そして、さらに時間が経過し時計が9時を回る頃、駅員がハンドスピーカを持ってやってきます。
「お待たせしました、まもなく「急行 第2日向」の改札を始めます。乗車整理券をお持ちのお客様から順番にご案内していきます。」
乗車整理券というのは、言うまでもなく胸につけたワッペンのことです。
子のワッペンを持っている人は優先的に自由席を確保できるように配慮していたのです。
それでも、ダフ屋との問題は起こるのですが・・・
駅員に誘導されて、ワッペンを胸につけた一団が駅員に誘導されて大阪駅の構内に消えていきます。
先ほど、義男の話し相手をしてくれたおじさんも義男たちの家族ともうちとけて古くからの友人のようです。
駅の改札も、ワッペンをしている場合はほとんどフリー、乗車券の確認は特段しませんでした。乗車整理券交付時に切符を確認しているからです。
義男たち家族もワッペンのおかげでそのまま改札を通過、現在の大阪駅3・4番線(当時は1番・2番線)ホームで列車の到着を待つばかりとなりました。
第2日向は大阪始発の臨時急行列車で、座席主体の列車で旅客需要の多い時期に運転される予定臨時列車と呼ばれるもので予めダイヤがきまっているのです。
さて、この列車にのってしまえばあとはといいたいのですが、ここでまたまたトラブルが発生したのです。
その続きはまたお話をさせていただきます。
それではおやすみなさい。
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