梅が瀬詩人 ―日高誠實― 梅が瀬を詠む 日高誠實十首 序文
客歳、南総に遊ぶ。養老川を遡り一渓流に従い数洞門を過ぐ。渓逾深く、諏遡奇なること仙窟に入るが如し。因って大久保・朝生原・折津・石塚・菅野・柳川・怒田・大谷・川谷・小市部、十村之衆に説きて、梅四百余株を栽え、命けて梅が瀬と曰う。今茲に丙戌(明治19年・1886)三月、余再び至りて、梅及柑橙柘榴一千六百余株を栽え、隣邑の人来りて、花木亦数百株贈られ、俄然観を改む。衆父予の為、力を致し荒蕪を開き通路を築き土を築き、水を遏mw、巌を削り、宅成る。石神邑戸面村の人亦来たりて工事を助く。予因りて巌上に廬を結び、池中に魚を放つ。洞門を鑿修し以って便ち往来来たり吟嘯し自ら楽しみ十首賦す。
とのことが記された標識が梅が瀬渓谷入口の駐車場に建っていた。又、広場ではステージらしきものもあって紅葉時期のイベントをなにかやってたのだろう。
・2023年12月6日(木)
大福山P10:55…(紅葉谷)…日高邸後11:40/11:50…(梅が瀬渓谷)…女ケ倉13:05/13:25…大福山P14:05 行動時間;3時間10分、メンバー;ソロ、行動距離;10.6㎞
大福山pも紅葉の花盛りで期待が膨らんで渓谷の下降点に行くと、新しい立ち入り禁止テープが張られていて、1月のツララ鑑賞の時はなかったのにと思って自己責任でとテープを潜った。もみじ台に入るとスズメバチが数匹身体の周りを飛びまわるので、刺激をしないようにソロリソロリとすり抜ける。県環境管理課の名札を付けた人が7人、不法侵入を咎められるかなーと思ったが注意してと顔は怒っているように見えた、彼らは新たに土砂崩れ跡のう回路の視察みたいだった。
日高邸後はモミジ葉で埋め尽くされて見事なり。渓谷も十二分に楽しませてくれて女ケ倉に。腹が減ってきて行動食を立ち食いして、紅葉のトンネルを抜けて大福山Pに戻った。出会ったハイカーは10人だった。
紅葉谷 日高邸後 白壁と紅葉 紅葉葉アップ