あきねぇ便り8月号は、社長が参加した気仙沼出の支援活動について書きました。
~スジャータプロジェクト~
【スジャータは、釈迦が悟る直前に乳がゆを供養し命を救ったという娘である。】
6月12日~14日まで、社長が気仙沼被災地支援に参加してきました。
それは、建長寺の和尚さんたちが
「元気を届けたい。我々は、苦しみを分かち合って、出来る事を探して行動する力を持っています。具体的には今回震災に遭われた方々に温かい食べ物や飲み物を届けようと,思い立ち、行動に移します。小さな行為ですが心のケアになる事を祈っています。そこで、皆様にはご協力いただける範囲で参加していただけたらありがたく思います。」
という想いのもとで有志を集め、気仙沼の地福寺さんを拠点に様々な支援活動をされており、社長も参加させていただくことになったからです。
私たちは連日のニュースで被災地の状況はかなり把握しているつもりでいます。
しかし、現地に行き被災者の生の声を聞くと、悲しみに浸っていられない厳しい状況や、生きていくためにしなければいけない多くのことが山積で、現地に行かなければわからないことやできないことは、本当に多いそうです。
私自身、何かをしてあげたい!私にできることは何だろう…とよく考えますが、やみ雲に支援物資を送っても必要としている人に届くのでしょうか…
実際は、数が世帯分無いと配給ができないとか、今は必要とされていない(冬服など)などの理由で、不要になってしまっているものもあるのです。
現地に行って実際似た風景は、言葉にならない衝撃を与えたそうです。
多くの人がお墓を失ったので、ここに祈りの広場を作りました。
この前に立つと、自然に手を合わせていた自分がいたそうです。(社長)
~ブログRYUKOU`Sより~(能満寺の和尚さんのブログより)
支援一回目は、現地の状況を知り、今出来る事を皆で考えて行動を起こす事で、少しでも被災地の人が元気になれたらと願うばかりでした。
支援二回目は、現地のニーズは刻一刻と変わるので、それにマッチした支援をと洗濯機を運びました。
支援三回目は建長寺派の和尚さんら20人余りで大規模な支援となりました。49日法要に備えて、瓦礫の片付けと、本堂の土足禁止化(泥や砂を出しキレイにすることが重要な任務です。
無事法要も終わり、この後も繰り返し支援に訪れ、少しずつ片付けが進んでいます。
1ヵ月後
3ヵ月後
本堂の中の様子(第三回支援活動前)49日の法要を行うために沢山の和尚さんが動き出します。
本堂の中から外を見ると、以前は建物が建ち見えなくなっていた海が遠くに見えます。
お寺の本堂は天井まで津波に浸かり、建物を破壊し、瓦礫や泥や海水で悲惨な状況です。
~海岸沿いの町営墓地~
社長が写してきた写真です。
墓地は、ここが墓地だったとわからないくらい根こそぎお墓が流されなくなっています。
せめて竿石だけでもと、防波堤沿いにずーっと並べてあります。
~田んぼの風景に胸打たれて~
上は田んぼだったところの写真です。下の写真は、道を一本隔てた田んぼの写真です。普通の田んぼにジーン・・・
こんな状態でも、めげずに田植えをし、気仙沼は復興にむかって進んでいるのです!
~これからの支援~
現在、被災地では生活雑貨の不足と、片付けの人手を必要としているようです。
今後も、受け止める側の気持ちを知ったうえで、継続的に寄り添うことを大切にし、続けていきたいと考えているそうです!
地福寺さんの和尚さんが被災者の皆さんのために書いた言葉
こちらのお寺の檀家さんの2/3の方々も、海にのまれなくなったと聞きました。
社長が来週もまた和尚さんたちとともに気仙沼への支援に行きます。
私も…と考えましたが、私はここでたけしょうの社長代理として仕事をすることにしました。
自分の生活も大切にしながら、無理のないそして現地のニーズにあった支援をすることが、継続的に被災地の復興の力につながる支援ができるのだと、ある和尚さんから教えていただいたからです。
~スジャータプロジェクト~
【スジャータは、釈迦が悟る直前に乳がゆを供養し命を救ったという娘である。】
6月12日~14日まで、社長が気仙沼被災地支援に参加してきました。
それは、建長寺の和尚さんたちが
「元気を届けたい。我々は、苦しみを分かち合って、出来る事を探して行動する力を持っています。具体的には今回震災に遭われた方々に温かい食べ物や飲み物を届けようと,思い立ち、行動に移します。小さな行為ですが心のケアになる事を祈っています。そこで、皆様にはご協力いただける範囲で参加していただけたらありがたく思います。」
という想いのもとで有志を集め、気仙沼の地福寺さんを拠点に様々な支援活動をされており、社長も参加させていただくことになったからです。
私たちは連日のニュースで被災地の状況はかなり把握しているつもりでいます。
しかし、現地に行き被災者の生の声を聞くと、悲しみに浸っていられない厳しい状況や、生きていくためにしなければいけない多くのことが山積で、現地に行かなければわからないことやできないことは、本当に多いそうです。
私自身、何かをしてあげたい!私にできることは何だろう…とよく考えますが、やみ雲に支援物資を送っても必要としている人に届くのでしょうか…
実際は、数が世帯分無いと配給ができないとか、今は必要とされていない(冬服など)などの理由で、不要になってしまっているものもあるのです。
現地に行って実際似た風景は、言葉にならない衝撃を与えたそうです。
多くの人がお墓を失ったので、ここに祈りの広場を作りました。
この前に立つと、自然に手を合わせていた自分がいたそうです。(社長)
~ブログRYUKOU`Sより~(能満寺の和尚さんのブログより)
支援一回目は、現地の状況を知り、今出来る事を皆で考えて行動を起こす事で、少しでも被災地の人が元気になれたらと願うばかりでした。
支援二回目は、現地のニーズは刻一刻と変わるので、それにマッチした支援をと洗濯機を運びました。
支援三回目は建長寺派の和尚さんら20人余りで大規模な支援となりました。49日法要に備えて、瓦礫の片付けと、本堂の土足禁止化(泥や砂を出しキレイにすることが重要な任務です。
無事法要も終わり、この後も繰り返し支援に訪れ、少しずつ片付けが進んでいます。
1ヵ月後
3ヵ月後
本堂の中の様子(第三回支援活動前)49日の法要を行うために沢山の和尚さんが動き出します。
本堂の中から外を見ると、以前は建物が建ち見えなくなっていた海が遠くに見えます。
お寺の本堂は天井まで津波に浸かり、建物を破壊し、瓦礫や泥や海水で悲惨な状況です。
~海岸沿いの町営墓地~
社長が写してきた写真です。
墓地は、ここが墓地だったとわからないくらい根こそぎお墓が流されなくなっています。
せめて竿石だけでもと、防波堤沿いにずーっと並べてあります。
~田んぼの風景に胸打たれて~
上は田んぼだったところの写真です。下の写真は、道を一本隔てた田んぼの写真です。普通の田んぼにジーン・・・
こんな状態でも、めげずに田植えをし、気仙沼は復興にむかって進んでいるのです!
~これからの支援~
現在、被災地では生活雑貨の不足と、片付けの人手を必要としているようです。
今後も、受け止める側の気持ちを知ったうえで、継続的に寄り添うことを大切にし、続けていきたいと考えているそうです!
地福寺さんの和尚さんが被災者の皆さんのために書いた言葉
こちらのお寺の檀家さんの2/3の方々も、海にのまれなくなったと聞きました。
社長が来週もまた和尚さんたちとともに気仙沼への支援に行きます。
私も…と考えましたが、私はここでたけしょうの社長代理として仕事をすることにしました。
自分の生活も大切にしながら、無理のないそして現地のニーズにあった支援をすることが、継続的に被災地の復興の力につながる支援ができるのだと、ある和尚さんから教えていただいたからです。
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