今日は、1995年1月17日の阪神淡路大震災から30年を迎えました。最大震度7の激しい揺れが早朝のまちを襲い、建物の倒壊などによって6434人が犠牲となり、思い出しながら歩きました。
当日の朝、TVも見ず早く出勤して業務に励んでいたら、出勤してくる人たちの雰囲気が何か異様なので、聞くと神戸で大地震が発生しているとのことで、神戸には山やウォーキングの仲間がいて、早速電話。一番被害大きかった長田区の中島嬢には繋がなく、伊丹の谷崎嬢は無事、高槻の楢崎夫妻は庭の灯篭が垂れたが無事です。
中島嬢には一週間後にようやく連絡がつき無事とのことで一安心です。中央構造線ウォーキング仲間の二人は自宅全壊だったが、5月の近畿編には「負けてたまるか」と二人とも参加され、こちらが元気・勇気をもらった。
淡路島を歩いたが1m近くの断層やブルーシートで覆われた家屋が目立ったのが印象的だった。
解散後、譲鶴羽山に中島嬢案内で登って実家に泊めてもらった。翌朝、長田区を歩いたが、焼野原の箇所や傾いた等々と悲惨な状況を目の当たりにしたことが、今でも鮮明に記憶に留まっています。
前年秋には、六甲全山縦走56㎞を歩き、それ以前にはK製鉄所の兵庫工場に一か月の長期出張で、三宮駅から山手の旅館に逗留して暇なときは六甲の山を歩いていて、少なからずも神戸とは何かしらの縁があったので、地震は胸痛む出来事でした。30年後には南海トラフ地震が予測されており、30年なんかアッという間に来るので政府は万全な対応をするべきなのに・・・しっかりしてくれと叫びたい。
夜にNHKで阪神大地震の放送から、救援を自分たちで何ができるかを少し学んだ。
・・・高宕山とは関係ないことをグダグダと述べましたが御容赦ください。
*石射太郎登山口10:25…大滝11:20…高宕山12:35/12:45…高宕観音13:00/13:35…石射太郎14:25…登山口14:40
*行動時間:4時間15分、歩行距離:9.2㎞、メンバー:ソロ
*今日の登山者は5名で内二人は大滝コースで、高宕林道は吹き抜ける風は冷たくあったが、尾根に上がると暖かく風も治まってきたが、富士山は雲の中で残念でした。
本来は監視所コースだったが、右膝に違和感を感じたので大滝コースと軟弱な歩きとなってしまった。林道ではエナガの群れとの久々の出会いもあった。
赤い木の実が前々から気になっていたが、やはりカマツカの実だろう?、テイカカズラの種子が何故か目についたので写真に収めてみた。