九州に帰省するのは2016年6月以来です。幹事組から「喜寿を最後に小中学校の同窓会は終わり」と宣言されたのと同時にコロナの影響もあって帰省は遠のいていた。兄弟寄りを四人が元気なうちにやろうと前々から言われていたのとスクラップ仲間とはラインで近況を報告してはいたが久しく顔を合わせていないので急に思い立って帰省することにした。
私の故郷の山は小学校の校歌にも歌われた金剛山(574m)に中学校の校歌には福知山(900m)が入っていていずれも遠足対象の山でした。高校の校歌には「あおぐ帆柱 風清く・・・」応援歌には「朝な夕 帆柱颪に・・・」と歌われているので、今回は軟弱にケーブルで登れる山の皿倉山(622m)から帆柱山を選んだ。
フライトは10月20日頃に申し込んだが希望する日程日時はかなわなく空席のある日程と時刻となってスケジュール的に苦しくなってしまった。
・期間:2013年11月27日(月)~30日(木)
★11/27:羽田AP15:35=北九州AP17:25 弟と姪っ子が空港まで迎えに来てくれて、その足で末妹が企画してくれた中間市の居酒屋に直行して7年ぶりの兄弟よりは河豚コースでアルコールも進んだ。四人が揃って会えるのはこれが最後かなーと言っていたがまだまだクタバリそうにも無い様だった。当夜は実家泊まりです・
★11/28:今日はスクラップ仲間との顔合わせですが、六人中二人はすでに亡くなっていて四人だが高橋君は予定がないだろうと確認しなかったチョンボで彼は帰省期間に大阪で法事とのことで会えなかったが、彼曰く「俺はまだまだ元気だから来年でも会えるからと・・・」
9:00に黒崎駅前に山下建三君が迎えに来てくれ、福津市・坂野宅で彼の仏前の前で6年ぶりの再会で写真に向かって「おい、来たぞ!どうしてるか」と語りかけて奥さんの伸ちゃんと三人で山下一男君宅でゆったりと過ごす予定だったが、医師のスケジュールから、来週予定が突然今朝検査入院したということで小倉市のKT病院の面会室で短い時間だったが会えることができた。肺気腫と言うことで長い時間話すことは大変の様だったが血色の良い顔が見られ強い握手をして再会を約した。次は小曾根駅前のお寺の納骨堂に収まっている田中光君との再会です。
あの世で坂野君と遊んでいるか?飲んでいるか?と語って伸子さんを折尾駅まで送って若松市高須北の建三君宅に。近くの洒落たスナックで二人で飲み語り、その時、彼から来年は北岳に登りたいの要望が出たが、自分が大丈夫だろうか心配で、トレーニングを重ねて体力の現状維持をと思った。
建三君と乾杯 自宅の居間にScrapのペナントがリニュウアルした折尾駅の旧駅舎
★11/29:折尾駅まで送ってもらってJR八幡駅へ。今日は故郷の山の皿倉山を歩く予定をしていた。
八幡駅=(タクシー)=ケーブル駅10:20=(ロープウエイ&スロープカー)=展望台10:40…皿倉山10:50…国見峠11:05…権現山(617m)11:20…坊主跡11:40…帆柱の辻11:55…帆柱山(848m)12:10…花尾の辻12:45…花尾山(351m)13:00…花尾城跡13:50…花尾東登山口14:00=(バス)=八幡駅 <行動時間;3時間20分>
コースマップ 皿倉山から晴れた日の眺望 権現山 帆柱山 花尾山
皿倉山は神功皇后が西征の折、この山に登って日暮れまで国々を眺望し、夕闇が深まってきたので「更に暮れたり」と言ったことから更暗山と呼ばれそれが今日の皿倉山になったとの山名伝説があると案内書にあった。
歩き始めは雨もパラついていて、山頂からの眺望は霞んでいて福知山に若戸大橋は確認できたが関門大橋は霞んでいた。
今回の四座は以前歩いているが記憶は失せていた。歩いていると環境管理人と言う人からコース確認をして、彼は私の故郷木屋瀬の住人とのことでした。
天候も悪く平日とあって出会った登山者は女性1名のみでトレーニングを兼ねて歩いていますと、年季の入った革製登山靴を履いていた。腹が減ってきたが行動食を買ってこなかったので、英子さん(一君の奥さん)から土産にと頂いた乾物があったのでこれを齧り助かった。
登山口のバス停で時刻を確認していたらバスがやってきて待ち時間ゼロで八幡駅に。スパにタクシーで往復して汗を流して博多に向かう。
今回は平日の帰省なのでその旨を永井さんに連絡していたら博多駅前の居酒屋で会う段取りをしてくれて、永井さん・山本さんと三人で3時間ほどの短い時間だったが楽しい至福の時を過ごすことができた。博多に来て好物の胡麻鯖を食することができた。もつ鍋・豚骨ラーメンは・博多ウドンは残念だった。 博多駅前にて山本さんと 改札口前で永井ちゃんと
★11/30:実家7:30=北九州AP9:00=羽田AP10:30
慌ただしい四日間だったが、機上から富士山を眺めて締めることが出来た。