阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

狂歌家の風(3) おまむき

2018-10-26 10:12:50 | 栗本軒貞国

 栗本軒貞国詠「狂歌家の風」より、今日は恋の部の歌を一首、

 

    寄仏恋 

 雑行の神はいのらし一向にくとくのもわしやおまむきにして 


 「仏に寄する恋」という題で、雑行、一向、功徳、御真向、と読みこんで恋の歌に仕上げている。雑行は正行の対で念仏以外の修行をすることのようだ。「おまむき」は御真向と書いて、浄土真宗において阿弥陀様を真正面から書いた絵のこと。ネットで検索すると「信徒がお仏壇を焼失いたしましたので、 御真向様を下附して頂きますようお願いいたします。」と下附願の様式が出てくる。仏壇に飾るもののようだ。しかしまあ真正面から女性を口説くと言うのに阿弥陀様の絵を持ち出すとは、狂歌の面目躍如といったところだろうか。

 貞国の墓は広島の天神町、教念寺にあったという記述が廣島縣内諸家名家墓所一覧に見える。天神町は戦前までの繁華街で今の平和公園のあたり、教念寺は戦後少し南に移転している。お墓が残っているかどうか確認していないが、爆心地に近くあまり楽観的にはなれない。貞国の師、貞佐の墓は仏護寺(今の本願寺広島別院)、これも今はないそうだ。貞佐の辞世、

死て行所はをかし仏護寺の犬の小便する垣のもと

はよく知られている。「垣のもと」は柿の本、すなわち和歌の家の墓、とも考えられる。狂歌師が柿の本という言葉を使う時、いかなる感情に基づいているのか、それはさまざまだと思うけれど、もう少し時間をかけて用例を集めてみたいと思う。このときの貞佐の心情は今の私にはよくわからない。徒然の友に仏護寺を詠んだ貞佐の歌がある、引用してみよう。

 

    ○佛護寺といふこと    芥川貞佐

佛護寺といふ寺ありけるがいつのころにやありけん借金いたく嵩みければその支拂方に檀家の人々心配しけるときよめる

 護佛寺は借銭山のお釈迦かな阿難かしやんなもうくれん尊者

 

釈迦、阿難、目連と入って、あな貸しやんな、もうくれん損じゃ、という趣向で金を出すなと言ってるようにみえる。護仏寺となっているのは御仏事だろうか。「かしやんな」のところは迦旃延(かせんねん)という尊者がいてサンスクリット語だと「カッチャーナ」あるいは「カッチャヤーナ」、でもちょっと苦しいような。

広島の浄土真宗はこの仏護寺を中心に西本願寺派、貞佐も貞国も安芸門徒だったということになる。一方、貞佐の師の貞柳は大阪の人で東本願寺でおかみそりを受けた歌が残っている。また、お盆の魂祭の歌はちょっと面白い。

 

    隣家魂祭あると聞て我等は東本願寺門徒なれは

 御宗旨はたふとけれともとてもなら盆に一度は戻りたいもの

 

真宗はお盆に先祖の霊の迎え送りをしない。その宗旨は尊いことだけれど、死んだあと盆に一度は戻りたいと隣家のお盆を羨ましがってるような歌になっている。なお、貞佐や貞国の安芸門徒は盆灯籠などお盆の行事もあり、また戒名に院号が付いたり浄土真宗の常識と違う所がある。この時代からそうであったかどうか、狂歌には手掛かりがみつからない。

 柳門が貞国のあと周防の栗陰軒によって引き継がれた系譜を詳しく書いた「柳井地区とその周辺の狂歌栗陰軒の系譜とその作品」によると、貞国の碑は広島市東区二葉の里の聖光寺にあるという。これは曹洞宗のお寺で、弟子の都合だろうか、一度訪ねてみたいものだ。



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