阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

短歌 その7 (2014年1~4月)

2014-04-25 22:04:09 | 短歌(まとめ)

 

 

        平成二十六甲午年初夢 

  紫のトワやヒビキが駆け抜けた三年先のEスタの夢

 

        安佐市民病院皮膚科

  「あっ帯状疱疹です」と早口に主文最後のアヤコ先生

 

       週末雨 

  病みたれば行かれぬたったそれだけのメールも打てず春の雨ふる

 

       エイプリルフール 

  数ヶ月文章練った力作も反応ゼロの我が四月馬鹿

 

        花 

  しあわせはまだ先にあり しかはあれど今日の桜を仰ぎてぞ見る

 

        帯状疱疹 

  胡麻すれば背中ぞ痛きソーセージ転がす時はわき腹にくる

  サッカーを文字で見ていた二日分のヒゲをそってる日曜の夜

 

        思蛸焼娘 

  タコヤキにうどん牛丼みな食べて塩谷語る唇なつかし

 

        迷惑

  ちいとばかりかばちたれたい気分じゃけ聞いてほしいんよいやあんたによ

 

       増税 

  量り売りの大野のアサリの大粒の8パーセント重き持てゆく

 

        小保方女史

  わるものなミリョク新たに加わったと科学わからないけれどみている

 

       通院読書 

  牧水の歌集を読めば病院の待合室に山ざくら花

 

        薬袋

  減量可と赤マジックで書いてあるが痛けりゃ飲むわこのおおばかたれ

 

       雨夜開窓   

  夜の雨に花粉平気と窓あければアケビの花の甘き漂う

 

       週末畑仕事 

  土曜日の朝寝のならひいかにせむジャガイモの芽の胸張るを欠く

 

       総体予選 

  技ありの決勝ゴール祝うようにフェンスの上に咲く藤の花

  ノーゴール 悔しいジャッジは胸にしまい「楽しかった」と爽やかに言う

  やりきった満足感と引退を語る4月の総体予選

 

       病未癒  

  お彼岸の墓参りのあとひと月も安佐北区から一歩も出とらんわ

 

     わやは取り返しのつかざる台無しと思ひしが 

  「わや楽しい」副詞のような用例を高校生のツイートで知る

 

         不負怪我

  五ヶ月で治すとコバタク言い切れば焦るなという常識吹っ飛ぶ

 

       マーシーはどうしてると聞かれて 

  伝説の動画のマーシー今もずっと踊りつづけているとこそ聞け

 

       団地夜景 

  カーテンは夜更ける前に閉めるべきか 灯りまばらな亀崎の丘

 

       久しぶりの文化センターにて

  体開き左に強いパスを出したタクムの7が輝いている

  「大丈夫ですか」とリクト問う声に力のあれば縦に首ふる

   たくましく大きく強く速くなった二ヶ月ぶりの君かけぬける

 

        惜蹴球春

  サガン鳥栖に逆転勝ちのTLを静かに読めば春去らんとす

 

        病院前魚屋

  おばちゃんに「キモたっぷり」とすすめられたハゲの刺身は540円

 

        惜春 

  今シーズンたぶん最後のアレグラをのめばホッホッ青葉ずく鳴く

 

 


ランダムにサンフレ昔話 その13 くつみがき

2014-04-25 19:11:47 | サンフレ昔話

 今回は2004年8月21日J12ndステージ第2節セレッソ戦(ビッグアーチ)での洋次郎と一誠のパフォーマンス。洋次郎の話題が多くなっているが、サンフレで一番応援している選手なので・・・。なお、写真は私が撮ったものではなく、当時クラブのカメラマンが撮ってホームゲームのテントで販売していたもので300円だったと思う。右23番は田中俊也、主審奥谷。

 この年の洋次郎は高校3年生ながらプロ2年目、初のJ1でのシーズンとなった。しかし、1stステージでは中々出番が来ず、初出場は6月26日、最終節の磐田戦で、J1デビューは12節に途中出場したユース同期の前田俊介に先を越される形になった。

 8月14日に始まった2ndステージでは、駒野の離脱で夏休み中の3節まで一誠が右サイドに入った。そして2節セレッソ戦前日の練習ではFWチアゴが何回目かのリタイア、またかいなとノートに書いてある。セレッソ戦のスタメンを書いてみよう、4-4-2で中盤は台形、上がり目のワイドにタツローと洋次郎が入った。

 

FW 11茂木、27中山

MF 24木村龍朗、26洋次郎

MF 8カズ、6ベット

DF 17服部、3小村、2リカルド、36一誠

GK 1下田

(SUB) GK33上野秀章、DF25吉弘、28吉田恵、20FW大木、23田中

 

セレッソの方はメンバー表順に書いておこう。

GK22羽田

DF23下村、3柳本、15千葉、4布部、MF6濱田、7久藤、8森島、11徳重、FW9古橋、20西澤

(SUB) GK21伊藤、DF16齋藤、MF2マリオ、FW18御給、27苔口

 

 立ち上がりタツローと服部のコンビで左を崩してチャンスを作るが、相手が修正対応してきてそれ以降は前線にボールが収まらず、一進一退。セレッソの先制点は19分、一誠のパスを西澤がカットしてリカルドを抜き去り、最後は古橋のゴールだった。この直後、小野監督はサブの吉弘にアップを命じる。これはおそらく一誠との交代を視野に入れていたと思う。一誠はプロデビュー戦となった7月24日のナビスコ東京V戦で豪快なミドルを決めたものの、前節市原戦(市原臨海)では対面村井慎二にかなりやられて厳しいJ1デビュー戦となったようだ。この失点につながったパスミスから消極的なプレーが続くようならば交代ということだったのだろう。しかし、この日の一誠はこの場面以外は守備のカバーがさえていてヘディングのクリアから洋次郎のミドルにつなげた場面もあった。守備でサポーターのコールも何度かもらった。

 0-1のままハーフタイムとなり、後半頭から小野監督は茂木→大木、龍朗→吉田恵の2枚替え、ベンちゃんが入ったことで少し前線のリズムに変化が生まれ、73分ベンちゃんの同点ヘッドは全くのフリーの状態でのシュートだった。そして77分に元気→トシヤの交代のあと、決勝点は83分、服部のクロスのこぼれを洋次郎が決めた。J1デビューは先を越されたが、俊介よりも3ヶ月早いJ1初ゴールだった。

 そのあと写真のくつみがきパフォーマンスとなったわけだ。ところが、私は喜び過ぎていたのか見ていない。そして翌日の新聞には、ユースお決まりのポーズと書いてあったけれど、ユースのゲームでも見た記憶がない。おそらく旗振ってる間に終わっていたのだろう。後の槙野の時代のパフォーマンスに比べるとささやかなものだが、高校生2人がJ1のピッチでやってのけたところに値打ちがある、ということにしておこう。

 このあとの洋次郎は4節清水戦(日本平)の途中交代以降はベンチ入りもなく、翌05年も出場ゼロで06年には愛媛FCにレンタルとなる。なぜ、小野監督の構想から突如外れてしまったのか、そこはよくわからない。サテライトリーグにまわっても、洋次郎は洋次郎らしいプレーを随所に見せていたと思うんだけどね・・・