ついこの間、社内の人が亡くなった。
死因は、不整脈だったらしい。
まだ、48歳だった。
人は、いつか死ぬものだという。
「死」と言う絶対的な別れは、永遠の切り離しであることだし、悲しいことだが、
生物学的にいえば、進化を遂げている、生命の個体はすべてがそうらしい。
永遠に生きている生命体も、存在するようだが、
それらは皆、進化をせぬままおなじ営みを繰り返しているだけの存在だという。
多くの生命体、人も含めて、
子孫を残し、自身は老いて朽ち行き(または他者に喰われ)、「死」を選び、次の世代へ進化の道を託した。
「死」の後は、「無」の世界だ。
宗教上は、心は天国若しくは極楽浄土に行くか、生前の行いが悪い者は、「地獄」に墜ちると言うが、
それは、飽くまで人間が、「無」の世界の恐怖から逃れるために作り上げたものだと、とある学者は言う。
結局、「死」を迎えてみないと、心…または魂がどこへ向かうのかは、誰にもわからない。
人間である僕たちには、必ず「死」は訪れる。
でも、いつそれが訪れるのかは…明日かも知れないし、数十年後かもわからない。
世にいう「天寿」を全うして、老いて死ぬ命もあれば、志半ばで突然断たれる命、若くして惜しまれながら亡くなる命…
果てには、子供や赤子のまま死ぬ命もある。
結局のところ、僕らの命がいつ終わるのかは、神様とやらにしかわからないらしい。
その神様も、自分の命がいつ終わるかなんて、教えてくれもしない。
命だけでなく、すべての物事には「終わり」がある。
始まれば、いつかは終わる。
僕らが住んでいる「地球」と言う星だって、
何十億年か後には、太陽の爆発に巻き込まれ、跡形もなく消えるらしい。
僕らが生きた証、遺した思い、何もかもが。
だとしたら、僕らは何と無常で虚しい
薄氷の上を彷徨っているのだろうか…?
それでも、僕らは生き続けている。
そして、この星の「空」には、太陽が昇り、月が昇る。
人もまた、誰かほかの人の「太陽」と呼ばれる存在になれるらしい。
誰かの心を、照らし暖められる「太陽」に。
今まで、五里霧中を漂い酌に溺れていた僕に、「太陽」になんてなれっこないし、ガラじゃない。
だけど、それでも責めて…心の闇夜にに埋もれ、路頭に迷っている誰かに、
ひとすじの灯りをともせる「月」や「星」になれたら…、僕はこう思うのだ。
薄氷に太陽が照れば、路は明るくなるが、
照り続ければ、いつしか薄氷は融けて冷たい海に落ちてしまう。
それよりも、
誰かの月や星となり、薄氷の空で路を照らし続けることは、
何とも優雅であり、且つ愉快な事でもあると思うのだ。
死因は、不整脈だったらしい。
まだ、48歳だった。
人は、いつか死ぬものだという。
「死」と言う絶対的な別れは、永遠の切り離しであることだし、悲しいことだが、
生物学的にいえば、進化を遂げている、生命の個体はすべてがそうらしい。
永遠に生きている生命体も、存在するようだが、
それらは皆、進化をせぬままおなじ営みを繰り返しているだけの存在だという。
多くの生命体、人も含めて、
子孫を残し、自身は老いて朽ち行き(または他者に喰われ)、「死」を選び、次の世代へ進化の道を託した。
「死」の後は、「無」の世界だ。
宗教上は、心は天国若しくは極楽浄土に行くか、生前の行いが悪い者は、「地獄」に墜ちると言うが、
それは、飽くまで人間が、「無」の世界の恐怖から逃れるために作り上げたものだと、とある学者は言う。
結局、「死」を迎えてみないと、心…または魂がどこへ向かうのかは、誰にもわからない。
人間である僕たちには、必ず「死」は訪れる。
でも、いつそれが訪れるのかは…明日かも知れないし、数十年後かもわからない。
世にいう「天寿」を全うして、老いて死ぬ命もあれば、志半ばで突然断たれる命、若くして惜しまれながら亡くなる命…
果てには、子供や赤子のまま死ぬ命もある。
結局のところ、僕らの命がいつ終わるのかは、神様とやらにしかわからないらしい。
その神様も、自分の命がいつ終わるかなんて、教えてくれもしない。
命だけでなく、すべての物事には「終わり」がある。
始まれば、いつかは終わる。
僕らが住んでいる「地球」と言う星だって、
何十億年か後には、太陽の爆発に巻き込まれ、跡形もなく消えるらしい。
僕らが生きた証、遺した思い、何もかもが。
だとしたら、僕らは何と無常で虚しい
薄氷の上を彷徨っているのだろうか…?
それでも、僕らは生き続けている。
そして、この星の「空」には、太陽が昇り、月が昇る。
人もまた、誰かほかの人の「太陽」と呼ばれる存在になれるらしい。
誰かの心を、照らし暖められる「太陽」に。
今まで、五里霧中を漂い酌に溺れていた僕に、「太陽」になんてなれっこないし、ガラじゃない。
だけど、それでも責めて…心の闇夜にに埋もれ、路頭に迷っている誰かに、
ひとすじの灯りをともせる「月」や「星」になれたら…、僕はこう思うのだ。
薄氷に太陽が照れば、路は明るくなるが、
照り続ければ、いつしか薄氷は融けて冷たい海に落ちてしまう。
それよりも、
誰かの月や星となり、薄氷の空で路を照らし続けることは、
何とも優雅であり、且つ愉快な事でもあると思うのだ。
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