以下の記事をぜひ読んでください。
横田めぐみさんのご両親も、北朝鮮に拉致されたと判明する前、同じ思いをなさっていました。
家族の痛み、願い、絆の強さは、認定であろうとなかろうと、変わりません。
特定失踪者家族の思いをどうぞ理解してください。
生きて会いたい…「身元不明相談所」で見つけた日本人の絆
近所の100歳以上の高齢者がいなくなっても気に留めない。隣家や隣室から子供の泣きじゃくる声が聞こえても、知らぬふり…。大都会ではそうしたことが日常になっている。無縁社会。だが、肉親の行方が分からなくなった人たちがこの時期、決まって集まる場所がある。警視庁が設置した「身元不明相談所」だ。「生きてもう一度会いたい」。そこには、無縁社会では忘れられた絆(きずな)が確かにあった。
世界各国から観光客がおとずれる東京・浅草の浅草寺。境内の一角にある無人の派出所が毎年9月の1カ月間、身元不明相談所として利用される。
荒川区の無職、宮本正栄さん(69)夫妻は開設初日の朝一番に相談所を訪れた。8年前に次男の直樹さん=当時(24)=が行方不明になってから毎年、通い続けている。
宮本さんは直樹さんの特徴などをまとめたチラシを3万枚以上作り、情報提供を求めている。直樹さんの所持品や失踪(しっそう)当時の服装などをまとめたファイルも肌身離さず持っている。
「たまに忘れてみたいと思うこともあるんです」。徒労に終わることが多い作業の連続。気がめいることもある。それでも、「この暑い中、どうしているのか心配になる」のだという。
直樹さんがいつ帰ってきてもいいように健康にも注意している。「一日でも長く生きていたい」と額の汗をふいた。
「毎年来ているのですが…」。江東区の無職、後藤日出男さん(78)も宮本さんと同じく開所と同時に相談窓口に入ってきた。平成13年9月に家を出たまま帰ってこない次女の美香さん=当時(30)=を捜し続けている。訪れるのは今回で7回目だ。
美香さんの失踪後、後藤さんは情報を求め都内の警察署を回った。探偵事務所に調査を依頼したこともあった。16年には北朝鮮に拉致された可能性を否定できない特定失踪者とされたが、安否に関する情報が寄せられることはなかった。
都内で起きた事故や行き倒れなどで「変死体」として扱われた遺体は年間約2万体近くあり、そのうち身元不明遺体は約360体ある。7年以降の累計は2521体に上る。昨年は期間中に685件の相談があり、61体の身元が確認された。相談所には身元不明遺体の顔写真や所持品の特徴などが書かれた冊子が置かれている。
生存を祈って相談所を訪問しながら、身元確認の冊子をめくる。その心情は…。「美香に似たような人はいるんですが、違うと分かるとほっとする。手がかりがあればと思ってきていますが、複雑ですよね」
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日差しが強さを増す午後、日傘を差した女性が相談所に入っていった。女性は膨大にある過去の資料を約2時間にわたって入念に目を通した。約40年前から所在不明になっている義父を捜していた。
これまで会ったことはなく、手がかりは70年以上前の白黒写真のみ。相談所の存在を知り、今年初めて足を運んだという。「自分の目で見て確認して、少し納得した気分もあります」
義父はすでに100歳を超える年齢だ。今でも親族が集まると義父の話で盛り上がる。
「自然に戻ってくるような気がするんです。義理の父親でも自分の親。初対面になるが、『お父さん』と呼んでみたいです」。女性は少しだけ晴れやかな顔で相談所を後にした。
http://blog.livedoor.jp/tokyo_ribbon/archives/1143404.html