国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

ユニークな電源車誕生 マヤ20

2016-04-03 23:10:08 | 国鉄思いで夜話
今回は昭和38年の鉄道ファンの記事から少し抜粋してみたいと思います。
昭和38年6月のダイヤ改正で「特急みずほ」が一般客車から20系固定編成になったと言う記事が載っています。

鉄道ファン昭和38年8月号表紙から
「みずほ」は昭和36年10月のダイヤ改正で誕生していましたが、当初は寄せ集めの旧形客車で運転されており、「特急あさかぜ」「はやぶさ」「さくら」等が20系で運転されていたのと比べると見劣りしていました。

鉄道ファン昭和38年8月号から引用

さて、そんな「みずほ」も昭和38年に20系に置き換えられることとなったのですが、この列車熊本・大分となっており、門司で編成が分割されることになりました。

昭和38年の時刻表から

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固定編成客車ですので、分割してしまうと電源車の無い大分方面行きは何らかの方法がないと冷房もなにも使えない状態になってしまいます。

大分行きの時刻、門司駅で分割の後大分行きの付属編成はマヤ20を従えて大分まで南下することに。

そこで製作されたのがマヤ20と呼ばれる簡易電源車で、小倉工場で昭和38年2月から改造工事を行い、5月14日に完成したと記録されています。
種車となったのは元スハ32で数々の変遷を経て1949(昭和24)年3月に大井工場で半室食堂車に改造された車両で、改造当時は2両とも九州に配属されており九州内列車で供食設備を賄っていました。

なお、オハシ30-2004→マヤ20-1 オハシ30-5→マヤ20-2に改造されています。
【注記:オハシ2004→オハシ30-2004 記述漏れが指摘で判明したため訂正 2019/5/13】
この2両はかなり複雑な経緯を経ており、スハ32としてで誕生しながら終戦後はGHQに接収されて軍用客車オシ31として運用、その後先ほどの半室食堂車に改造されたという波乱万丈な車籍?の車両でした。

改造は屋根の一部を切り欠き電源エンジン並びに燃料タンクを据え付けるもので発電エンジンはカニ21と異なり気動車用の標準エンジンであるDMH17形エンジンが採用され、床下に燃料タンクが2基設置されました。

鉄道ファン昭和38年8月号から引用

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2 コメント

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特急さくら佐世保 (秋元直道)
2021-05-19 15:57:57
僕がこのみにくいアヒルの子(不幸なことに白鳥にはならなかった)を見たのは、今から50年前、小学校5年生の見学旅行(小佐々→鳥栖・久留米)の帰り。夕方5時ごろ、三河内付近をバスが走っていた時、僕は友人たちに「次来る列車は寝台特急で、東京に行くとばい!」と案内した矢先、にゃんとマヤ20が先頭で、友人たちは一堂に「このきたなか客車、本当に東京まで行くと?」、確かに汚い電源車でした・・・
返信する
Unknown (加藤好啓)
2021-05-23 08:03:12
特急さくら佐世保 (秋元直道)さん

たしかに、マヤ20を見たら。
一般の人はそう思いますよね。苦笑

懐かしいお話ありがとうございます。
返信する

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