ひとり言はつれづれに・・・

いつまで続けられるかわかんないけど~日記

バリ旅行 2

2012-07-03 13:20:25 | 日記

デンバサール市街に出ると、男女関係なくバイク走行者が半端なく多い。

60KMで走る車を追い抜きながらぶんぶん飛ばしている。通行は日本と同じ左側通行。車は、右ハンドル。

日本車だったが、めちゃめちゃ音が高い。15,6人乗りの大きくない車だったが、ガイドさんはマイクを使って説明をしなければならなかった。

驚いたことは、バイクの二人乗りは当たり前。子供を最前列に乗せ、大人がハンドルを握りその後ろにはもう一人の子供。その後ろにも大人が…。

4人乗っている。おまけにノーヘル。信号は少なく路肩は整備されていない。車間を縫って走行するバイクの多いこと。

事故に遭遇しなかったことが不思議なくらいであった。

これも朝晩欠かすことなく供え物を悪霊に捧げているお蔭なんかなと、勝手に思うのである。

ヒンズー教では、生ものは一切口にしないとのことで、悪霊には花などの生ものを用意し、建物の入り口や神様の像、車内やいたるところへお供えしている。

お供えを仕立てはいいかもしれないけど、車にひかれてぺしゃんこになっていたり、なんだかなあ…。

ガイドのスジャーナさん曰く、「バリに嫁ぐと、毎朝夕のお供え物の用意をしないといけないので大変忙しいですね」とのこと。

スジャーナさんは、よくしゃべりました。

「日本のお米はもち米のようでとてもおいしい。バリの人が日本のお米のような米を作って食べることができたら、大変幸せです。

昔のバリは、天然の堆肥で4毛作だったが、今では肥料が変わり田んぼが痩せるので、3毛作になりました。

今では、バッタもトンボも減りました。トンボは肉団子に混ぜて料理します。今の子供たちは、トンボの味、知らないです。」

ヒンズー教の話や公務員の話、バリの今昔。

日本の軍隊に独立の仕方を教えてもらって感謝してます。などなど

わたしは、インドネシアも事なんにも知らんかったわ。

日本人向けに用意された料理は香辛料を抑えてあるので、実際口に合うかどうかよくわからないようで、「おいしかったですか?」とよく聞いてくれた。

食事前には、「このツケモノは、辛い。これは、辛くない。」と教えてもらった。ツケモノとは、いわゆるタレで、初めピクルスの類かと思っていたので、わけもわからず頷き、口へ運ぶものは自分の眼と鼻で確認して食べた。

炒め物が多く、ただのピーマンかトウガラシかわからん。

当たればソフトドリンクやの水やの口に入れ、バリのご飯をほおばるのである。

そんなこんなの食事だったので、二日目の夜中…ついにゲロゲロピー…

食中毒ではなく、ただの消化不良でよかったけど、一晩中、あくる日の日程が頭の中を駆け巡り、参加するべきか否か悩む。

翌朝、ホテルはバイキングなので、食べなれた食事ができるのだが、ここは大事を取って。

片隅の和食エリアに行き、具のない味噌スープとバリごはんにティーバックの煎茶をかけた茶漬け。胡瓜のしば漬けをお供に済ます。

出発までに異変がなかったので、世界遺産のお寺巡りへと参加できた。

バリで唯一、もう一度食べたいと思った食事はスープ!胡瓜とトマト、炒めたためねぎのスープは本当においしかったなあ。

南国といえば果物。乾期より雨期のほうが種類が多いとのこと。

ドリアンなどは、この時期ないようで、食べることができなかった。

スイカやマンゴーは普通に美味しかったかな。モンキーバナナは文句なしに甘かった!

馴染みのないのが、蛇の鱗のような皮に包まれた果物。リンゴとナシが混じったようなあっさり味だが、暑いときにはよくあう。

見聞きすること、食べ物、懐かしい景色の中で出会った色鮮やかな文化。

ただの日記であるのに、どこをどう書き残せばよいのか迷いに迷っている。