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第二の福島はいつでも起こる。

核武装を主張する人々はその末路をイメージできているか?

2013-08-20 01:35:02 | 日記
核武装を主張する人々はその末路をイメージできているか?【テレンス・リーのニュースを斬る!】

2013.08.19 14:30 記者 : 夕刊ガジェット通信 カテゴリー : 政治・経済・社会 タグ : コラム 夕刊ガジェット通信

尖閣諸島で日中両軍が衝突した場合、緒戦で自衛隊が勝利することには私も同意だが、世論の大多数は戦争が尖閣紛争で終わると誤解している節がある。一度や二度の局地戦に負けたくらいで中国がおめおめ引き下がるはずもない。
戦争は子どものジャンケンとはわけが違う。一発勝負で負けた方が「ごめんなさい」と幕引きできるほど単純ではないのだ。
しかも、戦争は負けたら最後、愛する女は犯され、子供は売られ、老人は野晒しにされ、男は殺され、国土は焦土と化す。
この惨状を鮮明にイメージできてなお、主戦論を唱えるのであればそれはそれだ。少なくとも筆者は容易に承諾できない。
同様に核武装を主張する人々にも首を傾げる。本当に彼らは「核抑止力」などあると信じているのだろうか?
敵が銃を向けるからこちらも銃を用意して発砲の準備をする。それで相手が撃たないというのはお人好しに過ぎる。撃つときは絶対に撃つ。それが核兵器でもなんら変わらない。戦場、戦争とはそういうものだ。
まず核武装を唱える以前に全居住者を収容できる核シェルター建設を訴えるのが筋ではないかと筆者は考える。
世界で唯一の被爆国である日本に、どうしてシェルターが完備されていないのか?
だいたい核抑止力論における核兵器は「報復」の意味しか持っていない。
核の傘は降り注ぐ核兵器から国民の生命を守ってはくれないのだ。
ぜひとも具体的に、明確に、イメージしてもらいたい。
敵国から核ミサイルが飛来した時、立ち上るキノコ雲をぬって飛び去る報復ミサイルを見上げて何になるか?
己も死ぬが敵も死ぬからと納得できるのか?
「矛を準備する前に盾を準備せよ!」……これは筆者の遺言である。
(テレンス・リー)