Black Oasis制作モルタル小屋

RPGツクールによるフリゲ制作者・フリゲ実況者ナルミが綴る諸々の記。

ゲームは見た目も大事なのですね……

2022年10月27日 | ゲーム制作

 

 

 

 

ゲームは中身で勝負するモンだ!!

 

 

……そう考えていた時期が僕にもありました(苦笑)。

 

僕がツクール2003製のバカゲー“馬鹿にしてんのか!?FANTASY”を公開したころは、

多分心のどこかでそう思っていたんだと思います。

当時はツクール2000/2003の全盛期で、

フリーゲーム及びツクール作品のなかには、ヴィジュアル面で魅せていた作品も少なからずありましたが、

ネットの回線が細くて容量が重いファイルは落とすのに時間がかかるため敬遠される風潮も手伝ってか、

作品のアイディアやネタで勝負していた作品も多かったように思います。

今でも、ネタに走った一発芸的な作品はちょくちょく見かけますね。

 

 

その後もタイトル画面や歩行・顔グラフィックなど多少見栄えに気を配りつつも、

基本は中身(=ネタ・アイディア)に主点を置いた作品作りを続けていました。

……が、2009年頃に名前は伏せますが、ある長編作品が大失敗してしまった件を受け、

色々考えた挙句「やっぱり見た目にもこだわったほうがいいな……」と考え直し、そこから軌道修正をかけて行きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年に公開した"Screed”は、見た目の方を重視した最初の作品になります。

昔ゲームセンターでプレイしたことのあるぷよぷよやパズルボブルなどの

パズルゲームを参考にしながら作成しました。

話や世界観は多少ゆるく、気軽にプレイが出来るようにしました。

この作風は、後年リリースしたいくつかの作品にも引き継がれていますね。

 

 

ただ、2014年に“Twelves.”をイベント頒布、そして公開した後に

作成予定だった作品が頓挫し白紙に戻り、第二の躓きを味わうことになりました。

 

 

それまでメインツールだったツクール2000/2003は、今でもユーザーやプレイヤーに愛される

息の長い素晴らしいツールなのですが、

画像素材の256色と言う色数やサイズなどの制限が諸々あって、

僕が扱うにはもう限界を感じていました。

 

 

ツイッターまわりから色々と話や意見を窺ったところ、「ツクールVXAceは良さそうだな……!」と判断し購入。

そこから数年の間は、VXAceがメインツールになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

……と、まぁ今までの制作に関することをグダグダとならべて参りましたが、

特にフリーゲームのポータルサイトでゲーム内のスクリーンショットが掲載される昨今に於いて、

ゲームは中身とおなじくらい見た目も大事だよと言う事を学びました。

ソフトを手に取り遊んでいただくには、ゲームの“見栄え”を伝えることが何より効果的で大事なのだと。

昔の音楽CDやレコードなんかの「ジャケ買い」に近い感覚でしょうか。

特に昔と違って太い回線が地方にまで拡充された現在では、

ピクチャーを多用した多少重いゲームファイルも容易に落としたり、

はたまたブラウザ上でゲームをプレイ出来るようになった故に余計そう思いますねぇ……。

 

 

 

では、今日は最後に若干どうでもいい告知ですが……(ぇ)

 

 

“怪盗レッドレスキュー”をふりーむ!でも公開しました。

 

 

 

本当は、このゲームで参加していた第3回の明るいゲーム選手権が閉幕したタイミングで

ふりーむにもアップしようと考えてたのですが、

選手権でまさかの銀賞を受賞してしまったことがあり、

嬉しさのあまりアップすることを失念してしまいまして(アホ)。

で、そのことを今頃思い出して慌ててアップした次第でございます。

 

 

お粗末m(__)m

 

 

 

 

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酒は裏切りませんから……。

2022年10月08日 | 日記

 

 

 

昔好んで呑んでいた「無頼派」って言うウイスキー。いつかまた何かの機会に復刻してくれないかなぁ~……

 

 

 

今ではツイッターのつぶやきから制作するフリーゲームのネタにもしてるお酒

実は最初飲み始めた頃はあまり得意では無く、むしろ“苦手”な意識がありました。

 

 

 

大学の軽音サークルで、ライブの打ち上げや親睦会と称した飲み会にが1~2か月に一度ほど開かれ、

一年生だった僕は強制的に参加させられていたのですが、

(※お酒は20歳になってから)

先輩方……特に4回生の人たちには酒豪の多いこと多いこと。

おまけに、今はどれほどのものか知りませんが、昔の大学のサークルでは「先輩、特に4回生の言うことは絶対」と言う風潮があり、

先輩に次々とグラスにビールを注がれてゆきました。

先輩に注がれた酒は必ず飲み干さねばならず、飲み会が終わる頃にはぐでんぐでんになり吐くまで酔って

次の朝には二日酔いで気持ち悪くなってました。

以後は飲み会の話を聞くと心の中で「勘弁してくれ~……」とちょっと憂鬱になることもありましたね。

 

 

これは、昨今で叫ばれる“アルハラ”が世間で定着する以前の話です。

未成年者に飲ませたり、または未成年者が自分で呑もうものなら警察沙汰になりますからね。

繰り返しますが、未成年の飲酒、ダメ!ゼッタイ!

 

 

 

……と言うわけで、酒は最初苦手に思っておりました。

ですが大学3回生になり、先輩が卒業または就職活動に勤しむようになったある頃に、ちょっと軽はずみに家でウイスキーをオンザロックで

晩酌ごっこみたいなことをしていたら、そのお酒が美味しいこと……!

「あれ?お酒美味いやん、イケるやんこれ!」

 

 

そんなこんなで、以後はいわゆる「家飲み」にどっぷりハマり、

今現在でも酒は手放せない存在になりましたね。

んで、在学中に家飲みにハマり過ぎたあまり、気付けば毎晩ウイスキーをボトル3/4まで飲むようになり、

生活に色々支障を来すようになったので、以後は量を半分以下に減らしました。

 

 

 

その後もしばらく何年かは夜のお供にウイスキーをストレートorオンザロックで

ちびちびとやっていたのですが、2013年の秋ごろに

とあるライブ配信をみかけて、見よう見まねで僕も配信をやって自分でその録画(と言うか録音?)を見た所、

長いことウイスキーをストレートやロックで呑んでいたせいか、声がボソボソに潰れて全然出なくなってるのに気付き、

その後は呑むお酒をハイボールやチューハイに変えました。

それで、最初はシラフでライブ配信をやっていましたが、ただ普通に配信をやってても面白くないと思って

フリゲのプレイやゲーム制作を飲酒込みでやるように変えました。

 

 

 

……時は流れ、身を患った今では毎晩盃を傾けるのもアレなので週3度に留めてますが、

それでも酒がある意味自分のシンボルのひとつになりつつあるのなら、まだまだ辞めたくは無いですね。

 

 

 

 

こちらはおなじみのジャック・ダニエル。高くてなかなか手が出ないやつです(笑)。

ウイスキーそのものの味も美味いのだけど、一時出てたハイボール缶も美味しかったっけなぁ~……。

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もうすぐ二年……。

2022年10月01日 | 日記

 

 

右半身麻痺を患ってから、もうじき二年になります。

 

 

あの時突然身体がまともに動かなくなり、

仕事、同僚、そして自由の多くを一瞬にして失い、大きな絶望と喪失感を味わって以降、

それでも生きながらえて、二年が経ちました。

今現在もどうにかこうにかやっております。

 

 

腕の骨を折ったことのある方なら、片手での生活の不便さがいくらお分かりかと思います。

しかし、右手と右足が全く使えない状況で暮らすことがどれだけ不便かが

果たしてどれだけの方が想像出来、ご理解いただけることでしょうか?

 

 

 

まず、食事です。

片手……しかも左手しか使えないので、箸やスプーンを左手で持ってごはんを食べます。

両手が使えないので、茶碗を持って生卵や納豆を搔きまわすなんて芸当は当然出来ません。

また、テーブルやこたつの上に乗せた茶碗や皿から食べ物をすくう際、

食器がうまく固定されていない状態だと滑ることがあり、

最悪の場合は食器が倒れて中の食べ物を丸ごとこぼすこともあります。

それと、瓶やペットボトルのふたを開けることも片手では無理です。

予めふたを緩めてあるものは開けることは出来ますが、

しっかり締まっている場合は他の人に緩めてもらうか、

少々下品ですが、歯でふたを噛んで緩めるほかはありません。

 

 

また、字を書くのも左手でやらなくてはなりません。

僕は幸か不幸か幼少の頃は左利きで、親に右利きに矯正されたことがあったせいか

病院に入院していた時に訓練したおかげでどうにか字は書けるようになりました。

ただ、書く紙がバインダーか何かで固定されていない状態だと、やっぱり滑ることがあって

上手く字が書けないこともあります。

また、右手が使えていた頃は時折色鉛筆を取り出して、フリゲのファンアートなんかを描いていた時期もありましたが

今はその作業に大変労力が必要になって、辞めてしまいました。

 

 

パソコンもまた、左手一本の片手タイピングで文字入力をしております。

もともとタイピングが上手では無かったですが、片手になってさらに文字を打つのに時間がかかるようになりました。

また、僕は週に二回ほどYouTubeでフリゲのプレイ配信をやっているのですが、

プレイ出来るゲームのジャンルは現状RPGとノベルと簡単なテーブルゲーム(ソリティア、麻雀等)です。

一度に多くの動作を要求され、両手を使うことがほぼ必須のアクションゲームやシューティングゲームは

今はプレイ出来てません。

 

 

 

加えて、僕は右脚も麻痺してちゃんと動かせられない状態です。

右脚に専用の装具をはめて、杖を突きながらでないと歩くこともままなりません。

右脚が満足に動かせられない状態ですゆえ、階段の昇り降りはまず不可能です。

小さい段差なら問題無く移動出来ますが、大きな段差になると丈夫な手すりを頼りにしない限り完全に無理です。

坂道でも緩やかなのはまだいいのですが、角度が少し急になるとそれだけで進むのにヒーヒー言っている状態です。

さらに、バランスを崩して転ぼうものなら、右半身麻痺した身体では

そこから自力で立ち上がるのも大変なのです。

 

 

 

そんな、一般的な目から見ておそらく異質且つ不自由な生活を

治る見込みも無い状態で僕は二年間どうにかこうにか過ごしてきました。

2~3か月、もしくは半年ほどで治る怪我ならともかく、僕の病状は治ることも無いのですから

仕事に就くことも出来ない状態です。

 

 

働いていないのではなくて、働けないのですよ。

 

 

必要な生活費は、現状役所に届け出た障害年金と、

母親が以前から貰っている遺族年金で賄っている状況です。

 

 

こういう身の上なので、平日の昼間からパソコンに向かい

上述の片手タイピングでツイッターにつぶやき投稿したり、ほかの方の気になるつぶやきに返事を書いたりして居たのですが、

そうしたら麻痺を患う以前は多少の親交があったはずの方や、新しくフォローしていただいた方の内の何名かから

罵倒されたり、一方的に縁を切られたりしました。

その方々とは、もう永遠にヨリを戻すなんてことは無いでしょう。いや、あり得ません。

 

 

 

etc,etc……

 

 

 

不便な身体を引きずった状態で、僕は今日もこうして生きながらえ

こうしてパソコンに向かって文章を考えたり、ゲームを作ったりしています。

身体が弱ったり硬くなって動かなくなると困るので、晴れている日には午前と午後に少し散歩に出かけ、

自主的に右の手足の関節を1~2時間に一度動かしてリハビリしています。

つい先日から、散歩の距離を伸ばして体力づくりをしてみてます。

 

 

こんな状態のままで僕があと何年生きられるのか、正直分かりません。

多分今までの不摂生がたたって右半身を患った身ですゆえ、

平均寿命までは生きられないと思います。

 

 

世間一般から見れば無駄でダメでどうしようもない、

徒花にも満たない人生であり生き様なのかも知れませんが、

それでも現実・ネットのどちらでもいいから

何処かで何かを残して生き切ったと言えるような

そんな道をこれからも歩めたらなぁ……と思う今日この頃です。

 

 

まぁそう思う事自体が、僕の高望みかも分かりませんが……

 

 

 

これは十何年も前に撮った、自宅近所に咲いた彼岸花です。

あと何回、こんな景色を見られるんだろうなぁ……?

 

 

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