新房総の山親爺

山歩きは人生だ!!
日本の山:2070座
房総の山:388座
高宕山:702回

御岳山のレンゲショウマ鑑賞に変更

2024年08月23日 | 県外登山
 孫の翠桜がワサビ田を観たいというので奥多摩に行こうということになった。以前登った沢コースにワサビ田の記憶があるものの場所は覚えていない。地図から岩茸石山の川井から川沿いの林道歩きがあるのでもしかしたら見れるかも、標高差520mで翠桜にも歩けるだろうと計画書作成してラインで送った。リーダーは翠桜(中一)、サブリーダーは圭(小五)とやる気を持たせた。
前々日には翠桜から「楽しみにしています」のラインがきたが、前日には「頭が痛い、行かない」と、「山に行くと自然治癒で頭の痛いのなんか吹っ飛ぶから」と説得したが、当日待ち合わせの青梅駅には圭と杏里の二人だけだった。
・期日;2024年8月22日(木)  曇り
・メンバー;尾崎圭、尾崎杏里、山田睦、近
・往路行程;君津IC5:35=日の出IC7:10=青梅駅前P7:40<青梅駅ホームで合流>=青梅駅8:03=御岳駅8:20=滝本駅=(ケーブル)=御岳山駅
・コース;御岳山駅9:10…レンゲショウマ群落地……武蔵御嶽神社…長尾平…御岳神社下…御岳山駅11:45=(ケーブル)=滝本駅…(多摩川散策)…御岳駅13:35=青梅駅13:55(青梅駅で尾崎家と解散>
☆尾崎家は登戸(JR南武線)から立川=青梅を往復
・復路行程:青梅駅前14:30=日の出IC14:50=君津IC17:00
・記録:石川SAを出るときにはフロントガラスに大きな雨粒、青梅に入ると山には低くガスが垂れ込めていて気をもむ。
青梅駅Pについて後部座席に置いたはずのウエストバックが無い無い!スマホ・サイフ・計画書が入っていたのに、どうも家に忘れてきたみたいで女房の冷たい言葉を浴びる。
合流の青梅駅にはやはり翠桜の姿がなく、ワサビ田を見る選択肢はなく、天候も思わしくなく御岳山に急遽変更。前日に宇藤原のマドンナさんから鼻曲山のレンゲショウマの花が送られてきていたので、そういえば御岳山もこの時期にレンゲショウマ祭りがおこなわれているからと決めた。
 平日で朝が早いこともあってハイカーは少なく、レンゲショウマもそれなりに花を開いて待っていてくれた。
    
御岳山の展望エリア(822m)に「東京一」高いブランコからは山や海など雄大な自然の景色を楽しめる「みたけムササビスウィング」と名付られ新設されていた。安産杉や産安社棟には娘ももう縁がないだろうとパスして武蔵御嶽神社に向かった。昨年は神社の石段は灼熱で熱く、汗したが今日は蒸すものの風が涼しく感じる。サッカー少年の圭は石段を2段飛びで軽々と登っていく。体力的には完全に負けています。
圭はお御籤を引くと凶だったとがっかりしていて、もう一度引いたみたいです。神社裏の参拝所からは奥の院はガスっていた。
  
 長尾平からロックガーデンを一周予定していたが、女房が気分が悪い、昨夜は一睡もできなかったとのことで下山することにする。サブリーダーの圭は近子に付き添って歩いたりして逞しいものだ。
 途中の御岳ビジターセンターにはまだ寄ったことが無かったので立ち寄ることに。女房は汗びっしょりのシャツを取り換え、お腹も空いたとのことでビジターセンターの2Fで早目の昼食をとると気分も良くなったと一安心です。
ビジターセンターのムササビ・熊・タヌキ・小鳥・動物のフン等々展示物が気に入った圭は一人ではしゃいでいました。
  
 ケーブルで降りたがバスの事故まで時間があるので御嶽駅まで歩くことに、途中多摩川沿いの遊歩道を歩いていると「川に入りたい」と靴を脱いで浅瀬に入って楽しんでいます。彼のザックからは懐中電灯・医薬品・予備の靴下、パンツ等々が入っていて自分で準備したとのことで、これもサッカーのお陰だそうです。
 青梅駅前で食事でもしてと思ったが、食事ができるような店はなくここでお別れします。雷雨にも会うことなく、圭の夏休みの一ページを飾ったことでしょう。
翠桜はカボス(犬の名前)とお留守番だったが、次回は引っ張り出して山の空気を吸わせたいものです。

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猛暑に負けないぞ!

2024年08月19日 | 房総の山
心も身体も溶けそうな日々が続いていて、活を入れないと滅びてしまいそう。今日は高校野球も休養日でTV鑑賞も出来ないので鹿野山を歩くことにした。
2024年8月18日(日)
馬登自治会館10:20…内山緑地11:05…春日峰11:55…神野寺12:15/12:45…阿久里王塚13:05…鹿野山古道入口13:40…馬登自治会館14:40
☆行動時間:4時間20分、歩行距離:20㎞、累積標高差:登758m、降760m
☆メンバー:ソロ
直射日光はないものの気温34℃、湿度は100%で歩き始めると直ぐに汗の玉が両腕に浮かび流れ出る。路傍の草花も乏しくカラスウリの萎んだはなに交じってヘクスカズラが覗いているくらいだ。富士山方面は厚い夏雲が湧いていて、視界は南面の鋸山方向は山座同定は出来る。神野寺もこの暑さで参拝者も少なく、老生はお線香をあげて、奥宮で足腰のお祈りをして、持参の梅干しお握りは美味かった。今まではマザー牧場方向に足を向けていたが、今日は反対方向の福岡口から阿久里王塚から鹿野山古道に進んだが、蜘蛛の巣を払いながらの歩きとなった。最後の舗装道の歩きは照り返しもあってどうにかゴール出来た。

春日峰一等三角点にて
今まで気が付かなかった、大塚旅館前の二宮金次郎
神野寺の奥宮を
阿久里王塚

鹿野山古道入口に出ました。
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2024年8月10日(土)高宕山満福寺

2024年08月11日 | 番外
数十年前の若かりし頃?観音堂の前を通りかかった時に、観音堂が賑わっていたので覗くと「兄ちゃん上がって来い」と御婆さんから声を掛けられ上がりこんで赤飯や般若湯をいただき、今日は御開帳とのことで、お堂の中に奈良時代天平十五年(西暦743年)行基により手目二尺八寸の金粉塗りの十一面勧世音菩薩が収められ、木造の中央に台座があって田原の満福寺からこの台座に一寸八分の金の菩薩が祭られていました。その後は檀家の方々もご恒例となり山には登れなくなったとのことで、田原の満福寺で行われてるとのことで、8月10日には御開帳で金の仏像を拝めると聞いたので出かけてきました。
ミニチュア金屏風の前に黒光りする菩薩様が安置されていて、何十年目かのご対面で、神々しいお顔でスマホをむけることに気が引けてお参りだけしました。もちろんお賽銭も1年分の大枚を収めさせていただきました。
中では檀家の方々が談笑され、ご住職・副住職との会話を持ち、外でスタッフの方からお茶菓子を頂きながらお話を、その中で「お寺に興味があるのですか」と問われましたが「全く宗教には無関心です」応えました。地元の方々もお参りに見えてきて、以前は一日中行われていたそうですが、最近は午前中だけだそうです。来年も開かれるか聞き損ねたので四月頃聞いてみます。

観音堂の閉じられた十一面勧世音菩薩      想像した勧世音菩薩と金の仏像
コメント (1)
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灼熱の高宕山

2024年08月07日 | 房総の山
駐車場の着くと無車だ。この暑さの中を登る馬鹿は自分一人だけのようだ。
今日は熱中症・シャリバテは絶対に避けるように、各ポイントで十分な給水と行高宕林道は直射日光は遮ってくれるもの、無風で直ぐに汗が滲んでくる。行動食を摂るように努めることにした。大滝・大滝上のベンチ・高宕山頂をタッチして観音堂・餌付け小屋の四か所では10分以上の休憩でお腹は満腹状態で歩き始めはチョッピリ身体が重いくらいで、テルモスの麦茶・凍らせた天然水にレモン味の氷水と1.5㍑はほぼ飲んでいた。ミンミンゼミも暑くて弱弱しい鳴き声で、花もアキノタムラソウがぼちぼちとヒメシャクジョウソウが一株残っていたくらいだった。駐車場の戻ると自分の車だけでした。
石射太郎P10:15…大滝11:05/11:15…大滝上のベンチ11:50/12:05…高宕山12:35…観音堂12:50/13:20…餌付け小屋14:10/14:20…石射太郎P14:35
・行動時間:4時間20分、歩行距離:9.2㎞、累積高度差:登り961m、降り962m、メンバー:ソロ
ヒメシャクジョウソウ
孫たちが明日から沖縄旅行とかで来ていて、夕食は6人で近くの中華料理店で痛飲したら、左足の甲の突起が赤く腫れて痛い!痛風かなー?
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最近読んだ本の第3弾

2024年08月02日 | 番外

最近読んだ本/第三弾 2024年7月    

井上 靖著の星と祭り(上、下)昭和50年3月初版で、前には自分で本を購入して印象深かったので誰かに進めて贈って手元にはなく、今回は図書館から借りて読みました。タンボチェで満月を観るというのと、十一面観音との出会いが印象強く残っていた。お薦めの本です。

娘みはるが17歳の時、琵琶湖で乗っていたボートが転覆して遺体は上がらなく、みはるは永遠に「生と死」のはざまにいる。娘とともに死んだ青年の父親に誘われ、琵琶湖湖畔の古寺を訪れた父親は、十一面観音に出会い、その不思議な安らぎに魅了され、そんな日々に中、ヒマラヤのタンボチェでの月見に誘われ銀色に輝くヒマラヤの峰に神々しく光を放つ満月を観ながら、娘みはるの死に対する考え方が変わっていく、最後に満月の湖上で青年の父親と二人の葬儀を執り行うシーンは今まで拝んできた十一面観音も現れて素晴らしい葬儀で、わが身を振り返るともう何十年もあってない娘紀子のことを思うと泪せずにはおられなかった。

高宕観音堂の仏像も十一面観音様とのことです。

沢木耕太郎の深夜特急(Ⅰ~Ⅲ)

『深夜特急』は、1970年代にインドからロンドンまでバスで旅した沢木耕太郎の紀行文です。バックパッカーのバイブルと呼ばれる人気の旅本で、以前山仲間からもらって読んだ。若い血潮をたぎらせる痛快・爽快な貧乏旅行記で自分もこんな旅をしたいなーと思った記憶があり、誰かに上げてしまっていたのでもう一度と思って図書館から借りて一気に読んでしまった。

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