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拉致の解決を願って
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大阪小冊子から、三浦小太郎さん(2008/12/1)

2008-12-09 | 記録
脱北女性とその孤児たち

                  三浦小太郎(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会)

北朝鮮問題を考える上で、私達が常に失ってはいけないのは、拉致問題と共に、現在の金正日独裁政権とそれに協調する中国の体制下で苦しむ北朝鮮民衆や脱北者の悲劇である。
飢餓と抑圧の北朝鮮から中国に逃れてきても、そこで仕事を見つけるのは難しい。男性の場合、農作業の手伝いなどをしても、中国にとっては不法就労者に過ぎない彼らは、当初約束のはずの賃金すらもらえないこともしばしばである。そして、女性は様々な人身売買や強制結婚などの運命を辿る事が多い。以下に紹介するのは、韓国の救援団体が紹介するある脱北女性の証言だ。
中国・黒竜江省の牧丹江に住んでいる朴さんは、6年前、餓死した父親を葬った後、母親と一緒に豆満江を渡った。彼女は今年で21歳となる。現在同居している中国人男性との間には息子が一人。息子は臨時戸籍に名前を載せられたが、朴さんには国籍がない。
「売られることは、脱北女性の宿命です。耳障りよく「結婚」と言われますが、事実は売られるのです。確かに、中国へ来たらお腹をすかす心配はありません。その代わりに自分の体は守れない。女性達がこうして売られていくのは、中国の農村部では嫁不足に悩んでいるからです。私たちは不法入国者なので、運命に任せるしかないのです。」
「中国に来て初めの内は、母と一緒に汪青の方にある山里で17歳まで暮らしました。朝鮮族の家主は、私が 17歳になると、私たち親子二人が一緒にいたらつかまりやすい、私を別のところに移動させねばならないと言いました。その数日後、ある中国人が尋ねて来て、母に「中国の内陸地方に娘の働き口を探しておいた」と私を連れて行こうとしました。私は「私がまず先にそこで落ち着いてから母を迎えにきます」といい、母と別れました。」
「その中国人について、ハルビンを経て、黒竜江省に行きました。三日三晩、汽車とバスを乗り換えながら到着した所は、真っ黒なひげをはやした三十歳を過ぎた漢族の男性の家でした。漢族男性とその案内人は、中国語で何か言葉を取り交わし、案内人はその日にそこを立ち去っていきました。その漢族の男性は三十歳になるのに結婚していない男やもめでした。その日、私は言葉も分からず、恐怖に震えていました。仕事ではなく、この男性に売られてきた事が分かったのです」
「その漢族の男性は、一日中私のそばを離れませんでしたし、私も一銭のお金もなく、家の外は私の伸長よりも高い垣根で囲まれていましたし、逃げることも諦めました。鶏のかごのように閉じこめられた村で、あさましく暮らしました。後に、私は中国元で1万元で、この男性に売られたということがわかりました。」
「翌日、隣りに住んでいる朝鮮族のおばさんが訪れて来ました。男性が、言葉が通じないから、隣りの朝鮮族を通訳として連れて来たのです。朝鮮族のおばさんは、可哀相にという目で私をみつめて “こんな子供が売られてきたんだね”といいました。」
「私が自由になる為には、私が売られた分の1万元を用立てるしかありません。しかし、どうしたらそんなお金を作ることができるでしょうか。」
「その後、何度か機会を見て逃げようとしましたが、結局それも出来ず、今もその男性と隠れるように暮らしています。そして、去年、息子を生みました。」
 朴さんは、今も母との再会を望んでいるが、すでにその行方も分からない。このような人身売買は脱北女性にとっては日常茶飯事であり、悲惨なケースでは売春宿などに売られることも、また、精神に障害を来した男性の下で暴力的な扱いを受けているケースすら報告されている。
 北朝鮮からの脱北女性たちは、黒竜江・山東・湖南省など内陸地方はもちろん、遠くは南側の広東省まで売られて行くため、中朝国境だけの調査では脱北者の数を推定できない。さらに問題なのはこのような脱北女性と朝鮮族との間に、戸籍のない子供たちを次々と生まれている現実だ。例えば母親が中国当局に逮捕、北朝鮮に強制送還され、父親が子供の養育を放棄するケースもしばしばある。事実上の孤児である。残された子供たちが生きていこうとすれば、現実的には泥棒や浮浪児としての生活以外残されていない。日韓のNGOが、現地の協力者と連携して、善意の人々の力を合わせて里親制度などに取り組んでいるが、残念ながら救済できるのはごく僅かの少年だけだ。
 私はこのような少年たちに中国であったことがある。彼らは支援団体の協力の元、中国朝鮮族の家で保護されていたが、4歳の少年と少女が、おそらく日本や韓国の子供ならば見向きもしないかもしれない玩具を宝物のように抱き、時には取り合っていた。
彼らは私にもすぐになつき、同時に愛情を強く求める傾向があった。ほんの少し、ボールやおもちゃで遊んであげただけでも嬉しくてたまらない表情を浮かべる。生まれてから殆ど両親の愛に無縁で育ったこの子供たちを思えば、これは可愛いしぐさと言うより、必死で愛情を求める痛ましい心と思うべきかも知れない。元気そうには見えるが、接してみると肌はかさかさに乾いており、骨格も痛々しい。また、4人と共に街中のショッピングセンター内の室内遊園地などに行ったのだが、4歳の少年は特に疲れやすく、帰り道では階段の乗り降りに苦労していた。この4人は既に医師の診察を受けてはいるが、抱きしめてみると骨が体の上からはっきり分かる。幼少時の栄養不良は中々回復しないようだ。この子どもたちの母親は、既に中国公安に逮捕され、北朝鮮に強制送還されている。また、韓国に亡命したにもかかわらず、その後何の連絡もない母親もいる。その子どもは、「母に見捨てられた」と自分の母親を恨んですらいた。
 中国政府がこの少年達を人道的に保護する対象と認め、戸籍の取得による身分の安定、義務教育、将来的には中国での定着などを認める方向に向うことが一つの解決策と思われるが、現在の中国政府にその様な姿勢を求めるのは殆ど不可能だ。
そして、韓国への亡命にこの少年達が成功したとしても、両親のいない状態に代わりはなく、里親を含む保護体制は充分に確立されているとはいえない。両親に見捨てられた事によって傷ついた心を癒すのも長い時間と教育が必要だ。しかし、日頃女性や児童の人権救済を叫ぶ論者も、この脱北女性や孤児の救済には手を差し伸べること極めて少ないのが実情だ。東アジアはいつまで、この様な弱き人々の犠牲の上に「平和と安定」を貪っていくのだろうか。

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