高宕山監視所コースと高宕観音
4月28日(日);月1回の監視所コーストレーニングです。新緑も濃くなってきて、出だしの高宕林道ではまだ正調までいかないオオルリの囀りに足が止まります。以降はウグイス・アオバト・シジュウガラの声を耳にします。高宕林道と監視所コースの登りで二か所倒木が登山道を塞いでいましたが跨いで通過。エビネを杉林の中に発見、これはヤマビルの恩恵?を受けたようです。ガマズミ・ツクバネウツギ・ヤマツツジは路傍を飾ってくれていましたが、いつもの場所で出会っていたキンラン・イチヤクソウは根絶したのでしょうか?それとも盗掘に会ったのでしょうか?残念です。登山道を横切る小動物は栗鼠で写真に収める時間もなく素早く消えて行ってしまいました。監視所コースでソロ3人、志組から1人と石射太郎からは時間も遅かったので5人で駐車場に戻った時は満杯だった車も3台のみでした。金吊では「金吊の謂れ」の掲示版が風で飛ばされたのか?無くなっていたので新たに取り付け、石射太郎鞍部では「自然を愛そう 高宕山を愛そう」の掲示板が風で飛ばされないように額で押さえてきました。昼食は八郎塚展望地で、冨山・愛宕山等を眺めながら晴れ風の泡が喉を潤してくれ最高です!
石射太郎登山口9:45…怒田沢山の神11:10…金吊12:00/12:15…八郎塚12:50…八郎塚展望地13:00/13:30…高宕山14:35…高宕観音14:55/15:05…石射太郎鞍部16:00/16:20…登山口16:35 行動時間:6時間50分、累積標高差:登り1639m、下り1355m、’(ヤマレコ記録より) メンバー:ソロ
吉田類さんのにっぽん低百名山の高宕山で高宕観音の話が千葉県立中央博物館の研究員の島立さんから説明があっていましたが、御開帳の話が無かったので思い出してみました。観音堂の中に平成2年(1990年)の午年6月の御開帳の写真があります。今から34年前で松本住職の顔もあります。むかし昔、観音堂に来た時、お堂の中で御接待があっていて「兄ちゃん上がって来い」と御婆さんから声を掛けられ上がりこんで赤飯や般若湯をいただきました。御開帳とのことでお堂の中に奈良時代天平十五年(西暦743年)行基により手目二尺八寸の金粉塗りの十一面勧世音菩薩が収められ、木造の中央に台座があって田原の満福寺からこの台座に一寸八分の金の菩薩が祭られていました。住職の頭は七福神の福禄寿さんのように長く徳のあるお顔が一番の印象でした。この時、御開帳は丑年の6月第1日曜日と聞いていたので、先月、満福寺にお参りしてスタッフの人から御開帳のことをお聞きしましたが、関係者は高齢で高宕観音まで足を運ぶことが無く、8月10日の午前中に満福寺で行い、この時に金の仏像を拝めるとのことでした。仏道の保管場所は極秘だそうです。高宕山はお往古は高胡山と言っていたそうで、九十九坊の僧舎もあり繁栄していたが、慶長十九年(西暦1614年)の12月の大地震で出火して一宇の堂も消失して亮保八年(西暦1723年)頃に現在の位置に観音堂に移ったとか。<ヒア内容の概要で正解か否か保証はありませんので>
満福寺 十一面観音像 高宕観音の 平成二年午年開帳写真