フィリピンのことわざに『どんなに長い列であっても、最後には必ず、教会に入れる』てなものがある。即ち強い意志があれば、どんな困難で長く時間が掛かろうとも、いつか必ず叶う時が来ると言う事。旧ソ連時代には、それを配給に例えたものがあった。さてこれも財務省絡みなのかも知れないが、ウクライナ有事の為に原油価格が急騰した対策として、政府では補助金でバランスを取っていたのだが、それが何故か打ち切りとなった。バックボーンはおそらくそこだろう。然も真冬に実施だ。もう自民党政権なんぞ、懲り懲りである。正に「そこの保守系の議員共はどうした?」だ。肝心のそこが弱体化をしたから今がある。マトモな感覚の議員さんが居るのは解るが、何か動けない理由でもあるのだろうか?党内保守が、そこまで駄目ならば、もう存在の価値はない。政党共々潰れてくれ。
そんな時は趣味で気を紛らわすしかあるまい。昨日、TEACのカセットデッキ、「A-450」のレストアを依頼した愛知の業者から、各部の調整が終わり、いつでも発送が可能との連絡があった。そこで早ければ、来週辺りには一年振りに戻ってくる。その性能も、工場出荷時の状態に復活をしていた。ようやくTEACの高級機が使える。それと病院への通院も、今年は終了。お金が浮いたので、Canonの8ミリ映写機「CINESTAR S-400」のランプを買う予定だ。ヤフオクで落札したフルトヴェングラー博士のバッハ「マタイ受難曲」のレコードも届いた。終わり良ければ全て良しである。
曾て「野球は巨人 司会は巨泉」なんて言われたものだが、その巨人と言えば、やはり渡辺恒雄さんだろう。しかし意外にも、関わりは遅く、読売新聞社の取締役を務めた辺りからだ。それでも後に「球界のドン」的な存在となるのだから大したものだ。セ・リーグの顔だ。そこで思い出すのが、パ・リーグの初代会長を務めた大川博氏である。「金は出すが口は出さない」の、その人である。ふたりとも初めは野球には詳しくなかった。だが前者は後に球団オーナーとなり、後者は東映社長として知られていた。その球団、東映フライヤーズ(1954年 - 1972年)は、後「北海道日本ハムファイターズ」となった。話は戻るが、渡辺恒雄さんは長生きをしたものだ。享年は、98歳だが、氏は歳を重ねる程に権力が増して行った印象がある。「野球界の独裁者」、「メディア界のドン」、「政界の大フィクサー」との威名もあり、如何に大きな存在だったかが解る。文屋がずいぶんと出世をしたものである。
渡辺恒雄さん死去 読売新聞グループ本社の代表取締役主筆 平成8年には巨人のオーナーに就任 98歳
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241219/k10014672231000.html
背番号100を着けた大川博さんは東映を愛した伝説のオーナーだ【張本勲の喝!!】(週刊ベースボールONLINE)
https://news.yahoo.co.jp/articles/28a61448a6a59d4ec5e2c72ee6b037763a723c5b
国民民主激怒!「103万円の壁」引き上げめぐる自民・宮沢税調会長らとの協議10分で席を立つ
https://news.yahoo.co.jp/articles/160f8dba0541837b022f9cdac81afcc8bac9d91a
ガソリン価格1L”180円超え” 「あまり見た記憶がない」「簡単に車を使えなくなるかも」
利用客も驚きと困惑…政府の補助金縮小で 北海道札幌市
https://news.yahoo.co.jp/articles/c2a68aea7a306d0c5f5fa6edc8fc18467efcca6c