元祖 ひまうま本舗

「ひまうまの世間は、鬼ばかり?」後身blog

危ぶめば道は無し

2024-04-25 19:40:03 | 独り言



「この道を行けばどうなる者か、危ぶむなかれ、危ぶめば道は無し、踏み出せばその一歩が道となる、迷わず行けよ、行けば解る」。こちらも臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純の名言だ。人生には分岐点があるものだが、そこに気がつくか、気がつかないとでは、その先の人生の歩みなんぞは、当然変わるだろうが、それとて選ばないと前進も後進もない。そんなものだと思う。斯く言う小生は、早いもので干支が一巡する。分岐点は、幾つもあったと思う。現在の日常とて、その分岐点を乗り越えた結果だ。節目なんて言い方の方が解りやすいのかも知れない。さて今日は休みだが、外出をしていたので、更新がこんな時間になった。なので今日、取り上げようとしていた時事等の記事へのコメントは、明日に回そう。取り敢えず、それでも進んでいる作業はあり、家庭の記録映像の編集に関しては、8ミリフィルムに露出不足のカットがあり、改めてテレシネのやり直しをした。それは室内での撮影だったが、今時のデジタル技術で「どうにかならないか?」と思ったからだ。結果は写っている者の表情が、ようやく識別出来るようになり、成果はあった。映写機側のレンズの解像度が、もう少し良ければとは思うが、今の処はベストである。尚、それを受けるカメラはハイヴィジョンなのだ。しかしながら失敗カットの救済措置なので、何処までフィルムの情報量を増やすかに掛かる。とは言え、現状には限界がある。なのでその後は、それをどう無駄なく活かすかが課題だ。そんなこんなだが、その最中にヤフオクでレコードのタイトルを眺めていると、中々見つからなかったレコードを発見。早速入札をし、落札に至った。またもやフルトヴェングラー博士だが、イタリアはトリノでの放送管弦楽団の録音記録をレコード化したものだ。演奏、音質共にゲテモノ扱いをされたレコードだが、色々と聴いていると、たまにはそんな演奏も聴きたくなるものだ。初めて聴くものなので、変な先入観なしに聴こうと思うが、良い意味で期待を裏切るのを期待したい。それとようやく、TEAC「A-450」なるカセットデッキのレストアを御願いした、愛知の業者に内金の支払いを済ませた。見積額も出ているが、これからの作業で、どの程度で済むかが気掛かりだ。稀代の名機と評された同社の高級機だけに期待もしたいのだ。「年内でどうにか?」みたいな状態なので、そこは焦らずのんびりと待とう。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 世の中は? | トップ | 一切の煩悩? »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿