新房総の山親爺

山歩きは人生だ!!
日本の山:2070座
房総の山:388座
高宕山:707回

何年振りかの三舟山

2024年10月31日 | 房総の山
2024年10月31日(木)
最近長い距離を歩いていないので・・・と、久しぶりに三舟山に自宅から歩くことにした。昔々はトレーニングと称して三舟山往復を走っていたが、今はそんなことはかなわなく歩くことにした。
自宅10:35…郡ダム11:45…観音堂入口12:10…展望台12:30…三角点(138m)12:35…駐車場12:55…郡ダム…自宅14:35
*歩行距離:19.3㎞、行動時間:4時間、累積高度差:登り316m、降り337m
郡ダム手前の民家の庭先に走っているときには気が付かなかった井戸が見えたので見ていると、奥から主らしきおじさんが出てきて「飲めるから飲んでいきなさい、200年前から湧いている」等々話してくれて、甘い井戸水で喉を潤した。     
200年続く井戸             水上スキーに興じる
 
郡ダムは水鳥はまだ飛来していないのか皆無で。水上スキーヤーが爽快に滑っていた。郡ダム湖面活性化のために水上スキーを君津市としてPRしているようです。十一面観音堂入口を通り過ぎて駐車場まで来たので引き返して展望台と三角点を踏んで三舟の里に降りた。
展望台からの君津市街地
この間ハイカーとは3組5人と意外に少なく静かでよかったが、管理事務所で聞くと「AMは多かった、ドジャースの野球が終わると多くなりますよ」とのことだった。
  観音堂入口の・・・      こんにちは三角点
 
 復路はアスファルト歩きはで疲れて腹も減ってきたので、熟柿一ケを頂戴して戻った。三舟山の紅葉はまだまだ先のようで、路傍の花はツリガネニンジン・ヤマハッカ・トリカブト位だったか?
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青峰会三人展開催

2024年10月28日 | 番外
下記の内容で開催しますのでよろしくい願いいたします。

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高宕山700回登頂記念山行

2024年10月27日 | 房総の山
愛してやまない高宕山(330m)に通い続けて40年、700回登頂を果たしました。と言っても世の中には富士山2000回とかの強者ぞろいの中ではヒヨコもいいところで自己満足に過ぎません。でも、それが大事だと思ってます。「継続は力なり」を座右の銘として生きてきた証の一つだと思ってます。これからも力が残っている限り高宕山を歩き続ける所存です。応援よろしく!!
 
2024年10月27日(日)  メンバー;山田睦男、近子
石射太郎登山口10:05…石射太郎10:25…樅木テラス10:40…高宕観音11:40…山頂12:05/12:55…高宕観音13:10…石射太郎14:20/14:40…登山口14:55
*行動時間:4時間50分、歩行距離:8.9㎞
記念山行なのに今にも雨が落ちてきそうな空模様です。樅木のテラスに久しぶり寄って、相棒が樫の木の株立ちは何処ですかと聞くので写真を撮りました。この空模様なのに日曜日とあって20数名の登山者とすれ違って、東京からのご夫婦は「高宕山は初めてですがいい山ですね」と横浜からの家族は「息子夫婦がアメリカから帰ってきたので・・・」と、吉田さん坂上さんの常連さん達とも顔を合わせました。
 
樅ノ木のテラスから            樫のきの株立ち
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関東ふれあいの道(高宕山)登山道草刈り

2024年10月21日 | 房総の山
2024年10月20日(日)関東ふれあいの道(高宕山)登山道草刈り
 冬を思わせる寒さです。秋は何処に行ったのでしょうか?
・香木原コースの登山道スタート地点の広場の草は夏の暑さにも関わらづ伸びていないのは、鹿の食料として食べられたのでは思ったが、一応草刈り機で払って熊手で落ち葉と一緒にかき集めて立派な休憩所に蘇った。
・奥畑の登山口に移動して土手の草刈りと梯子の整備。2019年9月の台風の倒木処理を年内に君津市が行うと聞いていたのでその後のスケジュールを小泉氏宅に確認したが、その後連絡はないとのことでした。
・石射太郎に移動して、登山道の不安定な安全柵杭を補修して、鞍部は草刈り機を使うまでもなく、鎌で切り払った。
 日曜日とあって登山者と20数名と出会った。駐車場は雨でアスファルトが凹んで段差が大きくなって駐車に支障が出てきたので、報告書に市へ補修依頼を頼んだが、対応は如何に?

  
今日のメンバー               奥畑登山口の梯子と鎌で草刈作業 
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大展望の十二ケ岳(1201m)と真田氏ゆかりの山城・岩櫃山(803m)

2024年10月19日 | 県外登山
2015年5月に小野子山~中岳~十二ケ岳を歩いて十二ケ岳山頂に立った時、「この山の神が与えてくれる360度の展望に感謝します。ここに数時間佇んで至福の時を過ごしたいものですが、次の山が待っていたので去らなければならないのが悲しいです。」と当時の記録が残っていて、登りたい山リストに入れ、紅葉の見ごろは10月中旬~下旬とあったので10月恒例山行として選んだ。
年一回の泊山行で、山宿を探していたら美人の湯・川中温泉・かど半旅館があったので早々と予約した。二日目は何処かの低山と探していたら「にっぽん百低山」にも紹介された岩櫃山が帰路の途中にあり、この山も登りたい山リストに入れていたので織り込んだ。
・日程:2024年10月17日(木)~18日(金)
・17日行程:木更津南IC6:00=渋川伊香保IC9:00=小野子温泉駅=(林道・峠山線)=9:35登山道P9:45…結婚の森登山口10:15…見透かし台11:00…十二ケ岳11:55/13:05…登山道 駐車場14:20/14:30=八ッ場ダム見学=かど半旅館(泊)
・行動時間:4時35分、歩行距離:8.0㎞、累積高度差:登り789m、降り781m
   
登山口で            舞茸栽培地      フデリンドウ    十二が岳万歳
  
山頂で全員集合                  美人の湯に入る前  イワナの骨酒
・18日行程:かど半旅館9:00=9:45岩櫃登山口9:55…<尾根コース>…岩櫃城址10:15…櫃の口10:50…岩櫃山12:15/12:45…<沢コース>…岩櫃登山口13:05
=あずま温泉♨=あおぞら焼き肉店=渋川伊香保IC17:00=木更津IC19:40
       
岩櫃城址跡          サラシナショウマ    天狗の蹴り上げ岩    9合目からの鎖場降り
   
頂への鎖場                             山頂で          念願の岩櫃山に
・行動時間:3時10分、歩行距離:4.4㎞、累積高度差:登り416m、降り406m 
山の天気はAランなのに霧雨がフロントガラスを濡らしていたが、次第に青空も覗いてきて一安心です。林道垰山線は途中にある採石場に往来するダンプカーとのすれ違い多かったが無事駐車場に。周辺の山肌は夏の猛暑で紅葉とは完全に無縁の世界です。登山口は(結婚の森登山口)とこの名前の由来は不明だそうです。途中、杉林の中に菌床が遮光ネットに覆われているのは舞茸栽培です。収穫を終えたビニールで包まれた菌床が無残にもすぐ林の中に廃棄されて見苦しいです。
 杉林と雑木林の間に登山道があり傾斜はおおむね緩く、見透かし台からは小野子山等の広闊な風景が飛び込んでくる。少し急登になって、アザミ・アキノキリンソウ・トリカブト等の山野草を拾いながら山頂に着いた。残念ながら前回のような景観は雲で望めなかったが、展望盤に刻まれた山々を想像しながら楽しんで、何故か1時間も過ごしてしまった。
 下山後、時間も余裕があるので民主党時代に無駄だと騒がれた八ッ場ダムを見学した。湖底にあったであろう集落は湖上に移転して、近代的な建物になってはいるが何か殺風景な感じがした。
 宿はどん詰まりにあって、温泉は宿の前を流れる雁ケ沢の川底から湧いているとのことで温泉かけながしの宿で、日本三大美人の湯と言われているそうで、我々グループの三人の美女は「これ以上きれいになったらと」心配していたが取り越し苦労だったようです。。
 今日の宿泊は我々6人と単独の男性二人と単独の女性二人で、部屋は新館できれいだし、湯船は昔からのままで、料理も美味しく、我々はついつい「イワナの骨酒」等をオーダーして気勢を挙げていました。風呂には夕食前・就寝前・朝食前と三回浸かりました。風呂は混浴時間帯もありましたが、その幸運には恵まれませんでした。
 翌朝は霧雨が降っていましたが誰も止めようという人はいなく、岩櫃山登山口に着いた。尾根コースを選択して岩櫃城址・櫃の口までは略コースタイム通り進んでいたが、これからは天狗の蹴り上げ岩をはじめ岩を縫って、鎖をよじ登りコースタイムを大幅に上回って9合目過ぎの小さなピークに着く。目前に岩櫃山頂の標識も確かめられ大休止をとり気合を入れ直す。
 ザックを置いて鎖場を降り、ヤセ岩尾根を進むと山頂直下に着き、長い鎖を奇声を挙げながら一人一人登っていき山頂に到着、ハイタッチを交わして喜びあいます。展望は残念ですがもう展望よりも無事登れたことに感謝です。
 往路を戻り、沢コースは余裕綽々クで降ります。
 城址のある小さな岩山でスリルを楽しめた山でしたが、駄賃で織り込んだ山にはしてはチョッピリハードだったようで反省しています。
 汗もかいたので温泉のリクエストもあって、町営のあづま温泉桔梗館に立ち寄り、喉は乾いたとあおぞら焼き肉店で喉を潤して、無事貴君出来ました。ドライバーの仁さんありがとうございました。
メンバー:山田、小川、伊藤、森内、高橋、藤原



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鹿野山尾根を歩く

2024年10月14日 | 房総の山
2024年10月13日(日) 晴
 今日は趣向を変えて九十九谷公園からジョグを混じえて歩くことにした。歩き始めて神野寺の前を通ると「ジャンボおはぎ奉納」の立看板があり、帰路に寄ろうと思ってパスした。
 大塚屋旅館の下の店(藤屋?)が「清和ウエルカムハウス」に模様替えしているようでボランティアの方と少し立ち話をした。三連休の中日でマザー牧場に向かう車が多く、駐車場手前には渋滞が起こっている。
    
 マザー牧場上の駅(ヤマレコでは鬼泪山と表示)まで55分で到着、折り返してマザー牧場バス停で一休みするも入場ゲート前は大混雑で、整理員に「今日はもうかってますな~」と声を掛けるとにっこりしていた。
 バス停からは一旦下って休み場から再度登り返して春日峰に向かいます。途中、山栗を拾いながら三角点で収穫物をスマホに収めます。気温も高くなって雲が湧いてて富士山も男体山も筑波山も隠しています。
  
 神野寺でジャンボおはぎの件を訪ねると、「昼頃に小さく分けてしまいました、受付の女性は両手を広げてこんなに大きかったですよ」と分けられたおはぎは小さなパックに収められていて2個いただいて帰って食べたら最高に美味かったです。
 白鳥峰に久しぶりに寄りますが、登山道は以前は神社の右側からでしたが雑草に覆われていて左側から登りました。

 今日は意外とジョグが出来て今日のウォーキング成果は大でした。
九十九谷公園10:45…神野寺11:00…マザー牧場バス停11:30…鬼泪山11:40…マザー牧場バス停11:45/12:00…休み場12:25…春日峰13:20…神野寺13:40…白鳥峰14:05…九十九谷公園14:15
・行動時間:3時間30分、歩行距離:16.4㎞、累積高度差:登り559m、降り558m、メンバー:ソロ
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富士山の冠雪を期待していたが

2024年10月11日 | 房総の山
2024年10月11日(金)内山三角点ときみつ散歩道
 馬登自治会館10:30…内山緑地11:10…三角点11:20…スダジイの大木11:30…きみつ散歩道…内山緑地12:00…馬登自治会館12:30  行動時間:2時間、歩行距離:8.6㎞、累積高度差:登り342m、降り343m
四日ぶりの青空、今日は何処に行って汗を流そうかと考えて、久しぶりに内山三角点ときみつ散歩道に足を向けた。富士山は薄っすらと容姿を見せていて久しぶりの対面ですが、冠雪はまだ見られなく残念なり。
 出かけの庭で足もとから飛び立ったのはバッタの親子で、お母さんは子供を背中に背負って60㎝位飛んだが背中の子供は振り落とさることなくしがみついていた。昨日は庭の側溝でサワガニを見たし、まだまだ自然は残っている。

 登っているときに農家の庭先でおばさんが銀杏を洗っている。今年は実が小さく不作とのことです。

 三角点に寄って、スダジイの大木まで足を延ばしての帰路、コゲラの大群が飛んできてドラミングを奏でていた。
 きみつの散歩道ではジャイアントキノコ(直径30㎝)を2個見つけた。
 タラヨウの葉っぱに文字を書いて孫のスマホに送ったが反応は如何に? 
 
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第四弾 2024年8月以降に読んだ本

2024年10月09日 | 番外
➀「遠き雪稜(上)(下) ②「彼方の山へ」いずれも谷甲州著

前者は昭和11年以降の立教大学山岳部のナンダ・コート遠征を元にしているもののフイクションで、当時のヒマラヤ遠征の苦労が手に取るように描かれている。
後者は著者・谷甲州は歩くことが大好きで、地図を眺めているうちに、そこに記された風景の中をあるいてみたくなる好奇心旺盛の若者だった。里歩きから始めた学生時代に、素人同然の技量で冬山に挑戦。厳冬期南アルプス全山単独縦走を果たす。やがて青年技術協力隊員としてネパールに渡ったのをきっかけに、ヒマラヤ・クン峰に登頂・・・。彼の山との関りが面白く描かれています。
③三つの嶺(新田次郎)は、イタリアのドロミテの大岩峰の遭難から、遺児の少女マリアの日本での生活と、登山と愛の関係に雄大な構想で迫る傑作でした。タイトルの「三つの嶺」はラスト一ページの中に凝縮されていました。

④「栄光の岸壁」上下(新田次郎)

 図書館に借りに行くのみ面倒くさく自分の本棚から選ぶことにした。前回も三つの嶺の新田次郎だったので、芳野満彦氏と新田次郎氏の組み合わせて、マッターホルンを舞台にした栄光の岸壁を選んだ。
 しかし読み始めると、山靴の音とダブル内容も多くあったが、八ヶ岳遭難以降の両足の半分以上の切断以降の、彼の山に対する執念が赤裸々に見られた。ここまで山への執念は何処から生まれたのだろうか、その一面に家族から仲間から愛いされる彼の性格が垣間見られた。この中にお母さんのことが載っているが、小生も彼の実家でお母さんと一度対面しお世話になって、その時のお礼に手紙を差し上げたら親切の暖かい返事を頂いたことを思い出した。
 その後の結婚に至る話も面白く、結婚後の家庭と山への狭間に苦悩する彼が、アイガー、マッターホルン登頂の内容は手に汗を握る物語を新田次郎氏が克明に描れていて一気に読み終えた。初めに読んだときは山のことしか印象に残ってなく、新たに読んでる自分がいました。
⑤単独行(加藤 文太郎)
1905年生まれ、1925年頃より数々の単独行を行い、この時代の装備や交通機関を考えると想像を絶する山行を重ねていたのです。1936年1月槍ケ岳・北鎌尾根で不帰の客となるが、この時は岩登りが得意な友人と二人で、単独行ではなかった。
 彼は山頂でベルグハイル(山万歳)と叫んだり、名刺を置いていくのが彼の山スタイルの特徴だったようです。そして、この時代の山小屋や登山者の傾向から、単独行故に、他の登山者から非難を浴びることがあったようです。

⑥風雪のビバーク(松濤 明)
1922年生まれ、つねに先鋭なクライマーとして活躍して、1949年1月、槍ヶ岳・北鎌尾根において風雪の為に遭難死。この時の彼のメモの一部を記します。
「全身硬ッテ力ナシ 何トカ湯俣迄ト思ウモ有元ヲ捨テルニシノミズ、死ヲ決ス。オカアサン アナタノヤサシサニ タダカンシャ、一アシ先ニオトウサンノ所へ行キマス。・・・有元ト死ヲ決シシタノガ 六時 今、十四時 中々シネナイ・・・我々ガ死ンデ 死ガイハ水ニトケ、ヤガテ海に入リ、魚を肥やし、又人ノ身体ヲ作ル、個人は狩ノ姿 グルグルマワル・・・」
そしてこの本の巻末に「S48.12.12 一か月近く雨もない乾ききったいたが、今日は昼過ぎから雲が低く灰色と化してきて雨になりそう。北の山々は大雪の便り。スキーなんかより、雪深い山で静かに独りになるのが今の俺の取って似つかわしい。そして寂しさに耐えかねて、狂い、白い雪に眠ったほうがいい」とメモがあった。精神的に不安定な時期だったのだろう。
⑦黒いヒマラヤ(陳 舜臣)

 世界第三の高峰・カンチェンジュンガ(8586m)の麓にある街を舞台にした推理小説で一気に読んでしまった。タイトルの黒いヒマラヤはカンチェンジュンガの白い山に対して町で起こる人間模様のどろどろしたストーリーが白に対比して黒と表現したのではないかと感じた。

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699回目の高宕山

2024年10月08日 | 県外登山
 年内700回目標に迫ってきたので、高宕山監視所コースを歩いて699回をクリアーしようと思って歩き始めたが、高宕林道は蒸し暑く、これでは監視所コースは無理だと大滝コースに躊躇することなく変更を決めた。最近は諦めが早く粘りが無くなってきたことを自覚している軟弱な山親爺です。
 サルナシの実はまだ完熟してなく、先週の雨でサワガニがウロウロし、岩は滑りやすかったです。ウリボウが目の前に現れてきて親は近くにいると危ないのでソロリソロリと遠ざかりました。

ウリボウの縦じまが残っているのまだおっぱいを吸っていて、飲まなくなると縦じまも消えて小さくてもウリボウとは呼ばないと山頂で会った市原市の雲藤さんから聞いた。山頂では馬来田の高橋さんとも久しぶりの出会いで、三人で山頂下のベンチで昼食を共にして下山した。出会ったハイカーは大滝コースで下山する一人、高橋さん・雲藤さんに、山頂に向かう単独者二人にツツジを植栽中の坂上さんの6人でした。
 山肌はまだ秋色には程遠くヤマボウシの葉が少し色づく程度で、富士山は残念ながら雲の中でした。
 石射太郎P9:55…大滝10:55…大滝上のベンチ11:25/11:35…高宕山12:20/13:10…観音堂13:20…餌付け小屋14:25…石射太郎P14:40
・行動時間:4時間45分、歩行距離:10.0㎞、メンバー:ソロ
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トリッキーな生瀬富士(ナマセフジ)

2024年10月02日 | 県外登山
 生瀬富士は標高差300mなので楽ちんだし、袋田の滝は名前は知っているがまだ見学したことないので選んだ。9月頭に予定していたが台風10号の影響で中止となりリベンジですが、台風17号が房総半島沖を通過中で圏央道・常磐道と小雨がフロントガラスを打っていたが、筑波山に男体山・女峰山が確かめられる頃になると虹も出て陽射しもあり、那加ICを降りて袋田の滝に向かう。
 途中、荒々しい山は男体山とあり、以前登ったような気がして帰ってから調べると、2003年5月に茨城県最高峰の八溝山の帰路登っていて、他にも5座ほど登っていた。
・日程:2024年10月1日(火)
・往路:君津IC5:55=美野里SA=那珂IC8:10=袋田の滝1P9:20
・コース:第1P9:35…生瀬富士登山口9:45…稜線1050…生瀬富士(402m)11:20…ジャンダルム(403m)11:40…生瀬富士11:45/12:20…立神山12:35(420m)…滝本分岐13:40…滝のぞき13:55…10…渡渉点14:20…月居山登山口14:40…袋田の滝分岐15:00…生瀬滝展望台15:15…滝本…第1P15:50
・行動時間:6時間15分、歩行距離:9.2㎞、累積標高差:登り979m、降り980m、歩くペース:0.9~1.0
・復路:第1P16:30=道の駅「奥久慈大子」で温泉と反省会17:00/18:55=那珂IC19:50=君津IC22:20
☆メンバー:伊藤、森内、高橋、藤原、小川、山田
・記録:山を舐めいたわけではないが下調べ不足でメンバーに大変苦労を掛けてしまった。1998年版分県ガイド茨城県の生瀬富士の紹介は「一般の人が登山を対象にする山ではない。・・・山頂間近を侵食されにくい集塊岩がよこぎっており、そこを越えるのも難関の一つである。経験・体力・そして郷引と思われる気力で登る山である」と紹介されていて、登山道も生瀬富士から引き返していて、袋田の滝方面の登山道はない。ここ10年近くは登られていないとも記されている。反省、直近の情報でコースを把握要である。
 駐車場には数台の車が止まっていて、ハイカーらしき人もいたが、登山道に入ると誰もいなく、杉林の中にツリフネソウ・キバナアキギリ・オクラに萩の花が目立つくらいです。
   
一人下山者とすれ違ったが途中で引き返した様子。二人の若い女性が稜線手前で元気よく追い越して行った。
 山頂手前の岩場ではHTさんのザックはロープで引き上げて空身で登ってもらった。こんな岩場があるとは想像していなかった「誰がこのような山を選んだのかなー」と揶揄されるしまつです。
山頂からジャンダルムに足を延ばしてピークで万歳です。先ほどの女性二人は地元の石岡から来たとのことで、ジャンダルムを踏んで帰路コースは迷っていたが袋田の滝を進めた。
  
山頂からの山座同定できればと思いますが、対面の月居山に男体山位か、同じくらいの標高の山々が周りを取り囲んでいるのに。のんびりと山頂で昼食を摂り、女性軍の先週の北海道・旭岳登山の武勇伝を聞きます。
 立神山からもアップダウンが続き、ロープを頼りに歩きます。老生の左足膝が登りになると痛いです。
 遠くに滝が見えてきて、滝覗きでは真下に数段の滝がごうごうと流れていて圧巻です。事前にメンバーには渡渉の際の履物を連絡していたが、渡渉点では長靴が置いてあって、今日の水量では長靴で大丈夫で川幅50m位を無事渡り終えて、今回の一つの出し物も楽しく終えます。
  
 川伝いに下るものと思っていたら、月居山に向かって登り、袋田の滝自然遊歩道分岐から滝に向かって下ります。滝口で滝を観賞して「喉が渇いた、生ビールが飲みたい」とか叫んでいましたが、全員コーラーで喉をスカッと潤します。
 予定していた行動時間より45分程度長くなりましたが、道の駅で反省会を楽しみにしていましたが、温泉浴槽はこじんまりとしていたが貸し切り状態で満足だったが、レストランでは生ビールを置いてない、注文品のすべてがセルフサービスで肩透かしを食ったが、シャモのカレーは美味かった。反省会の内容についてはもっとリサーチが必要だ。
 帰路は遅くなったが、ドライバーの勉ちゃんありがとうございました。
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