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消えた277人より 菊池寛史さん

2007-09-01 | 記録
「消えた277人」より

ご家族のメッセージの記載がある方を、順次ご紹介しています。

  
(32)菊地寛史(きくちひろし)さん 

昭和52(1977)年11月22日生れ。身長166センチ、体重56キロ。
平成10(1998)年 4月 5日、研修用の宿泊施設(長野県長野市サイタリングターミナル)から失踪。
当時20歳、自動車会社勤務。
新人研修中、同じ部屋に宿泊していた同僚に「ジュースを買ってきてくれ」と頼み、同僚がジュースを買って部屋に戻ると、寛史さんはいなくなっていた。
荷物、免許証、財布、スーツ、靴などは残されたままだった。
平成十年から平成十三年位までの間、数回だけべルが鳴って切れるという電話が、たびたび家族のもとへかかってきた。そのぼとんどが非通知で、こちらが出たとたんに切れる電話などもあったが、平成15年になると、それもなくなった。

「バス停で見送ったのが別れになるなんて」 菊地恵子さん(母)から
平成十年四月一日、社会人としてスタートを切る日、白田の高速バスのバス停までおくったのが、8年以上にもわたる寛史との別れになるなど想像もつかない出来事だった。
それから4日後の4月5日の夜10時、研修先からの電話で、寛史の行方がわからないことを知らされたが、信じがたい思いで翌朝早く父さんと二人で長野の現地へと向かった。
そこにはスーツもカバンも財布や免許証、その後捜索中に見つかった眼鏡も含め全てそのまま残っていた。
そこから寛史がいなくなったことだけは受け人れざるを得なかった。
寛史のことをかわいがっていた祖母は平成12年2月、祖父は17年7月になくなってしまった。
寛史からの連絡を待ち望んで心配しながら逝ってしまった。
あの頃中高生だった妹たちもそれぞれに働きながら頑張っています。
私たちはもちろん親戚や友人も皆、心配しながら寛史からの一日も早い連絡を待っています。

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  失踪当時20才 失踪から9年 今年29才になる。 

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