新房総の山親爺

山歩きは人生だ!!
日本の山:2070座
房総の山:388座
高宕山:707回

南郷山(611m)・幕山(625m)頼朝ゆかりの歴史の山で陽だまりハイク

2025年01月31日 | 県外登山
 房総山の会の一月山行は高麗山や昨年は石垣山と湘南の山歩きで、今年は幕山・南郷山を選んだ。
この山は「こぶし山の会」で2004年2月に総勢24名で、今回とは逆コースで歩いていて21年振りの再訪ですが、26日の若潮マラソンのたかが10㎞の祟りか今週から右膝の痛みが出ていて最悪のコンディションで苦行の登りでした。
・日程:2025年1月30日【木】快晴
・メンバー:山田、小川、伊藤、森内、高橋。藤原
・往路行程:木更津南IC5:55=青葉JCT=<海老名SA>=大井松田IC=小田原東IC=石橋IC=湯河原=幕山公園8:40
・コース:幕山公園(180m)8:50…幕山(626m)10:25/10:45…自鑑水11:05…南郷山(611m)11:35/12:15…白銀林道出合…鍛冶屋バス停13:45
・コースタイム:3時間00分、行動時間:4時間55分(休憩時間を除いてコースタイムの1.3倍)、歩行距離:9.9㎞、累積標高差:登り721m、降り856m
・復路行程:鍛冶屋バス停14:15==町営こごめの湯14:40~15:50=中華そば‘にこり16:10~17:00=石橋IC=木更津南IC19:00
・夜明け前の星空を眺めていると、今日のドライバー小川号は正確に5:25に迎えに来てくれます。海老名SAで朝食を摂りますが、最近お握りは\100では買えなく\180もしているのにびっくりです。時代ズレ?
 順調に走っていると思いきや、厚木・小田原道路の入り口を見落として、大井松田ICから一般道で小田原東ICに乗りますが幕山公園には計画通りの時刻で到着、流石仁さんドライバーです。
 大山に富士山に、小田原城から石垣山への稜線も確認でき、最高の山天候です。椿の花の中にメジロの群れが飛び変っていて、大きなザックを担いだ登山者はクライマーで幕山登山者はクライマーで幕山の岩場をめざしています。
 湯河原梅まつりは2月からのことで数本のみに膨らんでいるのが見られる程度です。痛み止めを2錠飲んで出発します。
  
 岩場ではクライマーが取付いているのも見受けられます。仁さんは昔取った杵柄でやりたそうに見つめていました。
 問題は老生です。階段状の段差が続いて、右足を付くと痛みがヅキンと来るので極力左足で段差を乗り越えようとしますが…息も上がってきて、歩くリズムが取れなく歯がゆいが・・・仲間は何度も待ってくれていて申し訳ないです。
 
 コースタイム50分の所を1時間35分で無事到着してリタイアは如何にか免れることが出来ました。
 我々以外の4人のハイカーは下ったようで、眺望もなく昼食時間にも早いので南郷山を目指します。自害水道標には「頼朝が石橋山の合戦に敗れて、この池にたどり着き、水を飲もうとしたときに、水面に映った惨めな姿を嘆き、自害しようとした」との謂れがありました。水は少し溜まっている状態でした。
  
 竹藪を縫って南郷山に。眼下に相模湾に突き出た真鶴半島の先に初島・大島、伊豆半島に突き出た山は天城山か。ピラミダルな大山も確認できます。
 背にする北側の山々に隠れて富士山が望めないのが寂しいような気がしますが、海を眺めながらのお弁当は最高です。
 降りは相模湾に飛び込むように下っていき、最後のコンクリート道路は足裏に響いて鍛冶屋バス停に無事下山しました。老生の右膝は降りは大丈夫なのです。
 幕山公園まで1.2㎞の坂道を仁さんと勉ちゃん二人が車回収に行ってくれて、その間湯河原行のバスを待つ地元のおばさんは、勝浦に住んでいたことがあり、千葉と言えば勝浦しか思い出さないと言われていました。
 町営こごめの湯は駐車料金を取り、中野食堂は14:00でクローズになっていて、自販機ではビールも売ってないが、お湯は少し温めでほんわかと疲れた身体を癒してくれて、最高のお湯でした。
 反省会は中華そば店‘にこり’で泡で喉を潤し、各自好きなメニューを選んで帰路に着きました、帰路はシルエットの富士に大山を眺めながら無事帰君することが出来ました。今回は本当に仲間にけられた山行でした。感謝!感謝!でした。
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番外 若潮マラソン

2025年01月27日 | 番外
2025年1月26日  
若潮マラソンの案内が届いたのは昨秋、10㎞の制限時間は今までより10分延びて100分になっている。最近のウォーキングでは11分/㎞なので10㎞では110分でジョギングを入れると制限時間内でゴールできそうなのでエントリーfフイー¥5,000を添えて申し込んだ。右足膝の痛みが取れないので馴染みの整形外科でリハビリに通って、8項目のメニューを日々自宅で実行、バンテリン軟膏を朝晩2回膝に擦りこんでマッサージを行っていくと幾らか痛みが引いて行ったような気がして本番に臨んだ。
快晴ではあるが風強し。気負いなんか全くなくスタートしたが足が前に出ない、息も上がる。3㎞で時計を見ると27分と9分/㎞で制限時間内も大丈夫かと?
富士山南アルプス天城山・伊豆大島を見る余裕?もある。トップはもう疾風のごとく折り返してくる。昔、若かりし自分も折り返しているのに、まだ往路をパタパタと走っているおじさんおばさん達をみて、何の目的で参加しているのだろうかと疑問を感じていた。
折り返しで後続を数えると20名、参加者は2,000人だから1%です。これから電柱2本分をジョグ、1本分をウォーキングとしていたが、アゲンストの風で、それもままならない。4分弱の制限時間内でゴール(1.36.38)すると、直ぐに50分前にスタートしたフル走者が戻ってきた。汗も掻いてないし、足が張ってもなく、自分にとって<たかが10㎞であるが、されど10㎞だった>
帰路途中で浜金谷の「ザ・フイッシュ」でアジフライ・鯨の竜田揚げを肴に美酒を2杯飲んで、マラソンのラストランを締めくくった。
★マラソン歴を振り返ると
参加回数:211回 山登りを続けるためにマラソンが一番効果ありと知って、一回目は1987年9月の「巨峰マラソン10㎞」からで38年間。お疲れさまでした。
一番参加大会は:若潮マラソンの27回でした。
フルマラソン完走:34回、ベストは3時間21分54秒
多くの仲間に支えられたマラソン人生で、ありがとうございました。
     
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2025に読んだ本  そのⅠ

2025年01月23日 | 番外
01, 02、俺たちの箱根駅伝(池井戸 潤)

箱根駅伝本戦出場をかけての予選会でも10以内に入れなかった大学から選ばれた学連選抜チームの監督及び選手たちが本戦ではオープン参加で記録は参考で、もし優勝しても順位はつかないにも関かわらず、努力する葛藤が迫力する様に描かれていて読み応えのする内容だった。

03.ガラスの城(松本清張)

 図書館で不要になった本の無料配布が行われていたので、四冊ほど頂いてきた内の一冊です。TVで松本清張原作が放映されると録画を取ってみる清張ファンとしてはありがたく一気に読み上げた。推理小説なので内容は省略しますが、犯人はラストで思いがけない人物でした
04.岳物語(椎名誠)

椎名誠の講和を聞いたことがあった。車のナビが出始めたころ?彼はナビの女性の声に名前を付けていて、〇〇ちゃん今日もよろしくと挨拶して運転すると面白くおかしく語っていた。この本は息子の岳との対話で、岳の成長がつぶさに読み取れて親子関係が楽しく描かれていて、二度目の読みだったが飽くことなく読んだ。










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高宕観音様に安全祈願

2025年01月17日 | 房総の山
今日は、1995年1月17日の阪神淡路大震災から30年を迎えました。最大震度7の激しい揺れが早朝のまちを襲い、建物の倒壊などによって6434人が犠牲となり、思い出しながら歩きました。
当日の朝、TVも見ず早く出勤して業務に励んでいたら、出勤してくる人たちの雰囲気が何か異様なので、聞くと神戸で大地震が発生しているとのことで、神戸には山やウォーキングの仲間がいて、早速電話。一番被害大きかった長田区の中島嬢には繋がなく、伊丹の谷崎嬢は無事、高槻の楢崎夫妻は庭の灯篭が垂れたが無事です。
中島嬢には一週間後にようやく連絡がつき無事とのことで一安心です。中央構造線ウォーキング仲間の二人は自宅全壊だったが、5月の近畿編には「負けてたまるか」と二人とも参加され、こちらが元気・勇気をもらった。
淡路島を歩いたが1m近くの断層やブルーシートで覆われた家屋が目立ったのが印象的だった。
解散後、譲鶴羽山に中島嬢案内で登って実家に泊めてもらった。翌朝、長田区を歩いたが、焼野原の箇所や傾いた等々と悲惨な状況を目の当たりにしたことが、今でも鮮明に記憶に留まっています。
前年秋には、六甲全山縦走56㎞を歩き、それ以前にはK製鉄所の兵庫工場に一か月の長期出張で、三宮駅から山手の旅館に逗留して暇なときは六甲の山を歩いていて、少なからずも神戸とは何かしらの縁があったので、地震は胸痛む出来事でした。30年後には南海トラフ地震が予測されており、30年なんかアッという間に来るので政府は万全な対応をするべきなのに・・・しっかりしてくれと叫びたい。
夜にNHKで阪神大地震の放送から、救援を自分たちで何ができるかを少し学んだ。
・・・高宕山とは関係ないことをグダグダと述べましたが御容赦ください。
*石射太郎登山口10:25…大滝11:20…高宕山12:35/12:45…高宕観音13:00/13:35…石射太郎14:25…登山口14:40
*行動時間:4時間15分、歩行距離:9.2㎞、メンバー:ソロ
*今日の登山者は5名で内二人は大滝コースで、高宕林道は吹き抜ける風は冷たくあったが、尾根に上がると暖かく風も治まってきたが、富士山は雲の中で残念でした。
本来は監視所コースだったが、右膝に違和感を感じたので大滝コースと軟弱な歩きとなってしまった。林道ではエナガの群れとの久々の出会いもあった。
赤い木の実が前々から気になっていたが、やはりカマツカの実だろう?、テイカカズラの種子が何故か目についたので写真に収めてみた。
 
コメント (2)
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初詣は神野寺に

2025年01月15日 | 房総の山
昔は15日は成人式だった、もう64年前かなー?
当日は夜勤を終えて、眠い目で参加。翌週の久住山行と成人式記念と黒の毛糸の帽子を買って大谷体育館に。中学校の同期の女の子二人は振袖で眩かった。小生は見すぼらしいオーバーを着ていた。
式場で記憶に残っているのは、串田孫一さんの講演で、話の中に「山に登るため寒さに耐えるため街中では手袋はしない」と話されて、嵌めていた手袋をそおーっと外していた。翌週には町の成人式があるとのことで、代表で祝辞を述べるようにとの事だったが、SCRAP仲間と雪深い久住に出かけた。
今日は、歩く距離を稼ぐために鹿野山に出かけた、。
2025年1月15日(木)
馬登自治会館10:10…内山緑地10:50…春日峰11:45…神野寺12:10/12:55…マザー牧場バス停13:30…休み場14:00…内山緑地14:20…馬登自治会館14:45
*行動時間:4時間35分、歩行距離:19.7㎞、メンバー:ソロ
風強く、杉の小枝が降ってくるが寒く無し。大塚旅館下で歩きのおばさんではなくご婦人から「鹿野山は何処ですか?」と聞かれる。そこでうんちくを、「鹿野山という独立峰は無いです。鹿野三山と言って、白鳥峰・熊之峰・春日峰を総称して鹿野山と言います。春日峰の一等三角点は、今日は国土地理院のゲートは開いていたので是非行ってください」と言った。帰路に会うと、三角点に行ってきましたとニコニコ顔だった。
神野寺は今年初で、参拝者もソコソコにいます。


翠桜・圭の二人の孫への健康と学問を願ってお参りしてラインで写真を送った。今年は老生の干支の年でもあり、白蛇にもお参りした。
15日は鹿野山町では獅子舞があると聞いていたが、神野寺を立つ頃に太鼓と笛が聞こえてきたので追っかけて写真を撮らせてもらったが、ふるまい酒は頂けなかった。
帰路は下り傾向でジョグを交えて、右足に違和感もなく帰路に就いた。


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津森山・人骨山で陽だまりハイク

2025年01月11日 | 房総の山
2025年1月11日(土)快晴
*佐久間ダム10:00…大崩バス停10:25…人骨山登山口11:05…人骨山…11:25/11:40…人骨山登山口11:55…津森山12:25/13:00…津森山登山口13:25…佐久間ダム14:05 *行動時間:4時間05分、歩行距離:14.9㎞、メンバー:ソロ 6日の久しぶりに雨は、消えかかっていた富士山の雪を蘇らせてくれていたので、房総の山々を眺めながら富士山に南アルプスの白嶺を眺めんと佐久間ダムから人骨山・津森山を歩くことにした。 佐久間ダム周辺のスイセンは少し草臥れていたが、大崩の集落に上がると生き生きした水仙が咲き乱れ、甘い?香りも漂ってきます。  
  
 小鳥は、ジョウビタキ・ホオジロ・シジュウガラさんは確認できますが、他に飛び交う小鳥さんたちの名前まで確認できませんでした。 人骨山には今日一番乗りか?山頂からの眺望は期待通りで大満足です。 富士山・南ア・愛宕山・伊予が岳・冨山・平群富士・津辺の山・鋸岳に天城山・伊豆七島等々と飽くことなく眺め、四等三角点にタッチして降ります。 人骨山は昔は姨捨山で、故に人の骨も出ていたので人骨山と言われる由縁と聞いたことがあります。その性か、今日の登山者は姨捨山の名前に似合った高齢者が多いいです。そう言う小生もその仲間です。 津森山には某高校のワンゲルから写真を撮ってと言われて女子高生にピントを合わせて撮ってあげます。富士展望地から再度富士山を確認して風当たりの少ない陽だまりでささやかな昼食を。 
  
人骨山からの富士山            津森山からの富士山
歩き始めの急坂では右膝に違和感を感じていましたが、その後は問題なく歩くことが出来てよかったです。 それに、今年から中一の孫(女の子)とラインが通じるようになって、写真を添付して送ると「おお~ありがと」「THANKS」のスタンプが即送られてきました。
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2025年 新年は高宕山

2025年01月04日 | 房総の山
新年の山は高宕山で初日の出を拝みました。
<msreadoutspan class="msreadout-line-highlight msreadout-inactive-highlight">鉈目山の会の恒例の年末年始は県外の雪山で過ごしていましたが、2024年末は愛鷹山塊の連絡が</msreadoutspan>来ましたが、今の老生の足では難しく参加できなく、高宕山で年越しをして初日の出を拝もうと独りで行くことにしました。
テント・シュラフ・銀マット・食料・炊飯用具等々で10Kgと久々の重さでテント場は初めは石射太郎でと考えていましたが、なんと高宕観音まで無理なく歩け、ザックを置いて31日は高宕山頂を踏んで、高宕観音内にテントを張ります。
2024年最後の夕焼け富士を眺め、陽が沈んでからの移り変わる空の色模様の変化は見事です。そして、天の川にオリオン座に冬の大三角点等々の繰り広げられる景観を心豊かに楽しむことが出来ました。
  
もう一つ期待していた除夜の鐘は目を覚ましたら0:30で聞き逃してしまいました。5:00頃シュラフから抜けて、熱いスープを飲んで、テントを畳んで6:15に出発。山頂には三人、日の出前にあと二人増えて五人で日の出前のモルゲンロートから初日の出は八良塚の右肩から登ってきます。
  
今年こそ世界平和をと願い、みんなの健康を祈ります。
富士も焼けて、南アの白鴎三山も眺めて降ります。
石射太郎で初日の出を拝みましたとご夫婦二人と他に7人が山頂に向かうのと元旦ならではの挨拶を交わした705回目の高宕山でした。
今年は2026年800回を目指して頑張ります。いや、頑張れるかなー。


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