栗本軒貞国詠「狂歌家の風」(1801年刊)、今日は恋の部から一首、
寄喰物恋
喰込た二八の君かそはにのみ何やかやくをたしに遣ふて
二八そばに寄せた恋の歌。二八、蕎麦、かやく、出汁と詠みこんでいる。二八が狂歌でよく出てくるのは月見の頃、十五夜を三五、十六夜を二八というのはよくみかける。「狂歌かゝみやま」から一首引いてみよう、
もちいさよひはさし曇りつるに立待の月の
はれけるを 木端
九々の数の三五二八にすぐれたるこよひの月は算用の外
十七日の立待月は九九の算用の外だと詠んでいる。貞国の歌に戻って、「二八の君」は十六歳の女性のようだ。同じ「狂歌かゝみやま」に、
若き男の遊所にて新造にふられしといふ
はなしをきゝて 栗山
けんとんな二八はかりのふり袖にふられて出るはこしやうあかりか
新造は遊女見習いで、客を取るのは十六、七とあるからこの二八も十六歳だろう。「けんとん」は下級女郎という意味の他に、蕎麦うどんなどを一杯ずつ盛切りにしたものという意味もあり、ここは両方を掛けていると思われる。「小姓上がり」は現代では前任者に取り立てられて出世コースを歩んだという文脈が多いように思うが、ここでは無能のニュアンスだろうか。数えで十六歳だと今なら中学3年生ぐらい、これらの歌をみると恋愛対象としても問題なかったようだ。同じ「狂歌かゝみやま」には十四歳で嫁入りという歌がみえる。
もゝといふ女の十四才にてよめいりせる日戯む
れて読てつかはす 雨蛍
十とせ余りよもとのこかけそれならて今宵そ色のはしまりにける
十四歳なら話題になるということだろうか、話がそれてしまった。「二八」で検索すると二八蕎麦の語源について書かれたものが多く出てくる。そば粉の割合という説は二八うどんもあるからボツ、値が十六文というのも十六文よりもっと安かった時代から二八と呼ばれていたからボツ、中々難しいようだ。「狂歌秋の花」に十六夜の二八からうどんを連想した歌がある。
同十六夜 永日庵其律
先の夜は芋とたんこに詠め来て二八の月にうとん恋しき
昨夜(十五夜)は芋と団子で月をながめて、今夜は二八の月を見てうどんが恋しい。作者の永日庵其律は名古屋の人、名古屋も大阪同様にうどん文化だったようだ。貞国が住んでいた広島はどうだったか。冒頭の歌だけをみると二八は蕎麦だったように思える。また、「柳井地区とその周辺の狂歌栗陰軒の系譜とその作品 」には、貞国がそば粉を贈られた時の、
恥しや舌も廻らぬ石臼にお引廻しはご免あれかし
という歌が載っていて、あるいは蕎麦が好物だったのかもしれない。しかし、貞国の時代に広島城下に蕎麦屋があったのかどうか、まだ見つけられていない。「芸備孝義伝」に可部のうどん屋の清兵衛さんの話がのっているが、「家まづしけれど」とあり、あまり流行ってはなさそうだ。
色々書いてきたけれど、最初の貞国の歌、まだスッキリしないところがある。恋の歌として最後のだしに遣う、のは何をだしに使うのか。「かやく」は江戸時代には薬味のことを指す場合が多いようだが、何か別の意味があるのか、それとも、「何や」何とかして君の側にいたい、という意味でかやくは蕎麦の縁語に過ぎないのか、もうちょっとかゆいところに手が届いていない感じもする。
【追記1】と書いたその日のうちにラストはやはり私の読みが足りなかったことに気づいた。「何やかやく」は「何やかや」あれやこれや、だった。すると恋の歌としては、あれやこれやダシに使って君のそばに、ということになる。もうちょっとよく考えてから書けばとも思うが、ここに書いてみて気づくこともある。今後もこんな感じでやっていきたい。
【追記2】 「二八娘」の用例を上方狂歌から、
娘待嫁入 籃果亭拾栗
麺類の二八娘はこん礼を細長うくひをのはしてそ待 (狂歌百羽搔)
娘有佳色 白石花陘
もゝの媚有てようようほめらるゝ二八のむすめたれにとつかむ (萩の折はし)
一首目は貞国の歌と同じ趣向ながら麺類と読んでいるからうどんも蕎麦も両方念頭にあったのかもしれない。二首目の「もゝの媚(こび)」は長恨歌にある「回頭一笑百媚生」によるもので平家物語にも「この后一たびゑめば百の媚ありけり」とある。江戸時代には、十六歳はそろそろ婚礼の話が出始める年頃だったように思われる。ネットなどでは十五歳が平均のように書かれたものもあるが、雨蛍の歌からは十四歳はまだ子供、早過ぎるという感覚が読み取れる。二八娘はそろそろ、というニュアンスも含んだ言葉だったのかもしれない。