見出し画像

ボリビア カミナンド記

谷津バラ園 & 板倉カナエ須美子展

おとといは、ほぼ快晴、暑すぎるくらい、いいお天気でした。
車で30分の谷津バラ園に行って来ました。
このところ気温が高くバラはもう盛りを過ぎようとしていましたね^_^
赤いバラも🌹白いバラも、この通り、
咲き誇っていました。

全てに名前がついていますが、
プレートを読んでは
端からその名前が頭の上を通り過ぎていきます💦
でも、形や色をしっかり鑑賞できて、
それぞれの美しさ、作る人の大変さを感じながら、園内を歩きました。
友達と話しながら、
バラ園を巡って
バラを堪能しました。








バラを応援するように咲く色どりの違う花もありました。

しやくなげでしょうか、でも、巨大でした。

これはバラですね。

4時にバラ園を出る時もまだ陽は高く
ちょっとひと休み。
バラの香りのするアイスフロートが
喉越しさわやか、生き返りました。
美味しかったですね。

実は、バラ園に行く前に、午前中、
千葉市美術館で開催されている
板倉かなえ、須美子展に行ってきました。
本当は私たちのおとといのメインはこちらだったのです。

板倉夫婦2人とも28才、25才という若さで亡くなった千葉出身の夭折の画家。
しかし、その作品は今も我々現代人を圧倒して輝いていました。

これは夫かなえさんの作品。
赤い服を着た妻須美子さんを描いた作品です。

チラシも赤い服の須美子さん。
赤い服シリーズが続きます。

数枚の作品は写真可だったのです。



若い夫婦は2人でパリに留学します。
大正14年のことですから、
大変珍しいことだったでしょう。

妻須美子さんも絵を描き始めます。
ハワイに立ち寄った時の風景や、
パリらしい絵を描きますが、
須美子さんの絵もなかなかいいのです。

これはハワイの人々の日常を描いたもの。
大正時代に日本人が描いた絵にしては
フランスの影響を受けた
オシャレな絵です。

ローランサンを彷彿とさせるいい絵です。

でも、夫かなえさんは高熱でパリで客死。28才。
その後、2人の幼子を亡くした須美子さんは帰国の後、マラリヤで亡くなってしまいます。
こんな不幸があるかしら、と当時の社会状況など考えてしまいました。
帰国の時パリで尽力した1人が洋画壇の巨匠、岡鹿之助だったそうです。


私たちは、絵を見た後、
谷津バラ園に向かったのでした。

久しぶりにのんびり、
自分の楽しみのために
時間はゆっくりと流れて
いい1日を過ごすことができました。

昨日と今日は
絵画教室でした。
なかなか思うに任せない難儀な絵画教室でした💦

今晩はゆっくり寝ましょう💤



名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「文化、芸術」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事