5月30日
チビチリガマへと、再び歩き始める。
62年前、米軍が上陸した時にこの自然壕にこもった人々は、「集団自決」で大半の方々が亡くなった。
若者が老人を、親が子を、手にかけた場所だ。
読谷の人々はいったんは忘れようとし、しかし忘れてはいけないと戦後数十年たってから語りはじめた。
写真集を佐喜真美術館で見た。家族が殺し合った様子を証言する老女の喉には今もなお真一文字の傷が走っていた。
幾度か迷った末にたどり着いたガマの前では、修学旅行の中学生たちがガイドの話を聞いていた。
ここにある慰霊の彫刻は一度破壊された。地面には日の丸をつけたモリが刺さっていた。
明らかに右翼の仕業だった。死者たちは二度殺されたのだ。
「集団自決」が命令されたものでなく、民衆がもし「自発的に」やったものだとしたら、そのような精神構造を作り出したのは何なのか?
沖縄の人々は、いまでも「愛国心」という言葉を聞くと鳥肌が立つという。美名のもとに凄惨な殺し合いを強制された記憶は、今も消えない。
チビチリガマへと、再び歩き始める。
62年前、米軍が上陸した時にこの自然壕にこもった人々は、「集団自決」で大半の方々が亡くなった。
若者が老人を、親が子を、手にかけた場所だ。
読谷の人々はいったんは忘れようとし、しかし忘れてはいけないと戦後数十年たってから語りはじめた。
写真集を佐喜真美術館で見た。家族が殺し合った様子を証言する老女の喉には今もなお真一文字の傷が走っていた。
幾度か迷った末にたどり着いたガマの前では、修学旅行の中学生たちがガイドの話を聞いていた。
ここにある慰霊の彫刻は一度破壊された。地面には日の丸をつけたモリが刺さっていた。
明らかに右翼の仕業だった。死者たちは二度殺されたのだ。
「集団自決」が命令されたものでなく、民衆がもし「自発的に」やったものだとしたら、そのような精神構造を作り出したのは何なのか?
沖縄の人々は、いまでも「愛国心」という言葉を聞くと鳥肌が立つという。美名のもとに凄惨な殺し合いを強制された記憶は、今も消えない。